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「呉座勇一事件」と皇国史観スターターキット

 呉座勇一氏について、後藤和智氏の記事が出ました。

知識人「言論男社会」の深すぎる闇…「呉座勇一事件」の背景にあったもの @gendai_biz https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82627 #現代ビジネス

 よくまとまっていて、付け加えるものはないようで、どこか画竜点睛を欠くのではないか? そんな違和感がつきまといました。その正体をつきめてゆくと、騒動の中である名前を見たことを思い出したのです。

 それは平泉澄。かつては否定された平泉澄だって、再評価されているというつぶやきが流れてゆきました。

 『青天を衝け』を理解するために、片っ端から水戸学関連書籍を読んでいた私には、平泉澄という名前がパズルのピースのようにピタリとハマった感があったのです。

カジュアル皇国史観を摂取しふりまく知識人たち

 こちらの記事では、フェミニズムを嫌い、リベラルをコケにする価値観が分析されています。しかし発端が発端だけに、歴史観について掘り下げてゆきたい。

 どうしたってそこには、彼らの世代が愛読したであろう『ゴーマニズム宣言』の影がチラチラ見えます。この世代の方と話していると、さらりと「『ゴーマニズム宣言』でそういう方向にはまりかけたけど……」という言葉は聞かれます。
 当時流行していたから、嗜むようにそこへ向かう。この傾向は、性別や左右問わずにあることは踏まえておいた方がよいのでしょう。

 なまじ知識人であるからには、ネトウヨ化したり、Jアノンになったりはしない。むしろSNSではそのあたりを茶化しているけれども、うっすらと毒を飲んでいることに気づいていないのではないか? それはもう、世代全体を蝕む病のようなものではないかと私は危惧しています。

 この記事にある元号に関する某氏言動にも、皇国史観は滲んでいました。

 彼らは自分たちが頭で考え、そのうえで左翼やリベラルやフェミニストを批判しているのだと答えるのだろうとは思います。しかし、時代の空気に流されている部分はどうしてもある。

 彼らは別に三島由紀夫のように、真面目に皇国史観を捉えているわけではないと思います。人間の普遍的心理現象として、親世代を否定し、祖父母世代を素晴らしいと思う傾向があると。
 呉座氏界隈世代からすれば、安保だのなんだの言い、我が子を戦争に送るまいとした親世代がナンセンスでからかうもの。
 その親世代、つまりは呉座氏世代の祖父母、八紘一宇と言い張っていたことが“クール”だったんじゃないですかね。鮫島伝次郎しぐさを一周回って賞賛したくなるお年頃なのかもしれませんよ。

 そんな逆張りで、あれほど先祖が苦労を重ねて否定してきた皇国史観がシレッと肯定されているなんて、もう言葉になりません。司馬遼太郎の悪しき側面も影響しているのでしょうが、それについては長くなるのでこれまでとしまして。

 そうそう、アンチフェミニズムも明治維新以降らしいと思えますよ。明治政府はナポレオン法典の摂取に積極的でした。ナポレオン個人のミソジニーが反映されているためジェンダー観点からするとあの法典は大問題。自分の頭で考えたはずのアンチフェミ思想が、ナポレオン由来かもしれないと考えてみるのもおもしろいかもしれませんね!

 はい、ここで立ち止まってくださいね。でもこれって、彼らだけの問題でもない。むしろ明治以降の日本人全体の問題ではありませんか?

皇国史観スターターキットを楽しむ大河ファンたち

 こうした事件を批判し、野党支持、レイシズムへ反駁する人たちとて、私は安心安全とは言い切れません。 古谷経衡氏が「ネトウヨは水戸学すら知らない」と嘆いておりましたが、それはリベラルもそうかもしれない。

 それは『青天を衝け』のこと。覚えていますか、呉座氏が『鎌倉殿の13人』を降板し、朝日新聞系列の「論座」で與那覇潤氏がそれを憂う記事を掲載していたことを。そこを逆転の発想は浮かびませんか? むしろこれこそ、大河を救う一手になったのではないかということ。

 来年の大河はさておき、今年はどうなのやら……。

 いや、ドラマの好き嫌いなんてどうこう言っても仕方ない。私は人と大河ドラマと朝ドラの話だけはしたくないと常々思っています。呉座氏周辺の大河ファンにSNSで絡まれた時はハッキリ申しまして不愉快極まりないものがありました。

 しかし、『青天を衝け』だけは極めて悪手とハッキリ言っておきたい。
 あのドラマは、水戸学を賛美しておきながら、「水戸学」という名前を出しません。そこを「尊王攘夷」や「攘夷」と言い換えます。理由は推察できます。

 「水戸学」で検索しますと、三島由紀夫の名前が当たる。水戸学関連書籍から皇国史観まで辿り着くことは、さほど難しくない。

 しかしなまじ「尊王攘夷」だとたどり着けません。あのドラマを見ているファンのツイートには、

「幕末なんてみんなこんなものだよね」
「試行錯誤して正解にたどりつく。今の見方で栄一たちを批判するなんてできないよ」

 といった趣旨のものもあります。いや、当時の時点で水戸学信奉者は危険視されており、かつ批判もされています。尊王攘夷を唱えた中でも極め付けの過激派、統制を失い自壊した勢力が水戸学なのですが。
 そもそも、孝明天皇への偏愛も片想いです。孝明天皇が嫌い憎んだことが天狗党の乱につながる流れにもあります。徳川慶喜が、朝廷の許可を得て天狗党討伐軍を率いていたことを忘れないようにしましょう! そんな天狗党がなぜ靖国に祀られているのか? そこを探るのが歴史学ですよね。歴史学というのは、ソーシャルゲームとはちがいます。綺麗な顔グラのカードを集めて終わるというものではありません。ハッシュタグつけて「斉昭公が蘇ったみたいで素敵!」とか「慶喜いい人すぎ!」SNSでつぶやき(これ、天狗党の顛末を知らないからこその感想ですよね?)、つよポン慶喜のイラストを描くことは歴史を学ぶということではない。そこの区別はつけましょう。

 しかし、大河ファンがこうして煮詰まってしまうと、なかなか訂正が及ばない。水戸藩関連書籍を辿るとなると、ちょっと技術的にハードルがあがる。そういう困難を悪用して、皇国史観を砂糖でくるんで食べさせているようで、もう不安で仕方ありません。

 NHKだって、もしももっとまっとうな判断なり良心があれば、こんなことはできないと思います。『獅子の時代』は渋沢栄一大河の予定だったものの、却下されてああなったという説もありますが。それも過去のことなのでしょうね。

 『青天を衝け』について言えば、歴史考証の雑なことと、悪質さにおいてはあの『花燃ゆ』と『西郷どん』と大差ありません。それでもあれだけホイホイと信じるということは、それだけ水戸藩関連の情報発信が途絶したということなのでしょう。天狗党の呪いがどれだけ甚大か痛感します。そもそも、大河ドラマだけで歴史の勉強をできたら苦労はありません。図書館で水戸藩がらみの本でも借りてみたらいかがでしょう? 私のおすすめは山田風太郎『魔群の通過』。小説ではありますが、史実を反映させていて忍法帖のような伝奇ものとはちがいます。

 と同時に、

「史実なんてどうでもいい! ドラマを楽しむ私の心を傷つけないでよ!」

 となんとか言い張ることは、歴史好き界隈でネタにされている【司馬遼太郎の小説と違う最新学説を断固認めないおじさん】に片足突っ込んでいることを自覚しておりますでしょうか?
 呉座氏同世代はもう親の側、本物の若者からカッコ悪いと思われる世代に突入しました。それなのに成熟を伴わず、いまだにSNSで「げふんげふん」だの「www」と書き込み、漫画のコマを使ったリプライをしているあたりが実に悲劇的ですね。
 その親世代は、せめてそれこそ司馬遼太郎小説の文言あたりで揶揄していたというのに。なんとも虚しい限りではある。

 ハッキリ言いますと、もう今年の大河とその周辺の反応は『帰ってきたヒトラー』そのまんまです。おもしろいキャラクター性にキャピキャピ笑っているうちに、危険思想を刷り込まれてゆくと。

 『青天を衝け』では、斉昭が死ぬ直前に、妻に対してキスをしたことで「キス死!」だのなんだのネットで大盛り上がりという風潮が形成されておりましたが。心臓発作で急死した斉昭のような場合は、キスなんてできませんよ。死の直前、斉昭は統制が取れない水戸藩士に苛立ち、ストレスの極みだったんですけどね。

 それより何より、斉昭をマイホームパパいいひと扱いするのって、ヒトラーが子どもに微笑んでいる写真を取り上げて「いい人なんだ!」と言うような危険極まりないことなのですが。

 大河ファン、こと呉座氏周辺にいたような層には悪しき傾向があります。戦国時代、中世史には自信満々の割には、近現代史知識が疎かであること。呉座氏が幕末史がらみで、会津を冷笑するような論調で文章を書いていたことは把握しています。戦国武将や城に詳しいからと、自信満々で近現代史や他国史とりわけ中韓について的外れなことを語る。しまいには唐突かつ不正確な儒教、フェミニズム、人権批判を始める。こういうことは、そろそろやめた方がよろしいかと思います。暴虎馮河です。

エコーチェンバーと皇国史観スターターキット

 こうした呉座氏界隈なり、大河ファンなり、共通することはあります。それは【同調性】の高さです。
 
 呉座氏がああなったことで、某日本史研究者評価が変わりました。ある研究者がテレビに出ると、ツイッターではインチキだの嘘つきだの、人格批判を含めた罵詈雑言が飛び交いました。それがパタリと止まったのです。

 つまり、誰かが扇動していたと明かされつつあると。からくりを知れば簡単でした。

 大河も、エコーチェンバーが使えます。大河ファンはともかく団結力が高い! 同調性が高いのです。

 2019年の『いだてん』が顕著でしたが、あの大河ドラマではハッシュタグを使った印象操作が活発でした。視聴率は低い。観光業も苦戦する。加藤清正大河の可能性を潰してまで、金栗四三を主役にしたい要望が、震災で苦しんでいた熊本にあったのでしょうか? それでもハッシュタグやファンアートが盛り上がればヒットしたことになる。そういうSNSのアルゴリズムを利用した人気確保を行なっている形跡がハッキリとありました。
 インターネットの特定界隈が盛り上がっていて、その動きにさえついていければよいのだと。私はそんな流れを見て、嘆息するばかりでしたが。
 私はかつて『ホテル・ルワンダ』を劇場で鑑賞し感動しました。その上映運動といえば町山智浩氏です。かつては彼を敬愛していました。それも映画秘宝が女人禁制イベントをしたあたりで、急速に熱がさめましたけどね。さて、その町山氏が、『映画秘宝』でベスト作品に『いだてん』をあげていることを読み、「麒麟も老いては駑馬に劣る」という言葉を思い出してしまいました。あのドラマの震災の描き方はともかく大問題がありました。他にも不正確かつ問題がある描写がてんこ盛りでしたが。

 ドラマのファンってサンクコスト、空気を読むことに敏感な傾向が強い。いったん面白いと思うと、違和感をおぼえるようになるとムズムズしながら言い出せなくなると。つまらないと言ったら相互フォロワーさん傷つけちゃう……そうもじもじする。SNSは自由を得るどころか、自由を縛るものになりました。

 そういうエコーチェンバーと皇国史観スターターキットが組み合わさった2021年大河の危険性ときたら、どうしたものでしょうか。
 イデオロギーやエコーチェンバーの危険性は、幕末水戸藩がきっちり証明しています。自分たちの界隈だけで勝ち誇る内部抗争制圧術ばかりを極めた結果、崩壊に至ったのです。

 歴史というのは、楽しむだけでなく、現在の置かれた現状とぶつかりあわせて研磨してこそ役立つものだと思います。幕末史に関しては、私は自分の先祖がどこでどういうことに巻き込まれ、その結果どんな苦渋を味わったのかはわかっています。そういう意識がないと、幕末をただのキャラクターゲームのようにできるのかと思ってしまう。
 幕末史は戦国とはちがう。近現代へとまっすぐに断絶なくつながるもので、そこは常に意識していないと、レイシズムやファシズムに直結します。そういう危険性を常に認識できるかどうかだけでもかなりちがってくると思うのですが。
 口当たりのよいものって、実は危険ですよ。

水戸学とは何ぞ? 斉昭のパフォーマンスが幕末に投じた思想的影響のヤバさ https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2021/05/29/159315

 もう繰り返すのも憂鬱ですが、五輪関連の歴史を調べるうちに、胡散臭いことはたくさんわかりました。
 二十一世紀にこんなものいらないし、『いだてん』だって東京五輪が安寧に終わらねば禍根を残しかねないと。コロナのことは予想できませんでしたが、炎天下の競技が危険であることは、2019年時点で明白だった。被災復興でも資材や人材が五輪がらみでとられていた。
 そういう危険な、人命すら粗末にするイベント宣伝を、受信料でするってどういうことでしょうか?
 五輪がらみの共犯者にはなりたくないので、「五輪機運醸成ドラマ」支持はできかねました。そしてそのことで、大河ファンから罵倒されていい奴扱いをされて、だいたい嫌なことは味わい尽くしました。流石に耐性もできましたので。
 五輪がらみの懸念をあのドラマのファンに話したとき、冷笑的にバカにされ、「考えすぎでしょw」と小馬鹿にされたことは忘れられそうにありません。せめてギルティープレジャーくらいあってもよいのではありませんか。

オリンピック負の歴史 スポーツと戦争・政治は切っても切れない関係也 https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2021/05/27/125074

「八股文が書けるだけのゲス」にならないためには

 今回の件については、歴史からみて既視感はあった。サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』も参考になりました。

 明と清は、科挙の弊害が極まった時代でした。八股文という試験テクニックを理解せねば突破できない。国家が定めた受験テクを通して思想も流し込めるから、統制に向いています。
 一方で、受験テクだけできるけど、道徳観念がお粗末な人間が官僚になるとか。優れていても受験テクだけこなせなくて全然合格できないとか。そういう取りこぼしが出てくる。能力主義(メリトクラシー)の弊害は、明清が通過済みということです。

 知識人だろうが、クリエイターだろうが、道徳を学ばないと足元をすくわれる。そうしみじみと痛感し、最近では儒教や思想書を読むことが日課となってしまった。『孫子』や『韓非子』があうけれども、極めすぎると性格の邪悪さに磨きがかかりそうなので、『貞観政要』あたりを重視したいところです。
 そして儒教についていえば、陽明学を学ばない方がよいし、自分の性格にはあわないと思いました。自分の気持ちを大事にしたい! 心即理! そう言われたところで、まったく共感できないしする気もないとわかってしまった。
 気持ちの前に何をするか。目的は何か。謀略を駆使するにしたって、大義がなければいけませんよね。そう思い至った次第です。

 日本人は脱亜入欧だのなんだかんだ言い募り、儒教はじめ東洋の道徳を捨て去った、その空洞に西洋由来の哲学なり、道徳や教養、人権思想が入り込むかと言ったらそうならない。そこに小説、アニメ、ゲーム、萌え、ドラマ、広告代理店が運んでくる宣伝だのなにやらを詰め込んだ結果が、この惨状なのではありませんか?

 以下は一応投げ銭。読んでいただかなくとも結構です。

十年後の日本史は?

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「呉座勇一事件」と皇国史観スターターキット

小檜山青 Sei KOBIYAMA

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