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コロナの外側レクイエム

草木も眠る丑三つ時、首都高を爆速でかっ飛ばすプリウスに乗っていた。母方の祖母の危篤の連絡が入った。コンビニより人の死が年中無休 。タイミングなんて概念がない。

ナースステーションからほど近い病室に一家総出でなだれ込む。ベッドの祖母は、記憶よりずっと小さくなっていた。

「反応は無いかもしれませんが声は聞こえていますから 」と看護師さんが言っていたのをバカ正直に信じて、みんなで声をかけ続ける。『人のカラダで最後まで機能しているのが聴覚、最初に忘れるのが声』って誰が言ったのか知らないけど、こういう時に信じたくなるような情報を増やしたかったんじゃないかな。

結局、『頑張れ』とは言えなかった。生き続けて欲しいと願うには見てきた苦労の数が多すぎた。ごく小さな脈拍の波形がまっさらになったのは私たちが到着してからわずか30分後のことだった。

すぐに葬儀屋の24時間ダイヤルに電話をかけてテキパキやりとりをする母に唖然としたけど、その赤く腫れた目元は「おかあさん」とベッドにすがりついて泣いていた姿を確かに証明していた。

深夜の病院、怖い話の鉄板シチュエーション。腐るほど読んだ。でもいざ本物に放り込まれると1ミリも怖くない。いや、いつもだったらめちゃくちゃビビるんだろうけど、家族の命が途切れる瞬間を目にしたショックに比べればあらゆる怪談は塵にもならない。

深夜4時、30度の暖房がついてるのに冷蔵庫よりも冷たい霊安室で家族みんなで震えていた。当直の看護師さんと先生が線香をあげてくれる取り決めらしい。落語の死神で人の魂は蝋燭でできてたなと思いながら、祭壇の炎をぼーっと見つめた。

看護師さんたちは線香どころか遺体が葬儀屋の車で運ばれるところまで付き合ってくれた。正直、申し訳なかった。

というのも実はここ、コロナの指定病院。つまりは今日本一大変な職種の方にコロナ以外の患者への丁寧な対応を強いてしまった。当たり前の医療が当たり前にできない中、寒空の下で薄着でお辞儀をさせるのは心が傷んだ。

久しぶりに親と手を繋いで帰る。ヨタヨタあるく母のペースに合わせてゆっくり歩く。生きてるうちが華というけれど、生きてる限り大切なものを見送りつづけるほうが辛いんじゃないかと思う。

それでも、『お体にお気をつけください』と硬い声音で言った看護師さんを思うと間違っても自分の体を粗末にするのは到底できそうもなかった。

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