悲しみたがり
単身で暮らし、勤めを控えている患者にとって
誰かとコミュニケーションをとる機会は
そうではない人と比べ、明らかに少ない。
コミュニケーションの筋肉があるとすれば、
退職した半年でずいぶん衰えを感じる。
今日、わりと派手な喧嘩をした。
正確に言うと喧嘩ではない。
(恥ずかしながら)ほぼ一方的に
こちらが怒り、悲しみ、
最後はおめおめと泣き出していた。
つきあいが長いし、
喧嘩は初めてではないけれど..今回のは、
相手にとっては大事故だったはず。
さっきまで笑いながら進んでいた
会話のキャッチボールが、
いつのまにか
ドッジボールと化しているのだから。
トラブルの原因はこうだ。
わが家へ友人が訪ねてきていた。
部屋の模様替えを手伝ってもらって、
一緒に家でご飯を食べて、
和やかにすごしていた。
話題は、あちこちへ転がり
なぜか片岡鶴太郎氏の食事について
噂話がはじまった。
それがいつの間にか、
「人にとって本当に大切な食事法とは」
というテーマになったあたりで
雲行きが怪しくなってきたのだ。
相手は、
「人間という生物は、本来なにも食べないほうがいい」
などと言い出した。
あくまで、生物学的な見解だったのだと思う。
それなのに患者は
日々、工夫して食事しているじぶんを
否定された気持ちになった。
食べたいのに食べられない、
あるいは食べたくない、
そういうストレスと対峙しているオレに
なんでこんなこと言うのだろう。
相手は、さっきまで一緒に
患者の手料理を食べておかわりまでしていた。
それなのに
「健康であるためには一切食べちゃいけない」
と、すごい発見でもしたかのように話し
(あ、いやそのように見えただけなんだけど‥)
まるで、患者が病気になったのは
間違った食事方法が原因かのように受け取れた。
(受け取れなくもなかった)
ここで
悲しみたがりスイッチ、パワーオン!
生きるために食べようとしている人間に、
なぜ頭ごなしにそんなことを言うかなー?
スイッチがパワーオンしてしまったからには、
とにかく悲しがるしかない。
しまいに、「さっき作った餃子鍋を返せ」とか
「今からとびきり美味しい柿を剥くところ
だったけど、やめておくよ、ああもうやめた!」
と低次元な言葉が口をついて出る。
ドッジボールは、どんどん横着になっていった。
相手は何にも言わなくなった。
何か言えば、乱暴なドッジボールが
盛り上がるだけである。
さすが古いつきあいだけあって、
最善の策を講じていた。
患者は布団をかぶって泣いた。
やがて、ティッシュの箱を抱きかかえながら
キッチンへ向かう。
泣きながら柿を剥いていた。
そうして、ファインプレーを放った敵と
一緒に食べた。
いずれにせよ、柿は美味しいんだよね。