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『銀色のbullet(銃弾)』短篇集の6

                      おおくぼ系

短篇集を編んでみたくて、短編を一作ずつ掲載します。ヨロピク!

〈銀色のbullet(銃弾) あらすじ〉
新人ながら、アイドル女優のユカリは抜擢された連続ドラマのロケのため、三条志穂とともにドラ猫知事を表敬訪問する。その際、歴史的遺産ともいう銃弾をプレゼントされる。ユカリの連続ドラマは、三条美穂をしのいで好評を博し、マネージャーの高須博史が、コマーシャルなどの仕事を取ってくる。さらに知名度が上がったユカリに、銃弾をアレンジしたペンダントをオークションで宣伝させて、これがヒットする。ユカリは「てんがらロック」という歌で野外ロック・フェステイバルに登場し、バックダンサーと親密になる。人気絶頂のユカリに、大手プロダクションが目を付け、高須からユカリを奪い取る。高須を実の父とも感じていたファザコンのユカリは、意気消沈するのだが・・・。


         1


 時代ものの連続ドラマが流行っていた。テレビから歴史もののブームが創られるという流れが出来上がっており、ひと頃は戦国時代の天下取りの物語がしきりであったが、これでもかという山を過ぎると、時代が幕末へと移っていった。

「この部屋は、なんかキモーイね」

 ユカリが、部屋の中を見渡しながらつぶやいた。不透明な小窓しかない白い漆喰(しっくい)の大部屋には金華山のソファーが備えられ、壁に掲げられている二十数人にもなる歴代の知事の写真がユカリら四人を見下ろすように取り囲んでいる。さらにぼんやりとした照明が、葬儀のような静寂の空間を醸(かも)し出している。

「しーっ……誰か聞いてるかもよ」

 三条志穂が小声でたしなめるが、声が静寂のうす闇に吸い取られていく。このほの暗い幽玄の間で、山吹ユカリ、三条志穂ら四人は、かれこれ二十分ほど待たされている。

今まで自由奔放に生きてきたユカリは、芸能界のスケジュールで決められたあいさつ事がおっくうであった。

来春から放映される討幕の歴史ドラマ、西郷南洲翁の生涯を描いた「児孫のために美田を買わず」の撮影が今秋から行われる。翁の正妻、糸子役を人気女優である二十九歳の三条志穂が演ずる。そして南洲翁が流罪された奄美大島の島妻の役として、まったく無名の新人、二十三歳の山吹ユカリが抜擢されたのである。ご当地でのロケを始めるにあたって、先ずはロケ地サツマの知事へ表敬訪問をと、相成ったのである。

今、知事室の隣にある待合室に入り、面会の順番を待っているが、なかなかお呼びがかからない。前客が時間を押しているのである。楽屋と勝手が違って、密室で沈黙しての待機は二十代の女優二人には息が詰まりそうである。それにユカリと志穂ではこの世界でのキャリアの差がありすぎ、二人の会話はつながらず途切れたままである。三条志穂は、子役上がりでドラマなどの経験も豊富であり、青春映画では主役も飾っている。トリートメントなどのCMを三本も持っている、今、旬の人気スターである。ユカリは全くの新人であり、まばゆい芸能界への新参者である。配役が決まった時、「山吹ユカリって誰?」と皆が首をひねったのである。

三条志穂は、ユカリを同等の女優とは思っていないし、いつも自己中心に分刻みのスケジュールを回せるスターなのだが、この時代がかった部屋のうっとおしさに、付人と言葉少なに苛立ちを押さえていた。

ユカリのマネージャーの高須(たかす)博史(ひろし)は、四十歳を少し出た中年で、静かに横のソファーに寄りかかり、数枚の書類をめくっている。

ドラマの西郷翁を演じる主役は、忙しいから直接ロケに参加するという。著名な俳優は得だ。ユカリは、このドラマの役をもらうために、マネージャーの高須に連れられて何度テレビ局詣でをしたかを考えていた。三十数回にはなったであろう。公営のテレビ局なので、それなりに対応してくれたが、この役を射止めたのはラッキーとしか言い様がなかった。女優の第一歩は営業なのだと高須に徹底して教え込まれた。芸能界で女優として世に出るには、食事をして飲んで枕営業が必要だという、過激な噂に事欠かない世界である。

「三条様、山吹様、お待たせしました。どうぞ」

秘書嬢の案内があった。三条志穂を先頭にしてユカリ、志穂の付人、高須の順で隣の知事室へと移動する。厚い木製のドアが開かれた知事室は、今まで待っていた幽玄の間からすると、一転して輝いていた。窓に白いレースのカーテンがかかり、初秋の陽光が優しく差し込んでおり、光を背にして主の姿が浮かんでいた。

どうぞと、知事は中央におかれた応接椅子を手で示した。大ぶりの応接机の回りには落ち着いたブルーグレイのソファーが十脚ほど並んでいる。正面に知事が座して、その横の席に三条志穂、次にユカリ、少し置いて志穂の若い付人、高須が腰掛けた。

「始めまして、この度、ご当地でロケを始めさせていただきます」

 三条志穂とユカリの後方に坐していた高須が、口火を切った。

「ゆくさおじゃいやした。あいがともしゃげもす」

 うん? ユカリは、吹き出しそうになったが、辛うじてこらえた。

落ち着いて見ると目の前に座っている知事さんは、小太りで丸い顔に黒縁の大きな丸眼鏡をかけていて髪が薄い、どっかそこらの叔父さんである。アニメの主人公のイメージが浮かんできた。

「フィルムコミッションもあっでな。よろし頼んます」

 ああサツマは田舎だ、沖縄よりもずっと……安堵の気持ちが湧いてくる。

「しかし、あまりにも西郷さんが有名ですので、その妻役を務めるのは大変むつかしく苦慮してます」

 三条志穂が、ゆるんだ空気をとりなす様に話し始めた。

「ええ、そうごわすか。気にせんでやったもんせ……おはんはべッピンごわんせば、そいで十分ごわんそ」

 えっ、神奈川出身の志穂はどぎまぎした。知事の言葉が分かったようで分からない。ムードからして褒(ほ)め言葉であろうとの見当で笑顔を作り狼狽(ろうばい)を飲み込んだ。

「はは、地言葉が抜けんもんでな。ご無礼(ぶれ)さあー。二人とも美人じゃっちゅうこつです」

 屈託なく笑うさまは、年をとった髭なしのドラ猫キャラかと、ユカリは思う。知事さんというには、あまりに天衣無縫(てんいむほう)だ。

「西郷さんは、大きすぎてなかなかつかみ難い人物ですね。その奥方も歴史的に伝えるものも少ないようで。今回は三条志穂さんが正妻の糸子役を、山吹ユカリさんが島妻役の愛加那(あいかな)を演じます」

 高須が、両優を紹介して話をついだ。

「サツマおごじょ、ごわしたろな」

 んっつ、彼も一瞬とまどい、あいまいな笑顔をつくる。話すリズムからして勝手が違う。前置きが無くて、ポンと言葉が出てくる。まるで掛け合いである。サツマは、言葉からして異国であったというのがうなずける。

「西郷(せご)どんは、サツマそのものごわんでな」

 壁の両脇に、「敬天愛人」と「為政清明」の二つの扁額が対になって掲げてある。南洲と甲東、知事はこの扁額を示しながら、二人の偉人の出現により、今日まで日本にサツマありとの矜持が保たれているとのたまう。

 ユカリは光射す部屋で、話題が頭の上で踊っており、どう話してよいか分からなかった。かろうじて、

「島の妻とはどういったものですか」と声をだした。

「サツマは封権社会でな。身分も厳しかったとです。奄美大島は、当時の流罪の地でな」

「西郷さんは罪人だったのですか」

「そごわんな、罪人チ言えば罪人ごわしたろ(だったでしょう)」

 この叔父さんとは絶対的に波長が合わない、なんとなく煙ったく憎たらしい。知事の面をかぶったハッタリ屋か。

「愛加那さんは、一生島から出られんかった。身分制で、島人(しまんちゅう)は手の甲に刺青をしてたちゅうこっじゃ。刺青は罪人の印のよなもんでな。こいは厳しかこっじゃったろ」

 なんなんだ。台本には書いてなかった歴史が、ユカリに覆(おお)いかぶさってきた。私は罪人か、当時のサツマの亀裂にはまり込んでしまった。

 おっとりとした志穂が、

「正妻の糸子は、愛加那さんの二人の子供もいっしょに育てるのですよね」と正妻らしく威厳を持っていう。

「サツマ兵児(へご)は、大言壮語して天下国家を語(かた)い、国事に奔走しっ家を省みらんしばっかいじゃっで、家を守ったあ大変じゃたろで」

 ん、話の角度が微妙に違うんじゃない。女はつけたしか、志穂は、なんとなくむずがゆい。

「大言壮語で死を怖れん。そいで、江戸や京あたりで、大分無茶をしたもんじゃ。勝てば官軍じゃっどん、わりこっぼばっかいじゃっでな」

「わりこっぼ、ですか……」

「ああ、ワリコッボちゅうのは、悪ガキちゅうような意味じゃっど。言い換えればボッケモンかな……」

「ボッケモンですか……」

「ああ、なんちゅうかな、肝が太て、ボッケなこちょする者……」

 ぽんぽんと、言葉の玉が飛んでくるが語感がつかめない。あっけに取られるとはこのことであろう。

「維新の後に、西郷さんが、下野して反旗を翻(ひるがえ)すのは良く分からんのですが……明治政府に勝てると思ったのですか」

高須がもっともな話に変えた。

「おイもよう分からんどん、成り行きごわんそな」 

 知事は一瞬考え、

「まっ、言えば失業対策じゃろかい。武士チいえば、戦で人を殺すっこっしか仕事っがなかでなあ……今じゃっでこげん言うがなっどん」

「人殺しが仕事ですか……殺し屋稼業ですね」

 ユカリが繰り返したが、殺し屋というぶっそうな話題になり何となくまずい沈黙となった。知事が前に出されたお茶を勧めた。

「サツマは尚武の地でな。先の大戦では海軍基地や陸軍の連隊基地があっせえ、最後は特攻基地になったと」

 大戦でここ県都も街の九十三パーセントを消失し、やっと硝煙の匂いが消えかかってきた。平和になった反動として、尚武の香りを懐かしむ気風がゆれもどってきた。しかし、西郷南洲こそは、理想をおって立ち上がった真の偉人として一貫してあがめられてきた。

「そこの先に、西郷どんの私学校跡があっで、石垣に政府軍が撃った弾丸のあとが残っちょっど、みったもんせ。すざまじかもんごわんど」

 西南戦争では、政府軍は装備を強化するためにスナイドル銃という元込めの新銃を採用した。示現流の気概で闘うサツマの兵は、近代兵器の前に如何ともしがたかった。

「戦いの山場は、肥後の田原坂の合戦でな、ここで明暗が別れたちこっです。いわゆる天王山で、ここん攻防で政府軍は、一日で三十二万発の弾を撃ったチいうこっです。そいで、両軍の撃った弾が空中で衝突して、めり込んで一つになったもんが、今でも時々出っきもす。凄まじい戦いじゃったげな」

 知事のしんみりとした語りぶりは、容貌に似合わなかった。

「じゃっど。棚ん中に実物があっど」

 ドラ猫知事は頭をめぐらして、後ろを振り返ると立ち上がった。そして部屋の隅にある半円形のマホガニー色の飾り棚をめざした。観音開きのガラス戸を開けると、中から何かを取り出し、それを手のひらに載せて戻ってきた。

「はい、こいをあげもそ」と、三条志穂に近づき、小さな石のようなものをつまんで差し出した。志穂は急な展開に驚き、立ち上がると両手を重ねて受け取った。

 パシャッ! 閃光が走った。いつの間にかカメラマンが横にいて、手渡す瞬間を写し取ったのだ。

「はい、もうひとつ貴女(あんた)いも」

 知事が、ユカリにも差し出した。ユカリは、志穂に続いてあわてて立ちあがった。と、後ろにいた高須が、腕をチョンチョンとつついたので振り返ると、彼がハンカチをユカリに渡した。小声で、貴重なものだからハンカチで……と聞こえた。ああそうか、ユカリはハンカチを手に広げて知事の手から鈍(にび)色の小片を受け取った。

パシャッ!パシャッ! 再びフラッシュが点滅した。

ベージュのハンカチに乗ったのは、人差し指の形をした二センチほどの鉛色の銃弾であった。横から覗いた高須が、感慨深げにつぶやいた。

「これが、その時の銃弾ですか。百年以上も生きながらえ、奇遇なもんですね。それにしても、こんな貴重な物をいただき、感謝に耐えません」

「いや、少しでん。当時の感じがつかめればチおもてな」

「貴重なものを……結構な値段がするのでしょうね」

 志穂が、付き添いが出したハンカチに包み直しながら、ぽそっとたずねた。

「どんくらいじゃろか、歴史的な価値はあるんじゃろが、今でも城址山が大雨で洗わるっと、シラスの崖に浮かんで出てくっこっがあっチいう」ただ城址山では、かち合い弾は、出てこないという。

戦の終末においては、西郷軍は四百名以下に減り、物資も不足し打ち返す銃弾もなかったという。城址山での最後の戦闘は、政府軍の一方的な賊軍殲滅(せんめつ)への闘いであった。

「県警の鑑識に歴史を調べちょっとがおって、弾を見つけてくったっどん、ほとんど出らんごっなったで、大事イしっくれちゆとった。そいで大事イしったもんせ」

 というが、べージュの中にたたずむ金属片は、百年の思いに耐えて石のように固まっており、何も語りかけては来なかった。ユカリにはただの固形物に思えた。

 部屋の入り口に、若い女性秘書が姿を表した。それを認めると知事は、

「また、おじゃたもっせ(おいでください)。ドラマに期待しちょイもす」

 と、締めくくって表敬訪問は終わりであった。

 ユカリらは、知事室から出口専用の厚い木製のドアをくぐって、ボンヤリと明かりの指す白い回廊へ出た。大きく右へ迂回すると中央の階段が手を広げて待っている。降り口が左右に展開して中段で一つにまとまった造りは、大正初期の大理石の造作からなる華麗なもので、大きな窓から斜めに射す光が優しく照らし、白い漆喰の壁とマーブルの大理石の階段を混濁として照らしている。

まるで、宮殿みたいねーーユカリの声が白壁へ吸い取られていく。

 階段を降りてロビーを抜けると、さらに赤茶模様の入った大理石のアプローチがあり、タクシーが二台待機していた。

 お先に失礼と、志穂の付人が言い残して、彼女をタクシーの後部座席に乗せこんだ。志穂の車が走り出した後に、ユカリと高須が次のタクシーに乗り込み、志穂の車と反対方向に走り出した。

「私がアバズレだから奴隷妻の役ね」

 ユカリが、車の後シートにもたれながらひとり言のように呟いた。

「まあ、そういうことかな」

「ちょつと、もう少しましな言い方はない。皆やりたがらない汚れ役だからお鉢がまわってきたんだ」

「現実は肯定するしかないだろ。三条のお姫様には、できない役もある。それをやり遂げるのがユカリという女優」

「ふん、初めてもらった役だし、やりゃいいんだろ」

「そうだ」

 そんなもんか。しかし、初めて役をもらった嬉しさは否定しがたく、これから女優と呼ばれるドキドキが胸いっぱいに広がる。その中に志穂のおっとりとした余裕の姿が映りこむ。志穂の顔が悔しさの波の中に見え隠れして現れてくるのだ。

ユカリは、ベージュのハンカチを取り出して、

「これ、大事なもんだから、高須さんに預けておく」

 と手渡した。大事なものというより、こんな生まれる前の古ぼけた物を身辺に置きたくなかった。受け取った高須は、ハンカチを広げて中の小指大の金属片をじっと睨(にら)んでいた。

「そう、これは大切なもんだ」

丁寧に包み直すと彼の背広の内ポケットにしまった。

「でも、あのドラ猫叔父さんは面白かった。あれで知事さんでしょう」

「んん、あれでも事務次官といって、官僚の最高峰まで登った人だ。退官のあとは当然のごとく知事さんだ。たいしたもんだ」

「ふーん、あれでもやっぱ偉いんだ。なんとなく面白い人だよ」

車は、城址山の麓を目指して走っている。城址山の登り口付近は岩谷といわれ、岩谷荘という老舗の旅館があった。かって天皇の行幸もあったという格式の高い旅館で、今夜はここに宿泊するという。

一つ葉の密集した生垣を左右にめぐらした石畳の上を車が進むと、静かな玄関のたたずまいが見えてきた。玄関の大きな格子戸が左右に開かれて、上がり口には、花鳥風月の屏風が立てられているのが見える。

 タクシーが止まると、出迎えがいそいそと近づいてくる。

「よくさ、おじゃったもした(いらっしゃいました)」

「……」

「お世話になります」高須が出迎えに軽く会釈をしながら、

「サツマの時代の雰囲気が味わえるだろう」と、つぶやいた。

 たしかに、勾配の急な時代がかった大瓦屋根のはね具合をみると、自身がお姫様に思えてくる。が、ユカリは島妻なのだと思った。


 翌朝になり、ユカリは、朝食をとるため萩の間へ足を運んだ。

ワイシャツ姿の高須は、先に来て食卓のまえに胡坐を組んで新聞を広げていた。「おはようございます」とユカリが近づくと、「おい、でてるぞ」といい地元の朝刊を渡してくれた。

ーー『ロケ始まる。三条志穂、山吹ユカリの両女優、知事を表敬訪問』知事は、役作りに励みますという三条、山吹の両女優に当時の銃弾をプレゼントして、ドラマの成功を祝したーー 

三面に三段抜きで記事が出ていた。二段を使って昨日の銃弾を受け取る時の写真が入っている。知事の肩越しにユカリがハンカチを広げてかしこまった表情が捉えられていた。その向こうに小さく志穂が写っている。見出しこそ志穂が先であったが、写真の下にある説明文には、――貴重な当時の銃弾を押しいただく山吹ユカリさんと、報じられている。

「やはり、ハンカチが正解だったんだ」

 写真の中心を占めてユカリが安堵の声をもらした。新人女優業の出だしとしては、さい先のいい出だしではないか。

「高須マネージャー、サンキュウー」

ん、アバズレを売り出すのが俺の仕事だ、彼は小声でつぶやいた。 

 

 ロケは、サツマ県都にある「奄美の郷」で始まった。

 「奄美の郷」は、奄美の自然と昔の風俗をそのまま移したといわれる観光施設で、広大な奄美庭園の中に高倉や家屋を有している。中央の館の中では昔ながらに大島紬が人手で織られて販売も行う。ここは、絆の強い奄美出身者の誇りを示す島人の拠り所であった。

 「児孫のために美田を買わず」は、南洲が奄美大島に流されたところから始まる予定であり、ここを使って西郷と愛加那のユカリが島で出会うシーンから撮影に入っていった。彼女は母屋にできたメイク室の中で、手の甲に時間をかけてヒジキといわれる刺青を描かれる。手の甲一杯に四角の升目が二重に描かれその中に幾何学模様が黒々と描かれる。それが終わると紬の縦織りの一重を着て紐で結ぶ。髷を団子に盛り上げ、髪を数筋たらすと島娘が出来上がった。

 今日のシーンは、粗末な小屋に軟禁された菊池源吾と名乗る西郷を、島娘の愛加那がのぞき見をしているところから始まった。角ばった顔に眉が太く愛嬌のある大きな眼をした男優、矢上が西郷役である。西郷が、藁葺きの小屋に入り節穴から日がさす板戸を開けて、カマチを下り白サンゴを敷き詰めてある軒下に立つ。水を飲もうと甕に近づくと、突然、水甕の下に潜んでいたハブが太い足に噛み付くのである。

「あいた!」ハブアタリを受けた西郷が、もんどりうってひっくり返る。二メートルにもなるハブが一撃を与えて逃げていく。

ああつ、事態を見ていた愛加那は、素早く飛び出でて、ハブの後ろから手にとったシュロの葉をその三角頭にかぶせて押さえ込む。さらに足で素早くシュロの葉を踏みくだく。ハブを殺さないと咬まれた者の魂まで持っていかれるという言い伝えがあるのだ。

「シラカッター!」ハブに咬まれた、誰か助けて!と辺りに助けを叫ぶ。さらに、西郷に駆け寄り、二つの牙傷(きばきず)の残るふくらはぎに口を付けて毒を吸い出すのである。

「……」西郷は、痛みとあっけにとられて終始無言である。

プッと、どす黒い血を口から吐き出すと、村人が三人ほど駆けつけてきた。一人が、小刀で傷口を切り開き更に黒い血をしばらく流すままにする。

「毒は出たで、だいじょっじゃろ、後で、薬草と焼酎で消毒すればよか」

といったが、大島の言葉は本土のサツマ弁ともだいぶ違い西郷には通じない。

「えらいこっで、すいもはんこッじゃった」

西郷は、大きな体を小さくして礼を言う。

愛加那は、すっと立つとしばらく西郷を物珍しげに見つめていたが、やがて茂みの中へ駆け込んで去っていく。

愛加那二十三歳、西郷三十三歳で、奄美大島の竜郷は早春であった。

「ハーイ、カット! オーケー」

 デイレクターの声が上がった。スタッフの波が安堵にゆれる。

ユカリは、小鼻が膨らんで上気していた。西郷役の矢上と回りのスタッフに軽く頭を下げると、現場を離れた。

「ご苦労さん。よかったよ」高須が、花柄格子のタオルを渡す。

「なんとかリハーサル通りやれたみたい。私って、のりやすいタイプみたいだね」

「心配することは、なかったみたいだ。ユカリは、輝くものをもってるよ」

「それって島妻が合ってるってこと。もう気にしないけどね」

 ユカリは、休憩のため大部屋に足を向けた。美穂が演ずる正妻の出番はしばらくないので、彼女と顔を合わすことはなかった。

ユカリの少し後ろを高須が見守るように付いていく。


「オイどんは、志に生きもんで、家を持つ気はごあはん」

 西郷は、弁解のように小声で言う。

彼は島に着き早々、藩役人の圧政を諌め、竜郷の人気を一身に集めると、今までの政治犯とは違うという評判が立ち、郷人から子弟に読み書きを教えてくれるよう頼まれる。それに伴い好意を持つ代官からしきりに妻帯を勧められた。相手は愛加那である。竜家も承知しており是非との強談であった。

西郷はーー国事に奔走する身として不犯を誓ったーーとは声に出して言えなかったが、藩のお由良騒動の元凶はといえば、正嫡斉彬と庶子久光との凄まじい世襲争いがあり、それが因で斉彬が毒殺されたと信じている。

この島に流されて、今だ気をこそ丈夫に保っているが、赦免がありえるだろうか、それとも永久に島暮らしかと、気をもみつつ大久保一蔵ら精忠組の面々から届く密書を受け、政局を熟考しながら返事をしたためている。

「国の大事を思えばこそ、英気を養っておくことも大事じゃごわはんか。あせっ気持ちを、日々の暮らしで充実さっすっともよごわんど」

代官は、西郷の後ろに控えて考えをとうとうと弁じる。

「そいがな、我がこっになると、どうもいきもはん」

 どうも自分のこととなると皆目だらしがない。

 思案に暮れる西郷に一計がこうじられ、因果を含められた愛加那が添い寝をすることになった。

 闇夜の西郷の小屋にて寡黙な二人が沈黙をやぶり、酔った西郷が意を決して契(ちぎ)るという濡れ場は、限定されたスタッフらで撮影された。カメラの中でユカリのアップが、延々と続き、闇に光を集める反射板が角度を変えて表情が七色に変わる。

カメラから幾分離れた場所で高須は見守っていたが、濃厚な場面は午後七時にはじまって十時まで延々と続いていた。

撮影の見学を是非と頼み込んできた奄美の郷の管理者が、

「あいが、がっつい、何ちゅわならんな(なんとも言えないくらいよい)」

と、銀色の反射板を操るスタッフに感心している。

十一時前になり、デイレクターが、OKと、終わりの合図をだした。引き取って、「はあーい、ご苦労さん」と、サブの一人が叫んだ。

 深夜の静寂と緊張が破られた。ユカリがバスローブをはおり、矢上に挨拶をして、スタッフに抱え込まれるようにして近づいてきた。

「熱っぽくってよかったよ。一見したところ醒めたごとくで、なかなか、芯は火の玉のイメージかな」

「ふふ、矢上さんは恋人というより、お兄さん、いやお父さんって感じ」

「なるほど、やはり西郷さんだ」

「私って、ファザコンかも」

 母一人で育てられた影響なのかもしれないと思う。物心ついた頃から父親に飢えていた。しかし、父親と男のイメージは全然違ったものだった。

「安心できる男って最高ね。お腹がすいたよ高須さん」

「アア俺もだ、メイクを落として服を着てくれば。名物の豚骨ラーメンでも食べに行こうか。どっか開いてる店があるだろう」

 初秋の深夜は満天の星が煌(きら)めいており、こんな星空を眺めるのは久し振りであった。撮影は順調に進んでいる。


 早春にはいりドラマの放映が始まった。

 「第一話 愛加那」という筆文字が、テレビ画面いっぱいに表れ、フェイドアウトしていくとソテツの群生を手前にした美しいサンゴ島の海岸線へと場面が移っていく。と、沖からいっそうの艀(はしけ)が近づいてくる。本土の薩摩から流されてきた紋付袴姿の菊池源吾こと西郷が艀の後ろに坐している。艀が着くと、彼は役人の指図により浜港に降り立つ。島役人は、流人西郷の検分を終えて掘立て小屋の寓居へ彼を案内し幽閉する。

西郷の寓居生活が始まり日々の生活にも慣れはじめた頃に、バブアタリに遭遇して、彼を覗いていた愛加那と出会う。信念を秘めた丈夫(ますらお)とあっけらかんとした女のいわばボケとツッコミの筋書きが南島の大自然の中でゆったりと演じられていく。

 第二話は西郷の大島での苦悩が描かれ、流されるまでの京都での政治工作が回想され、敬愛する斉彬の死去への疑念と無念にさいなまれる日々が続く。寓居の彼を遠くで不思議そうに見守る愛加那。

天真爛漫で勝気な小娘と、うどの大木の取り合わせは現代風に脚色されて、幕末ものとしては、古くて新しい新たな男女の形を創り出し人気が高まっていった。特に、島妻の制度については視聴者に感慨や意見、こもごもの感情を沸き立たせ、ユカリの自由奔放な可憐さの底に同情を貼り付けた演技が、テレビ画面から家庭の女性の心にさざ波をたてていった。

 出会いから一年、二年と経ち、愛加那は西郷と結ばれて長男菊次郎を出産する。そしてさらに二子めを身ごもる。西郷は、島の平穏な日々に浸りながら、船が着くたびに届く同志からの密書で動乱の激しい政局の様子を想い、忸怩(じくじ)たる苛立ちが日に日に募っていく。

 二子めの長女菊子が生まれて一歳になる頃、風の便りに乗って西郷のもとへご赦免の吉報がいち早く届けられた。

平穏な日々に別れの刻が急激に迫り来る。愛加那は、一緒に本土へついて行くとすがる。

「そいはそい、こいはこいでごわす」

 愛加那の言葉を背に受けて庭先で密書を燃やす西郷は、にべもなく呟く。熟考にふけり沈黙を守る姿は、やはりこの人は志をもつ武士であると納得はするが、失うものがあまりに大きすぎる。分厚い背中を見つめながら、この人はそんなに凄い人なのかとあらためて思う。私にとっては天然の大ボケ……しかし離れたくないと。

黙して語らず。二人の間に熱気をもった悲哀が漂っていく。画面が静かに消えていく。

 テレビの画面が、再び立ち上がっていくと、水がめの横で洗い物をしている愛加那が映りでた。かめから水をくみ出し、しきりに左手の甲を荒縄のたわしでこすっている。ハジキさえ消えればヤマトンチュウと同じになれるーー彼女は取り付かれたように、甲を激しくこすり、甲の皮膚が切れて血が滲み出す。その若々しい悲壮な顔がアップとなり、カメラはビロウの葉を重ならせながら次第にひいていく。

 西郷の至福に満ちた島での生活が終わった。


 「児孫のために美田を買わず」は、初回放映は十九パーセントで、予想の二十パーセントに満たない視聴率であったが、渋い人気男優矢上に加えてユカリの野性味を帯びた大胆な演技が新しさをよび回を追うごとに人気が高まっていった。前場のクライマックスというべき西郷と愛加那の離別にいたる放映では、三十一パーセントの高視聴率番組にのし上がった。

 身分制度が引き裂く愛、浜のアコウの影から菊次郎と菊子を連れて呆然と見送る愛加那は、涙も涸れはて不思議な神々しさを醸(かも)し出していた。

 西郷は薩摩に帰り京都で国事に奔走する日々が続いていく。そして武士制度の必要上から再度正妻を持つことを進められる。志穂の出番となった。

 正妻の糸子はつつましくて、西郷を陰で支え清貧に耐える薩摩の典型的な良妻であった。美穂の整った顔立ちと気品、人気女優のとしての自信は十二分にその耐え忍ぶ役を果たしていた。しかし、上手く演じるほどに西郷を立てて自らは地味に造らねばならなかった。口数少なく耐え忍ぶ妻は今の時代の雰囲気にそぐわず陰気に映る。ために彼女は上手く演じたが、力量からして当然と思われ、世評は上がっていかなかった。

 そして、糸子は愛加那の二人の子ども、菊次郎と菊子を自分のもとに引き取ることになる。当時の薩摩藩の身分制度としては至極あたりまえの成り行きであったが、現代の目から見ると島妻へ嫉妬しての制裁と取られなくもなかった。子どもと引き裂かれ、一人南海に残る愛加那の苦悩。生きる希望をも持ち去られ、狂おしく無き濡れるユカリ、悲運への同情がますますつのっていった。

 このくだりの放映により、一時三十パーセントを割り込んでいた視聴率が女性陣を刺激してか三十二パーセントに戻った。

志穂は、自分が出演し、競演したのだから当然の結果と考えた。

「島妻に負けるものは若さだけよ。糸子の存在感がだせた数字よ」

 女優の世界に身を投じて十二年、大女優と呼ばれるほどのファンをつかんだ。ヒロインは常に私だという自負にあふれていた。この実績が物言うのよと、それでなくては女優はやっていけない。

これを伝え聞いたユカリは、

「ふん、若さでも勝っちゃった。彼女をまるまる喰っちゃったよ」

と、単純明快に嬉々としてはしゃいだ。

ーー女優の競演、糸子と愛加那、運命に耐え忍ぶ愛を熱演ーー

 女性週刊誌では、この二人の女優を好対照として、正妻糸子と島妻愛加那とのドラマ上の確執にかりて、ベテラン女優志穂と新人ユカリの勝負として面白く書きたてた。


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 ユカリに清涼飲水のコマーシャル依頼があった。

ーーホットな貴女をクールダウン!ーー

 テレビ画面の中で、スカッシユのビンを片手にして、大柄なユカリがジーパンを引っ掛けた腰をゆすり、リズム全開で暴れ出す。居間の時間に顔を出す機会が増えると新人も勢いが着いてくる。

「高須マネージャー、忙しくなりすぎだよ。だけどサンキュウーだね」

 ユカリは、女性雑誌の撮影のために控え室で高須と打ち合わせにはいっている。

高須は、人気が出るにつけ、個人の資質、力というよりも如何に上昇気流を取り込み売り込んでいくかだと感じてきた。多くはを喋らないのであるが、ユカリ専属の付人兼マネージャーとしての存在がますます大きくなってきたと感じた。

「不満だったけど島妻の役で良かった。三条さんより輝いたし、アバズレに合ってた」

「色々と話が来てるけど、何でも出ればいいのではない」

「ふーん、メディアの人気ってすごいんだ。ちょっと評判になると次々と話がくるんだ。すご過ぎ」

「しかし、下手に引っかかると評判を落とし、芸能界さよならもある」

「難しいことは分からない。高須さん、よろしくね」

「次の仕事だけれど……」

プレゼントがあると、高須が小さな錦織りの箱から何かを取り出した。

「なにこれ」ユカリは、受け取ると首にかけて鏡をのぞいた。銀色のネックレスであった。薄い光沢のある赤紫のシャツの胸が大きくはだけ、小麦色の胸に銀色の弾が輝く。

「これは、この間のてっぽう弾(だま)だけどね」

「ダイヤも埋め込んであるのね。ステキ」

 てっぽう弾は、純銀にメッキされ、真ん中にダイヤが光る。

「今日から、これを付けていてくれ、それは何ですかと聞かれたら……銀色に輝く幸せのバレット、銀色の弾丸というんだ。百年の眠りから醒めて幸福を運んできてくれたと。これはロケ地の知事さんからいただいた貴重なものだといわくも話してくれ……だから純銀にして肌身離さず、いつも持ってると」

女優の究極は演技ではない、存在そのものであるーー-高須はいつも口癖のようにつぶやいていた。

ユカリは、何となくは分かるが、マイフェアレデイのように、高貴な身分に変身して行けるのは、映画の銀幕の創造の世界でしかありえないはずだ、アバズレはアバズレで仕様がないじゃないか、が、銀色のネックレスで着飾ると自身も輝きその高貴な世界に入っていける気がしてくる。自分を中心にして……女は身に着けるもので変わっていける。


タレントの司会者が軽妙にオープニングを切った。

「はーい、皆さんこんにちは! なんでもオークションの時間です。さて、今日のゲストは、誰でしょうね。可憐な島妻と言えばお解かりでしょう! 山吹ユカリさんです」

 HBSテレビの第三スタジオで「なんでもオークション」という番組の収録が始まった。著名人の提供した逸品を会場でオークションにかけるという、根強い人気番組である。観客席には四十人ほどの主婦や若い男女がいたが、あちこちから照明やカメラが見すえるスタジオは意外に狭かった。高須はそのスタジオの一番後ろから成り行きを見守っていた。

 正面出口のカーテンが開きユカリが、ジーンズに明るい臙脂(えんじ)色の八分袖のブラウスという衣装で現れた。皮のサンダルはヒールの高いものである。

「山吹さん、最近、ドラマからコマーシャルまで大人気ですが、今のご感想はどうですか」

「出はなに、ぽっと、ライトが当たり、運が良かったと思います」

「特にドラマ『児孫のために美田を買わず』の愛加那は話題をさらっていますが……あれがデビューで人気の始まりですね」

「ええ、奄美大島の習慣には驚かされました。沖縄とは大分違うなと。島言葉で苦労しましたが、愛加那の役作りは、まあ、地を出せたので楽しかった」

「愛加那の生き方としては、どう思いますか」

「ええ、やはり良人(おっと)を追いかけていくのが、女の生き方で、島で、一人で人生を終わるって何だって。今なら即離婚、再婚もありかな。しかし、西郷ほどの男は見つからないだろうし、やはり、独身か」

「ところで、今日の出品も、ドラマにかかる貴重なお宝だということですが」

「ええ、これは、ロケ地で知事さんを表敬訪問したときに、いただいた貴重なもので、西南戦争って百年以上前の銃弾なんですね」

「へーっ、そんなものがいまだに残っているのですね」

「それを銀でメッキして真ん中にダイヤを埋め込んで、裏に愛加那とイニシャルを掘り込んだんです」

「西南戦争で亡くなった良人、百年の恋人、西郷を偲ぶ逸品という訳ですね」

「そう、形見にして持っていると運がいい、守ってくれると」

 ユカリは、首から銀のペンダントを外して、台上に添えてあるビロードの深紅の上に置いた。中のコンマ七カラットのダイヤが放つ生き物のような光をカメラのアップが見事にとらえた。

「敬天愛人、この言葉のように、サツマの荒ぶる偉人は見かけによらず、いまだに大きく暖かく人々を見守ってくれるんですね」

「ええ、これを知事さんからもらってから仕事が増えてきて、やはり、運がついたんです」

「むかし、銀の銃弾は人体に害を与えないといわれ、正義のシンボルでもあったことがありましたね、さてどのようなオークションの結果がでますか、その前にひとこと鑑定専門の織田甚之助先生にうかがって最初の値段を決めてもらいましょうか」

 司会が正面横の席に座っている坊主頭に口ひげを口はやした貴金属鑑定家の織田を紹介して、バトンを渡す。深紅の袱紗(ふくさ)につつまれたペンダントが、アシスタントの女性により鑑定の織田に運ばれる。彼は、ルーペを取り出し白い手袋をはめて人差し指ほどのペンダントを詳細に覗き込む。

「さーて、織田先生、オークションの値段はいくらでしょうか!」

 司会が声をあげた。

「そうですね。先ず、オリジナルの製品であるということ。それに元になった銃弾にいわれがあり、貴重なものを知事さんからいただいたという価値。それにダイヤや銀の素材の値段……」

 手にとってながめていた織田は、それを胸まで掲げ場内の観客に良く見えるように示した。カメラがそのきらめきを追う。

「それと、これを製作した所ですがね。この弾の後ろの所に、小さくSMS・HAZUKIって掘り込んでありますでしょう。これは、スーパーマテリアル・サービス社っていって、有名な貴金属のデザイン会社なんですよ。ここのデザイナーでハヅキっていう人がデザインしたということですね。これはすごいですよ。このダイヤの微妙な位置がハヅキ氏らしくて、いいデザインですね」

 織田は、感心したように再度、銀弾を見回した。

「ハヅキ氏は、ニューヨークで活躍していて、今はSMSの仕事も手がけているんですが、以前に同社からゴールデンデリシャスという金のペンダントを製作したんですね。ご存知の方もあるかと思いますが、リンゴを四分の三にカットしたデザインのもので、芯のところにダイヤが埋め込んであり、小さいながらゴージャスで高額にも限らず、大ヒットした作品です。金のリンゴに対して今度は銀の弾のペンダント、こういう見方も面白いですね。それに、これを肌身はなさずに着けていた人がユカリさんであると、これはどういう値段にしましょうか。迷う所ですね」

 再度、織田は考え込んでおもむろに口を開いた。

「本来は二百万円ぐらいからオークションを始めたいんですが、ちょっと参加しやすくするために、百五十万円からでどうでしょう」

 カメラが司会に移った。

「分かりました。ではさっそく百五十万円から始めましょう。オークションタイム、スタート!」

 派手な掛け声でオークションが始まった。

「二百!」黄色い声があがった。

「えっつ、二百円ですか。それはちょっと安すぎ。ハハ、二百万円ですね。ではいきなり二百万円です。他には!」

 二百二十万、四十万、二百六十万、値は二十万円単位で飛んでいった。会場が緊張と熱気に包まれる。三百万、三百二十万と三分ほどで倍まであがった。

「三百二十万ですね。後はありませんか」

 司会が、会場を見渡して値を呼び込む。

「三百五十万!」年配の婦人が、立ち上がりオーダーした。

「来ましたね。三百五十万円、ここらへんで落札ですかね」

 会場の熱気が引いて一瞬の沈黙がもどった。

「四百万円」若いブラウス姿の女性が、手を上げてボソッと言った。

「さあ、四百万円の大台に乗りましたね」

四二十万、四百三十万、銀髪のみえる年配の婦人と、白いブラウスの若い女性の二人が残った。と、「四百八十万円」と年配の婦人が、強引に五十万円も吊り上げた。

「四百八十万円、これ以上はありませんか……なさそうですね。では、ご婦人に落札させていただきます」

 司会者が、ユカリに話しかける。

「山吹さん、すごいですね。十分もたたないうちに、三倍の値段がつきましたよ。これからご婦人との受け渡し交渉が始まりますが、この値段でしたらどうですか、手放してもいいように思いますが」

「そうですね。この値段だったら文句なし。だけど、知事さんから大変貴重なものを戴いたんだから、迷うなあ……」

 ユカリは渋面をつくり、首を傾けて考えた。

「そうだ。落札してもらったのに、手放せませんは、おかしいでしょ、これの複製をつくって、記念に無料であげましょう。ダイヤもつけたのを」

 壇上にあがって司会者の隣にいた中年婦人の顔があっと輝いた。そして、信じられないというふうに顔を両手で被い、ユカリに近づくとおじぎして握手を求めた。

「ユカリさんのフアンです、ありがとうございます」

「はあーい、これにて本件は一件落着でーす」

と司会が宣言して、カットの声がかかった。


 ユカリが楽屋に帰ると、高須が現れた。

「いい値段がついた。大成功だ」

「ほんと、金持ちっているもんだね。あっという間に四百八十万円になった」

「本物の最初の見積価格が百五十万円だから、複製の売り出しは百三十万円あたりだろう。いかに原価を抑えるかだけど、それはSMS社さんがうまく考えるだろう」

 高須が、『幸運を呼ぶ銀色のBullet』の複製品を売り出そうという企画を考えたのである。当初は一セットの限定百個で売り出すが、人気がでればセット数を増やす予定である。

「高須さんは、マネージャーであるよりもプロデューサーいやブローカーか」

 ユカリが、面白そうな笑みを浮かべ高須の顔を覗き込む。

「メデイアって面白いだろ。あっという間に物が金に変わる。これもユカリに人気が出たからだ」


 高須は、東北の地方大学の経済学部を卒業して、大手の広告代理店宣伝社に勤めていた。大都会東京の本店企画営業部に配属され、そこで、マスコミとの付き合いが始まった。実直一本やりの地方出は、結構重宝がられて堅実に実績を積み上げていった。二十代後半で同級生の幾代と結婚し、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)であった。

しかし、三十半ばから次第に営業の仕事に行き詰まりを感じだした。若い頃は、少ない小口の広告料を引き受けて実績を積み上げてきたが、十年も経ち歳もいくと世界が広がって見えた。次第に大きな数千万円、億単位の仕事がしたくなってくる。が、新たに大口の顧客を見つけるのは困難至極であった。そんな折、同期入社の豊島が営業一課長に抜擢された。長身でスマートな彼は、高須からみると仕事をしているようには見えなかった。ゴルフにマージャン、銀座に海外旅行と遊びの話しかできない、空中を遊泳している遊び人にみえた。それが、実績においては飛びぬけていた。億単位の仕事をまとめていたのである。いやまとめるというよりも彼は華麗なる人のネットワークを持っていて政財界や業界の情報に精通していた。最高学府といわれる東都大学の経済学部を出た彼は、官僚、金融、商社、通信といった世界に多くの同窓生をもっていて、同窓生が次第に各職場で力を持ちつつあり、それと共にしだい次第に仕事が大きくなっていった。彼らは、将来を見越して学生時代から今に備えたネットワークを形成していたのである。

この現実に挫折を感じ始めて人生の敗北を味わった。自分は、実力はあるはずだと苦悩にあえぎ、毎晩酔っ払って帰り酒乱が加わる。妻の注意に暴力で答える。もはや家庭生活の維持は困難であった。幾代は一つになる長女を引き取って、実家へと去っていった。

次の発令で第二課長にまた同期の一人が昇進したが、彼もシテイボーイで、あたりさわやかな著名私立大学の出身であった。

 高須は元来負けず嫌いの性格であったが、能力にプラスして出自や出身大学の差が歴然としたものであると、認めざるを得なかった。嘆いてばかりでも芸がない。このまま会社に残るか、辞めたとしても郷里に帰るわけにはいかない。二年ほど悩みに悩みぬいた。結果、会社を辞めて独立する道を選んだのである。

辞めるとなると、同期のトップ、営業一課長の豊島は、いろいろと心配してくれてアドバイスもくれた。そういう余裕のあるソツのなさが彼たる所以(ゆえん)であると初めて気づいた。嬉しかった。

 独立にあたって高須は、自分になかったもの、より強力な人脈のネットワークを築き上げることに全力をそそいだ。先ず高校の同窓生のひとり、古河が東北のドンといわれる国会議員の私設秘書となっていた。彼との関係をより強力にするために郷里に度々帰って、居酒屋で頻繁に飲みながら、東京で芸能プロダクションを設立したいと相談した。彼もいずれは政界にという野望をもっており、古河を中心にした同郷の強力な絆が出来上がっていた。更に大学、業界での付き合いを整理しなおして新たに自分を売り込んでいった。

 プロダクションを立ち上げようとした直接のきっかけは、豊島がタレントを持ち込んできたことによる。

「ちょっと個性的な女優志望がいるが、面倒をみてくれないか。自由劇場で自由な生き方をしているアバズレだが、品のあるアバズレだ」

 それが、山吹ユカリであった。


 古河が、ブランデーをロックにして飲んでいる。

「結構な値段になったな。たいしたもんだ」

「オークションというのは、まるで催眠商法のようだ。銀弾ペンダントの価値そのものよりも、せり相手に負けまいと値段が独りでに上がっていく」

 高須がグラスから口を離しつぶやくと、横のソファーに座っている豊島がうなずく。

銀座のクラブ、フォンテーヌの森で、ボックスには、高須、豊島、古河それにSMS社の若手担当社員が集って、彼らの間にキレイどころが甲斐甲斐しく詰めている。

「しかし、ユカリもスターの階段を昇り始めた。思った以上に大成功だ」

「うん、豊島から売りだしてくれと言われた時は、大丈夫かと思ったが、見かけによらずしっかりしたアバズレだった」

「彼女の一見、能天気な明るさと力強さは、強力な武器だ」

 豊島が、オーデションでは落ちたが、ユカリには捨てがたいものがあったと、いきさつを話す。

「複製のレプリカは、売り出し価格としては、百三十万に消費税というところですかね」

今日の接待の幹事であるSMSの社員がつぶやく。

「当初、限定百個という触れ込みだから、一セット百個として結構さばけるのでは、三、四セットはいけるんじゃないか。俺も後援会の支持者に限定分を十だけ分けてもらったといって売り込んでやるよ」

 古河が何気なく言う。議員秘書は、自分で稼がねばならないし、政治の地盤、看板、鞄と言う三種の神器は、何時の世も変わらないという。そして、政治は、膨大な金と時間の浪費産業だと付け加える。

「それなら、なんで古河は政治をめざすのかい」

「そうだな、何となく、そこに政治があるからだ。男の本能か」

「男の本能か、頂点に立ちたいという」

高須が受けると、豊島がつっこんできた。

「卵子を求めて突き進む精子のごとくか」

「わーっ、豊島さんすごいー」

隣についていたホステスが、嬌声をあげる。

「しかし、あのペンダントいいわね。私も欲しいな」

黒のレースをあしらった上衣に黒のパンツスタイルのホステスが、古河に体を傾けてきた。

「あら、いつものおねだりね。そういえば、貴女の指には、また新しいダイヤが光ってるじゃない」

 ノースリーブで濃紺のドレスをまとったホステスが古河越しに、黒レースの指を興味深げに覗く。広げた彼女の両手は、人差し指から小指まで目映いばかりの輝きを放っており、手を動かすだびに照明の反射が目を引く。

「ふふ、だって、これは人気のバロメーターだもの」

 鼻筋のとおった細顔のホステスは、誇らしげにのたまう。

「フォト雑誌、週刊誌、新聞での販売広告は、うちで一手に行うと言うのは、大丈夫だろうな」

「ええ、その件については、間違いありません。売り上げの二割五部を販売促進、コンサル料として、高須さんのタカ・プロダクションに一括しお支払いするということです」

 SMSの社員が、豊島に向って穏やかにいう。

ホステスが、再び話に割り込んできた。

「こんど山吹ユカリさんも店に連れてきてよ。彼女は、親しみがもてて結構人気があるよ」

そのうちにもっと人気が出たらなと、高須は返す。

 濃紺ドレスのホステスは、古河に、いつ仙台にかえるの、送っていこうかなと、ブランデーを造りながら秋波をおくりだした。はいこれが、私の名刺ねと、ホステスが紺えりの白い胸元から取り出した名刺を古河に渡すと、なじみの有り無しに、三人が全員に名刺を渡しだした。

濃紺ドレスの差し出した名詞の左上には、フォンテーヌの森というカリグラフ文字が金色に輝き、右隅に歌川もえと名前があり、中央区銀座七丁目と住所、電話番号があり、白いすべすべした紙は気品の魅惑をたたえている。

「ねえ、豊島さんには、前にもあげたのだから、電話ぐらい頂戴よ」

ホステスそれぞれが、誘いのささやき放ちだした。その合間に、SMSの社員は、ボックスを抜け、そっとカウンターの横に近づいて、出された請求書に素早くサインした。

 翌月になり、「幸運を呼ぶ銀色のBullet」は、大々的に売り出された。テレビでのオークションも再び話題となり人気を博していった。


 初夏に入り、連続ドラマの「児孫のために美田を買わず」は、西郷が自刃する西南の役というクライマックスに差しかかっていた。愛加那の出番は、西郷が政府にもの申すと挙兵したことを伝え聞いて、島から無事を祈るといったもので、すべて収録済みであった。

 高須はドラマの人気が高いうちにと、さらに新たな企画を考えていた。中野の事務所の皮のソファーで、ユカリは高須と打ち合わせをしていた。

「ユカリは、歌も歌えるんだろ」

「歌でやってけないから女優を目差した、と言っただろ」

「いや、歌といっても声楽じゃないから、誰が歌うかということだろ」

「わかるようで、わからない」

「ふふ、ロックをやろうというのさ」

 こともなげに高須は言うが、歌うユカリにしてみれば大変だ。

「ロックは、テンポにシャウトだ。乗りのいいダイナミックなステージ、ユカリにはぴったりだ」

「ふふ、うまいこといって、いつも勝手をいいやがる。すぐその気にさせるんだから」

「いやほんとだ、テンポにリズムだろ。音程は次の次、声量が必要だ。やりたくないか。心が動くだろう」

「ふふ、もう決まってるんでしょ。やるっかないじゃん」

 高須は、机の中からレジメをもってきて、ソファーに座るユカリに示した。ロックデビユー企画という題のついたペーパーには、A面「てんがらロック」、B面「ユカリのよか二才どん」という二曲を吹き込んだシングルを出して、歌謡界へデビューする計画が記されていた。

「ロックは、ロックンロールを縮めたもので、もともとは、アメリカ黒人のスラングで、セックスを意味していたんだ。どうだ、ユカリにぴったりだろう」

「馬鹿、けんかを売る気!」

「デビューは、夏に熊本で火の国フェスタというロックの野外フェスイバルが開催される。そこで、沖縄のサンシン(三線)を持ってステージを暴れまわる。どう、やる気になるだろう」

「ふふ、面白そうね。他のアーテストも来る?」

「うん、今、旬のフリーズとか、デーモン魔王、ロックの魂を火の国に集めたいと主催者が言っている」

「ワー、フリーズもデーモン魔王も来るの。断然やるわよ」

 ユカリが、企画書のページをめくると、

「わあーステキ、これ何」と目を輝かせた。衣装のデザインが二つ用紙の上下いっぱいに記されていた。二つとも振袖の裾を短く切って、太ももが半分見えるようなデザインで、着物ドレスのようなものである。上のイラストは、沖縄衣装特有の黄色をベースにして菊水の柄となっており、下は、見方によって赤、青に化ける島紬の地味派手なものである。

「この短い着物で、ピンクの網タイツと、紺色のパンストで決めるのね。ヘア飾りは小さ目がいいわ」

 企画書をみつめると、意欲が湧いてきた。

「しかし、素足や太ももまでのストッキングもありかも。てっぽう弾のペンダントだけど、銀クサリを帯にして平べったくね、短くして。その方が胸にぴったりして激しく動きやすいよ」

 やはり、女は装うものについては身が入ってくる。

「ユカリは、サンシンをひけるのかい」

「触ったぐらいはあるけど、演奏するまではないよ」

「じゃ、デビューまで特訓が必要だな」

 沖縄から師匠が上京して、夏をめざして三線の特訓が始まった。


        3

          

 阿蘇山は九州のへそにあたる。

 火の山を中心にして、なだらかな裾野が広大にひろがり、行き着いたところを外輪山が連なってよう壁を築いている。うっすらと煙の上る火の山を取り囲んで讃えているかのようである。

その南側の裾野の一画が広い草原となっており、そこに日本最大といわれる野外ステージが火の山をバックにして設けられている。雑草の生い茂るスロープの先に二百メートルあろうかという大ステージが横たわっており、その真ん中には、方形のジュラルミンの塔が組まれている。

優に五万人は集える広さである。ここで八月最後の土曜日に、全国からフアンが集まり夜を徹して早朝までロックで酔いしれるイベントが開催される。そして阿蘇がロック伝説の地になるのである。

 ペケペケペンペン、ユカリには三線の音が、このように聞こえる。部屋のベッドのそばに置いて、めざめと同時に軽く流す、携帯用のケースにいれて仕事にも持ち歩く、そして寝るときにCDを聞きながら調子をあわす。来週は師匠からまた四度目の手ほどきをうける。

 ペケペケペンからテケテケテン、そして、ビヤーンビヤーンと調律を加え高いコードにも慣れてきた。曲が「てんがらロック」なのでエイトビートになれるまで、バチを限りなく素早く動かさねばならない。デビューまであと一月を切った。緊張のうえに一段と熱が入っていく。


 当日になった。ステージから刈り込んだ野原に、午後二時過ぎから夕刻の開演を目指して、続々と人が集ってくるのが見えた。あいにく空は曇天で、夜半にかけて一時小雨とのことである。しかし、七万枚の前売り券を発売した主催者は、天気など意に介せず、予定通り決行としか考えなかった。

 ジュラルミンの塔が、ステージの両脇をはじめ、野外にも四箇所組まれて、黒い金属色の照明が幾つも取り付けられている。中央には巨大なスクリーンと特大のスピーカが物々しく出番を待っている。

ステージのうしろにプレハブの楽屋がつくられて、十三組のミュージシャンにそれぞれ割り当てられて、ユカリたちもその一部屋に昨夜入った。リハーサルのためである。

デビユーの舞台にしては、阿蘇は大きすぎる感じだ。ユカリのソロで観客を圧倒できるのか、フリーズにしろ、デーモン魔王にしろ出演者は皆バンドロックであり、エレキギターにキーボード、ドラムなどにメインのボーカルをいれると五、六人のグループとなる。そこでユカリも急きょ、バックダンスを入れることにした。沖縄の音楽スクールから、ダンサー志望の五人の若い男性が選ばれた。彼らがユカリを取り囲むように大きく展開し、リズムに合わせて激しいダンスを披露する。皆身長も百七十五センチ以上あり、日に焼けた顔は精悍である。野獣の中を蝶が、ワイルドに舞いシャウトする。どうにか、演出の形が整ってリハーサルまでこぎつけた。

「壮大な草原だから、広さに負けないように暴れろよ」

 アートデイレクターらとリハーサルを見ていた高須は、ユカリに励ましの声をかけた。

「うん、男どももいるし、飛び回るのは面白いよ」

 全身に汗を吹き出しながら、彼女は屈託がなかった。高須は、ユカリはいざ本番となると、乗っていくタイプだなと改めて感心した。


 六時になり外輪山の上に日が傾き始めた。七万人もの若者で埋まり、ごったがえしていた草原に突如としてエレキとドラムの音が鳴り響いた。オープニングが始まったのである。

「いくぜー!」ボーカルの絶叫が、人垣に吸い込まれるように放たれて、ガンガンと人の高さほどもあるスピーカが震えだし、パワー全開でがなり出した。ビャーン、ギターの人工音が増幅されて向こうの山まで届けと吠え出した。ドン、ドン、耳をつんざく騒音。ソフィストという売出しはじめた五人の人気バンドが、ビートをきかして七万人にこれでもかとパワーを送り出す。「ゴー、ゴー、エブリボデイ!!」合間に、歌い手がメセージを挟み込む。「オッケー、ゴー、ゴー!!」

若者も一体となって、思い思いに叫びウエーブが巻き起こる。

十分ほどの長い演奏が終わると、ソロを奏でながら次のグループが出てくる。ありったけのエネルギーを放出するかのように、また極限の演奏がはじまり、辺りは暮れてサーチライトが走り出す。

 若者のみなぎる獣性を音とリズムで開放するのがロックなのだ。演奏者が、野外の若者と一体になって、天高く世界のはてまでトリップする。すさまじい音と人の熱気に、演奏を待っているユカリに震えが走った。この火の玉ステージに自分の歌が対抗できるのか、弾きとばされずに、この迫力に対抗できるのか。一瞬、胸の銀弾を右手でつかみユカリは祈った。アバズレはアバズレよ、なるようにしかならない。

 三組ほど激しく燃えた後に出番となった。

照明の消えた舞台に時間とともにぽっと投げ出された。

 三線を抱え、暗闇の中を舞台中央へと進み出る。三線は、メロデイでも音階でもない沖縄の心意気で弾く!

ペケペケペンペン 闇の中に静かな響きが流れ出す。だんだんと強なり、早くなる。ペ、ペ、ぺ、ぺン。スポットライトが、黄色に赤字の菊水模様の短い着物姿を浮かび上がらせる。素の両足が白く輝く。

いくよ! ベンベンベンベン、てんがら、てんがら、ベン、てんがらもーん!

 アメ・エーガ・フール・フル、ジン・バーガ・ヌー・レール、ベンベンベンベン、

コース・ト・コーサ・レヌ、タ・バル・ザー・カ、てんがら てんがら ベンベンベンベン

 まさしくリズムを付けたシャウトであった。一息歌うと、ドンドンドンドンと五人のバックダンスが、タップよろしくエイトビートで舞台を踏み鳴らす。ユカリは激しく舞台をかけまわり三線をたたく。

「音をひらって! もっと」舞台前の集音マイクに言葉を投げる。「ボリュームをもっと!最大に!」前に出て三線を野外いっぱいに増幅させる。スクリーンいっぱいに羽ばたくユカリがいる。

 ベンベンベンベーン!!、ダンダンダンダーン、少し乗ってきた。

てんがら てんがら メ・テー・ニ・イ、 チ・ガ・タ・ナ、 ユ・ン・デー・ニ、タ・ア・ズ・ナー、てんがらもーん てんがらもーん ベンベンベンベン

 耳には轟音しか聞こえない。さすがに息が上がってきた。最後の力を絞りだす。

ダンダンダンダーン!!

ユカリのリズムにあわせて、野外に手拍子のウエーブが見える。

てーんがーらーもん! ダンダンダンダーン! ベベベンベン

終わった。両手を挙げると、全身から甘い汗が匂い立ってきた。


「うーん、やっちゃった。カイカンだあ!」

 五人の男どもと舞台後方の楽屋に引返すと、汗びっしょりで、ひざもかすかに震えている。バックの五人ともども椅子にかけてしばし放心した。

「サンシンもけっこう効くんっすね。ビンビン来ちゃった」

リーダーのヒデがバスタオルを取り出しながら言った。バックダンスは、うすいピンクのシャツ、ブルーの袖なしのチョッキにぴったりしたパンツをはき、半長靴をはき、床を激しく踏み鳴らした。渾身の踊りで、みな満足し、上気した顔を見せている。

「ミキシングが最高だった。あの増幅音で、若者をとりこにできた」

「ノックアウト、ウーン、ダイナマイト!」

手に手にタオルやペットボトルを持ち盛り上がっている。

高須がゆっくりとプレハブに入ってきた。

「結構面白かったぞ。スクリーンも絵になった。ホットになるのは若さの特権だ」

ブルーの薄いシャツの高須は、いつも短くクールに言う。

「あと一曲、デビューだから思いっきりやってくれ」

ユカリとヒデらを見回して、言い残すと出て行った。

次の曲までは時間がある。

「一気に突っ走りたいすよ」

「そう、ハイなうちにね」

ユカリもそう思った。楽屋でクールダウンすると、次の曲に乗るためには、立ち上げに膨大なエネルギーがいる。

「一杯やりたいですよ」

「なんか、こう、ぱーっとやりたい気分んー」

「クスリやる奴の気持ちわかるよー」

汗をふきふき、それぞれに高揚した若さをはきだして行く。

「汗で濡れたし、上を脱いじゃおうか」ユカリが言う。

「わおっ、マジー、すごいっス」期待のどよめきが起きる。

ユカリが帯を解き黄色の着物をゆっくりと脱ぎだした。下から、白いビキニの水着があらわれた。

「ナイッス、バデイ!」男どもが騒ぎ出す。

「水着は脱がないの、マジ見たいっすよ」とさらにあおる。

「ふふっ、次を歌い終わって、打ち上げのときは、全部脱いじゃおうか。ご開帳なあーんて」

「うん、絶対だよ」

「マジ興奮するゼ」と、男どもがギラギラしてきた。

 第一部が終わると第二部は零時からはじまる予定である。次の出番は午前一時すぎであり、まだ四時間以上もあった。ヒデたちは、そろいの黒いTシャツとジーンズに着替え、演奏を見にいくという。ユカリは、仕切られた自分の間にある折りたたみデッキを倒してしばらく仮眠をとることにした。

背中に溜まる汗で目を覚ましたときには、ぱらぱらと雨が降り出していた。トタンの屋根を雨音がリズムをかなで、ジャンジャンと響いてくる音をばらしていく。かけていたバスタオルを取って起き上がると、ざーっと雨音が強くなり、大降りかと思うとさーっと引いていった。頭が次第に鮮明になってきたが、パーフォマーとして芯は眠っていなかった。長机に乗っている三線を引き寄せると手でつま弾いてみた。ビャン、軽やかな音をだして弦がささやいた。よしっ、ユカリは、水牛の角で作った爪をつけて、ビャビャン、ビャビャンと弾きだした。いい音色だ、振動が染み渡り一気に生気が満ちてきた。次のステージを走る気力はまだまだある。アバズレはまだまだ元気だ、若さが後押ししてくれる。

壁で囲まれた中で、一人でのパーフォマンスが始まる。白いビキニをつけた蝶が舞いだした。ビーーン、ビーーン、深夜になると感性が研ぎ澄まされて増幅し、ますます鋭くなる。結い上げた髪からいく筋か髪がこぼれ、汗が額と胸元に吹き出すと、気分が浮き上がってくる。

「後、一時間で出番だよ」

アルミサッシの戸が開いて、ヒデたちが、ぞろぞろと帰ってきた。急に部屋が慌ただしくなる。メイクさんを呼び、タオルを肩にかけたビキニのまま鏡台の前に座り、髪をセットし直してもらい、額や首、胸に浮いた汗をふき取ってもらうと、さわやかさが帰ってきた。ハンガーにかけてあった新たな島紬のミニ着物をとると袖を通した。さらっとした感触が心地よくスタンバイである。

ヒデたち五人もそれぞれ白銀のコスチュームを着けて小刻みにリズムをとっている。

三十分ほど前になり、高須が、顔を出した。ユカリはじめ皆を見回すと、「がんばれよ」と、うなずいたように出て行った。


ユカリ・ヤマブキー! シャウトの声に、暗闇をぬって舞台に躍り出たときは、小雨がぱらついていた。ライトに霧雨が浮き上がり幻想的であった。

若者の熱気を冷まそうかという雨の演出に、しっとり感にチエンジしたほうが合うとユカリの感性がささやいた。バックにスローで入るよと、言う。

いま~きた~にせどん~よか~にせどん

テンポをつくりつつ、ゆっくりとリズムにのる。

そいやさ~そいやさ~、バックの囃子(はやし)も覆いかぶさってくる。

そだん~かけたら~はちこそな~にせ~どん

ベベベン、ベベベン、ベベベン、ベ~ン、三線も集音マイクにのっていく。

漆黒の空間に、傘やヤッケのウエーブが静かに起きてくる。

あめも~ふるのに~即興で、ふらぬのにを、ふるのにと変えた。やるよ、後ろをちらと振り返ると、着物の裾に右手を通しもろ肌ぬいだ。白い水着のブラがでる。前列で歓声があがったが、聞き取れなかった。

よし、アップテンポ! ダンダン、ダンダン、リズムが速くなり乗ってきた。ベンベン、ベンベン、ビキニのブラを誇示するように胸をつかってスイングしながら三線を連打する。

よかにせ、どんどん、ハッ、よかにせ、どんどん、ハッツ、そい、そい、そい、やさっ!

ステージの巨大なスクリーンに、ユカリのアップが映り、白いビキニの胸にネックレスが光りを放ち揺れる。

 ベベべーン、ベン、演奏が終わった。手を振り、投げキスをしながら舞台を降りた。


 プレハブの楽屋に帰り、ユカリは、結い上げていた頭をばらした。着物を脱ぎバスタオルで雨と汗でぬれた体をふくと、水着の上に白いTシャツを羽織り、ブルーのジーンズをはいた。三線を携帯ケースにいれると、あとはすることもなかった。しばらく放心していると、高須が顔を出した。

「ご苦労さん、マイクロで、ホテルまで送る。ゆっくりと休んでくれ。」

 会場の熱気を味わいたかったが、シャワーを浴びて一息つきたい気持ちがそれに勝った。夜陰にまぎれて、ユカリ、ヒデのグループ、高須も一緒に阿蘇高原ホテルへマイクロで帰った。

 自分の部屋に帰るとユカリは早速、バスタブにお湯を入れた。湯が溜まるまで、ベッドに寝転んで深夜番組を眺めていた。湯の音が、変わってくると、よいしょと声をかけて、Tシャツを脱ぎジーンズを緩めて脱ぎ落すと、バスタブに飛び込んだ。水着もネックレスも付けたままである。バスタブに横たわり暑い湯に手足を存分に伸ばすと、全身が喜びに震えてくる。やったんだ、やったぞと歓喜が満ちてくる。そっと、胸のネックレスをつかみ、目を閉じるのが習慣になっていた。しばらくの瞑想が終わるとゆっくりと湯を出てバスタブの横に立ち上がり、ビキニを脱ぎだした。ビキニを下に置き、二十三歳の姿態を鏡に映すと、鏡にはネックレスをつけた女神がみえた。短い髪にほどよく丸みを帯びてボリュウームのある体は、アバズレではなく今やスターであった。

 ローブをまとい浴槽を出ると、鏡を前にして髪を乾かした。短めの黒髪を手ですきながらドライヤーをあてて、メッシュを入れようかと考える。それでまた、違う自分に変身でき、次々と生まれ変わっていける。

 ルルルー、ルルルーと、内線電話が鳴りだした。ゆっくりと受話器を取るとヒデからで、打ち上げをしてるから部屋に出てきて欲しいという。ヒデの声は、もう酔っていた。

「わかったわ」といって受話器を置いたが、腹が減っているのと眠りたいのが同時に襲ってきた。期待と面倒くささとが交錯してヒデの部屋にいくと、宴たけなわであった。ヒデ、タケ、イクオ、フユキ、シンジ、五人の若者が、ワオーと歓声の雄叫びを上げた。シャンペンが抜かれて、グラスに継がれ五つのグラスと合わして一気飲みになる。腹まで染み渡る感触に酔いが走り出した。

「あそこの、スッテプでどじっちゃったス」

「バカお前、滑ったのかとおもったゾ」

「後ろから、ユカリさんに見とれてしまったっス」

みな一つ二つ、ユカリよりは若い。エネルギーの塊に思えた。

「この腰振り、セクシーでしょう」

Tシャツにジーパンのユカリがステージを再現して見せると、ヒデが、泡盛のロックを差し出す。サラミを頬張り、一気にのどに流し込む。

「ああっ、けっこういけるんっすネ」

一番若いシンジが甲高い声を上げてお代わりを作る。若い男どもに囲まれると、女王様にもなれる。熱気と体が呼び合い突き上げる情熱がある。やはりアバズレだ。

「熱くなった、シャツを脱ごうか」

フユキがTシャツを脱いで、締まった上半身をあらわにした。俺も、俺もと次々にシャツを脱ぎだし、焼けた上半身をさらす。裸の群れが、ユカリさんにカンパーイとグラスを合わす。ユカリも乗ってきた。

「じゃあ、わたしの番だね」

特注の白いTシャツには、YUKARIと紫で入れてある。

「それー、ご開帳」シャツを豪快に脱ぎ捨てると、胸元にネックレスとピンクのブラジャーの盛り上がりが現れた。

「ワオー、セクシーダイナマイト!」

嬌声が飛び交い、若さのパーテイーは暴発してとどまるところを知らなかった。


 ユカリの阿蘇・火の国フェスタでのライブは、シングルのDVDとして発売された。画面いっぱいに広がるユカリのエネルギーは、見る音楽として好調な売れ行きを見せた。そして、もろ肌をぬいた白いビキニの胸の間から光る銀のネックレスは注目を引いた。『幸運を呼ぶ銀色のBullet』は、ユカリをシンデレラにした秘密として、さらに売り上げが伸びていった。スケジュールがタイトになり、専属の女性の付人も付くようになった。アイドル歌手ほどの爆発的な人気はなかったが、民謡ロックの女王というのが、ユカリの代名詞となり、次のレコードの企画が持ち込まれるようになった。

女優としての映画の話も持ち込まれてきた。「バーンアウト・ブラック」という若手女流作家のベストセラー作品の映画化であった。しかし、内容は、ベトナム帰りの黒人米兵と若い日本女性が立川基地で知り合い、片言の日本語を通じて互いの肉体に燃えるというストーリーで、ドラッグにソウルミュージックという時代を背景にした、いわばセックスを賛美するものであった。高須からこの話を聞いた時には、ユカリもさすがにためらった。この新しい題材を演じきる女優はユカリしかいないと言われても、はい、そうですかとは言えなかった。アバズレ役かよと。

映画会社から、これは文学作品で芸術作品ですよ。作者が、ユカリさんを指名しており、これを演じれば大ヒットして、ユカリさんも歴史に残る大女優になれますよという誘い文句も聞き流した。

秋も深まった空の抜けるようないい天気であった。午前十時過ぎに、ユカリは、付き人といっしょに放送局へ出向く車の座席にもたれていた。携帯のてんがらもんロックが鳴り出し着信を知らせた。  

高須からであった。午前の電話は仕事に関するものが常である。また、「バーンアウト・ブラック」の話だろうと、しつこさにいささか憂鬱になった。

携帯をオンにして、先にユカリは口火をきった。

「主演すれば、また、もとのアバズレにもどっちまう」

せっかくシンデレラに一歩近づいたのに、汚れ役への転落に思えた。

「……」高須は、しばらくは無言であった。

「新人女優で、体を張ってでも有名になりたい子は、いくらでもいるだろ、若いピチピチしたのがさ」

んん、なぜか、高須はキレが悪かった。

そして、やおら切り出した。

「ユカリ、俺のところから移籍してくれないか」

ええっ、と一瞬つまった。内容が突然すぎる。

「なんでだよ、急に。映画を断るからか」

「いや、どうしてもユカリが欲しいっていうプロダクションが現れて……」

「わけわかんないや、返事しようもない」

「うん、そうだろな。今度ゆっくり話すから、考えてくれ」

 いつものように高須は用件のみを話すと、携帯を切った。

 映画に出ない腹いせかよー、ユカリは、悔しさに怒りが込み上げてきた。


三日後、ユカリは中野の事務所のソファーで、高須と二人だけで向き合っていた。

「出るよ、バーンアウトに出りゃいいんだろ」覚悟を決めていた。

「違う。そういうことじゃないんだ。相手さんがどうしてもユカリを欲しいっていうんだ」

「そんなに簡単に身売り出来るのかよー、金だろ」

「まあな、義理も絡んでる。話を持ってきたのは、宣伝社の豊島課長だ。彼も大手の某プロダクションから頼まれたのだが、部長の椅子もかかっているし断れないのだ」

「そんなの勝手な言い分だよ。投げ売りされる身にもなってみな」

 ユカリにも女として肌で感じるものがある。落ち着いた高須に見知れぬ父を重ねていた。親しんだ分離れがたかった。

「ユカリの後は、サニーって子を売り出す予定だ」

「計画はできすぎてるんだ」

「まあ、そういうことだ。零細な小プロはつらいところだよ。ユカリには稼いでもらった。いや稼ぎすぎたからこの話になったんだ」

 淡々と述べる高須にいいようのない怒りを覚える。肝心の移籍先のプロダクションは大手で、あの三条志穂も所属していた。志穂との話題を盛り上げ、お互いをライバルとして競わせて、人気の二枚看板にしたいということらしい。

「わかったよ」もうこれ以上耐えられそうになかった。裏切られたのだという思いがわく。静かにソファーを立った。

事務所のドアをでると、目じりに涙がにじんできた。


          4


 ユカリは割にすんなりと移籍を承諾した。

ただ映画の話だけはなかなか首を振らずに、うやむやになった。が、快活なユカリは、依然、女優兼歌手としてマスコミのスポットライトがあたっている。

 高須は、新たにサニーという二十歳の女の子の売り込みに、没頭していったが、ユカリほどすんなりとは行かなかった。いい子でありすぎたのだ。ユカリにあった毒という個性が見えなかったし、女優は商品であるといっても肝心の商品にほれ込まねば売りにくかった。半年かけてテレビ、映画、劇団、雑誌、マスコミとまわったが、売り込みに行っても印象が薄かった。端役一つ声がかからなかった。

 右往左往している中、宣伝社の営業部長に昇進した豊島から久しぶりに飲みの誘いがあった。

冬の夜の銀座はしっとりしてまた格別だった。午後十時過ぎに、高須は待ち合わせのフォンテーヌの森のドアを開けた。シャンデリアの照らす奥のボックスに豊島はホステス二人をはべらせているのが見えた。歩み寄り、うなづきながら横に座った。

「どうだ、サニーは」

「難しいとしか言いようがない」熱いお手拭で顔をふいた。

「かもな、できる限りの応援はするよ」

もえがブランデーのロックを作って渡してくれた。グラスを受け取り軽く豊島のグラスと合わした。

「ところで、新しい企画が来ている。例のSMS社だが、次のペンダントを売り出したいとのことだ」

「そのことか。あれは結構売れたからな。次というのは?」

高須は一息にツウフィンガーほどのブランデーを飲み干した。

「かちあい弾というのがあるんだろ。西南戦争で敵味方から打ち出されたお互いの弾が空中で激突してくっついて一つになったという。数も少なく珍しいもんだ。それを装飾して『ランデブー弾』、バレット・ペンダント第二弾として売り出す。運命の出会い、二人は結ばれて永遠に離れないというキャッチコピーで売り出す」

 高須は、テーブルのフルーツ盛り合わせの中から、マンゴーを一つとりあげて口に入れた。

「アイデアは、悪くないが、なんとなく気が進まないな」

「ユカリのことが、まだ尾を引いているのか」

「ああ、ユカリとペンダントが、俺から運を持ち去った気がするんだ」

「あれは成りゆきだからな。しょうがないよ。新たなペンダントでまた、運が返り咲くさ」

 高須は、豊島からユカリの移籍料として三千万円を受け取っていた。銀の銃弾のようにユカリも商品であったのだが、商品にも価値の高いものがあり、見えない付加価値も持っていた。ユカリが去って、なんとなく運勢が下りだしたのでないかと感じ出した。さらに今まで上を見あげて燃えてきたものが、なくなりつつあった。受け取った三千万円にしても、それ以上に豊島は手にしているのだろう。

豊島がピースを一本取りだすと、かいがいしく、もえが火をつける。

「いや、今、俺は低迷している。こんな時の決断は危うい。しばらく様子を見させてくれ」

「それならそれでいいさ。ただ、サツマのかちあい弾を入手する筋は教えてほしい」

「それは協力する。あとは降りるよ。申し訳ないな」

ユカリを見つけてきたのは豊島だった。それを彼らの協力を得て一心不乱にスターに押し上げたのは俺だったのだが……。

ユカリを育てスターに押し立てるのは、高須自身が世に出るという見果てぬ夢を彼女に投影していたのだ。もう一息というところで夢を破られて、頭では割り切れても心の隅でわだかまっている。

豊島としばらく、たわいのない話をして、頃合いをみてフォンテーヌの森を出た。

階段を下りながら、弱小プロの悲哀がかぶってくる。豊島もポストを得るためで多少は目をつぶれ、それがお互いの利益だということだろう。また儲けて、いくらか埋め返そうというのだろうが、俺には、わだかまりが澱(おり)となって残った。豊島には尻尾を振らざるをえなかったのだ……そうとしか考えたくなかった。去った魚が大きすぎた。


 その後もサニーは、なかなか役が付かなかったので、芸能界の餌食にされ潰れないうちにと、劇団に新人として引き取ってもらった。さらに半年、これという素材に巡り合えずに、考えあぐね迷った。

深酒が続き酔っぱらっても眠れぬ自暴自棄の日々が続いた。仕事の張りが無く、娘を嫁に出した親の気持ちかとユカリを想う日が酒とともに続いていく。クラブをはしごして、もえにも結構つぎ込んだ。憂さ晴らしで、今までの儲けが日に日に十数万円単位で消えていった。妻子もユカリも皆、遠ざかって行く。この寂しさは……見放されたのだと思わざるを得なかった。事務員と運転手にそれぞれ退職金として二百万円支払い解雇した。電話ででもユカリの声を聞きたかったが、みじめであった。プロダクションは、自然と開店休業となって行った。

ユカリは、「私とランデブー」というキャッチコピーで『ランデブー弾』の広告の前面に登場してきた。販売個数を前回の十分の一に限定したペンダントは二番煎じにしては人気が良かった。紙面で見るユカリは、ボリュームがあり相変わらずに元気であった。

借金を清算し、そして、プロダクションを完全に閉鎖して、手に三千万円が残った。これだで、なんとか再起せねばならぬ。浮き沈みの少ない手堅い事業に焦点を絞っていくつもりであった。


三か月ほど模索を重ねて何とか事業のめどがたった。

新鮮な魚介類や牛肉、豚肉を産地から直送による居酒屋を始めようと決めたのだ。ちょうど神田のビル街の地下に空き店舗が出たのである。権利金や内装の費用に二千万円、運転資金に一千万円を見込んで、ぎりぎりの再出発である。十月からの繁忙期を見込んで開店とし、人も板前を二人、仲居を合わせて五人ほど雇わねばならぬ。食材の入手先の確保、食品衛生法の届け出など、できるものは高須一人で片づけねばならぬ。やっと張りのある日々に戻りつつあった。

毎朝、新聞に三十分ほど目を通し、ことに芸能欄は詳しく読む習慣は続いていた。九月の末に、新聞広告でユカリのスキャンダルがすっぱ抜かれたのを知った。

週刊フォトグラフには、「ユカリ毎夜のご乱交!」の見出しで、バックダンスのシンジ、ヒデ、タケらとマンションから出てくる様を写されていた。見開きのページにマンションの出口で特に仲睦まじくしているのは、ユカリとシンジだった。ユカリのやりそうなことだ。けっこういい話題にされるなと思った。場合によっては人気が急落する。もうアバズレはいい加減卒業しろよと、苦々しく思った。やはり、ひとこと言っておきたい。パソコンの前に座ると、キーボードをうった。

ーー恋愛は自由だ! 応援します! ユカリ命ーー

と、十八ポイントの大文字で打つと、差出人も一フアンと記して、プロダクション気付とした。簡易郵便局の窓口までいくと、一体何をしているんだと、自己嫌悪がおそってきて、結局は出せなかった。 

人気の波は訳の判らないもんだ。絶頂で有頂天のときに急激に反転する。あとはどんなに努力をしても、どうしようもなくどん底へ落ち込んでいく。それが運命であったように、絶頂期が高いほど奈落への落ちこみも激しい。移籍が、ターニングポイントにならねばいいが。輝くスターは夢を壊し、いかがわしい匂いがしてはいけないのだ。


 新たに居酒屋の開店を目指す仕事は、忙しくて楽しかった。今度は自由度が高く、それだけに責任が自分ひとりにのしかかってくる。

屋号をどうするかは重要な問題であった。過去を引きずるような名称がいいのか、はたまた生まれ変わった名前にするのか。書いては消し、消しては書いてするが、なかなか決まらなかった。オープンの日は、十月十一日の金曜に決まっている。逆算すると、今週いっぱいで決めねば看板やパンフレットの印刷に支障をきたす。

 屋号を決めあぐねているさなか、また、ニュースが飛び込んできた。女性週刊誌が、今年の公共放送の「年末歌納め」の出演に昨年からのロングセラーとして、てんがらロックも候補に上がっているとの記事を出した。ユカリを売り出し押し上げた、在りし日の努力が思われて、うれしい記事であった。頑張っているな、こちらも、それなりに頑張っているぞと。すると屋号もこんなところかと、すんなり決まった。

 開店セレモニーの招待状も急がれるものであり、屋号を招待状の和紙に刷り込むと、意を決してユカリにも発送した。

 十月になった。

オープンの日を十日ほど後に向え大詰めに入っていた。

そんな時に、また、ユカリの記事がでた。

週刊パロデイという社会風刺やパロデイを掲載して、笑い飛ばすという根強い人気雑誌があった。その見開きの二ページにわたって、ユカリのてんがらロックのパロデイ・イラストが堂々と掲載されたのである。

「右手に血刀、弓手にたずな~」との文句に引っ掛けて、この元歌は、「右手に血刀、弓手に生首~」であったと暴露するものであった。

ユカリが、阿蘇ロック・フェスタでの着物をまとい、右手に血刀を持ち、左手には、血の滴る鶏の生首を掲げている。首のない鶏が足元をトコトコと走り回っている。ユカリの形相も口裂け女よろしく醜悪なもので、見るものを一瞬にしてグロテスクな世界に誘うものであった。

 これはひどい、名誉棄損に十分ではないか。悪意にみちた記事を眺めて高須はマネージャーは何をやっていたと憤った。が、じたんだを踏んだところで、どうしようもなかった。自分から動くこともできず、ユカリの精神が破綻しないことをひたすら願い、悶々としつつも開店への忙しい日々を送らざるを得なかった。

 女優飛び降り自殺か! ドキットするニュースがテレビから飛び込んできた。まさかと、テレビに釘付けになった。が、幸いお隣の韓国での出来事であった。ヒヤリとした思いがしばらくは抜けなかった。

「年末歌納め」に、ユカリは漏れたとの報道が伝わってきた。

 

 開店の当日になった。ビルの階段を地下へ下ったところに店の門口があり、板前さん二人とともに門に立ち来客を迎えた。六時前に、秘書の古河が片手を軽く挙げて現れ、ついで豊島部長とフォンテーヌの森のもえが、花輪を持って現れた。あと厨房設備会社の担当、内装会社担当、食品卸の担当等と次々に訪れて賑やかになった。

 六時からオープンセレモニーで、来賓のあいさつをいただいて、テープカットを行い看板の白布を取り去り屋号を正式にお披露目する段取りである。セレモニーの時間がじりじりと近づいてくる。と、丸顔の黒縁メガネをかけた濃紺の背広を着たおじさんが、階段を下りてきた。後ろには人を従えている。

「ああっ、ありがとうございます」

高須は、背広のおじさんに最敬礼した。胸には、国会議員のバッジが光っている。それは、二年前にサツマでロケをおこなった際、貴重な銃弾をもらったドラ猫知事であった。二期八年、知事を勤めた彼は、昨年、参議院議員に転身して当選、参議院の議員となった。高須は以後も挨拶を欠かさず、知事の後援会に参加し、参議院選挙も応援してパイプを持ち続けていたのだった。

「よすごわしたなあ」彼は、あいも変わらず方言丸出しである。

「サツマの食材を宣伝しったもんせば、あいがてこっごわす」

 んん、高須はなつかしく理解した。

「黒豚、黒牛、そいに焼酎もごわんせば。魚も生きがよかどが」

「はい、ご助力まことにありがとうございます」

 また、深々と頭を下げた。

主賓登来で、さっそく来賓の祝辞が始まった。

「高須しえんぱい(先輩)とは、『児孫のために美田を買わず』のロケの時にはじめてお目にかかったたっどん、そんとき熱心の余り、いや別嬪しゃんもおったもんで、西南戦争の際の銃弾―てっぽうの弾をあげもしたと。そいを商品化して大分儲けたチ話じゃっどん。私も、一つ、いただっもしたが、先人の想いがちっとでん今の世に生きれば、望外の喜びとすっとこいごあんそ。また、こんだ、こげなサツマの食材を提供する直営店をはじめっせえ、、儲けられるっちゅうこっじゃっが、サツマん宣伝をばしていただくことはまこて、あいがともしゃげもす。ぜひ頑張っせえ、きばったもんせ。私も応援せんならチおもちょっで……」

 まばらな拍手があがった。さすが議員で、全てが分からなくも、ありがたい言葉だと、高須は真摯に受け取り深々と頭を下げた。

「では、テープカットに移ります」

と司会が述べたところに、上の方から声が響いてきた。

「ああつ、なんとか間に合ったあ」

静寂を破る声とともに入り口から現れたのはユカリであった。明るいライトグレーのハーフコートの下はピンクのTシャツにジーンズであった。明け広げられた胸にはネックレスが光っている。その後にはシンジが見えた。

 高須は、「ちょっと失礼します」と議員に頭を下げて、ユカリを迎え、「よく来てくれた。こっち、こっち」といってテープの前まで案内した。そして、彼女に大判のハサミを渡した。

では、カットをお願いしますとの、司会の声でテープが切られ、拍手が渦巻いた。次に入り口の横にある看板の白布が議員とユカリの手で取り払われると、下から大判の屋久杉に掘られた「居酒屋 銀色酒舗」の堂々とした文字が現れた。

 セレモニーが終わると、豊島部長の乾杯でパーティーが始まった。

白いクロスのテーブルには、カトレアがアレンジされて、周りに鯛の姿造り、サザエのつぼ焼き、黒豚、黒牛の生ハムなどが盛ってあった。

 木の香りのする格子戸、和室にポトスなどの観葉植物の鉢がふんだんにある室内は、緑漂う和風居酒屋であった。

 ドラ猫議員や豊島、ゆかりを中心に、歓談の輪があちこちできていた。

ユカリが、輪の中の人々に挨拶を残して、高須の方へ向ってきた。高須と目をあわすと、なだれ込むように抱きついてきた。ビールのグラスを横のテーブルに置いて、軽くハグした。さらに両手で軽くパンパンとユカリの肩をたたいてやった。

「高須さん、会いたかった。電話もくれないんだもん」

 ユカリが、くぐもった声をだす。

「高須さん……また、アバズレにもどるよ……」

鼻声になり、途切れがちな言葉がユカリからこぼれてきた。

 そうか、と思ったが何も言えなかった。シンジが、人垣をぬって追ってきていた。

「スターへと昇ったけど……高須さんと離れて、分かってくれて甘えられる大人もいない。人気が上がればあがるほど、てっぺんに立たされて怖くなったの。マスコミが怖い、ファンの目線が怖い、東京(とかい)が怖い……今ならまだ元にもどれる。もどれる時にもどりたい。転げ落ちるまえに」

 ユカリの目が潤んでいる。

「そうか……それでいいんじゃないか」

こみ上げるものを抑えて、高須はかろうじてつぶやいた。辛い思いをしているのだろう。

 それだけいうと、ユカリは、うなづきながら泣き笑いの顔を残し、シンジとともに人の輪の中に割り込んでいった。

 二時間半ほどのパーティーは、議員、ユカリ、豊島らで盛りあがり滞りなく終了した。

高須は入り口で最後の客を送り出して一人残った。

客が引いた店舗の中では、宴の後片付けが始まっている。

幾分の気だるさの中、忘れていた充実感が久方ぶりに沸き起こってくる。入り口の横には、開店祝いにとドラ猫参議から贈られた額、南洲翁の漢詩、児孫の為に美田を買わずの篆書(てんしょ)が、かかっている。

幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、

   丈夫玉砕して甎全を愧ず。

   一家の遺事人知るや否や、

   児孫の為に美田を買わず。

二度ほど読み下してみて、「不為児孫買美田」か、なかなかこのようには行かないなと、苦笑(にがわらい)がこぼれてくる。いつの時代もこのフレーズを彼方に追いやり死語としてきた。西郷の透明な精神より、鎮圧した政府軍の銃弾の方が現在でも価値が残っている。もっとも、天を相手にせよとは、西郷にして初めて言える言葉で、他人が言うと戯言(ざれごと)でしかない。今の政治家にしてもしかりだ。いや、ドラ猫参議なら、臆面もなく、天をとのたまうかも知れないな……サツマ人は得体が知れない。

いつか、漢詩の横に、輝いた日の記念として銀弾のネックレスを飾るときが来るのだろうか。そうなれば、また人生の何かが戻ってくる気がする。散った家族をも呼び戻せるかも……そのためにも、「居酒屋 銀色酒舗」を本格的に軌道に乗せねばならぬ。


 二週間ほどたった。高須は、昼過ぎに出勤して厨房の仕込みを見守っていた。客足は順調だったし、直送される食材のイキがいいとの口コミも立ちだした。

カウンターの横にあるテレビで、月曜の芸能ニュースが始まった。高須はいつものようにテレビの前までつめていた。

 トップニュースのテロップが流れ、山吹ユカリがマネージャーと一緒にテレビ画面に登場した。

フラッシュがしきりに飛び交うなかで、マネージャーが発言する。

「武道館公演を最後に、山吹ユカリは、芸能界を引退します」

と、突然の引退表明であった。どっとばかりにフラッシュが重なる。

マイクインタビューを受けたユカリは、

「シンジといっしょに沖縄で暮らします」

といい、にこやかでさっぱりした表情に見えた。

いつ決断したんですか、質問が飛び交う。

やったなと、高須はテレビをみつめ直すと、頬がゆるんだ。

ユカリとの距離がまた近くなったようで、いたって遠くなったように思えた。彼女は沖縄という南海の気候が育てた、屈託のない天性のアバズレだと、放映中の厚めの丸い顔をしみじみと眺めた。

自由なアバズレにもどるといいさ……高須は心でエールを送った。



                    (本作品は創作である) 

#創作大賞2024
#漫画原作部門  

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