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埼玉文芸賞入賞エッセイ「仕事と尊厳」

先日、埼玉文芸賞のエッセイ部門で入賞しました。その作品を掲載します。

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 アメリカンドリームを叶えるために家族を連れて移住したが、期待していた職には就けず、三年間無職であった。その間に妻と十八歳の娘、十五歳の息子はバイトを見つけ働き始めた。

 旧ソ連出身のパイロットでいくつもの学位を持つエリート。アメリカに移住すれば、より大きな飛行機を操縦し、家族全員で豊かになるはずだった。

 

 デモに参加し頭を怪我してから調子が良くない。しかしもうすぐ長男の結婚式だ。結婚資金を貯めなくては。家畜を売っても足りるかどうか。

 羊を全て売ってなんとか金ができたが、放牧する動物はいなくなった。これでは家にいるしかない。銃で撃たれた頭は痛むし、持病の糖尿病も悪化した。もう目はほとんど見えないが、治療に行く金はない。もちろん放牧する羊を買う金もない。

 

 外資系IT企業に勤め始めて一年。年明けには昇進する内示が出た。シンガポール、香港、オーストラリア。国を超えてビジネスを動かす期待感で胸が躍る。だが、最近体の調子が良くない。片頭痛はいつものことだが、まっすぐに歩けない。階段を上るのも一苦労だ。

 難病発症。検査のつもりで訪れた大学病院でそう判明し、即日入院となる。休職すること一年。職場に戻っても居場所はない。体の機動力は半減。昇進どころか、仕事も失った。


 三人三様のストーリー。

 共通点は、全員「職を失った」ということ。

 これは作り話ではなく、現実の世界で起きたことだ。

 一つ目は、私の義理の父に起きたこと。私は国際結婚しており、パートナーは旧ソ連であるエストニアの出身者だ。

 一九九一年にソ連が崩壊し、現エストニアの国民は祖国を一度失った。ソ連崩壊前後の混乱期を経験した人間が、アメリカに夢を追い求めたのは自然な流れだったと思う。毎日の食卓に上がるパンを買うにも、朝五時から並ばなければいけなかったのだから。

特に旅客機のパイロットとして生きてきたならば、その資格をアメリカで活用し、一旗揚げようと考えることは何もおかしなことではない。日本の野球選手がメジャーリーグに憧れるように、すし職人がカリフォルニアでスシバーをオープンしたいと思うように、義父はアメリカでパイロットになることに夢を抱いた。

 しかし冷戦時代を経て移住したアメリカは、旧ソ連人には優しくはなかった。同じパイロットの職どころか、航空関係の職にも就けず、義父は悶々と一人自宅にこもった。

 一家の大黒柱が働かなければ、生活が成り立たない。妻と子供二人は皆それぞれ裕福なロシア人の家庭の掃除や、ロシア系の雑貨屋などで働き始めた。しかしそれらの賃金は激安で、時給はたった二百円ほどだった。

 地下の狭いワンルームアパートに一家四人で暮らす日々が続き、義父はようやく職を見つけた。近所の工場、しかもユダヤ人が経営する下着工場という、彼のやりたかったこととはかけ離れた職だった。

 パイロットの経験を活かすことのまったくない工場で、見たくもない下着を扱う日々に耐えきれず、義父は仕事を辞めてしまう。そうしてまた家に引きこもり、遂には自分だけ母国へ帰ってしまった。少しずつ経済が良くなってきたエストニアなら、パイロットの職があると考えたのだ。

 二つ目の話は、私が本で読んだことだ。『髙橋美香、皆川万葉(2019年)「パレスチナのちいさないとなみ 働いている、生きている」かもがわ出版』という現地ルポをベースにした本である。

 著者は四半世紀に渡りパレスチナを取材している方である。現地の人々と共に暮らし、時に同じ仕事をする。そうして聞き出したその土地に住む人の言葉の数々には説得力があり、重く心に突き刺さる。

 日本にいるとデモに参加し銃で撃たれること自体、非日常的過ぎて実際に誰かの身に起きたことだと実感するのは難しい。よって「銃で撃たれても生きていて良かったね」とか「放牧する羊がいなくても、家族がいるし家があるのだから十分ではないか」といった感想を持ってしまいがちになる。

 だが敢えて言いたいのは、そういう極端な状況にいる人達だって「仕事がなければ気が滅入る」ということだ。このパレスチナのおじさんの仕事は放牧である。羊を育てそのミルクや毛皮を使い生計を立てている。羊がいてこそ仕事が成立するのに、おじさんは大切な全て売り払ってしまった。失業である。

「なにもすることがない。自分には価値がないように感じる」

と、おじさんは言った。

仕事をしないと、自分のことを無価値に感じてしまう。

 これこそが、人間にとって仕事がいかに大切なのかを明示している至言なのだ。

 最初の義父の話もしかり。

 インターネットもない時代、英語もろくに話せないロシアの端に住む一家が、ニューヨークへと移住する。結果は、惨敗。夢見た職には就けず、家族も養えない。最低限の生活に、嫁や十代の子供たちに養ってもらう日々。義父のプライドはズタズタに壊されただろう。

 だからこそ、彼は家族を残して自分だけ母国に帰ってしまったのだ。祖国でやりたい仕事をし、再び金を稼ぐという僅かな希望に縋りついた。自分には価値がある。再びパイロットになれば、自分は名無しの移民ではなく確かな何者かになれる。そう信じて、義父はアメリカを去ったのだろう。

 三つ目の話は、私自身に起きたことだ。

 私はアメリカのフォーチュン誌が発表する世界の大企業ランキングに入る大手IT企業に勤めていた。しかもアジア数カ国にまたがる部門のマネージャーに昇進が決まっていたのだが、突然の難病発症で全てがオジャンになってしまったのである。

 発病そして闘病を経て四年以上が経ったが、正直なところ、いまだに過去の栄光への執着は消えない。

 私は氷河期世代だが、地道にキャリアを積んで四十歳で外資系IT企業でマネージャー職になりかけたというのは、こうして今もチマチマと文章に書いてしまうくらい、誇らしいものだったのだ。

 しかしそのキャリアは一夜にして崩れ去り、最終的には失業してしまう。

 仕事がないことは、恐怖だ。

 それは金が稼げない、つまり生活ができないという実質的な恐怖と、所属する場所がない、つまりは自分を説明するものがないという自己を失う感覚に陥る恐怖だ。

 義父もパレスチナのおじさんも私も、皆この恐怖に慄いた。金が稼げないことは表層的な恐怖で、自己を失うというのは、その下の心の底に現れる恐怖だ。

 人は仕事をすることで、自己表現をしている。

 自分の頭で考え体を動かし行動する。これが自己表現だ。教師だって、医者だって、土方だって、漁師だって、どんな仕事でも根本はこの自己表現にある。俳優やイラストレーターなどだけがクリエイターではない。ありとあらゆる仕事はクリエイティブであり、自己表現の場なのである。

 例えば町の花屋だ。花の成育や花束の作り方など、自分が本や経験から得た知識を、花を育てたり花のブーケを作ったりすることでアウトプットしている。自己に取り入れたものを、全く別の分野で得た知識や経験そしてセンスを織り交ぜ披露している。

 一見クリエイティブな響きを持たない事務員でさえ、自己表現をしながら仕事をしている。メールの書き方、上司への説明の仕方、社内プレゼン用の資料の作り方。こういったもの全てにおいて自分のやり方があり、そのやり方は過去の経験や自分の感性から生まれているのだ。書き方や言い方ひとつで他人を納得させられたり、仕事をスムーズに回したり、自分の中に蓄積されている良い物をうまく表現できれば、仕事がうまくいくのだ。

 センスや感性。そう、人は皆、個を持っている。

 全く同じ人間は、人類が誕生してから一度も生まれたことがない。よく似た親子でも違いはたくさんあり、当然ながら一卵性双生児であっても見た目や性格や能力は異なる。

 そして個々の人間には、個々の尊厳がある。

 尊厳とは、個人の価値を認め尊重すること。人それぞれの価値とは、その人のアイデンティティ、つまり自己表現なのだ。

 仕事には、価値がある。

 生活の糧となるだけでなく、そこに自己表現という付加価値が加わるからだ。

 人は自分を理解してもらいたいという願望が、潜在的につきまとう。好きな人には知ってほしい。親兄弟にはわかってほしい。昨今すっかり定着した感のある承認欲求も、こうした願望の一部だ。

 他人に自分を理解してもらうためには、自分を表現する必要がある。残念ながら座っていること自体に意味のある修行僧でもない限り、家に閉じこもりボウっと座っているだけでは、自己表現は不可能だ。

 外界と接触し、自分で考えアクションを起こしてこそ、他人に認められるチャンスが生まれる。

 そして何であれ、自分から生まれたもの、行った仕事には尊厳がある。それを生み出した人と同じように、生み出したものには尊厳があるのだ。

 前半で紹介したパレスチナのルポ本には、トウモロコシ屋台、観光ホテルのドアマン、一粒ずつ手で摘むオリーブ拾いなど、さまざまな職が紹介されている。一見なんてことのない仕事に思えるかもしれないが、それらの仕事をしていれば「屋台のカルミ兄さん」や「ドアマンのサリーム君」になり「オリーブ摘みのインブラファム婆さん」になるのだ。どこの誰ともわからないモハンマド君が、○○の仕事をするモハンマド君になる。

 彼らの仕事が彼らという人間を説明し想像させる。

 そこには尊厳がある。

 人と仕事への尊厳だ。

 私は一度完全に職を失い、半ば自暴自棄になった。難病が持病になってしまったため、同業種への再就職は叶わなかった。

 だが現在は、在宅でライターとスポーツ翻訳家を兼業し、ギリギリ食べていけるまでになっている。自分は何者でもないという自己嫌悪や喪失感は、面白いくらいきれいさっぱり消え去った。

 自分が書いたものが、メルマガとして企業からユーザーに配信されている。

 自分が訳した文章が、選手やファンに閲覧されている。

 そんなちっぽけなことが、私の気持ちを大いに揺さぶり感動させた。嬉しさで胸がいっぱいになることもある。長時間椅子に座りモニターを眺め、腰も目も痛くなっても「やったぞ!」という喜びが勝り、ポジティブな気持ちの余韻が続くのだ。

 これが「仕事と尊厳」の効能である。

 自分を受け入れ、誇れる気持ち。

 その後義父は母国へ帰り、エストニアの航空法の整備に関わる職に就いた。

 戦禍にあるパレスチナの地にいる放牧のおじさんの現状を知るすべはない。しかし戦火を逃れ、息子さんが数頭でも羊を買い戻していることを強く願う。

 屋台のお兄さんも、ドアマンのおじさんも、オリーブ摘みのお婆さんも、皆がみな、今も何らかの仕事を持ち続けていることを祈る。

 戦争や移住の心配がない日本国内でも、引きこもりや高齢者の就職、産休後の女性の再雇用など仕事に関する問題は後を絶たない。

 世界を見ても今回上げた例だけでなく、高学歴の若者の就労機会の損失や児童就労、差別による就職の不自由など、ありとあらゆる仕事に関連した問題がある。

 こういった問題は一夜で解決するものではない。むしろ人の営みがある限り、永遠に続くものかもしれない。

 だがどんな世の中であっても、普遍的なことがある。

 それは、人には皆、尊厳があるということ。

 その尊厳は、仕事が与えてくれるとも言える。

 今は仕事をしていない人も、今の仕事が嫌いない人も、これから仕事を始める人も、皆が尊厳を持って仕事に取り組めますように。

 仕事は自分を世界へ知らしめ、理解を促す確固たるツールなのだから。

                                    了

 



 




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