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高校生によるエッセイ ΠΡΟΔΟΣΙΑ No.06「桜が咲いている」

 遽しい日々が続いて、エッセイを書く時間がとれず今に至ります。高校2年生になりました。

 今年度ももっと文が上手くかけるようになることを目指し、エッセイ然りライナーノーツ等など書けて行けたらいいなと思います。よろしくお願いします。

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夜の匂いは好きだ。春、冬、季節や日にち、天気によって変わるけど、その奥底には共通して温かみがあるように感じるからだ。ある日の深夜2時。夜の匂いに紛れて、近くの道を通ったトラックの排気ガスの匂いと、どこからともなくコーヒーの匂いが香り立っていた。

 近所に沢山、カフェのある街に住んでいる。たぶん普通の街に比べたらそこそこ多いと思うのだが、如何せんあまり旅行に行かない家庭に住んでいるのでよく分からない。けれども、近年旅行に行くと、必ずどこかしらのカフェに寄るようにしている。

 その街、その地域、その店、その日だけの限られた条件の中で飲めるコーヒーは大抵美味い。この歳でかなりのカフェを巡ってコーヒーを飲んでいる上こんな変なエッセイまで書く自分がいかに変態野蛮人であるかは明確だが、コーヒーにハマってからは、色んな人の産み出した黄金比のコーヒーを飲めるのは楽しく、尊ぶべき行為なのかなと我ながらつらつらと思う。

 最近、自分自身が進路を選ばないといけない期間にあるから、ということもあるのだが、旅館で接客をしてくれた人々や、美味しいコーヒーを淹れてくれた人々のその一人一人に、それぞれの人生があると思うと、それはものすごく尊ぶべきものであって、奇跡的なものなのだろうと、当たり前のことにありがとうありがとうと頭を下げる自分がいる。おじぎ草くらいのメンタルでのうのうと暮らしているペーペーの底辺が語るべき話じゃ無かろうが、人に感謝するというのは、感謝される側だけじゃなくて感謝した側も多少、嬉しさを感じるような気がする。

 こんなことを思えるのも、今片隅で寝っ転がれるほどの平和があるからだろうか?それとも、ただうだうだと悩み散らかしているからだろうか?もしそうなら、いづれこのありがたみを忘れてチンパンになってウヒャウヒャと笑って腰振ってる連中に成り果ててしまうのだろうか?

 僕はそうはなりたくないなと思う。4月に入って友人や後輩が出来たものの、僕は孤独と共にありたいなと常々思っている。どうしても孤独は付き纏ってくるものでしょ?久能整くんではないけれど、そうして周りに目を向けて、色んなことをもっと考えられる人間になりたい。ああいった人生も悪くないだろう。

 きっといづれ僕にも、今の僕を見て「悩め青年・チビットスナギツネ!」と思える時期が来るだろうから、それまで日々を無駄にしないようにいたい。

 ようやく挑戦がやってきたのだろう。僕はついに放送部へ戻る決意をした。

 昨年先輩たちがやっていた「創作ラジオドラマ」を一から作る。ラジオを元にしたフィクションにしよう。まだ顧問たちからは怪訝な目を向けられているような気がするが、実力を見せねば。この先の道は長いのだから。

 挑戦出来るっていいな、と思う、春の呑気な昼下がりであった。最近もらったコロンビアの豆を挽きながら、ふと窓の外を眺めると、桜が満開だった。

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