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男子大学生のエッセイ「へばりつく暮らし」はじめに

 はじめに
 


「あなたの文は紆余曲折していて一文一文がカロリー高すぎるのよね。だから読みづらいの。」
ある人に英文を提出する機会にそう言われた。
 解っちゃいるけど辞められねえんですよ、と頭の中で駄々をこねるも、頭のどこか別のところがカウンターで「いや、事実だろ。お前の文は英語にしても日本語にしても読む気が失せるほど長ったらしいじゃないか。」と声を上げる。
 
 文章って何なんでしょ。文学、文芸、エッセイ、漫画、詩、俳諧…。この世に数多有り触れている"文"。以前に連載(と言っていいものなのかあれは…?)していた高校生のエッセイでは愚痴や不満を着の身着のまま吐き出してとんでもなく重苦しい文章になってしまうことが多くて、最後の方には内容が重すぎるからといって何の脈絡もなく「うんち!(ぜつぼうのおと)」なんてタイトルをつけて重さカロリー30%OFFを狙ったが、重さは変わらないままだしその記事はBANされるし、そうこう説明しているうちにほら、読み返してカロリー使うほど疲れる文が大量生産されてしまった。もっと言葉を蹴らして最小限伝えるべきことを伝えることが今は好まれるらしいし、こうしちゃいられない。
 
 よくない。これはよくない。敬愛する星野源さんや尾崎世界観さんはもっとどす黒い部分をユーモア交えた文体で書いているというのに。なのに僕ときたら…。人より性根が腐っていて他人を十分に信頼できてるか怪しいからどんどん暗い文になっていく。
 怒りも妬みもずっと頭の中をグルグル駆け巡っていて根に持つタイプだから、たまに容量がいっぱいいっぱいになって破裂して取り返せない失敗をしてしまう。それは僕だけの悩みじゃないしきっと世間にはそういう悩みを持った人がそれこそ数あまた存在するのだろう。
 ならいっそのこと誰かに読んでもらうことを前提にしたブログエッセイを始めてみたらどうだろうか。とおもって、いまこの文を書いている。
 
 どうも、kodomowaltzです。以前書いていたエッセイ「ΠΡΟΔΟΣΙΑ」を終えてから全然時間が経ってないけれども、また始めました。
 以前の「ΠΡΟΔΟΣΙΑ」はタイトルが洒落込んでいてよくわからない感じがしたので、装い改め「へばりつく暮らし」というタイトルで誰かに向かって言葉を書いていこうと思います。もっとうまく書けるようにしなくちゃ。
 
 さて、地元を出て大学の近くにて一人暮らしを始めて早くも一週間。いろいろなサークルを見たりして、友達と呼んでもいいのか解らない距離感の同級生と話したりしては、一人きりの部屋に帰ってきて生活をする日々がはじまり、何かしら手を動かしたりしていないと余計なことを考えてしまうのでこうしてまたエッセイを書いている。
 
 絶賛ホームシック中だ。テレビで地元が出てくると嬉しくて画面に釘付けになってしまうし、思えば実家は終の棲家にもってこいなほど居心地が良かったように思う。山に囲まれた街でこれまで生きてきたからか、新しく住む街のどの方角にも大きな山が見当たらないのが不安で仕方がない。しかも長野の冬よりも今住んでいる部屋の中の温度の方が圧倒的に寒くってうんざりする。都会の家は室内に熱を篭らせない造りになっているとはよく聞くが、ここまでとは思っていなかった。埼玉め、恐ろしいったらありゃしない。
 
 そんな中で一番呆然としているのが生活の大変さだ。一人で食事を作り、風呂に入り洗濯をし掃除をし洗い物をし買い物をし…。これを母は今までこなしていたと思うと思わず頭が下がる思いだ。仕事から帰ってきてリビングのソファーで寝ていた母を「なまけてるなあ」とか思って見ていたかつての自分のもとへと今すぐ推参して、勇気一刀流奥義・ブレイブ斬をお見舞いしてやりたい。
 
 敬愛する源さんのエッセイでも「生活を頑張る」という話があったけども、本当に生活とか暮らしはどこまでも僕のもとに、人のもとにねばねばとへばりついてくる。
 
 これから何十年か付き添っていくんだから、仲良くやろうぜ、なあ、兄弟、とかいうメンタルで過ごせたら楽で良かったけれど残念ながらそうではないので、せいかつ君と仲良くなるために頑張っていきます。男子大学生の歯牙にもかけない文ですが、よろしくお願いします!
 


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