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20170619診察日記その2

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なんとか治療の道は、ぎりぎり繋がったようだ。先のことは全然未定だけれど、来週から3クール目の抗がん剤が投与される。

今の薬‥パクリタキセル(+アバスチン)は、4週が1クールだ。3投1休(週に1度を連続3回、4週目が休み)がきほん。ただ患者の場合、体がくらうダメージがでかすぎる。白血球問題が勃発し、たちまち生命体として危うい状態を迎えかねない。そこで、先生は隔週での投与を提案した。この場合2投2休っていうのかしら?

1週目と3週目に薬を入れる。2週間たっぷり休んで、体をきちんと回復させてから投薬する作戦だ。このスケジュールを試してみて、薬の効きが悪くなるとか、それでも体が回復しないとか、不具合があれば作戦を練り直すことになる。

母ハルエはカタカナばかりのやりとりに、ポカンとしていた。もう少し、肝臓の写真をよく見たかったけど、今日はもういいかなと思った。こうして主治医と家族の会談は終了。患者が会計など、もろもろ手続きをやっつけている間に、叔母がハルエにレクチャーしてくれていたようだった。

早くに終わったことだし、3人でお茶でもするか‥という雰囲気だった。そこへ突然、それまで静かだったハルエがこう言った。

「わたし大阪城、行ったことない」

え?!そうなの?

病院からお城へは徒歩3分もかからない。そう言われたら行くしかないでしょう。

そういえば3年前、はじめて抗がん剤治療をはじめた頃のこと。母が突然、京都から大阪へ来たことがある。親と離れて暮らしてずいぶんになるが、それはとても珍しいことだった。患者がひとりで住むアパートへ、体調を心配して電車に乗ってやってきたのだ。そのときも突然こう言ったっけ。

「梅田へ行ったことがない」

体調が悪いはずの患者は、ハルエを連れてバスに乗り、現地へ急行したのだった。

炎天下のなか、ハルエと叔母と患者の3人は天守閣を目指して歩きだした。大阪城公園へはすぐだけれど、お城の中は広い。歩数計は1万歩を超え、暑さでぐったりだったよ。昨日のタイトル画像は(今日のも)、そのときのもの↓

今日は神妙な話し合いになるかと思っていたのだけれど、思わぬ大阪観光が割り込んできた。まさか、秀吉の波乱万丈人生を振り返ることになるとは。こんな戦国の世で、農民から天下統一までのぼりつめ、60過ぎるまで生きたなんて。秀吉がちょっぴり羨ましくなった。でもまあ、もしもオレが戦国時代に生まれていたら、がんになる前に殺されていたかもねぇ。

そんな呑気な感想を抱きながら、城観光を楽しんだ。そのあと、喫茶店で「もっと親の世話になったらどうなの」など、叔母からごもっともな指摘を受け、長い1日は終わった。