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高校生によるエッセイ ΠΡΟΔΟΣΙΑ No.03「POP SONGの話」

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 エッセイΠΡΟΔΟΣΙΑ、2月第2号です!

 今回は米津玄師の新曲「POP SONG」の感想…もといほぼほぼライナーノーツのようなエッセイです。

 遡るとかなり最近のことになるが、1月23日に敬愛する米津玄師さんの新曲「POP SONG」が発表された。

 大衆的ポップソングを突き詰めて歌い続けてきた米津さんの新曲が「POP SONG」。曲名を聞いた時はどういう路線で来るか判らなかったが、先にCMで公開されたサビメロを聴くと直ぐに「米津節が爆裂している」と感じた。

 米津さんが最も作りやすい、手癖のように作れる曲が既に数曲世に出ている。「でしょましょ」や「カムパネルラ」、「爱丽丝」など、まずは実際に聴いてみて欲しいのだが、これらの曲に通ずるメロディラインやコードが使われているのだ。僕はこれを米津節と呼んでいるが、確かに「POP SONG」は米津玄師の思うポップソングなのだろうとも思う。

 しかし、イントロの異端さは凄まじい。先にMVを見た時は、変身する時の音は音源には入っていないだろうと思っていたのに、めっちゃくちゃ確り入っていて驚いた。(インタビューによるとこのSEはセーラームーンの変身する時のSEをイメージし、実際にセーラームーンの変身SEを担当した会社に作ってもらったという。着眼点が凄い上、そこまで拘るところに、やはり天才たる所以が感じられる。すげぇぜ!米津玄師!)

 配信されてから今日に至るまで耳に刷り込まれるほど聴いて、歌詞やその破天荒なメロディから、今日の世間へのある種のアンチテーゼを感じた。

「どうしちゃったの皆んな そんな面で見んな」
「真面じゃないよあなた方」
「君は誰だ教えてくれよ どうせ何も無いだろ」

 これらの歌詞は、米津さんの曲で今までに無いほど攻撃的かつ刺激的だ。「でしょましょ」でもあったように、最近のSNSやインターネットコンテンツの数々では批判、誹謗中傷、諍いや欺瞞などの負の面が顕著に見て取れ、これに対してのアンチテーゼや、自身が有名になるに連れて受けた無名の沢山の人間からのアンチコメント、批判、誹謗中傷に対しての否定等と、沢山の面で見て取れるのだ。

 無論、米津さんがそういう意図で作詞したのかは定かでは無いし、真相は判らない。それでもここまでアンチテーゼのこもったフレーズを多用しているところからも、「どうかしている」曲なのだなぁと勝手に解釈している。

 それこそ「どうかしている」や「全部くだらねぇ」という歌詞が多い上、遊びに富んだ曲調からも、その現世のくだらなさを踏襲したようなフレーズが多用されているのは腑に落ちるし、

「素晴らしいほど馬鹿馬鹿しい これぞ求めていた人生」
「喧しいこと甚だしい これぞ価値のある人生」

という歌詞がラストに歌われているのでどうしても有名になったことで付き纏われるようになった喧騒や喧しさを歌っているように聞こえてしまうのだ。

 「ゆめうつつ」を作っている時にもあった「怒り」がどうしても見え隠れする上、「君だけの歌を歌ってくれ」と繰り返し歌っている所が両義性を表しているのならそれは凄まじい表現力だなぁと感嘆している。

 まだインタビューが世に出てない(ここまでの文の執筆は2月8日に行われたため、まだこのエッセイ執筆時にはインタビューを読む前であった。)のでなんとも言えないが、そうしたくだらなさ、愚かさへのアンチテーゼが、米津節の効いたメロディーと合わさることでここまでPOPになることは凄いなと、改めて天才・米津玄師の凄さを感じた。

 まあ、こんなにエッセイとして書いてきた文を見返すとほとんど中身のないライナーノーツのように見えるので、このエッセイさえ全部くだらねぇのかも知れない。



追記:インタビューを読んだ。両義性を以って作ったと語っていて、自分の感じたことが合っていたことに驚いた。恐らくこの曲単体では「海の幽霊」の時のように配信限定シングルという枠になるのだろうが、今年もまだ長々と残っているので、何らかのシングルかアルバムなどフィジカルに収録された時にどういうアクセントになるのか、今から楽しみである。

 それから、近いうちに学期末テストがある。暫くは、このエッセイを書かないと思うが、3月にはKing Gnuの「カメレオン」、Eveの「廻人」、菅田将暉の「COLLAGE」がリリースしたり、源さんのライブ「宴会-鳳凰篇-」の配信があったりと忙しいので、noteの更新は加速すると思う。

 あー!めっちゃ楽しみ!


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