見出し画像

活動原点


私がこの活動をする原点になった出来事のお話を今日はしますね。

すまいるるーむ代表の遠藤が、すまいるるーむを立ち上げた原点のお話


2010年の1月に第一子出産をした私。
それまで、自分で決めた仕事も長続きせず、学校も嫌で不登校だったこともいじめに遭っていたこともあります。
そんな私でも親になれた。

産んだだけじゃ親になれないって
気づいていなかった頃です

退院してから、こどもは寝ない
泣き方が尋常ではないことに
初めての育児でどこまでやっても終わりがない
産後半月もしないうちに
眠れないことからくる
“産後うつ”
言葉くらい知ってるという方多いかもしれません。

ほんとに、こどもと心中しようかとか
乳児院入れようかと門まで何度も行ってみたり
何も起きていないのにずっと泣き続けてしまったり
良く今生きてると思えるオンパレードな日々。

どこにどう話したらいいのか
わからないままだったこともあり
2年経過してもあまり変わらず。

まだ、発達障がいがあるとわかっていなかった頃
でも、私(母親)の勘で
何かしら引っ掛かりがずっとありました

2歳のイヤイヤは恐怖でしかなく
それこそ、電話で相談が精一杯
でも、電話の相談って
誰なのかもわからないで話すだけで
解決しなくても仕方ないと思いつつも
電話切ったらまた1人で
悲しみに埋もれるのかと思うと恐怖でしかなかったんです

泣き叫んでも
私が体調不良で動けなくても
助けてくれる人がいない

頼むってことを今までしたことがなかったので
お隣さんにお願いするとか
考えもしなかった

苦しい中でも
時間が止まるわけでもないので
今思い出しても悪夢の日々。
先日、こどもが、3歳くらいに戻ってみたいなぁ〜と言うので
大人気ないですが、全力でそれはお断りします!と即答しました 笑

そのくらい、私の中では、入園するまでがとにかく長かったんです。
子育て支援センター行っても
人数が増えると遊べない
人がいなくなると遊び出す
泣き叫んでいると育て方が悪いって説教してきた某園の園長先生も
ママの仲間にもなかなか入れないし
やっとお話できてもこどもが輪に入らないことで
やっぱり疎外感。

そんな未就園児時代。
絵本の読み聞かせで座れる子、感動モノでしたし
ワイワイおままごとする姿も、憧れました

ウチは、言葉も一方的ながら出ている状態だったので
気づく人もおらず、私の思い込み、育て方って感覚の方にしか巡り会えず。
保育園の子育て相談に行っても
こどもってそんなもんですよー
で終わり、、何にも進歩なく余計しんどかった、、

そんなもんってどんなもんじゃーーと今なら突っ込めますが
当時はメンタル弱々で無理難題でした。

やっといける支援センター見つけた!と思って行き出す時には
めちゃくちゃ必要だった頃のピーク越え。。
でもお話できるならそんなありがたいことは無いと思って
発達の悩みの子もつ親が集まる会に参加。

当時は毎月開催。
年度追うごとに減り、隔月になり、一年に3回とかに減り、とうとう次年度なくなると切り出され。


その時に、私みたいなママさん
この先どうするんだろう?

前置き長くなりましたがそこが原点なんです。
自分の悩んでいたこと、いることで
悩んでいるママさんに寄り添って、自然と笑顔になってもらえたら
きっと、この先の未来は明るいって思ったのです。

虐待にしても、育児放棄にしても
決して他人事って思えません
虐待されて育つと虐待する
これは否定できません
でもそこを断ちたいと思ったから
今こうして活動しているのです。

辛い時は、無理しなくていい
無理に笑わなくていい
泣きたいだけ泣いて
もう涙が枯れたって思うくらい泣いて
そこから見えた光って
ホンモノだと思うんです

子育てに限らず、どん底は何度も経験して
その度に這い上がってきました

私の経験してきたことが
世の中の役に立つことは
魂の喜びでもあります

すまいるるーむはこうして生まれました。
おかげさまで、来月で3年半。
必要な人に届くようにと活動して参りました。

これからもその想いは変わらず
必要な方がいらっしゃるうちは
継続して行きます

いつかこうした会がなくても
発達のお話がどこでもお話できる世の中になれば
それが本当に望んでいることです。


公式LINE @fxc1574gよりお問い合わせください◎


サポートいただいた分、こちらの記事で恩返しできればと思っております◎必要な学びに使わせていただきます。