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ココアと僕

紅茶、コーヒー、ココア、温かい飲み物全般が好きだ。コーンポタージュも好きだ。冬になると、アルバイトの帰りにいつも自販機でコーンポタージュを買っていた。ひとまず冷えた手を温め、コーンを一粒残らず全部飲もうとして缶の底をこんこん叩いたり缶を揺さぶったりしながら、最終電車を待つホームに吹き付ける風の冷たさをごまかしていたのを思い出す。結局、一粒残らずに飲めたことなどないのだが。これについてはいい方法があるのなら教えてほしいものだ。

寒い冬に、一人暮らしの部屋で鍋でバンホーテンのココアを温めていた。ワンルームの狭い部屋の中にココアの香りが広がっていく。牛乳を鍋にかける。ジウジウと音を立て始めたら火を止めて、混ぜる。くるくると混ぜる。マグカップに移して、また混ぜる。

飲み物をかき混ぜていると谷郁夫の出来損ないの天使たちという詩を思い出した。人間はみんなもともと永遠の命を捨てて人間になりたいと願った出来損ないの天使たちで、つかのまの命の中で恋をしたり、老いたりして、喜びと悲しみを知るのだ、という内容だ。

その中にこんな一節がある。

コーヒーに
砂糖と
ミルクを入れて
小さなスプーンで
かき混ぜてみたかった

僕は今やっているこれがしたくて、かつて永遠の命を捨てたんだろうか。陶器のマグカップと金属のスプーンがあたって響くカラコロという音を聞きながら、ココアの渦の真ん中を見つめていると、本当にそうだったんじゃないかという気がしてくる。

妄想の世界に引っ張り込まれそうになりながらも、外から聞こえるバイクの音に現実に引き戻されて1人静かにココアを飲む夜は、一人暮らしの冬の間に何度もあったような気がする。そしてその度に、いつか大事な人か一緒に暮らす人ができたら、冬の夜にココアを混ぜながらその詩のことを話したいと思った。

それから何年か経ち、少し仲良くなった女の子と電話をしていて「寒い日にはココアを飲みたい。しかも私は、何もかも混ざって入ってるインスタントな感じのじゃなくて、バンホーテンとかのちゃんとしたやつが良い」と言われた。

昔1人でココアの渦を眺めていた自分と繋がった気がして嬉しくて言った。「そうそう、僕もいつか誰かと付き合ったら、ココアを淹れてあげたいと思ってたんだよ」そう言ってしまった。

でも急にそんなことを言われた彼女は一人暮らしの冬の夜のことも谷郁夫の詩のことも知らないので、まるで僕が女の子の発言に無理やり偶然を装って自分を合わせようとする滑稽なヤツにうつったかもしれない。気が付いたときにはもう遅く、事実、そういうニュアンスで、「ええ?何それ?」とあきれられてしまった。

僕はなんだか恥ずかしくて顔が熱くなった。出来損ないの天使の話や、ココアの渦に飲み込まれそうだった冬の話をするよりも先に、やっぱり1人でココアをかき混ぜたいなと思ってしまった。目が覚めた夏の夜だった。冬はまだまだ先だった。

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