命の値段3
【 生命の価値や人権は等価ではない・3 】
先進国も途上国も、失敗国家でも、
人間の生命の価値は同じ、等しいはずだ。
こういうところから思考をスタートすると間違います。
なぜなら「生命の価値は等しい」という
前提がすでに間違いだからです。
人間の生命の価値は同じはずだ。
でも世界の現実を見るとそうではない。
世の中間違っとる〜〜!
論理展開としては必然的にそうなります。
これこそが典型的な左翼思考への道です。
元々がおかしいんですよ。
「生命の価値は同じだ」とあなたに教えたのは誰ですか?
それ、日教組の社会科の教師ではありませんでしたか?(笑)
現実はまったく違います。
生物学的な価値は同じですが、社会的な価値はまったく違います。
そしてその価値を作り出すのは、それぞれの国の民なのです。
ところが世界には失敗国家は山ほどあります。
国家が国民に対して、人権どころか、生存さえ与えられない、
どうしようもない失敗国家は、日本のすぐ側にもあります。
そういう失敗国家から逃げ出してきた奴は、
「人間の生命の価値は同じだ」と主張します。
だから日本国は、ウリたちにも、
日本人と同じ権利を与えるニダ!というのです。
これが失敗国家の民の典型的な言い分です。
ようするに自分たちが額に汗して建国せずに、
他の国に寄生して、ぬくぬくと暮らしたい。
だから「生命の価値は同じ」と主張するのです。
ですから冒頭のように
「生命の価値は同じ」からスタートすると、
移民や難民の身勝手な理屈に対抗できなくなります。
そうではなくて、生命の価値は違う、
なぜ違うのか?何が違いを作るのか?・・・
というふうに考えていくべきなのです。
日本国は日本人が築き上げた、
日本人のための、日本人の国家です。
私たちの先祖が、汗を血を流して築きあげ、
私たちに渡してくださったのです。
ところが自分たちは建国の努力をせず、
いとも簡単に祖国を捨てて、
あっちの方が良さそうだ、と潜り込んでくる。
そのような移民、難民のたぐいがいるわけです。
失敗国家の国民だからそうなるのか?
そういう国民だから失敗国家になるのか?
もちろん両方だと思います。
日本人はどんなに大災害がおきても、
どんなに経済がダメになっても、日本を離れようと思わない。
日本を捨てずに、何とか立てなおそうと努力します。
仮に万一、内戦になっても逃げないでしょう。
しかしあっさりと逃げちゃう民もいるのです。
平気で国を捨て、待遇が良さそうなところに移動する。
そして自分の国が保証してくれない人権を、
他の国に行って求める身勝手な奴らがいるのです。
そのような奴らを受け入れていると、日本国は滅びます。
今度は我々が難民となり、虫けらのように扱われることになる。
同情している場合ではない。明日は我が身なんですよ。
それぞれの国家や民族が、まずきちんと自立する。
自分らで国民を食わせ、教育し、人権を保証する。
そのために先進国が援助をするのは必要なことです。
しかし移民や難民の受け入れは、援助にはならない。
むしろ自分の国を危なくして、相手の国も壊してしまう。
国民が他国に逃げたら、その国は終わりますよね。
その民は国家を失って、かつてのユダヤのようになる。
世界中から迫害されて逃げまわるようなことになる。
移民や難民に同情して受け入れることは、
結局、誰のためにもならないのです。
彼らが自分らの国を立て直し、
よい国を建国する努力をする、
その手助けをすることの方が100倍ましです。
しつこいようですが何度でも書きます。
人間の生命の価値は等しくはありません。
国民の生命の価値は、その国家が決めるものです。
国民にきちんと人権や生存権を保証できない、
失敗国家の民に同情して受け入れたらダメです。
そういう国を作り出したのは彼ら自身なんです。
私たちがするべきことは、安全便利な日本国から、
彼らに同情をすることではありません。
安全便利な日本を築いた先達の苦労に感謝し、
日本国をより発展させて、次世代に渡すことです。
日本だって特亜の間断ない侵略を受け続けています。
他人に同情している余裕なんてないはずです。
実は世界のどこの国も、自国民を守り、食わせ、
防衛するだけで手一杯なんですよ。
他国の難民を無制限に受け入れる国などひとつもない。
みんな自分らのことだけで精一杯なんです。
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