怒り
自分のTwitterやらInstagramやらに学校の人達という繋がりができてしまったので、この最果ての肥溜めの様なエッセイを彼らだけには見られたくないので、名前を変えました。
kodomowaltz。響きがいいですね。
でも飽くまでも僕は僕なので、チビットスナギツネでもあるしばらんぼうでもあるしkodomowaltzでもあるので悪しからず。今後ともご贔屓にお願いします。
今日はエッセイです。
ちょうど去年の今頃に、放送部でのことを書いたエッセイを書き込んだ気がする。あれから一年経って、高校生人生最後の作品制作が終わった。
結果は理不尽にも遭って惨敗。僕の三年間は無駄だったのではないかとさえ思えてくるほどに、悔しく、納得がいかず、そして悲しい気分になった。今まで積み重ねてきたものが崩れ、描いていた目標が大会二日目の朝、予選敗退を知らされてから、近くの人の来ない階段でひっそりと泣いた。一頻り泣いて、怒り散らして、落ち込んだあと、何を思ったのか、今自分が感じていることを文字に書き起こしてみようと思った。心を整理しようと思ったのだろう。
内容はとてもこんなところに書ける様なものじゃないが、その最後の一説に、自分でもなんでこんなことを書いたのか今では解らないが、「負け惜しみしか吐けないロボットになったみたいだ」という文言が書き残されていた。
それを読み返して、僕はなぜか、非常に惜しいことをしている気分になった。こんなビビッドで劇的な経験を忘れて無下にしてしまうことが、堪らなく惜しい。何かに昇華することができたならいいのに。
次の瞬間、僕の頭の中に生まれ落ちたのは、言葉でも感情でもなく、ただひとえに「音楽をやろう」という密かな決意だけだった。何か残してから死にたい。作品制作でダメなら、僕のできうる限りで一番自分を救えるのは音楽しかない。そう思ったのだ。
そこから実行に移すまで、そう時間はかからなかった。
心に浮かぶ感情を淘汰して残った苦しみと怒り、その全てを落とし込んだ自分本位の音楽を作る。消えてしまった目標に代わる新たな目標がこうして生まれた。
積み上げてきた青春が一瞬で終わったというビビッドで劇的な出来事を実体験として受け止められたのは、結果が発表されたその当日だけだった。それからはなぜか自分とは別の誰かが経験した出来事のようによそよそしく感じた。あの時の思いを書き留めておいてよかった。
そのメモを頼りに、この夏に曲を作る。
それが僕の最後の青春だ。
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