見出し画像

すずさんに、やっと会えた

(このnoteは、なぜか6月作成としてあがってしまったのですが、7月20日に書いたものです。修正できないみたいで‥)

原作は読んでいなかった。
予告動画などをチラッと見て、
「これはあれだね。よくある原爆の話だね」くらいに思っていて。
じっさいは
原爆のこと、戦争のことも描かれていたけれど、
切り取り方やぼやかし方が
これまで見たどの戦争映画とも違っていた。

この世界の片隅に」は
クラウドファンディングで資金調達された映画だった。
最終的に、集まった金額は4千万円近く。
日本の観客動員数は、2017年5月現在で200万人を突破。
受賞ノミネートの話題は後を絶たず、
海外でも続々と上映国が広がっている。

そんな映画が公開されたのは2016年11月のこと。
8ヵ月が経過した今も、まだ上映する映画館があった。

コトリンゴのテーマソングとともに、物語がはじまる。
気付けば、すずさんの実家にじぶんも居る気がした。

過激な戦闘シーンなどはない。
何気ない家族の日常が、丁寧に描かれている。
それが、なんでもないシーンであればあるほど
胸が張り裂けそうな気持ちになった。

広島の街並み、山や畑、戦闘機が飛んでいる空だって、
軍艦だらけの海だって、どの風景も美しかった。
人々は家族と喧嘩したり、笑い転げたりしながら
朝から晩まで、日常を生きている。

常軌を逸した時代であっても、当時は戦争をしている世の中が
当たり前であった。ふつうのことだった。
あの戦火の中を生きるしかなかったし、
それ以外に選択肢はない。

主人公のすずさんは、悲しい時代を
あくまで普通に生きているように見えた。

じぶんたちがいま生きている時代はどうだろう。
すずさんが生きた時代と比べたら
平和で豊かなのかもしれない。
食べることに困っているわけではない。
愛する人の命が、つぎつぎと奪われたりもしない。
あの時代、手に入らなかったものは
今の時代にあふれている。

今の時代を生きる患者は、この世の片隅で暮らしている。
困りごとといえば、病気を患っているくらいで
それだって、皆さんのおかげで
平穏な日常を過ごせている。

ただ、ときどき感じることがあって。
周囲の人たちには
患者の暮らしが「困難なできごと」として映っていることがある。

本人は、決してそんなことないつもりでいるのに。

「患者であること」は
イコール「ふつうなこと」でしかない。
すずさんにとっても、そうだったのではないか。
(困難の種類がぜんぜん違うので、比較のしようがないけど)

決して望んでそうなったわけではなくっても、運命は受け入れる以外どうしようもない。

エンドロールとともに、またコトリンゴの曲が流れはじめる。
ここですずさんとお別れするのが淋しかった。

席を立とうと思った、本当に最後の最後‥
映像が消えてなくなる直前の演出が、不意打ちだった。
かばんからまた、タオルを出してくるはめに。
帰り道でも泣けて仕方なかった。
いったいこれは、何の涙だろうね。

すずさん、今夜はスクリーンであなたに会えて
ほんとうにうれしかったよ。
あなたが丁寧に日常を積み重ねてきたように、
じぶんも今の暮らしを
朗らかに瑞々しく生きていきたい。

(以上、記事中の画像は公式サイトよりお借りしました)

「この世界の片隅に」DVD&Blu-ray‥2017年9月15日発売予定