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食べられないトマトを育てる夫、それから愛するという事

トマトが食べられない夫は、それなのに夏になると庭の一角で、せっせとトマトを育てる。

トマトは私の大好物だからだ。
恥ずかしげもなく言うけど、これは惚気。
トマトは愛なのだ。

今年のトマトもよく成ったので、毎朝息子と夫が収穫する。

「ママのだいすきなトマト、どーぞ」

小さな両手の中に目いっぱいの真っ赤なトマト。長男の手から零れて床に転がったトマトを、次男がズリズリと追いかける。

グラグラと沸騰した鍋の中で跳ねているトマトを、頃合いを見て今度は氷水につける。皮の先端が捲りあがったのを確認したら、その実が崩れぬようにつるりと優しく剥いていく。美しく切りそろえられたトマトたちに、はちみつと酢をドサドサとかけていく。

トマトのハニーマリネ、私の夏の大好物。

穏やかに毎日を過ごしている。心が大波を立てることは、ずいぶん減った。明日にでも世界が滅亡すればいいと思っていた時代とはまるで別の世界を生きていると思う。自分を取り巻く環境が酷く憎かった。人も、環境も、笑い声も、消えてなくなればいと思っていた。

「あなたの為」「あなたの事が大好きだから」

ありったけの愛情を注いでいると主張しながら、母は私の好きな物を尽く否定した。私はその度に自分の形を変えなくてはならず、そうする度に自分の事が愛せなくなった。
理不尽に振るわれる暴力も、命を脅かされる事もなかった。所謂“虐待”と呼ばれるものではない。教科書にも当てはまらない。それなら母が私にしている事は何なのか。母の言う通り、それは「愛情」なんだろうか。
そう自分に何度も何度も問うてきた。母の事を「嫌い」「憎い」「離れたい」と思う度に、降り積もっていく罪悪感につぶされながら。

夫と結婚した当初、まだ二人でいたいからと理由をつけて、私は子供を持とうとしなかった。夫は多分、気づいていたと思うけど、そっとしておいてくれた。

「親の事、そんな風に馬鹿にするならバチが当たるよ」
「絶対幸せになれないよ」

母に自分の意見を言うと、決まって返されるこの言葉に縛られていた。

愛されたいとずっと思っていた。愛されるように、褒められるように形を変えて自分を殺して、それでも愛されなかった私。親になるという事は想像できなかった。

妊娠、出産、子育ては一大決心で、息子が産まれてからは試行錯誤だった。

「私に一人で子育てをさせないでほしい」

夫にはそう伝えた。義理の両親にも積極的に頼った。それは、例え私が失敗しても息子が愛情に飢えないようにという、私の当時の精一杯だったように思う。

お腹の中の息子を守ると決めてから、自分と、母と、沢山向き合った。その間トラウマの後遺症にも苦しんだ。母とは決別することになったけれど、後悔はない。

私は愛したかった。
愛されたい、愛してほしいとずっと思っていたけど、愛したかった。
息子も、人も、環境も、笑い声も、自分自身も、愛したかった。

愛情っていうのは注いだ側が「これが愛だ!」って主張するものではないと思う。受け取った側が「あれは愛だった」と感じた時に初めて愛情として成立するし、成立するまでに何年もかかったりする。受け取る側が否定すれば、それは愛では無くなる。

二人の息子を、心の底から愛している。これは紛れもない真実で揺るがないものだ。私が想うこの気持ちは確かに私にとっては愛だけど、これが息子たちにとって愛なのか、正解なのか。それがわかるのは、何年も何十年も先かもしれない。

だから愛するって事は、途方もない。

それでも私は「愛したい」という自分を見つける事が出来てよかった。
「見つけて!愛して!」と願っていた私は今、あらゆるものが愛おしい。

残りのトマトでミートソースを作った。
夫も息子も、ミートソースになってしまえば、それは好物に変わるらしい。トマトの青臭さが消えるように味を整える。
ミートソースは食べられる、でもミネストローネは食べられない、チキンのトマト煮はギリギリOK、チキンライスは余裕。
トマト嫌いってポリシー無くない?と思いながら、毎回口角が緩む。

トマトは愛だ。

私の周りは、今愛でいっぱいだ。


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