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改革におけるコンセンサスの重要性 ~夜桜たま は なぜ失敗したのか~

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

この言葉はドイツの宰相 オットー・フォン・ビスマルクの言葉とされていますが、実は原文からかなり意訳されています。
実際に言ったとされる言葉は以下の通りです。

Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.
        ( 出典:Wikiquote『オットー・フォン・ビスマルク』

直訳すると次のような感じでしょうか
「愚かな者は自分の経験から学ぶと信じているばかりだ。私はむしろ、最初から自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好む。」

冒頭の文章は原文からずいぶんとかっこよく、簡潔になっていることがわかりますね。『他人の経験』→『歴史』と大仰に書き換え、個人の性向である『好む』の部分を省くことで普遍の真理を簡潔に表現しているように感じられます。(そして、それは決して間違いではないでしょう。)

しかし、ビスマルクの言葉は『歴史』というほど仰々しくなくても、例えば身近な人の失敗談、成功談などを見本にして自分を戒めて生きていこう、といった、もっとカジュアルな意味だったのではないでしょうか。


さて前置きが長くなりましたが、この記事は筆者が「他人の経験から学ぶこと」を意図して、タイトルにある『夜桜たま』さんの行動を分析し、そこから抽出した事実を体系的にまとめたものです。

私は前回の記事で、VTuberプロダクション『.LIVE(どっとライブ)』所属の『夜桜たま』さんらの行動について分析し、彼女らの感情、そして私自身のファン感情を踏まえて解釈しました。
本来ならそこで止めるつもりだったのですが、とある方から知見をいただいたことをきっかけに、夜桜たまさんの行動を「問題提起」として分析する機会を得ました。そして分析していく中で、組織を改革する上での
コンセンサス = 意思の統一 の重要性
を認識するに至りました。
そのことを文章としてまとめ、言語化することがこの記事の目的です。

今回の記事は、これから就活をする学生さんや、社会人3年目以下くらいの若い人にぜひ読んでもらいたい内容となっています。
お時間がある方は読んでいただけると嬉しいです。

    (ヘッダー画像:イラスト(素材)・無料ダウンロード 様より引用)


1.「改革」とは

まず初めに、「改革」とは何なのか確認しておきましょう。
Wikipediaには次のように書かれています。

改革(かいかく、英語: reform)とは、ある対象を改め、変化させること。革命とは異なり、現時点での基本的な体制を保ちつつ、内部に変化を作ることをいう。変革(へんかく)とも呼ばれる。
                    (出典:Wikipedia『改革』

重要なのは、「現時点での基本的な体制を保ちつつ内部に変化を作ること」という部分です。これは、対象を枠組みごと破壊し得る変化は、改革の範疇を超えてしまうということを意味します。

このことから、組織の基本的な体制を保ちつつ、漸次的な変化を引き起こすことが肝要であると言えるでしょう。


2.彼女の行動は何を目的としていたか

夜桜たまさんの行動について簡単に説明いたしますと、

〇予定になかった生配信を行い、その中で自分のソロライブへの対応が「後回し」扱いされたと主張した。

ということになります。
また補足として

◎夜桜たまさんの配信に対して『花京院ちえり』さんが異議を唱えた。
◎配信の翌日は『もこ田めめめ』さんのソロライブだった。

という事実があります。
詳しくは前回の記事でまとめておりますので、そちらを参照していただくか、ご自身でお調べになってください。
(詳しく知らなくても、記事の読解に支障はありません。)

彼女の行動を問題提起としてとらえた場合、提起された問題は「スタッフとの意思疎通(≒報・連・相)がうまくいっていない」こと、そしてそれに伴って「自分、そしてファンの希望が叶わないかもしれない」ことだと考えられます。

そして彼女は、「アイドル部を辞めるつもりはない。」と明確に発言しています。(『アイドル部』とは『.LIVE』内のグループのことですが、この記事内では『アイドル部』≒『.LIVE』と考えていただいて支障ありません。)
この言葉を信じるなら、彼女はアイドル部という枠組みを保持したまま何らかの変化を望んでいたことになります。
すなわち、夜桜たまさんは「改革」したかったのです。


3.組織のための行動が受け入れられなかった理由

結果として、彼女は所属していた組織と袂を分かちました。
どのような話し合いがなされたのかは想像するほかありませんが、彼女の行動は受け入れられなかったということでしょう。

ここからがこの記事の本題です。
なぜ彼女の行動は受け入れられなかったのでしょうか。


それは、周囲と意思の統一せず、独断専行で行動してしまったからです。


彼女は自身の行動について、周囲に説明や相談をしていませんでした。彼女自身がそう発言しています。(なお、彼女は「急なことだったから」と釈明しています。)

また、配信開始後から多くの.LIVEメンバーがTwitterにて困惑を表明し、後にメンバーが文書にて意思表明をした際、「悲しかった」などと当時の感情を表現しています。
一部を抜粋して記します。

たまちゃんが同じアイドル部として相談してくれなかったこと、配信することを伝えてくれなかったことは大変ショックでした。
                 (『Evernote 八重沢なとり』より)
たまさんのツイートは、私たちアイドル部と運営の間で交わされていた約束を破っていたため、とても動揺していました。
                     (『note 神楽すず』より)


このように、夜桜たまさんは協同して改革を為していくはずの仲間に一切の相談をせず、専行で行動してしまったことがわかります。

そして、彼女が問題提起としてとった方法は、「配信で視聴者に訴える」というものでした。その行動は「外部に働きかけることで組織に外側からの圧力かけ、組織の変容を促す」という性質を含んでいます。方法としては、かなり乱暴で強引なものだと言わざるを得ないでしょう。
事前に相談もなく、周囲を巻き込むように乱暴な手段に訴えたこの行動は、一般的には反発があっても仕方がないと思えるのではないでしょうか。

また、行動のタイミングもよくありませんでした。前述の通り、彼女の配信の翌日は同じ.LIVE所属のもこ田めめめさんの(そしてアイドル部としても)初のソロライブで、夜桜たまさんを除く他メンバーは純粋にお祝いするムードでした。
当然、彼女たちの節目となるイベントであり、多くのスタッフがその準備に追われていたことでしょう。彼女は図ってか図らずか、お祝いムードに水を差すばかりか、重要なイベントを前にしてスタッフリソースを消費させたことになります。(彼女は配信に際して「一日スタッフと話し合った」と語っております。)


4.「正しさ」の持つ危うさ

さて、周囲に相談をしなかったことはそれほどまでに大きな問題なのでしょうか。
主張が正しければ、意思の統一などせずとも物事は良い方向に向かうのではないでしょうか。



残念ながらそれは違います。



人の持つ正しさとは、例外なく主観に基づいたものであり、組織に属する各々が異なった正しさを持っています。
組織が人の集まりである限り、その改革は属する人に変化を与えるものでなければなりません。そのためには改革の意思、意図を共有し、目指すべき変化の方向性をすり合わせる必要があります。

周囲とすり合わせをせず、一人の意思だけで何かを変えることはすなわち、その他の人の意思を無視することです。
どれほど崇高な意思や目的があったとしても、それは同じ組織に属する仲間を蔑ろにする行動であり、独りよがりな結果しか生むことはありません。


もし、読者の方で「自分の主張は正しい。この主張が受け入れられないのは間違っている。」と思うことがあったなら、自分の考えを紙などに書き出してみて下さい。
自分の考えを書き出す際は、その
・前提条件
・論理構成
・予想される結果
・周囲への影響
に注意してください。
恐らく、前提条件が曖昧であったり、確証が持てない部分をなあなあで済ませていたり、論理展開の甘さを感じたりすると思います。

それでは、主張のあらゆる要素を一切の瑕疵がない完璧なものとすることができればよいのでしょうか。
そうではありません。そもそもあらゆる要素を完璧にすることなど不可能です。

我々の行動は、必ずある種の曖昧さを前提としています。そして、その曖昧さを周囲と共有することが重要なのです。


若い読者の方々は、これから「なぜこの主張が受け入れられないのか。」と理不尽に感じることが何度もあるでしょう。
もし、あなたがその主張を無理やり実施できたとしたらどうでしょう。
周囲の人々は納得済みでないことに付き合わされることになり、あなたに対して理不尽さを感じるはずです。
(ちなみに、そのような「納得済みでないことに付き合わされる理不尽」もあなたは何度も経験することになるでしょう。残念なことですが。)

組織では、何事も「自分一人だけ」で済むことはありません。必ず、あなたのあらゆる活動は周囲の人に影響を与え、あらゆる活動は周囲の協力があってはじめて円滑に進みます。


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  コラム①  

『押してダメなら引いてみよ』

自分の主張を通したいのなら、自分の考えに固執することを一旦やめ、相手の主張にどのような利があるのかを考えてみてください。
もし相手にはっきりとした主張がないのなら、何を求めているのか、何が気に入らないのか、をできる限り「相手の言葉」で言語化する努力をしてみてください。

自分の意見を押し通そうとするだけでなく、一歩引いて、相手のことをよく考えてみるのです。

80年以上前に刊行され、現在でも読み続けられている名著『人を動かす』には次のように書かれています。

 相手はまちがっているかも知れないが、彼自身は、自分がまちがっているとは決して思っていないのである。だから、相手を非難してもはじまらない。非難は、どんなばか者でもできる。理解することにつとめなければならない。賢明な人間は、相手を理解しようとつとめる。
 相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。その理由を探し出さねばならない——そうすれば、相手の行動、相手の性格に対する鍵まで握ることができる。
(中略)
「自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見をも尊重するところから、話し合いの道が開ける。まず、話し合いの目的、方向をはっきりさせて、相手の身になって話を進め、相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も、相手は受け入れる」。
    (『人を動かす【新装版】』D・カーネギー 著, 山口博 訳, 創元社)


相手のことを考えず、自分の主張のみに固執していては、物事は平行線のまま進展しません。そこにどれほどの「正しさ」があっても、です
相手の思考の背景、考えの根底にあるものを想像することで、自分の主張との齟齬を認識し、落としどころを探ることができるでしょう。

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5.改革への道筋

独りよがりな行動では組織を改革することはできません。では、組織の改革には何が必要なのでしょうか。

まず、自分が改革の意思を持ったのなら、その意思を組織内に広める必要があります。「今の組織には〇〇という問題がある」ということを組織内に広く認識させ、「改革が必要である」という雰囲気を作り出すのです。
この記事では、これを「意思を浸透させる」と表現することにします。

いくら改革を必要とする雰囲気が出来たとしても、勇み足で行動してはいけません。組織内に改革の意思を浸透させたなら、次は具体的な行動の提案をするべきです。
どの程度の具体性を持つべきか、は提案者にゆだねられますが、状況に即してある程度の具体性は持つべきでしょう。あまりに抽象的では、意見そのものの信頼性を損なう可能性があります。

続いて、議論の場を作る必要があるでしょう。複数人による議論を行うことで、多視点から改革の具体案を練り上げることができます。ここにきて、あなたの行動は独りよがりではなくなります。

自分以外の視点を盛り込んだ具体案ができたなら、改革に対する承認を得てください。これは、必ずしも全会一致でなくても構いません。要は、組織内で認められたという事実が大切なのです。
この事実によって、組織内での改革に対するコンセンサスを得られたことになります。
これでようやく、改革の実際的な行動を始めることができるのです。


以上、改革を行うまでに必要な工程をまとめると次のようになります。

①組織に改革の意思を浸透させる。
②具体的な行動を提案する。
③行動に対する議論を行う。
④組織内でのコンセンサスを得る。

これは、改革までに必要な手順の中で最も格式張ったものです。(それ故、最も基本的でもあります。)現実では、②や③は順番が逆になることもありますし、場合によっては省略されることもあるでしょう。
改革への道筋を図にすると次のようになります。

模式図

究極的に言えば、必要なのは「コンセンサスを得ること」のみです。しかし、コンセンサスを得るまでには必ず過程があり、その意味では最も重要なのは意思を浸透させる段階です。

組織全体に十分に意思を浸透させることができたなら、円滑にコンセンサスを得ることができるでしょう。逆に、意思の浸透が十分でないのなら、コンセンサスを得るまでに多くの障害があることでしょう。
組織に意思を浸透させるためには、根回しなどの政治的な駆け引きも上手く活用すべきです。(汚い手を使え、というわけではありません。)そして自分と意思を同じくする仲間を作り、段階的にその輪を広げていくべきです。
決して一人で突っ走って上手くいくようなことではないのです。


古代中国の兵法家、孫子は次のように述べています。

夫れ未だ戦わずして廟算するに、勝つ者は算を得ること多ければなり。
                (出典:Web漢文大系『孫子 計篇』

この言葉について、チェット・リチャーズは以下のような解釈を引用しています。

したがって、勝利する兵は、最初に勝ち、それから戦場に赴く。一方、負ける兵は、最初に戦場に行き、そこで勝利を模索する。
(『OODA LOOP (ウーダループ)』チェット・リチャーズ 著, 原田勉 訳, 東洋経済新報社)

「最初に勝つ」ためには、きちんと準備をすることです。
意思を伝え、議論をし、同意を得ることができれば、改革の成功は始める前から決まったようなものです。
逆に言えば、始める前の準備をおろそかにしては、改革が成功する可能性は極めて低くなります。


6.まとめ

ここまでに組織を改革するためには一定の手順が必要なことを説きました。
ここで、改めて夜桜たまさんの行動を振り返ってみましょう。

彼女の行動は
①(恐らく)問題提起を目的としたものでしたが、
②その行動には同じ組織に所属する多くの人が困惑と悲しみを感じ、
③さらに周囲への配慮に欠けたタイミングで行われました。

彼女の提起した問題は(少なくとも外部から見て)大きく矛盾のあるものではありませんでした。しかし、彼女の行動は周囲との協調を失していたと言えるでしょう。
もし組織内に問題を解決すべきだという雰囲気を作り出し(意思の浸透)、改革に向けて意思を統一することができていれば(組織内コンセンサスの獲得)、結果は違っていたかもしれません。


この記事の目的は、夜桜たまさんを非難することではありません。
私は単なる部外者であり、彼女たちの事情を完全に知ることができない上に、個人の感情を考慮に入れていない非難に説得力は伴いません。

この記事の目的は、彼女の行動から「組織の改革」における重要な要素を学ぶことです。


組織の改革にとって重要なことは、実際の行動に移る前の準備、すなわち、組織内でコンセンサスを得るまでの過程です

『ローマは一日にしてならず』
この諺が示すように、規模が大きくなればなるほど、成し遂げるには時間と労力を必要とします。組織の改革という複数人に影響を及ぼす物事を成し遂げるには、相応の時間と労力が必要だったのです。

そして、組織内でコンセンサスを得るまでの過程を描くことさえできれば、改革の成功は目の前です。


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  コラム②  

個人の変化と組織の変化

自分自身を変えるために必ずしも準備はいりません。個人の変化は、行動や心がけが個人の内的な要素と相互作用した「結果」だからです。例えば、人は単純な行動を繰り返すだけでも漸次的に変化していきます。(弁証法の「質量転換」という概念がこれにあたります。)人は、心がけ一つ、行動一つで変わることができるのです。

しかし、組織を(狙い通りに)変えるためには行動や心がけだけでは足りません。なぜなら、組織の変化の本質は「人と人との相互関係の変化」にあるからです。そして相互関係の変化が個々人に影響を与え、組織に所属する各々が質的に変化することが改革の究極的な目標と言えるでしょう。(これは組織における質量転換ととらえることができます。)

組織としての機能を崩壊させず、個人間の相互関係を変化させるには、先に説明したような雰囲気の醸成、根回し、承認が必要であり、それらを無視した強引な手法は相互関係にひびを入れることになりかねません。

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あとがき

私はかつて、自分の正しさに過剰な自信を持ち、世にはびこる「バカども」に常にイライラしているような人間でした。自分の正しさを貫くためには攻撃的な思想や批判、そして周囲からの無理解は避けて通れぬものだと考えていたのです。
さしずめ、『罪と罰』のラスコーリニコフにでもなったつもりだったのでしょう。今思い返すと苦笑いしか出てきません。

しかし、悲しきかな、私はそれほど頭がいいわけでも、優秀なわけでもありませんでした。
他人を顧みず、協調と妥協をはき違え、独善性を肥大化させていった私は徐々に居場所を失っていきました。
そして、独りよがりだった私は、いつしか行き詰まっていました。



私が「考えなし」と批判した行動にはきちんとした背景と、私が予想だにしなかった考えがありました。
私が「愚鈍」と謗った人は、私とは全く異なるアプローチで、私を超える「正解」を導き出しました。
私が「遊び惚けている怠惰なクズ」と思っていた人は、私などよりよほど要領が良く、短時間で私を超える成果を出しました。

すべては私が自己肯定のために作り出した幻で、阿呆で、間抜けで、怠惰なクズは私でした。
そして、認識とは、正しさとは、非常に脆く、多義的で、あいまいなものであるという考えに至ったのです。


問題意識を強く持つ人は、得てして自分の考えにとらわれ、周りの人間は何も考えていないように思えてしまう傾向があります。(特に、学生時代に成績優良で、学業において成功体験を積んだ人ほどその傾向が強いように感じます。)
きっと、その人は正義感が強く、バイタリティと向上心に溢れているのでしょう。問題を認識できるというのは、優れた、誇るべき能力です。

しかし、何も考えていないように思える他人も、必ず意思を持ち、日々考えて行動をしています。そして自分だけが正しく現状を認識し、行動しているという考えは間違いなく驕りです。
もし自分は正しく、周囲が間違っていると感じたとしても、他人の意見を聞く機会を設けず、ただ自分が正しいと思うことを押し通そうとするならば、受け入れられることは稀でしょう。

若いころの私はそのことに気付かず、多くの恥をかきました。
そして、そのことに気付いたことで、少しずつですが、人生は変わってきたように思えます。

これから就職する人、就職してまだ日が浅い人たちには、この記事のことをよく覚えておいてほしいと思います。
この記事に書いたことは、自分が何かを為そうとするとき、また周りの人が何かを為す手伝いをするときに必ず役に立つと思います。