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エッセイ No.17「猫」


こんな感じのねこなんです。黒色消えてるけども。


エッセイ ΠΡΟΔΟΣΙΑ
No.17
「猫」


 僕の家には御年11歳の猫が住んでいる。名前はミュウ。ペットは飼い主に似るとは言ったもので、僕の両親に似てかなりの大柄猫である。黒猫で真っ白のハト胸とタビ模様、額にはちょうどど真ん中に白毛でワンポイントな模様と、口と鼻から牛乳を垂らしているような模様がある。親バカかもしれないが、うちのミュウほどきれいな模様の猫はいないと思う。

 ミュウが家にやってきたのは小学二年生の頃だった。僕が幼稚園児の頃に住んでいた村へ遊びに来た日に、地元の道の駅のようなところで里親に出されていたのを引き取ったのだ。名前の由来は覚えていないが、僕が「ミュウ」という名前を付けたことは確かだ.


 はじめのうちは祖母の両手の中にすっぽりと納まるほど小さく、階段も降りれないようなちんまいやつで、母が色々と面倒を見ていたおかげで今でもミュウは母にべったり甘えている。父は仕事から帰ってくるときに必ず餌を与えていたからか、ミュウはさながら飯炊き係にでも接するような仕草で甘えたりこびへつらったりしては、餌をなかなか出さなかったり父がくしゃみをすると走り寄ってきてふくらはぎに噛み付いたりするようになった。もう亡くなった祖母は、自宅の隣に住んでいて、その祖母の家までの間にひとつの生態系を形成していたほどのかなり広い庭があり、そこに集う野良猫たちに餌をやったりしていたので、ミュウを含め野良猫たちはよく庭仕事をしている祖母の近くでヘソ天をしたりしていたのを覚えている。


 三人へ対するミュウの対応はどれもパターン化していて、そのほか、客人にもパターン化した対応をとっている。例えば、保険会社や証券会社のスーツを着た男性が訪ねてきた時は膝に乗ったりして甘え、母に近い年齢の女性が現れると問答無用でスリスリしに近づき、僕の友人が遊びに来ると、ちょっと顔を出して撫でられてから家の外へ出て子供らが帰るのを待ち、全員帰ったら悠々と家に帰ってくる。動物病院でのミュウは狂暴そのもので、家にいるときには聴いたことが無いくらいの声で叫ぶので待合室で待っているこちらの神経が参ってしまうほど心配になる。たぶん獣医さんたちにとっては厄介で凶悪な猫なので、昨年末の大晦日あたりまで入院していた時は「やっと今年が終わると思っていたのに一番最後にこの狂暴猫かよ…」と、ラスボスみたいに思われていたに違いない。


 僕に対するミュウの態度は、上記の誰とも違う。小さい僕はよくミュウにちょっかいを出しては、引っ搔かれたり噛み付かれたりしてを繰り返していたので、おそらく家族の中で一番舐められていたのだと思う。日頃近くで寝ようとしたりとかそういうのがあまりないし、近くに行くとずっとイカ耳になるし。だが家族の中で一番対等に遊んだのも僕くらいだ。100均に売られているモフモフのボールを転がしてあげたり、マタタビの木を花の近くで嗅がせて酩酊にさせたり。だからこれまで、さながらきょうだいの様につかず離れず不貞腐れた調子での距離感で生活をしてきた。
(そう、きょうだいだ!ようやく腑に落ちるたとえが出てきた!)


 ところが、僕の独り立ちを間近に控えた最近、ミュウの距離感がいつもより近くなってきたように思う。僕の部屋は二階にあるのだが、二階に上がってきて両親の寝室に入って寝るのだろうと思っていたら作業中の僕の後方にあるベッドに飛び乗って寝ていたり、昼食を食べている間も足元にきて、時々こちらに視線を送ったり、甘えるような声を出したりと、いつものミュウじゃない存在を相手にしている気分になるようなことばかりなのである。
 猫は第六感が利くというが、僕と過ごす時間が少ないことに、もしかしたら気が付いているんじゃないか?


 こういうことがあるもんだから、ミュウは実は何もかも理解しているんじゃないかという考えが拭いきれないのだ。人の話す言葉のその意味も、庭に集まっていた野良猫たちが軒並みみんな亡くなってしまったのも、スマホで写真を撮られるのが嫌いなのも、すべからく理解できているんじゃないか。僕はずっとそう思っている。だからもう一概にちょっかいなんて出しちゃあダメだなとか思いつつも、また頭をワシワシ撫でては噛まれるのだ。


 不意に背後のベッドでカサコソという静かな布擦れの様な音がする。振り返るとさっきまでスフィンクスの様な格好で呆けていたミュウが両前足を限界まで伸ばし、頭をその腕と腕の隙間にうずめた、「土下寝」とでも言うべき体制になってゆっくりと眠りについていた。

 にこやかな表情が僕の顔に浮かびあがった。


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