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『花ふぶきのオトコたち』短篇集の8

                    おおくぼ系

短篇集を編んでみたくて、短編を一作ずつ掲載します。ヨロピク!

〈花ふぶきのオトコたち あらすじ〉
小説で昭和を読む。ヒサシの少年時代は、戦後の混乱が治まりつつあったが、まだ引きづっていた。ガキ大将を中心に野山をかけめぐり、夏夜の陸軍墓地では肝試しもあった。夏休みには山中の叔父の家に預けられてオトコとして鍛えられた。親の仕事で街中に引っ越すと、そこは一変して文化の違う異世界に変わった。少年向けの漫画雑誌があり、紙面ではまだ大戦のレクイエムが色濃く、隼戦闘機の口絵には衝撃を受けた。中学を過ぎ高校にはいると多種多様な友と知り合う。さらに世の中が大きく揺れていて、藤嶋崇志という文武両道を目指す、著名な行動する作家に出会い、その考えに傾倒していくのだが・・・。


ピンクの花びらに差す陽もぬるびゆくなかに、漂う冷気は早春の冷ややかさを放ちながらまだ凛としている。

切り立った山の狭い間道を抜けて、右へ迂回すると深い山に囲まれた薄暗いあぜ道がしばらく続き、その果てに忽然とした平たい原野が出現する。よく眼を凝らすと、低い石垣で覆われたひな壇に、墓石を盛った広場が幾つも山の向こうへと続いている。周辺を桜の並木に囲まれたその広場が、陸軍墓地と呼ばれる場所で、日清、日露戦争以降の九万柱の英霊が眠る聖地であるという。

桜林の中に群れなす墓標は言い知れぬ荘厳さを保っていたが、私たち餓鬼どもにとってこの広場は、漂う深い意味も知らずにただ秘密の遊び場となっていた。

未だひんやりとした山陰の緑をかき分けて進むと、突然、目の前にピンクのパノラマが飛び込んでくるのである。墓地を飾る緑とピンクの強烈な色彩の競演に直面し、驚愕とともに「美」というものがどういうものか写し込まれたのは、この体験に負っているであろう。「綺麗」に直面して体が共鳴し心も放心するのであった。五歳であったにもかかわらず桜花の持つ色香が、小さな感性一杯に刷り込まれたのである。 

幾多の軍人を輩出した尚武の地においては「郷中(ごじゅう)」という古からの集団鍛錬が継承されており、私たち年少者は一人の大将を中心に群れを成して遊び回っていた。私たちの群れはいつも八人で、大将はヒロシという私よりも二歳ほど年長者であった。彼はボスとして群れを当然のように率いており、私たちは訳もなくそれに従っていた。

春が舞いだす季節は、武ノ丘にある陸軍墓地まで度々登り、桜花の下でチャンバラや戦ごっこをしたものであった。竹薮の手ごろなものを肥後の守で切り取り、一メートルほどの竹んぼっとの刀とし、その刀をめいめいが手にして、二手に分かれて闘うのであった。なぜか私は常にヒロシとは反対の手になり、いつもヒロシたちと闘う羽目になる。ヒロシの組は年長者が多くて人数も五人と決まっており、私たち年少組三人は常に不利な状況にあったが、文句も言えずに指図に従うのみであった。

 墓地は、各段ごとに身の丈ほどの将棋の駒を大きくした古い墓石が幾重にも整然と並んでおり、墓石のみならず地面や周辺にも白や緑の苔がむしている。

英霊が見守る広場で竹んぼっと刀の戦が始まる。が、今日の戦も緒戦から数が劣り体の小さい少年組が不利となるのは、理の当然であった。私たちは、次第にねずみの様に追い詰められて、後のない切り立った崖の縁近くまで追い込まれる。そこで戦意を消失したら負けであり、なおさらこっぴどく竹で叩かれ、こずかれる。それで覚悟とばかりに無我夢中の暴挙となる。手にした竹刀をメチャクチャに振り回し、根尽きるまで暴れだしたのである。窮鼠の抵抗を受けたヒロシの組は、手負いは手怖いぞとばかりに囲みを解いた。そして、後すざりをすると苔のむした古い墓石群の裏へと逃げ出した。形勢が逆転し勝機到来とばかり、私たち年少三人組が意気込んで、墓石群の後ろに逃げ込んだ年長組を追いかける。黒灰色で大巌の大将墓石を回り込むと突然、足に縄が絡んだ。ドタッと先頭が倒れる。続いていた私もつられて倒れる。いつの間にか足元に縄の罠が仕掛けられていたのだ。私たち年少三人組は足を絡め取られ地面に転がる。と、ここぞとばかりにヒロシ組から竹刀でめった打ちにされる。私たちは、頭を両手で守り体を丸めて縮こまり、アイタッ、イテがと打たれるがまま身を守ることしかなす術はなかった。強かに打ちのめされた後、成り行きを見守っていたヒロシが満足そうに、私たちの頭上でのたまう。

「みな、やめーッ」鶴の一言、これが勝利の宣言であった。

「今日はこいで、終いじゃっ」

彼は、作戦が当たったことに満足し、働きの裁定が行われる。そして凱旋よろしく年長組の子分を従えてあぜ道を堂々と帰っていく。

 彼らが去っていくのを呆然として見やりながら、私たち三人は立ち上がると胸やズボンの泥を払い、今日もやっとお決まりの遊びが終わったかと安堵し、お互いを見渡す。山際から夕陽がそれぞれの顔を橙に染め、シーンとした墓地に三人がたたずんでいた。悔しさやいじけた感情は湧いてこず、呆然自失した中に今日もよく闘い耐え忍んだのだ、いつかは勝てる、勝ってやると誇らしい気持ちが残った。夕日が没して暮れなずむなかで、擦り傷を負った肘やひざ小僧に痛みが戻ってくる。

隣のチャラオの泥でまみれた顔の中にピンクの花びらが一片張り付いていた。額のそのピンク色は夕闇のなかで白くゆらだち、場違いに迷い込んで消えそうな淡い生気を発散していた。なぜこの終末場に消え入るような色香があるのか、この時のいやに奇妙な意識は幼なながらに深層に染み付いていった……

 夏になると、肝(きも)試しの季節である。とっぷりと暮れた夜であった。夕方からひそひそと小声でのヒロシグループの連絡網が働き、九時過ぎにみな集まれの号令がかかる。水路を越えると、地肌むき出しの広場があり、方限(ほうぎり)を示す石碑が背丈以上にそびえている。ここが溜まり場であり、今宵の集合場所であった。大きな家紋の入った提灯をヒロシが厳かに持ち、ミカン箱に腰掛けて本陣であることを示している。と、三々五々集った七人が大将を取り囲む。ヒロシが灯りで照らしながら地面に棒切れで地図を引きだす。陸軍墓地の略図である。これから年長組の二人が先に墓地に行き、この日清戦争の大将墓の後ろに宝を隠すという。年少者から一人ずつ行って宝が何であるかを調べてこいという命令である。ヒロシは腰掛けたままここで待ち、それぞれの報告を聞くという。

 先ず一番先に怖いもの知らずのツトムが、闇の中へ提灯を揺らして消えていき、二十分ほどして灯りを揺らして走って帰ってきた。そして、ヒロシの耳に何かささやくと、彼は頷いた。それで任務完了である。

「ヒサシ、次はワイの番じゃっど」

と、ヒロシがぶっきら棒に私に向って言う。意を決してツトムから大きな提灯を受け取って、夜道を登っていった。目の前に白く浮かぶシラス道を照らし、沿って歩き始めると、だんだんと細くなり、あぜ道となり心細さも募ってくる。目の前に広がる闇に提灯を差し出し、陸軍墓地を目指してただただ歩きを進める。三日月が提灯と共に淡く夜道を照らして、眼を凝らすとぼんやりと行く先を示してくれるのは、この上もなく有り難かった。両側がやぶに成った細いあぜ道を提灯で確かめながらゆっくりと登って行く。道にかぶさる笹の葉が肩をなぜ一瞬ヒヤットするが、心細さの緊張を我慢で乗り越えて切り立った間道までたどり着いた。何とか半分以上は来た。真夏の深夜は驚くほど静かでまだ虫の音さえも聞こえない。右へと曲がり、あぜ道を踏み外さないように用心して進む。陸軍墓地の原野が、静寂を背景にしてうっすらと漆黒に浮かんできた。と、急に早足になって来る。最初の石段を急いで上り、九万の英霊が眠るそれぞれの時代の墓石群の中を一目散に通り過ぎ、奥にある一際大きな大将墓をめざす。ヒューと何処からともなく、音が聞こえてくる。一瞬、ギクツとして立ち止まるが、ヒューヒューと、言う音響が度重なると、気味悪さを通り越して誰かが口笛で脅していると知れる。気を取り直して足早に大将墓に近づくと墓の後へ回り込む。墓の下に竹籠が置かれていた。提灯で籠の中を照らす。中のものが蠢いている。グロテスクな胴が提灯にぬらりと光る。蛇であった。

それを見取ると用はない、回れ右をし一目散に駆け出した。あとは無我夢中である。暗闇を切り裂き、あぜ道で足を取られ転倒しかかったが、かまわず息をきらして走り続ける。提灯が大きく揺れるので、燃えないようにバランスを取らねばならない。

 見慣れた広場まで一気に走り抜けた。みかん箱に腰掛けたヒロシが見えた時は、助かったと思えた。

「大きい蛇じゃった」息を切らして、ヒロシの耳元でつぶやく。

「つかまんかったか」ヒロシが事もなげに言う。そして、

「はは、ひっかぶい、やっせんボ」といって、私の半ズボンの上から、おもむろに股間のものを握った。

「玉も縮んこまっちょっが」

ぎゅっと自分のものを握られ、あっと思ったが逆らえず、なす術もなかった。ヒロシの顔は提灯が陰影を付けぞっとするような迫力があった。

衆道といい女を拒む男同士の硬い絆が昔からの伝統であったと、後に年長者から聞かされたが、お互いの玉を握り合うのが、子供にも流行っていたのである。

何故かこの夜の三日月はいやに赤っぽく見えたのを覚えている。


 シラス土のむき出しになった方限の広場には、背丈ほどの厚い板が一枚立てられていた。硬い板目板の上、中、下には、荒縄がきっちりと巻かれていて、空手の突き蹴りなどの鍛錬に使われるのである。

一人ずつその板に向って、ヒロシの号令のもと突き、蹴りを繰り返す。百回ほど繰り返すと、拳が赤くなり血が滲み、さらには皮膚が破れてくる。手を抜きたいが、板のそり具合で真剣さが分かる。年長者は慣れたもので、拳にタコが出来ているのでことも無げにこなす。その鍛えたタコを私たちに誇らしげに見せる。強くあるためには体そのものを強く作り上げ、鍛え上げなければならないと実戦で教え込まれる日々であった。

 振り返ってみると、日々の遊びはことごとくヒロシを大将とした戦闘訓練の真似事であった。それが尚武の国の「郷中」の伝統であり、目指すところは、闘う男、強い男になるという一点にあり、泥と人にまみれた遊びを通して全身にその精神を叩き込まれていった。他人より強くなることを競い合うのが至極当然であり、鍛錬のなかで日々遊んでいたのである。

 ヒロシは、大人たちからは評判の悪ガキと言われていたが、群れを率いる姿は颯爽としており、私にとっても紛れもなく大将であった。


         二


 小学校に入学すると、ヒロシを大将とした群れは自然と解消され、放課後も同級生との遊びが主になっていった。

この時期、父母とも働いており、そのために小学初めての夏休みには叔父に一人預けられることとなった。

叔父の住いは武ノ丘を登り二つ山を越した奥山の中腹にあり、雑木の茂る山を切り開いた処にあった。そこにたどり付くには山を切り崩した崖に挟まれた道を通り抜ければならず、その道の両側に防空壕が連なっており中は蟻地獄とコウモリの巣窟であった。そこを過ぎて切り立った崖の小道をさらに登っていくと、ひと山越した麓に共同の井戸がある。そこから雑木林を切り開いた枯葉の重なる急な坂道が続き、百メートルほど登ると叔父の寓居にたどり着く。周りには段々になった狭い畑を巡らし、中ほどの平地に大きな丸太で組んだ藁葺きの家があり、叔父は一人で住んでいるのである。板張りで茶褐色にくすんだ壁を従えて南向きに広い縁側があり、床には焚物がぎっしりと詰まっている。この縁側に腰掛けると、目の先には砂利を撒き散らしたシラスの庭が見え、和風の小さな池が巡らしてある。その池の淵の先には生垣を超して畑が見えた。さらにその先は低い藪が垣となり、突然に深い谷へと急激に落ち込んでいる。谷を飛び超えて目線を先に移すと向こうの山が忽然とはばかり、深緑の裾野に高圧電線を引く鉄塔の銀色の列が小さく並んでいた。

 叔父は、陸軍特別攻撃隊の生き残りであった。

無口で過去を多くは語らないが、偶然に終戦となったために出撃が中止となり生き残ることになったらしい。その後、世間が信じられなくなったとかで一人山の中で隠遁生活を始めた。頭は短く坊主にし、四角ながら厚みをおびた顔、がっちりとした体躯で頑強に見えた。前歯が二本欠けていたが、それは軍隊のなごりと言う。

叔父の家でも再び鍛錬の日々が始まったのである。

朝、「起床!」の一言で飛び起きなくてはならない。ぐずぐずしていると、竹の一打ちが飛んでくる。

「そげなこッでは戦イ勝てん!」即、体で反応せねばならない。飛び起きると日課として水汲みがある。下の井戸まで降りていき天秤の両方の桶に水を汲み、坂を上り土間の甕に移すのである。三往復ほどで甕は満たされるが、私としては重労働であった。その後、土間で火を起こし飯炊きである。米をとぎ、火吹竹で竃をプープーと吹く。は釜が沸騰すると、蓋を少しずらし火を収める。は釜の縁には吹きこぼしの薄い膜が出来る。それを口に入れるのが唯一の役得で楽しみであった。

食事の後片付けが済むと、拳法の朝鍛錬が始まる。叔父は、武道に通じており、拳法も示現流を合気道風に工夫を凝らして、山に篭り独自の道を編み出そうとしていた。

朝鍛錬が終わって、小休止の後は畑仕事が待っている。

唐芋(からいも)の畝の間に熟した人糞をほどこす。肥たごから、薄茶色に浮かんだ人糞を汲み取り畑の畝の間に撒いていく。夏の日差しが照りつける中、糞も乾いた匂いを発し土に吸収されていく。その匂いが汗と共に混ざり体に匂いをつけて干からびていく。

昼食は、蒸かした唐芋にガランツ(めざし)が定番であった。味わうより空腹を満たせばそれで幸せであった。

午後からは、日差しを避けた後、示現流の木立打ちを行い、次に庭の楠の木に巻いた藁を相手に素手で突く蹴るの立ち打ちと続いた。強い男になるには体を鍛えることであり、すばやく対応できる身のこなしを自得するという単純明快な考えの日々である。体に物事を覚えさせる。それには飽く事無く、とどまる事無く働き動く日々の繰り返しであった。

時に、叔父が組み手の相手をしてくれる。開襟の古いシャツにカーキ色のズボンのいでたちで手をブランと下げて立つ。前に立つと胸が巌のごとくそびえる。が、動き出すと柔らかく、両腕が舞い、たちまちにして腰を落として、これが臥竜の構えだと腕を前に交差させる。かかって来いと、私が飛び込んでいくと他愛無く私の腕を振り上げて、勢いに乗じて襟をつかみ足で跳ね上げる。次には、私の初動のわずか先を取り、腕を立てて飛び込み喉か胸を突く。容赦ないカウンターである。打撃を負った私に、すべてが間合いであり瞬時に体が反応せねばならないと言う。体を移すときの重心の保ち方が一番の肝要であると、足運びの練習を教えてくれるが、小学生ではどうしてもぎこちなく体得が難しかった。

一日が終わると、板敷きの広間の大型ランプを囲んで、叔父からいろいろと昔語りを聞く。ある時には、「波之平」の手入れをしながら刀の講釈を聞かされた。目釘を抜いて柄をはずし、口金、つばを取り刀身だけを麻布で持つ。青い波紋が、ランプのオレンジにギラリと輝き、叔父がじっと見つめると一瞬の静寂が流れる。そこに打ち粉を施す。刃の中の境目をしのぎといい、相手と鍔迫り合いをする際にしのぎが削られることから「しのぎ」という言葉が派生したと教えてくれる。

肥後の伯紀流の居合いの教えを請うたという。緩やかな足取りでスラリと横に抜き放つ、かわして大上段に振りかざし、面を割る。叔父が学んだ師匠は、抜き放つと鯉口に刀を引かずそのまま切っ先から即鞘に差し込んだという。自分もその神業を真似て即納刀という技をやってみたが、失敗して親指の付け根が、ぱっくりと切れたという。刀傷が左掌に深々と残っているのを見せてくれた。

寝る前に、土間で行水をしていた時のことである。濡れた手拭の水分を飛ばそうと、バサッと振った。バサッ、叔父は広間で晩酌をしていたが、荒い声が飛んできた。

「手拭は絞って水を切れ!」

このバサッは、人伝えに聞いた罪人を斬首する時の音のことを思い出させるのだという。地獄の釜音といって忌み嫌っていた。

三週間ほど経って盂蘭盆の日になった。この日は終戦記念日も重なるという。

暮れなずむ頃に、縁側の前庭で小さな焚き火が始った。ちりちりと炎が昇り、地面と叔父の顔をオレンジに照らす。ランニングシャツの叔父が、小さな白片を一枚づつ火の中に落としていった。計五枚。戦死していった戦友を迎えるのだという。

「今日は終戦記念日じゃなか、敗戦記念日だ」叔父が呟く。

「司令は立派な人じゃった。この戦は分が悪いとはっきりと言っておった。戦況も押し詰まった日、飛行隊の皆を呼んで下命があった。先ず戦況が著しく不利じゃっち、そいでも特別攻撃に志願すっものは、この紙片で意思を知らせと。自ら志願するものは二重丸、命令があれば従うものは丸印を、このまま部隊に残りたいものはバツを書いて名前を書テ、後で俺の方へ出せっくれチ」

と、司令は涙をうっすらとなじませていた。その時の感慨と緊張は今もって分からん……何を感じ、何を信じ、どう判断し行動するのかが……分からんかったと。

「叔父上は、どれを書(け)たのですか」

 子供特有の単純な興味として思わず聞いていた。叔父は、ジロリと私を見つめて何か言いたそうであった。が、押し黙ったままであった。


長い夏休みも終わる頃、麓の井戸の点検があるという。立会いが一人必要とのことで立ち会に行けということとなった。昼過ぎに井戸の前で待っていると、中年の角刈り頭にネジリ鉢巻を締めたランニング姿のおじさんが寄って来た。点検をするからといって、着てるものを素早く脱ぐと白まわし一本になった。筋骨隆々の褐色の体が目の前に現われ、特に肩と背中の筋肉が異様に盛り上がっている。暫くは井戸の淵から下を覗き込んでいたが、腰にロープを三度ほど回して結び、残りを井戸の梁に引っ掛けて垂らし、おもむろに井戸にまたがった。そして両手足を井戸の壁に突っ張りながら次第に中に消えていった。恐る恐る井戸の中を覗き込むと、暗闇のはるか下に井戸口の光が白く跳ね返り、人らしきものが動いている。

「まだまだしっかりしとる、水が涸るッ心配はなかー」と深井戸の底から声が響いて登ってきた。暫くすると水音がして、するすると井戸の壁に手足を突っ張り昇りきると井戸から飛び出してきた。意外にあっさりと縁に降り立ちロープを解くと、ぶるっと体を振って水滴を切る。頭に巻いたネジリ鉢巻をはずして体を拭き始めた。盛り上がった肩や腕の筋肉が山のように連なって動いている。手拭の動きに合わせて筋肉質の身体がいろいろな形に動く。がっちりとした男の体だ。褐色の厚い上半身に、割れた腹筋、せり上がった太ももに、ふくらはぎが棍棒の盛り上がりをみせている。ほうとため息がでるほど見とれていた。逞しいとはこういうことか。これこそ力強い「美」だった。いつか、私もこんな体を手にいれたいと子供心に密かに羨ましく思った。

 五週間にもわたる夏休みの終わりを迎えるころには、体が逞しく充実してきたのが分かった。

おかげで、その後夏休みを三回も体験するころになると、後ろから数えて二番目というほど大きくなってきた。


小学五年の時に今までの郊外での生活から中央駅のある街中へ引っ越すこととなった。両親がテント幕を製造する商売を始めたからである。

今までの畑や田圃、山や小川を相手にしてきた生活が一変した。

駅から真っ直ぐに伸びた中央分離帯のある幅広の六車線になる舗装道路を横切って、交差点を四つほど過ぎると五差路にぶつかる。その一角に中央小学校があった。大きな校門が多数の生徒を次々に飲み込んで行く。クラスが学年八つもあることからして驚きであった。しかもめいめいが垢抜けてスマートに見える。大きい子も多くて以前ほど背丈も目立たなくなった。女の子も大きくて、しかもそれぞれに可愛くて活発であり何よりも小奇麗な子が多かった。当然のように転校生に対するいびりもあったが、度胸で受けて立つうちに、ヒサシは合気道をやるらしいぞと噂も広まり、一定の観察期間を経たのち仲間になることができた。ずば抜けた運動能力を持つシマオがボスであるグループの一人となり、その群れの仲間となったのである。

三ケ月もすると人やオートバイ、オート三輪車やトラックなどが行き交う雑踏での遊びにも慣れてきた。校門を出るとすぐ前に、文房具屋の中町堂がある。下校の時は先ずここに立ち寄り、初めて見るプラモデルの箱を眺めるのである。貴重品を見るように零戦、疾風、戦艦長門などの箱の絵をしげしげと眺める。そして、いったん帰宅し家の店頭にランドセルを放り投げると、小遣いの十円をポケットに学校前の一銭店屋の前でシマオ達と待ち合わせる。

十円を元に一銭店屋の甘納豆の籤を引くが、なぜか当たらない。一等には銀玉ピストルがこれ見よがしに光っている。

「おばさん、本当に当たっとけ」シマオが代表で抗議をする。

「毎日買えばいつか当たっとよ」無愛想な返事である。

数日後には籤はほとんどなくなっており一等賞も消えて、着せ替えの二等賞が一つぶら下がっていた。

 中町堂の店頭には、「週間少年時代」という子供向け漫画雑誌が置いてあった。それは、私にとっては教科書以外の本文化に触れる最初であり目を見張る驚きであった。当然に教科書より漫画や戦記、冒険記事や日本の歴史へのいざないの方に夢中になったのである。小遣いを五日間ためると五十円となり、駄菓子を買うのを我慢して毎号を買うのが楽しみとなった。

戦後十五年を経た頃で高度成長の時代の幕開けの時期であったが、「少年時代」の世界では戦時中が今だに続いていた。毎号、戦闘機や戦艦の絵や図解、太平洋戦争の戦記が掲載されていて、戦争の知識を新たに取り込んで行った。零式戦闘戦に始まり、紫電改、一式戦闘機隼、飛燕など、特に興味を覚えた戦闘機の知識が号を追うごとに蓄えられていく。いつしか大空に飛び立ち太い操縦かんを握っていた。

ある日のことである。待ちに待った「少年時代」の最新号を手にした。今回は何が掲載されているか、待ち遠しくてインクの真新しい表紙をめくった。直後、見開きのページから飛び出してきたのは、大空に闘う隼戦闘機の巨大な機首であった。右ページの中央にエンジンが隙間見える丸い機首が大きく描かれ、左上に打ち落とされた英国の双発爆撃機が黒煙を巻いて、彼方に散ろうとしている。しかし、画面から飛び出してきた隼も炎と黒煙を引き、機首は下がり目の前には紺碧の波打つ海が迫っている。南洋の見渡す限りの大空と海原の広がる果てしなき空間の中に、完璧な円に見える大きなエンジンカウリングが紙面から飛び出してくる。円の左右に細長く主翼が張り出して辛うじて空中でバランスを保っている。隼の機体は次の瞬間には全身炎に包まれようとしており、すぐ下には海面が待ち受けている。胴体には炎が走り、茶色に色あせた日の丸がモノトーンのようにこびり付いている。

説明書きを読むと、「ああ無念!ベンガル湾に散る加藤隼戦闘隊長」とある。

――英空軍のブレンハイム中型爆撃機を迎撃し撃墜するも翼の付け根に被弾し、これまでかと上昇反転しまっさかさまに海面に突っ込み自爆した。激しい水柱がたち壮絶な最後であった――

この口絵をどれほど眺めていたであろう。衝撃が通りすぎ去った後も手を離すことができなかった。飛び出してきそうなほど大胆に描かれた隼の機首がある。その上部には銃口の眼があり戦闘機は意志をもって睨んでいる。カーキ色のエンジンカバーは完璧な円形を保ちながら無機質の量感を誇り、左右へ主翼が張り出している。その主翼の付け根から死へと誘う紅蓮の炎と暗黒の煙。澄んだ大空と紺碧の海原……このような造形の「美」があろうものか。円形を主にして左右直線の翼、完全な幾何学模様のなかに、直後、死への壮絶なドラマが織り込まれている。果てしない広い無限の空間で、今、一つの命が戦い、傷を負い、翼を振りながらまさに燃え尽きようとしているのだ。絶対の孤独と静寂を伴った「美」。予期される「死」が紙面のすぐ裏に迫っている。何時しか口絵の虜になっていた。

孤独に闘う男の姿。それは美しい……闘うことにのみ集中し存在する……そして死が待つ。「週間少年時代」の中で一人の軍国少年が育っていた。

戦闘機への興味が高じて中町堂での三十円のプラモデル買いが始まった。手のひら大の箱に入ったキットで、暗緑色のプラスチックの機体に主翼と尾翼を付け、半透明の風防を載せる。それにプロペラや赤丸のデカールを張ると、隼が出現する。甦った戦闘機が、頭上高く持ち挙げられて空を飛び始める。ブーンという音と共に急上昇し、さらに急反転して錐揉みを始める。地上すれすれのところで、機首を起こし、ひねりながら軽やかに上昇していく。空のかなたへ心も飛んでいった。

時がたつに連れて編隊ができていく。日本陸海軍の混合編隊である。やはり零戦が花形機である。尾翼も直線的で陸軍の隼に比べるとスマートな流線型に設計されている。が、より機能的で頑強な構造に造られているのは敵機の憎きグラマンであり、双発のロッキードであった。毎号の「少年時代」によると、日本軍機は、緒戦では良く闘ったが、如何せん究極的には桜花のように散っていくのである。同期の桜に始まって咲き誇り、散る桜、残る桜も散る桜として、潔く特別攻撃隊を志願して散華していくのであった。なぜ皇国が負けたのか、いつか米英と再度戦う必要があると忸怩たる思いが澱となって積み重なっていく。そして、叔父の戦争体験から得た教訓がさらに拍車をかけるごとく心底に紛れ込んでくる。

負ける辛さから逃れることは唯一つ、次は勝つ信念を持つことである。そのためには鍛錬を重ね強くあらねばならない。人生必勝の信念も強固に育っていく――強くなければ男ではないと。


        三


小学校六年になったが、シマオ・グループでの遊びまくりが続いていた。ランドセルを家にほうり投げるように置くと校門前に集合し、近くの公園で三角ベース野球をする。平日の公園は暗くなるまで子供たちの使い放題であった。日が落ちてボールが見えなくなると泥と汗にまみれた一日も終わっていく。影が次第に長くなり遠く西の山に日が沈む。と、急激に暗闇が襲ってくる。貸していた「少年時代」を返してもらい土手に座り今日の残り時間を惜しんで話しこむことも度々であった。小学高学年ともなると色気付いてもくる年頃である。

「ワイは、だいが好きやっとよ。言うてめ」

「そやな、石倉がよかな。品があっがな。ワイやな」

「ン、オイは、山岡やな」

 他愛もない噂話を楽しんでいた。と、タツヤが突然に割り込んだ。

「おい、おれのコイをさわってみれ」

「おお、太てなっちょら。なんでよ」ユキノリが驚いている。

「ふふ、起ったとよ、いまにわかっで」タツヤがニンマリとする。なんとはなく卑猥な空気が少年たちの間に流れる。と、ボスのシマオが怒ったように話の腰を折った。

「もうえが! どら、もう帰えろかい」

めいめいが、しかたなく立ち上がり、またあしたと、どっぷりと暮れた中に消えていく。

「また明日な」と、皆に別れを言うと遊び疲れた足を引きずり、グローブと雑誌を抱えてとぼとぼと歩く。街路灯に照らされた影が伸びたり縮んだりしてついて来る。家にたどり着き夕飯をたべると爆睡の日々であった。

 悪知恵もついてくる。駅裏には、国鉄の枕木部や電源開発の資材置き場がある。そこに三人で忍んで銅線を切り取ってくるのである。赤がねと呼ばれる銅線は、地金屋に持っていけば高く買い取ってくれるのである。鉄条網で囲われた資材置き場に近づき、仕事も終わり人気のないのを見計らって鉄条網の破れを潜り抜け、三人が無事中にもぐりこむ。取替え済みの古い茶褐色の銅線が巻いてあるのをペンチで切り取る作業はなかなか大変であった。シマオが見張りを務め私たちに指示をする。無事終了するとみんなで分け合い一人百円ほどの大金になった。しかし、警察から学校へ盗難の注意が入り大金への夢は長くは続かなかった。

事故は突然に起こる。

小学校を卒業するという春めいた三月、弥生の初めであった。

キンコーンと、昼休み終了のチャイムが校庭一面に響き渡り、私たちは陣取り合戦を止めて教室に戻ろうとしていた。

教室の入り口に近づいた時に、ガン!といきなり肩口に衝撃が起こった。後ろからドッジボールが飛んできたのだ。不意を食らって一瞬何事か分からなかった。「あ痛て」と後ろを振り向くと、隣クラスの大柄なキミコがこっちを見てアカンベーをしている。とっさのことで何をどうしていいか分からなかった。

「構もな、行っど」とユキノリが手馴れたように背中を押した。突然のことで嫌悪感を伴った不可解な感情が湧いてきた。女の子であるが喧嘩を売って来るのは許せなかった。

「ヒサシ、気にすっな」ユキノリが、また背中を押した。そうだ女を相手に喧嘩はでけん、それが男だ。キミコを一睨みすると無視してユキノリといっしょに教室に入った。

 そして放課後になった。校門を飛び出し、中町堂でプラモデルをしばし眺めたあと、ランドセルを置きに帰ろうと足を速めた。と、目の前にお河童頭で短いチエックスカートのキミコのランドセル姿があった。キミコだと気づくと同時に今日の不可解な感情が沸き起こってきた。短い髪に光るピンク色のリボンが憎らしげに気を引いた。考える間もなく後ろから走り寄り、素早くそれを取り去った。

「やーい。ざまあーみろ」

左手に高く戦利品をかかげて駆け出した。

「いやー、返してよ」キミコが顔を真っ赤にして追いかけてくる。

「ここまで来いよ」と道路で振り返った時である。

ボオーン!と激しく何かがぶっつかった。もの凄い衝撃の次には、意識がスローモーションとなり、身体が大きく宙に舞い、そのまま地面に叩きつけられた。地面に倒れた頭の耳の横五センチにキキーッとタイヤが軋む断末魔の音がハッキリと聞こえた。死はわずか五センチの距離にあった。それ以降は意識が緩慢になり遠のいていった。人がせわしく動き回っていた。

 意識がなんとか正常に戻った時は病院のベッドの上であった。右肩に強烈な痛みが走っている。

「気がついた。ショックで気を失ったのね。だけど鎖骨の骨折だけで済んでよかったね」

直ぐ後ろを走ってきたオート三輪車に衝突したのよと、看護婦が教えてくれた。振り返った時に道路に飛び出していたらしいのだが、キミコしか見えず、走ってきたオート三輪車に気づかなかった。レントゲンを撮り、鎖骨をテープでしっかり固定してギブスをする。唇や手の擦過傷を消毒して薬を塗ると治療は終わりであった。後は帰ってよいと。右腕を三角巾でつった格好で年配の三輪車の運転手が家まで送ってくれた。

親父は、運転手との挨拶もそこそこに不機嫌であった。

「馬鹿たれが。女子(おなご)とふざけちょったたろ。ちった気をつけ」

 女に油断して不覚をとったのだろうと叱責され、恥ずかしさや無念さで一杯になり下を向くしかなかった。キミコのせいだ。胸のうちに女子に対する言いがたい嫌悪感がズシリと積み重なった。女子とかかわると碌なことはない。ピンクのリボンと短い赤縞スカートに浮かれていたのは事実だった。

オンナは注意して遺棄すべきもの、距離置くものである。下手に浮かれると大変な事故を起こす、今後の教訓とせよと心のひだに刺青として刻み込んだ。

 三角巾は三週間もすると取れて、経過良好で回復も早く中学へは無事進学できた。


夏休みになるとまた鍛えなおしてもらって来いと叔父の処に預けられた。

叔父に事故のことを話すと、とっさの反射神経が命を救ったのだろうと言う。そして人生究極は運よと言う。また闘いは殺力の強いほうが勝つ、しかし専守防衛を旨として、闘わずに生き残るのが最も利口で得だとも言う。翻って、短期決戦の闘いは先手必勝、攻撃あるのみだとも言う。このように常に矛盾を含むのが闘いであり即人生であると。その迷いの中になんとか生きていくのが人間でもある。死を垣間見た以上、お前に教えることはもうない。死を感じたまま闘えれば負けることなく無敵となれるだろうし、後は、武術とは何かを考えなおして続けていくかどうか、今後の道を自分で見つけていくのだと言う。

庭の隅にある楠の巨木に藁を新たに巻き、独自に突きけりの鍛錬を朝夕こなす事を日課とした。しかし事故により得た死の意識と闘う感覚は、全く異なるものであり、死の意識を持って闘いに望む感じは掴めなかった。死は静かにたたずむ全能の神に思え、死と隣り合わせになったことからくるのは究極の恐怖のみであった。

夜、ランプの下で壁に背を持たせ空戦記の小説を読んでいた時であった。叔父が何も言わずに一枚のセピア色の写真を示してくれた。手のひら大の一枚には若かりし頃の叔父がいた。後ろには、なんと隼戦闘機の大きな機首が見えている。一型機の特徴のあるアンテナもはっきりと見える。またたく間に写真の世界の中に入り込んでいった。それは、極限の緊張感が漂い切り取られた硝煙の匂う世界であった。おそらく特攻の前に取られた遺言用のものであろう。飛行帽を被り飛行服を着た若い叔父は腕を組んで笑っているようで、そうでないように見える。隼一型の機首の丸みと横に突き出た排気管にこびりついた煤に言い知れぬ親しみがもてたが、機体の塗料も削げ落ちがあり戦時中のピーンと張り詰め焦燥した空気までが茶色の一葉の中に写し取られていた。叔父に何かを聞きたかったが、なにをどう聞いてわからず、声にすることが出来なかった。叔父も写真については何も語ってはくれなかった。

「久志、小説は真実をこめた大嘘じゃっど。それに正義ほど人を酔わす言葉はなかが、正義は山の向こうか何処かにあっとよ、眼に見える近くにはねど。真剣というのはあっとかもしれん」

叔父は戦記の本を手にとってみてポツリと言った。

蚊がブーンと纏わりついて腕に停まったので、ピシャリと叩いた。ひしげた蚊とどす黒い血が小さくこびり付いた。

 中学の三年間も毎夏休みを同じように叔父の家で過ごした。が、小さい頃からすると自由時間が格段に増えた。身長も十センチも伸び我ながら年長者(おせ)になった感がした。夏休みも終わりにかかり帰宅する時に、畑で螻蛄(おけら)を取っている叔父のランニングの背に向けて、「また来ます」と挨拶をした。座り込み背を丸めて螻蛄取りに夢中になっている叔父は、聞こえたのかどうか、かすかに「ああ」と言ったようであった。

 

         四


 高校生になると、今までの群れが霧散し解放された感があった。代わりに個人としての能力を競い合う学び舎生活に急激に変質していった。私の中学から百人を超す多くの生徒が芋を洗うように同じ高校に持ち上がった感覚であったが、サツマ第二高等学校は、第一高等学校と並んで県都を流れる中川が東と南に二分する進学校であった。県下から名をはせた精鋭も選抜で集っている。青春の真っ只中に突入し、遅ればせながら個性と主張が必要とされる自立、旅立ちの時を向えたのであった。

 第二高校の玄関を入ると、ロビー中央にはセピア色の古い神様の写真が掲げられていた。第二高等学校の前身、旧制中学の時代に軍神として祭られた卒業生の御影である。先の大戦の開戦において、真珠湾への奇襲に際し特殊潜航艇で出撃し湾への侵入を果たした。敵艦船へ捨て身の魚雷攻撃をかけた後、見事に散華し神となったのだ。古びた額のなかの中尉神は、四十幾年の時を超えて若々しくて凛々しくもあり、見ようによっては穏やかな顔を今に伝えていた。

生徒同士、奇行や流行に敏感であった。バンカラを気取り帽子を破き下駄をはき鳴らして、手ぬぐいを腰にブラ下げる。板張りの廊下を下駄の音を鳴らして登校してくると、ガランガランと大きな歩く音が響き、教師から五月蝿いと追いかけられる。すわ、やばいと下駄を持って逃げ回る……高校時代は独立を志向する反抗の季節でもあった。

世情も揺れていた。先ず目標となる大学そのものが、学生運動、大学改革で揺れに揺れていた。国立東都大学を始めとしたこの国の官僚を輩出する最高学府の学生達もが、銀座の大通りにバリケードを築き、あたりを占領して道路の敷石や舗装を剥がす。権力による土地に対する人工的な作為を取り払い、道路を自然の土に返して解放するのだと言う。解放区―この心地よい言葉の響きに酔い、巷で喧々諤々の改革の討論が沸き騒乱ともいうべき行動が起こった。第二高の教師さえも例外ではなかった。

「皆さん、体を鍛えておきなさいよ。大学へ入ると機動隊と闘わなければならないのですよ。国家権力の力はもの凄いんですよ。デモの時、見えない所で学生を盾で取り囲んで警棒でガンガン叩き、足で蹴るのですよ」

 まさにアジテーターである。今にも教室に暴動がおきそうな雰囲気を造り上げ、それがまた妙に納得でき生徒に受けたのである。

 さらに反戦運動もあった。南アジアで箍のゆるんだ国家において共産化運動が台頭していた。アジアの平和に我々も無関心ではいられないと、南アジア平和運動と名付けられた活動は、広く日本の著名人や活動家、学生にも支持されて各高校までも浸透していた。

「昨日は、中央駅の噴水前で歌とたぞ」憲次が言う。教室の後ろの椅子に胡坐を描いて、誇らしげに腕を組んでおり、皆が彼を取り囲んでいる。反戦歌をフォークソングとして歌い、南アジア戦争反対をアピールしたのである。

「『防衛隊に入ろう』を三人でやっちょっと、先公が来るのが見えた」

「それで、どげんした。大丈夫やったか?」

「見張りが教えてくれたで、急そっせえギターをかかえっせえ逃げたと。こんだ土曜日じゃ、またやっど……男の中の男は、防衛隊へ入って花と散る、じゃ。見にきっくれ」

「しかし、捕まったら退学じゃっどが」

「馬鹿、おいや、成績も十番内に入っちょっと、心配はなか」

 それぞれ、毎日の高校生活に燃えるものを持っていた。

 色気づいてくる時期でもあり、硬軟両派取り混ぜ話題と行動には事欠かなかった。 

「おい、ついにやったど。見っ来たど」

「ほんのこっや。どげんして入っがなったや」

「私服で入場券を大人二人ち言うたら何んも言わんかったど」

「ほいで、ほんのこっ、全部見すっとな。どげんなっちょったな」

 二人で午後の授業を抜け出して、街までストリップを見に行ってきたという。翌日、教室の後ろで報告する二人は多数の男子に取り囲まれて、もう英雄であった。詳細に見聞を語ると、取り巻きが羨ましそうに頷く。二番煎じは意味がない。自分で考え、他人ができそうもないことを実行し、自分をアピールする。学年十クラスもあると勉学以外でも皆がそれぞれライバルとして派手に競い合っていた。

「久志、わやSMち、知っちょっどが」

「ないや、そいは」初めて聞いた英単語である。

「サド、マゾのこっよ。そげなとも知らんとか。そいじゃ。ユングの心理学は知っちょどが。ニーチエは読んだか」

あどけない顔をして平然と言い放つ。小柄な北サツマ出の級友であるがそれぐらい常識と心得よと言いたげである。彼は、常にポケットに文庫本を入れて読んでいた。高度の知識を大量に仕入れたものが優位に立つ。すでに中学で微分積分を学んできたという秀才であった。

 また、公害問題について熱く議論をふっかける者もいた。

「イタイイタイ病の原因は、科学工場の廃液であるのは明白だ。国が断固とした措置を取らない今、市民といっしょに我々が行動すべきだ」

それぞれが、その主張と行動に自信をもち、今の社会を変革出来る、変革せねばならないという確信犯であった。誇りを持ちすぎるプチ・エリートの意識というものが、この青春のるつぼの中で日々形成されつつあった。

こういう熱い環境の中にいると、それぞれの想いが熱病として伝わって来るが、私自身としては一歩引いた傍観者でしかなかった。確とした身の置き所が無く、同調や行動の決め手がないのである。熱気の渦の中で醒める部分が出てくるのをどうしようも無かった。それで自身の思考の放浪という隙間を埋めるべく、自然と読書にのめり込んでいった。最初は歴史小説にはじまり、評論、思想書、純文学とジャンルに関係なく手当たり次第に範囲が広がって行く。と、読み進めるにつれて己の視野も格段に広くなっていった。

 そんな中、在日朝鮮人の同級生がいた。蔡巌平といい、家は遠く日置にある朝鮮焼きの窯元であり、高校近くの下宿から通学していた。席も近くなぜか彼とは気心の通じるものを感じていた。

梅雨も上がった久し振りにすがすがしい日であった。蔡が放課後に相談があると言う。屋上の隅で目立たないように待ち合わせると、今晩八時に公園へ一人で出て来いという上級生からの呼び出しを受けたと言う。旧制中学以来の伝統である「いっ魂」を入れてやるという鉄拳制裁である。おそらく彼一人を呼び出し、多人数で虐めるのであろう。上級生の排他的な差別感情による弱いもの虐めである。しかし、彼は男として逃げることは出来ないという。

「俺もいっしょイ行こかい」友を任じる私としては捨てておけなかった。屁理屈をつけ弱い者を虐めるのは、所詮弱い者虐めでしかないとの義憤を感じた。

「大丈夫、俺にも考えがあっ。が、もしもん時は頼んど」

色黒いエラの張った精悍な顔つきの蔡は動じる気配はなかった。剣道二段、柔道二段で身体は百八十もあり、私より二周りほど大きかった。無骨な四角い顔の中にある申し訳なさそうな細い目が彼の優しさを物語っていた。その古武士然として文武両道を標榜する彼に私にない本格的な男としての憧憬を少なからず感じていたのである。

 心配の一夜が過ぎて、あくる日登校すると廊下の隅で早速彼に聞いた。

「どげんじゃった。大丈夫け」

「んにゃ、たいしたこちゃなかった。シャツん中イ短刀を入れちょって、そいを抜きだせっせえ、吼えたと」

 穏やかに話す蔡は、表情に一点の曇りもなかった。

「わいたっも怪我すっど。やっや」と、形相を変えて相手のボスに凄んだと言う。

「そいで終いよ。ボスが分かった。ワイも男やっなーチ、そん一言で仕舞いになった。みな分かったチ戻っていった」

低い押しの利いた声が心地よく響く。修羅場の中に潔く咲いて揺れている大輪の白薔薇を思わせた。その白薔薇は、無垢で泰然自若としているが、いざとなれば葉の下に鋭い棘を秘めている。

薔薇は薔薇、桜は桜と、人には如何ともし難い個性や器がある。蔡は大きく響き共鳴する。彼の器には信頼し頼れる確かさがあった。弓手に竹刀、右手に文庫と標榜するだけに、文学の素養も並々ならぬ深みがあり、読書でも先輩格としてよい友であった。

 日が経つにつれて同級生に対する入学当初の驚きも段々と変わっていく。大学進学を目的とした受験至上主義の閉鎖社会の日々において、学校の体制に反抗をして、豆が零れ落ちるようにドロップアウトすることを皆が模索しているかに見えたが、次第に皆見かけだおしであり、行動にしても計算づくで反抗しているように思えてきたのである。完璧に受験競争から離脱できぬことを見切ったうえで、格好をつけ個性を目立たせようというだけの若さゆえの粗忽な行動が重なっていく。大学受験を踏まえたうえで、孫悟空の手の中で粋がっているという胡散臭さが付きまとってきだした。それぞれに考えや知識や信念を披露して行動をし、得意になっていたが、毎回の試験ともなればそれぞれに結構な結果を出して平然としているのだ。徒にそれぞれに引きずられてまともに同調すると、返って学生としての本分と存在感を問われ、皆からも阻害されるという逆説を内包していた。

そういう同級生の中で、蔡は違うという匂いがした。彼は場合によっては、高校生という殻を本当に破るかもしれないという、潔さとパワーを感じさせたのである。実直に文武両道を追及しており、一人の作家を敬愛していた。その作家、真田夏夫は蔡と同様に在日朝鮮人であり、剣道と空手の有段者でもあった。戦後のすさんだ世情を生き抜きつつ差別に挑み己の信ずるままに行動した。ある時友人の暴力事件に加担し、巻き込まれて実刑判決を受けて服役する。その後、世阿弥を中心とする古典芸術の研究と伝承の中に生きる道を見出し、小説を書き出した。正統派の小説家として評価が高くなり、ベストセラー作家として時めいていた。自身の生き様を濃厚な耽美的古典小説として結実させたのである。

「久志、これが俺の目指すものだ。これこそ文士で武士だ」

 真田の小説をかざす彼の宣託は心地よく響いてきた。

 小説という文学も究極には、筆者の想いが文中のひとつの言葉、フレーズに集約して表現できるという。それが古来、男児の文学に対する考えであり、あたかもサツマの示現流のごとく初太刀の一撃に言葉が収斂するのだという。日本伝統の和歌、俳句がそうであり、人は収斂した思いを辞世の句の如くに歌に俳句に読むのだと。

「『我が胸の熱き思いに比ぶれば煙はうすし桜島山』久志、お前はこん歌をどげんおもうか」

 この和歌を私は当初は相聞歌と思っていた。が、これは勤皇の志士平田某が、己の志を歌ったものであると分かったのは、蔡に出会って教えてもらってからであった。

「勤皇の想いを歌ったのだが、サツマの感覚からするとなんとなく未練たらしイな」

蔡は私に解釈を始める。平田某は福岡藩の武士だという。

「『わが身は武蔵の野辺に朽ちぬとも、とどめ置かまし大和魂』こっちの方がしっくいくらいな。潔かごちゃっ」

次々に蔡の講釈が続いていく。

「しかし、『三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい』こん歌はよかチ 思わんか。風流とはこんこつよ」

蔡は自己流の文学論を次々に展開して俺を煙に巻くのであった。


 夏休みの直前で日差しの強い土曜日の午後であった。黒い学生帽の中に熱気が溜まり開襟シャツは流れる汗でしっとりと蒸れている。

ボンネットの出た乗り合いバスは、朱色の方向指示器をジャックナイフのように開いて左折を合図した。大きく左に曲がってすぐ、赤い郵便ポストの立っている停留所で止まった。開け広げた車窓からムッとした熱気が流れ込んでくる。バスから砂利道の上に降りると地面が黒灰色に照り返す。用水路の続く向こう側に青々とした田圃が広がり、その後ろには山がそそり立ち控えていた。目指す造志館総本部はあの拳人山の頂にあるという。

四日ほど前に、叔父が久方ぶりに訪ねて来てサツマ合気道の総本山といわれる造志館を今日訪ねて見てはどうかとの勧めがあり、噂の総本山を一度は見たいとの思いも強く、予定もなく断る理由もなかった。

稽古着をかつぎ焼けた砂利道にそって汗を滲ませ、小一時間、山の方角へ歩いていくと、道脇の雑草の茂みに丸木を削り、黒々と「造志館」と大書されていた。立ち止まって木陰を求め汗をぬぐうと、そこから先は急な山道が駆け上がっている。山道を見上げると杉の木立が鬱蒼と茂り、幹には蔦が我がもの顔に絡まっていた。

木漏れ日の射す細道をゆっくりと、百五十メートルほどは登ったであろうか、古い石垣が見えてきた。一本杉の木陰となった石垣の角に高札が立っている。木札には「造志の言」と題し、この門をくぐる者の心得が墨書きで描かれていた。

――武とは矛を止めると書き、乱暴を抑え武器を収め、国の大義を保ち人民を安んじ、平和をいたすにあり――

なるほどと一読し先を見やると、大きな藁葺き屋根の道場があり、玄関が扉を開けて待っていた。静かに中に入ると、道場の中で総髪の人物を前にして十数名の黒帯が列に並んで、エイッ、エイッと掛け声よろしく鍛錬の最中であった。玄関で頭を下げて案内を乞うと控えていた一人の緑帯が出てきた。隅で着替えて列の後段に並んでくれという。道場に上がり持参の稽古着に着替えて、最後の列にならんで一礼をする。エイツ、エイツ、前で型を指導する藍色の道着を着けた総裁を見つつ、遅れぬように突いて引いて交わしてと体を動かすと汗がこぼれ飛び散る。

「ヤメーッ」の号令が鋭く掛かった。中肉中背のガッシリとした総裁が、厳かに一礼をする。

「本日の鍛錬はここまで。高段位の皆に本日集ってもらったのは、先週知らせたとおり、昨夜から本道場に行動する作家として日本はもとより海外での評価も高い藤嶋崇志先生をお迎えすることとなったためである。過日の南日報にも報道されていたが、先生は、今サツマ国分の防衛隊駐屯地で『防人の会』三十数人とともにレインジャーの戦闘訓練に参加しておられる。藤嶋先生から造志館を一度訪問したいという申し出があり、緊急に総稽古として皆に集ってもらったのである。では先生どうぞ」

最前列にいた角刈りにした小柄であるが精悍な顔つきの四十代の男が、総裁の横に進み出て慇懃に頭を下げた。

「紹介にあずかりました作家の藤嶋です。今国分の防衛隊駐屯地で訓練を受けておりますが、この造志館は、サツマに総本山があり、ここを拠点に日本全国に、また沖縄を発生の足がかりとしてアジアや海外へ支部を設け、日本の武の心を高揚するために世界に雄飛しておられる。その精神は質実剛健にして敬愛する西郷南州公の遺志をもついでおられるところである。ここを訪問することは積年の願いでもあったため、皆さんに本日会えることは望外の喜びであり、総裁に対し満腔の謝意を表したい。明日まで滞在し、武について論じたいと思っておりますので、よろしくお願いしたい」

ええつ、そうかサツマに来ていたとは聞いていたが。あの顔は雑誌に出ているベストセラー作家の藤嶋崇志その人だ。晴天の霹靂であった。

一昨年「維新の大地」という彼のベストセラーを読んで、感動に震えたのだった。

主人公の華族の快男児、財部順一郎は秀才であったが、反骨精神旺盛で西郷南州も帝大を出ておらんと同窓生に言い残し、帝国大学を中退して満州の大地に夢をはす。奇縁から馬賊の頭領に気に入られ頭領の片腕として一族を率いて満州に理想郷を創らんと縦横無尽に駆け巡る。アジア戦争が勃発し、中国軍の捕虜となった頭領の娘を危機から救い出し、ために惚れられるが相容れず、また内地から許婚が彼を追いかけて来てひたむきな情を示す。挙句、もつれて容れられぬ愛が憎しみに変わり、許婚は順一郎を中国軍に密告し、問い詰められると自殺して自身の壮絶な愛を証明する。最後は頭領と一族を中国軍と日本軍から守るためモンゴルの地に活路を求めて自ら囮として死地におもむき、血路を開き一人東欧へと生き延びる。  西郷南州を敬愛し昭和の維新を目指した破天荒の人生は、終戦が終わりを告げると、は再びモンゴルの地をへて一人満州を目指していく。満州の大地は何事もなかったように静まり返っていき、その大地にこうこうと夕陽が沈む……壮大なロマンの大作は、多感な私をとりこにし、人生須くかくあるべしとまで思い詰めさせたのだ。そして、私は、その作家藤嶋の美学の見本ともいうべき諸作品や実像を知るにつけて孤高の抒情性と行動する作家として型破りな生き様の「ゆらぐ美学」に全身全霊で共感していた……百万人といえども我行かんであり、人生は事を成すことこそが男児の本懐である。熱にうなされて目指す星として輝いていた。その当人藤嶋であった。

「先生は、このあと諸君ら高段者と懇談を持ちたいと仰っている。十分間休憩を取ったあと、上の楼閣で先生を囲んでいろいろとご高説を拝聴する予定である。十分後に参集願いたい」

 総裁がさらりと言い、礼をすると列がばらけた。

 上の段に天にそびえる杉木立の枝が覆いかぶさった野原があり、六角形の楼閣が構えられている。唐様の跳ね上がる屋根を大きな六本の柱が支え、吹き抜けの空間の中に石卓を中心に長椅子状に石造りの腰掛が取り囲んでいる。その石卓を取り囲んで藤嶋崇志と総裁が、そして両脇に高弟の面々が輪になって座した。私は一番末席と思われる場所を決めて、冷たい石腰掛にぽつねんとかけた。藤嶋は、改めて簡単に自分の略歴を披露すると、やや甲高く喋りだした。

「ここサツマの地には、日本の伝統が厳然と残っている。この尚武の道場で日々鍛錬に励んでいる諸氏に志を同じくするものとして、この場で本日まみえた事を嬉しく思う。諸氏には私の赤心を理解してもらえるものと考え、総裁に是非と願いあげ本日に至ったのである。維新を成就させた英雄、西郷先生もおしゃっているが、『児孫に美田を残さず』、また、すべからく『知行合一』に生きるというのが、男児の本懐である。私は、十代で文学の世界に飛び込み脚光をあびた。一端は国家官僚ともなったが、志を持って自分の主張と行動に生きるため、再び自由人となり文学・言論そして行動の世界へ回帰したのだ。

 志を持つ諸氏に問いたい。戦後のこの国の現状に疑問を持ち、失望している想いが、諸氏の心肝に澱となっているのは否めない事実ではないか。学生運動家とも国のあり方について幾度か議論を重ねたが、この国を彼らの一時的気まぐれの熱気に託すことはできないとの考えに至った。今この混乱の状況の中で必要なのは、行為ではなく国を守るという確固たる信念を持った行動なのだ。それで、行動学という本を上梓した。その当然の帰結として私は国を守り行動する『防人の会』を結成したのである。これは、長州の奇兵隊に発想を得た民兵である。これを柱として新しい日本、国防百年の計を立て、その考えを行動に移し、日本と言う国を変えていくのである」

 時の人である氏の精神を張りのある肉声で直接聞くと、それだけで率直な感動が走った。知行合一しかり、弁舌の徒が多すぎる今日、批評を去って主体的に行動すべきという視点は、妙にすがすがしくさすが先生は信念をもつ文化人だと思えた。

夏の風が熱気を冷ますかのごとくさーっと吹き抜けた。

「現実路線、理想路線、主張はいろいろあろうが責任とはなんだ。己の行動のみが、それを証明するのではないか。知行合一を志す武士(もののふ)ならば、我が国のために行動することを純粋に願うべきである。大戦の末期に我々にこの国を託して、知覧や鹿屋から飛び立っていった若き生霊の国を思う純粋な精神を我々は継承せねばならない」

 周りに座した皆が、檄ともいうべき内容を真摯に拝聴していた。

「先生、大蔵官僚のままじゃったほうが、国家官僚としっせえ国を語ッことができ、動かせたとではなかとですか」

大柄の黒帯が手を挙げて質問した。

「確かにそれはいえる。が、本省の課長になるのに二十年はかかる。局長には三十年、次官にいたっては三十五年以上もかかるのだ。時代がそれを待ってくれるのか。今がギリギリの刻だ。また官僚とは自ら責任ある行動を取らないから官僚なのだ」

「防衛隊に、体験入隊しちょッチ言うことごわんが、防衛官になればいかんとですか」 

「防衛隊に入って、若手将校とも議論を尽くしたが、いや、今も日々激論を行っているが、防衛隊は、戦えない軍隊、戦わない軍隊だ。いや、存在してはいけない幻の軍隊だということが分かってきた。外から働きかけて本来の日本の軍隊に戻さねばならない。それで内外相呼応して改革する。日本国及び日本人は、外圧でしか変えることは出来ない」

 藤嶋のテノールは歯切れよく一言一言に自信をうかがわせた。

「男は天下国家を論ずるごわんな。いままで忘れちょったが、国を再生するチ、まこて面白れことになるチ思いもす。チエスト!」

黒帯が感極まったごとく気合を吐き出した。

 幾つかの質問がでたが、そのすべてに藤嶋は気合を持って即答し共感を得たようであった。一時間も経過すると質問も出終わった感があった。張り詰めた大人たちの猛々しい議論のなかで、部外者の私は、片隅で目立たないように聞き漏らすまいと拝聴していたが、藤嶋の一言一言から感動の波が打ち寄せて来ていた。

「それでは、時間も経ったから、一応この辺で終わろう。先生にさらに教えを請いたいものは、明日まで滞在されるから、今晩の夕食の後と明朝の鍛錬の後に時間をいただくので、そこで再度教えを請えばいい」

 総裁が、静かに締めくくって藤嶋に礼をした。と、それぞれの面々も機を同じくして立ち上がり厳粛に拝礼をした。その中に一人小柄ながら藤嶋は不動で銅像のように神々しくみえた。

 談話が終わると、私は頭からこぼれるような感動の想いを支えながら、総裁に挨拶すると、総裁は叔父によろしくとのことであった。道場で着替えて緑帯にお礼の挨拶をして名残惜しく帰路についた。

藤嶋の国への忠誠の想いが怪しげな炎となり心に点され、帰りのバスとともに激しく揺れ燃え盛っていた。今日の出会いの不思議と収穫を今一度深くかみ締めると、自分の進む道が一つの使命となり輝いていた。叔父の勧めのお陰で現代日本の第一人者に直にふれ、その思想を生で味わえた。夏の宵に、この熱気はいつまでも冷めやらず、叔父も戦後の国の行方に憂うものがあるに違いない、それで隠遁を始めたのだと思え、叔父をなんとなく理解できた。人の出会いは紅い糸との運命なのか、取りとめもなく考えると、家に帰っても熱に浮かされて、なかなか寝付けなかった。藤嶋先生の崇高な志に比べると、両親は生きるためだけの俗にそまった低級なものに思えた。

 翌、日曜日の朝が待ち遠しくて九時前、蔡の下宿を訪ねた。

彼は竹刀を担いで下宿を出るところだった。

「おいっ、藤嶋崇志に会うたど。わッぜえかった」

興奮が言葉としてそのまま出た。

「フーン、そいや良かったな。オイも会うてみろごちゃった。じゃっどん、彼は、ナルシストじゃっどが」

 幅のある声で一刀両断に斬られた。

「んにゃ違ごど。先生は至誠の人じゃ。純粋に国のこちょ思もちょいやっど」

蔡が自分と同輩のごとく彼と呼ぶのも腹立たしかった。

「あいは芸術家で美の追求者よ。他の作家んとも読んでみれ、リベラリストの書(け)た『少年A』があっどが、ひ弱な少年が偶然に右翼活動に出会っせえ体を鍛えっ、街宣運動など経験を積んせえ見事な右翼に育っちゅうとがあっどが、あいよ。あいが藤嶋よ」

 事も無げに蔡は断定する。地に付いた常識人として動じることのない自信を感じる。

「じゃっどん、先生の国を思う気持ちは捨てがたかど。国の基本は民を如何に守るかじゃっど。学生運動も国をどげんすっかじゃどん期待はでけん。一時の若気の熱だという先生の言は正解じゃ。わっぜえ考えたどん、オイは志望を国防大学校にすろち思うたど」

 藤嶋に会った結論であった。国を守る――これほど崇高な使命はないと。

「反対はせん、ワイが考えやろ。オイや文武を目指して教育大にいっせえ、将来は子どんを教えよち思う。武を文に収斂さすっと。こいが俺の人生よ」

 蔡は、こん続きはまたよと言い練習に行くと立ち上がった。

 私にすれば至極重要なことを、いとも簡単にあしらわれた感があり、途中まですがる様に同行し、お前は、まだまだ藤嶋崇志先生を理解してないと議論をふっかけたが、堂々と歩く姿のごとく蔡はふんふんと頷くだけで、彼の知識量と信念に格差がありすぎた。

藤嶋が行動する生き方そのものが「美」だという考えも全く同感であった。女が美しくありたいのなら、男は美しく生きたいという信念を持つ。それが、武士で男の生き方だ。今を時めくスターの華やかさに直に接し、自分の中に確信犯として男の生き方とその美に共鳴するものがさらに大きく太く育っていた。


 三年になり受験の時期が始まった。十一月中旬になり国防大学校の筆記試験を受けた。オーソドックスな問題であったが、各科一問は難問があって手がつけられなかった。七割はいけたと思ったので、何とかなるのではと安心していた。

果たして、一月後に一次合格の通知が来た。私と防衛艦に乗りたいという瀬戸の二名が受かり、二次試験と健康診断を受けに肥後の防衛隊駐屯地に行くことになった。

「希望は何処に行きたいか」面接官の質問に臆面も無く答えた。

「ジエット戦闘機に乗りたいです」

「航空、海上、陸上の順に人気がある。航空は皆憧れるが、戦闘機乗りはさらに超難関だ。身体能力や適性が必要だ。まあ分かった」

 帰りのタクシーの中で、瀬戸と感触を話し合った。

「俺は、裸眼視力がぎりぎりのコンマ九やっで、ヒヤヒヤしたど」

「んにゃ俺は特に引っかかイそうなこちゃ無かったどん、あイや嫌じゃった。四つんばいで肛門ぎイ診られたどが」

「ん、痔の検査ちゅうたが、ホモん検査じゃなかか」

「女子がおらんた良かどん。男ばっかいちゅうともなあ」

 他愛もない話をしながらF一○四戦闘機に乗り、防衛艦に乗るという夢に一歩近づいた。そして国を守るために戦うのだ、言い知れぬ満足感に高揚した。

年が明けて一月中旬に待ちに待った合格内定の通知が出た。

よく晴れた日に散歩して公園のベンチに腰掛け、澄んだ冬の大空を見上げた。青空の南北に一直線の飛行機雲が白く航跡を創っていた。息が白く上る中で見上げていると、いつしか自分も一万メートルの大空を飛んでいた。雲の上には、青白い闇に包まれた神聖さ、荘厳さ、それに自由と孤独、ありとあらゆるものが視えた。無限大に続く青空の絨毯の果てには、藤嶋崇志の示した究極の美が潜んでいた。

蔡は、東都教育大を受験するために月末に上京した。二月の発表の日まで先輩の寮に居候し、東都教育大の剣道の合同練習に参加するという。彼も不合格のことは微塵も考えていなかった。


        五


一月末から例年になく寒気が強くなり、たびたびサツマ湾の火の山が冠雪した。

二月に入り蔡から葉書が届いた。見事合格したことと、もう地元には帰って来ず荷物を送ってもらって、このまま東京で生活する、私が上京したら是非飲もうという内容であった。

寒さの中春に向けてそれぞれお互いの人生が始まっていく。

二月の中旬を過ぎた。二十一日になると重く垂れ込めた冬空になり殊更冷え込みがきつくなって来た。夜半から雪が降り出し、なかなか止まず、予報は例年にない大雪と報じた。

翌朝になった。外に出ると朝日が照り返す一面の銀世界に変わっていた。十センチほど積もっており、眺めていると神々しく大自然の行う何かの儀式に思える。そこへ遅配された朝刊が届いた。と、一面に大きな活字が躍っている。

――藤嶋崇志 内乱罪で逮捕か!――

 えっ、一瞬、時が止まった。藤嶋先生の主催する「防人の会」が、クーデターを計画していると、会員の密告で発覚し警察庁が近日中に内乱に関する罪で事情聴取を行うとのことである。

 そうか、先生は、ついに行動しようとしたのか。造志館での確信に満ちた語り口が甦ってきた。私も藤島先生の国を思う大事さに感銘を受け、進路を国防大学校に向けたのだ。

 昨夜来の雪は一旦晴れたもののいつしか雲を呼び、またしきりに降り出してきた。しばらく止む様子は無い。竜を呼ぼうかというむら雲が天を覆い見上げると、灰色の塊が機銃掃射のようにめがけて落ちてくる。

 島津雨、また乱の前兆として天が泣くという古くからの言い伝えがある。南州翁が明治政府に物申すと、立ち上がられた時も二月で、南の地には珍しくも大雪であった。

それにしても会員の密告により発覚するとは、先生にして何たる醜態、何たる不覚を取ったのか。忸怩たる敗北感――静まった白銀の風景を見つめていると、曇天を目指して噴き出すはずであった灼熱のマグマが、徐々に熱を奪われて沈静化していく様が見えた。そして結果何も変わらない。

国を憂う至誠の気持ちは不発に終わったのかと、騒ぐ胸うちを懸命になだめる。結局何も変わらないのだと。


 翌朝になり雪は降り止み銀世界は静寂を保っていた。ひっそりとして家の周りは昨日と全く変わらなかったが、早朝からメデイアが、遠慮なくがなりたてていた。

――藤嶋崇志 昨夜自宅で自決 副長が介錯か――

 茫然自失――そうか、そう成ったのか。藤嶋先生は、やはり覚悟の人だった。先生の生き様は、この純白の雪のごとく少なくとも美しく守られた……のだ。感動が胸をいっぱいにした。今日は、二月の二十二日か、二十六日には届かなかったが、二月の歴史がまた新しく塗り重ねられる。無念の思いが激しく俺を揺さぶってくる。早朝からテレビに釘付けになり、詳細を漏らさず聞くが、以外に淡々としたアナウンサーの声がいまいましく思える。聖者の声、民に届かずかと、テレビに対し悪態をつく。

翌々日になると新聞の報道は、意外にも二面に移り三段の小さくひっそりしたものであった。世紀の大事件を無視している報道に心底腹が立った。

――内外に大きな衝撃を与えた藤嶋崇志の遺体が、解剖の行われた帝大病院から自宅へ帰った。百人を超す報道陣や近所の人に迎えられ、限られた男性だけが束の間の対面を行った。右翼団体の代表が邸宅の玄関前に整列し黙とうをして引き上げ、電柱の影から見守る国防大生の姿もみえた――

 

事件の一週間後の重い後遺症が渦巻く中上京した。

南の果て薩摩には事件の要点しか報道されず、しかも送れてくる。地方にいるもどかしさで、居ても立ってもいられなかった。世の中は一言ヘーッやはりそうだったかと、驚きを当然の納得に変えて軽々しく片付けようとしたがっており、合点がいかなかった。私の混乱した思いを理解してくれて話し合える友は、蔡しかいない。私の藤嶋先生への思いを幾分でも承知し、そのまま吐露できる相手は、彼でしか有りえなかった。

いてもたってもいられずに上京し、神田の駅前で稽古の終わった蔡と待ち合わせ寿司屋の暖簾をくぐった。

「検死イよれば見事切腹しっせえ、副長が介錯し胸に首が置いてあったチ。並じゃでけんど」

カウンターで握りをつまみながら、蔡に語りかける。

「じゃっで、最初に言ったどが、彼はナルシストじゃッどと。本質は文学少年よ。そイが、成人してから体を鍛ゆっこッで、武士になろチしたとよ。小説家としっせえ剣を愛せばよかとが、ペンを捨てっ武士になろチしたのがふて間違っげよ」

 日々剣道の合同練習に加わっている角刈りの蔡は、一回り体の厚みが出来てきて精悍そのものであった。口にすうと杯を運ぶ仕草も堂に入っている。

「しかし、知行合一チ、男児の生き方の基本じゃっどが」

 私はビールをがぶ飲みして酔が早かった。

「だから、そイは、一つの究極の理想よ。見果てぬ夢よ。大塩平八郎じゃってん、西郷隆盛じゃってん知行合一の理想に生きた人間チ、真砂の砂のほんの何粒かよ。出来がちごて、みんな真似がでけんで、ありがたかとよ。そいが英雄よ」

「理想が無かや、生きる価値も無かではなかか」

「理想を追うチ、そいは格好がよかどん、もともと現実離れしちょっから理想やろ、ふて理想を追うたあ最後はドンキホーテよ。本人は格好よかどん、周りは迷惑よ。彼が最後に不覚を取ったチ、人に迷惑をかけんごっ自宅で切腹したこたあ善かこっじゃったど」

 蔡が、大将、太巻きをくれとカウンター越しに注文する。銚子ももう一本つけてくれと、体格に応じて彼はよく食べよく飲む。

「藤嶋が、編集者を通じて真田先生に剣道の試合を申し込んだチ、こん話を知っちょっか。そん時、先生は、本気ならやっどと返事したチ、じゃっどん藤嶋から返事が無かっせえウヤムヤになったげな」

 酒の杯をすっと流して干す。この粋が久志には真似ようの無いものであった。どうしても私はチビチビと飲む態になる。

「白玉の歯に染みとおる秋の夜の、酒は静かに飲むべかりけれ、よか歌じゃなかか……真田先生は、死地を潜っちょいやっでえ、言うことが違ごちょっとよ。闘いは殺力の強か方が勝ッと言うちょいやっでな」

 蔡は、友のため相手を木刀で殺め服役したという真田を生涯の師と崇め心酔している。そして藤嶋先生を観念論者で未熟と低く見下し鼻にも掛けない。彼の不動の考えを聞くと、至極妥当に思えるだけに、ふっ切れないものが残ってしまう。藤嶋先生に残るものは、単なる華だけなのかと。いやどうしても、それだけとは納得できない何かがある。

「文学者は、それぞれ死に方があったあ、ちごか」

 蔡が幾分かの思いやりこめたように呟いた。そして、私にアナゴはどうだと勧め、握ってくれと注文する。

「文学者の自殺は珍しいこッじゃなか。真田先生も最近書たものをみれば、どうも死地を求めちよっごつあっど。撃ちてし止まんじゃ」

 真田は、出版界や文壇を相手にペン一つで派手に立ち回っているという。孤立無援の戦いは、決定的な敗北を招くと蔡は危惧している。先に大きなアナゴが乗った握りが目の前のカウンターに出てきた。

「ところで、介錯すっ時や、濡れ手ぬぐいを振っ様なバサッち音がすっらしな」

 取って置きの話題で話の角度を若干変え、博識を示したかった。

「へえー、そいや知らんかった。成る程、バサッか」

 蔡が感心したように座ったままで袈裟懸けに切り落とす仕草をする。感心する蔡に、切り込んでやっとの思いで一本取った面持ちになった。

藤嶋先生は信念を貫き通して神になろうとしたんだ――この尊い気持ちは所詮、蔡には分からないだろう。

 あいよ、と大将が声をかけ、半切りの太巻きを蔡に手渡す。

「こん太巻きは、鉄火をいっしょに巻いたここん一品じゃっど」

 ムラサキをちょこっと付け太巻きをほお張り、豪快に咀嚼しながら蔡がつぶやく。

「じゃっどん、藤嶋はホモやっち。知っちょったどが」

「んにゃ、そいは問題はなか。男ん世界には衆道チ、昔からあっせえ、男同士の硬い契は誉れよ」

 私は、女性との愛情より男との絆の方が価値は高いと信じていた。

「男同士で死ねたとは本望やろ。藤嶋は純粋すぎたとよ。頭が良すぎたと。頭が良すぎれば世の中は違っせえ見ゆっやろなあ、まあ冥福を祈らんなら」

 蔡が、杯を持ち上げた。俺のビールのグラスと合わすと、カチーンと澄んだ音が響き、仏壇の鈴の音を連想させた。

「おい、藤嶋はそいぐらいにして、東京を楽しまんとやっせんど」

 トルコ風呂に行ったことがあるかと言う。

「女子(おなご)が、手でしっくるっとよ。ゴールドフィンガーやっど。まこて天国よ」

 まったく次元が違う、自由闊達な蔡が妬ましく羨ましく思える。

「そげんな。昔もサツマん衆は祇園で遊んだチこっじゃっでな」

 適当に話をあわせたが、下世話の話で心の神殿にある藤嶋を汚さぬように守りたかった。誰も先生を崇めないのかと。日本の伝統は終に費えてしまったのか。

「久志、エックスボーイのヌード写真の黒消しのとり方を知っちょっか、あいはなあ、バターがよかたッど。マーガリンはやっせんど。バターを塗って軽くふき取ればマジックが綺麗にとれっせえな、バッチリよ」

 蔡の酔払った屈託のない話は憎めずに、しかも男の弱い所を的確についてくる。

 二時間ほどで結構飲んで握りも太巻きも食った。これ以上は話しづらかった。話が続くほど心の藤嶋先生がボロボロに崩れていくようで怖かった。蔡も頃合かと見取ったのか大将おあいそと言い、せめてもの馬のはなむけよとレシートを取った。

入学したら、また飲もうと言い暖簾を出てお互い分かれた。

 神田から、山手線で品川のビジネスホテルに真っ直ぐに帰ろうと足を向けた時は、十時を過ぎていた。が、金曜日ともあってか駅は込んでいた。苦い酒の悪酔い気分がかぶさりコートを着こんで、人ごみを縫ってホームに出る。

東京はすこぶる人が多い、今夜は酒だけでなく人にも酔いそうだ。頭が揺れて、蔡との酒がほろ苦さを悪酔いにぶり返して来た。

緑色の電車が音を立ててホームに入ってきた。

車中は混み合っており、入り口近くになんとか身を置けた。手すりに摑まり、心の藤嶋先生に語りかけようとしたが、切なさで目じりが滲んできた。理想を追う純粋性は、今の世では悪なのか。演技といわれるかもしれないが、藤嶋先生の生き様の透明感に共振する自分を如何ともし難かかった。自分の生き方を通すために、行き着いた処は結局のところ自害であったのだ。自身の酔った頭脳は取りとめもなく煩悶を繰り返す。ガタガタという電車の振動は、自分に共感してくれるのかそれとも現実に足を踏まえよと諭しているのか。

 確かに生きながらえることは罪悪かもしれない。見事と言われるには、醜を残してはいけないのだ。藤嶋先生にとっては今の世の流れは耐えられないことであったろう。

 忠義の四十七士を生かすわけにはいかないと、彼らの忠義の行いは忠義として見事に留め置かねばならない。もし、彼らが生き長らえて不義を働くようなことがあると、この忠義は死んでしまうという考えがあったそうだ。先生の行き着くところは美を全うする死しかなかったのだろうか。

目を閉じて涙を切ろうとしていた時である。

「止めてください」酔った耳に女性の声が聞こえた。

「誰か、痴漢です」ハッキリと耳に若い声が響いてきた。

 目を上げると手すり越しに、若い女性がパンチパーマの男を相手にして怯えているのが見えた。男は酔って絡んでいるらしい。女性はブラウンのコートの襟をつかみ、顔をしかめて震えている。周りの人が混雑で壁となって逃げることが出来ないでいる。作業服に黒ジャンパーを引っ掛けた男は女性に向って何か呻いていた。周りの乗客がそこだけ幾分余裕をもたせたバリケードで空間を造っている。

「おい、迷惑がってるんだやめろ!」酔っぱらっていながら自然に声が出た。男と乗客がハッとして私を見た。しかもすべてが私に対する胡散臭い非難の眼差しであった。

「なんだと、坊や。もう一度いってみろ」

男が向き直り、後は成り行きだった。

「止めろって言ってるんじゃろ」

「おい、いい度胸をしているじゃねえか。てめえ」

作業服の男が顔を斜めに構えて此方に向き直ってきた。周囲のバリケードが形を変えるが、一度火の付いた私の感情は酔いも拍車をかけ、タガが外れて引っ込みがつかなかった。最悪な気分とともに押さえきれずに噴出してしまった。

車中一帯が静寂に変わり、ガタガタと振動だけが妙に鮮明になった。

「ガキが、怪我したくなかった大人しく引っ込んでろ!」

男がこっちへ向ってまた怒鳴った。同じぐらいの背丈であるが、向こうも酔っ払っている。

「ぼうず、お嬢さんに一緒に飲もうと言ってるだけだ! 痛い目に遭わないと……分からせてやろうか」

 矛先が私に向ってきたと感じて小さく武者震いする。ガクンと小さな揺れが一つ出て電車がスピードを落とし始めた。と、男が急接近して来て、その右手が揺れた。鉄拳が飛んでくる。

 意識が詰まり、後は条件反射であった。来る、と見切ると、体が自然右へ回りこんだ。拳が空を切った時には素早く彼の背中に回り込んでいた。即、両腕で男を後ろから羽交い締めにした。男が暴れだし二人とも半回転する。羽交い締めした男の目の前にはドアがあり、暗いガラスに男のものすごい形相が浮かんだ。

 やれ久志、男を黙らすには、この体勢のまま曇ったガラスに、こいつの頭を打ち付ければよい、やれ!私の本能が命じた。刹那、打ち付けた男の頭や顔でガラスが割れて、破片が男の顔や首に飛ぶ、吹き出る血、赤褐色の血まみれの惨事が脳裏に光った。

 はっと、正気が私を貫き一瞬で無限の時を過ぎていた。もがく男の顔がドアのガラスに生え、そこに藤嶋の顔が重なったのだ。師は苦悩しているように見えながら不敵な薄笑いを浮かべていた。ああっ先生!と放心し、羽交い締めの腕が自然に解き放たれた。

 と、男が向き直り溜め込んだ恨みの檄拳が閃いた。ガツーン、衝撃が私の顔面に走った。かわすことを考えずに顔面は逆に拳に向っていた。キャーッツという声が周りを包み、ハッキリと耳に届いた。同時に「しながわあー、しながわー」と車内一杯に間の延びた放送が響いた。緊張がほぐれたのか周囲がさらにざわついた。

 列車が停まりドアが開く。

「おい、坊や今夜はこれぐらいにしてやる。あまりでしゃばるなよ」男が、顎をしゃくりあげ下卑に笑ってドアの外に出た。

衝撃でしびれる顔面に手をやるとぬるっとした。拭った手の平が赤暗色に染まっていた。血が鼻から滴り落ちている。私が車外に出ると、どっとばかり人々が続いた。が、皆軽蔑の眼差しを向けているように思えた。

 衝撃が痛みに変わりドクドクと血の流れが伝わってくる。ハンカチで鼻を強く押さえて暫し立ちすくんだ。

電車が去って行きホームの人並みが急激に消え去ると、冷えた心に静寂の波がかぶさってきて、寂寞とした世界に一人ポツンと取り残されてしまった。

藤嶋先生が、確かに先生だった……そして墜落する隼の孤独が脳裏に浮かんだのだ。無限の静寂、虚空会の巨大空間に一人ポツンと立っていた。

 電車の窓ガラスの先に見たのである。それはしてやったりとニンマリとする藤嶋先生の顔であった。速くこっちへ来いと誘っていた。それが死神の形相に変わり私を襲い、恐怖で戦意を失ってしまった。途端、自失し腑抜になったのである。


 それから暫くの間をどう過ごしたのか定かでなかった。

 あの日、鼻から大量に血を流して精気を抜かれたのか、憑き物が落ちたように放心し、自省にさいなまれる日々が続いていった。

 俺の本質はやっせんぼだ……なんと言おうと臆病であることを思い知らされた。武よりはるかに文を愛す男だ。男は強くあれと育てられ……それは、全く藤嶋と同類ではないか。それで藤嶋に共振したのか、国を守るのは純粋でかっこいい。が、論理的に熟慮し考え直すと、命を懸けた合法的殺人への参加となる。私がその現実に耐えられるのか。大量的な殺人を堂々と讃歌していけるのか。その気概が本当にあるのか。

蔡はいう、臆病になることが平和なのだと。しかし、男にとって戦い、死へといざなう滅びは美であり、この美学は、なんといっても美しいのだ。

 またして蔡はいう、観念や小説の世界だから美の花は見事に咲くのだと……観念か、この事件をきっかけに、私は弱い臆病な人間なんだと思いつめるようになった。それがトラウマとなり国防大学校の門をくぐれずに浪人することになった。

その後、悶々とした狂おしい時間が徐々に過ぎ去って行き、藤嶋先生の一周忌をむかえる頃に、やっと師を心の隅に追いやり、波立たずの気持ちを造ることが出来たのであった。

 作家某の言う「藤嶋の死は文学的な死だ」との文句を、そうだと容れるまでにさらに二十年を要した。


 しかし、あの電車事件の翌日、再び藤嶋先生に対面したのであった。

夕刻になり羽田から空路、顔を腫らし傷心の帰省をなす時に、ボーイングから垣間見た戦慄の風景は今でも鮮明によみがえって来る。雲の上に沈む旭日が、ボーイングの銀翼を照り返し、その反射光が飛び去り、無限大の空のはるかなる一点に到達する。

そこには点として凝縮し発散した藤嶋先生が輝いていた。それは、瞬時に消滅したが、さらに絶対的な空間をはるかに遡ると時空の壁を突き抜けて南州先生の精気がほのかに感じとられたのである。

 百年以上の時を超えて南州先生もまた藤嶋先生とともに融和し無限に広がる空の海で見守っている。その気が、ひしと伝わってきた。先人の信念は綿々と繋がっていると……

今ひとたび、藤嶋先生の辞世の句を口ずさむと、その時、共に生きていたんだという青春の感激が、怪しくも鈍く光り戻って来るのである。

――皇國の憂ひ四十路の太刀鳴りてなお降り止まぬ今朝の初雪――


                           
                            (本作品は創作である)

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