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海って言うから #6(終)

「まあ、なんと言うか、特に何ってこともなくて」
「うん」
「さっき言った通りなんだけど」
「それをちゃんと説明して」
「うーんとね」

のんびりと語り口を考えている、緊張と程遠い声色。
もし私が順調にイライラできてたらどうなってたのかな、なんて。
ここまで余裕なのを見ると、チラついてしまう。

「とりあえず藩ちゃんとかミーアとか、その辺を誘ってないのはわかった」
「え、知ってた?」
「なんとなく勘づいてはいた」
「あらら」
「でも言われなかったら、もしかして程度よ」
「マジか。え、なんで」
「そもそもね」
「はい」
「そもそも、サークルのイベントとぶつけないと思うよ、フツー」
「あー、えーっと」
「サバゲーが今日だったって知らなかったとしても、藩ちゃん誘ったんだったら、あ、サバゲー今日なんだ、って気づくと思うしね。普通は」
「あー、まあ、そうかなあ」
「知らないよ?でも普通はそうかな、と思って」
「うーん」
「あと、全然人集まってないのにレンタカーいつ借りたのよ、ってのもあったね」
「あー」
「まあ、違和感くらいでしかなかったけどね」

どうとでも言える状況って、すごいアドバンテージ。
飛んでくる曖昧な根拠を、バギーはどうも受け入れられないようだった。普段鈍い男のその感覚が正しいのは、私だけは知っている。でも教えてはあげない。多少気の毒だけど、私だってもうナメられたくはないので。

バギーはそれ以上特に言うべきこともないかのように、考え込んで唸っている。別に難しいことを言ったわけではないんだけど。

で、なんで私を呼んだの?

流れとしても自然な疑問が、私には浮かんでいる。自然なら言えばいいのに。
そう、言えばいい。
でも、浮かんだだけ。浮かんだまま。

潮風が湿らす歩道。水着まで着てきた私。結局海には入らないまま。
難しい顔をしたままの男。別のことで悩む私。結局こうなると言葉を交わさない私たち。

私たちは、海の縁をなぞるだけの、長い長い散歩をしていた。

この体感の長さは、私にしかわからない。
割り切るのが早い男の顔は、次の瞬間にはもう晴れて、大事そうに持っていた焼きそばのビニール袋をブンブン振って前を歩いている。彼にとって大事なことはもう済んだかのよう。

でも、まあ。

すっかりしょっぱくなったであろうため息とともに空を見上げる。
確かに彼は、私にとって大事なことを、今日すでにたくさん済ませたかもしれない。


初めに車を停めた港、その隣の防波堤の一番先っぽ。ついて歩けばたどり着いた。男の足取りに迷いはなさそうだった。その男は長方形の短辺のへりに腰をおろす。足が水面に向かってプラプラ。うーん。

「いっしょだよ、さっきの子供たちと」
「え?」
「危ないって。それも」
「俺は別に落ちないから」
「いっしょ」
「ま、そうかもな」
社交辞令のように男が笑う。

「ロイさんは座んないの?」
「座ってもいいけど、そこはやだ」
「あーそう」

一呼吸。私の。

「ビーサン、落ちちゃいそうだし」
「あー」
バギーは私の足元に視線を落とす。

「それやっぱ、ちょっとデカいね」
「アンタね」
今度は愉快そうに笑うバギー。

「フツー靴とかって本人が履いてみないとわかんないから」
「まあそうか」
「あんまプレゼントにはしないの」
「はい」

目を閉じている男が何を考えているかはわからないが、特に不安もない。
ああ、やっと。

「あげたときはそんなん全く言ってくれなかったのに」
「言わないよそりゃ」
「あー、そう?」
「言わないって」
「そういうもんかなあ」
「人によると思うけど」
「俺には言わないんだ」
「アンタには言わない」
「なんで?」
「だってアンタ言っても意味ないもん」
「俺そんなんかな」
「うーん、そんなんだったね」

今はどうか知らないけどね。なんて。
言ってあげてもよかったけど、それは流石に優しすぎるかな。

ノビをして、男が隣に置いたビニール袋を漁る。

「さすがに腹減ったわ」
言うと、取り出したおにぎりをむき始めた。焼きそば以外も買ってたのか。
私も食べよ。私は袋からサンドイッチ。

「そんなん食えたっけ?」
「そんなんって?」
「トマト」

バギーがサンドイッチを正面から覗き込んで確認する。

えー!

「あー、なんか最近ね。食べるようになったよ」
「へー。そういうのも変わるもんなんやね」
「ね。確かに」

私も昔から比べると色々と変わったのかもしれない。

「それってさ、苦手だったの?それとも嫌いだったの?」
「それはいっしょじゃない?」

気づけば矢印がたくさん刺さっている。もう苦しくはなかった。

「よくそんなこと覚えてたね」
「そらね」

男は海を向く。そして黙り込む。

私に興味がないわけじゃなかったのか。まだ動揺が治まりきらない。
じゃあこの人も私とおんなじだったんだ。男は海を向いたまま振り返らない。

私と同じ。素直になれなかった人。

それなら今日本当は何がしたかったのか、割とはっきりわかる気がする。
素直じゃない私を参考にすれば。


「うわ」

袋を漁る男の手が止まる。

「どうしたの」
「焼きそば、あっためるの忘れてた」
「いや、ちょっと忘れっぽすぎない?」
「最悪やー」
「あと言っとくけどね、途中から袋ブンブン振っちゃってたから。けっこうグチャってなってると思うよ」

自覚のなさげなバギーが袋から取り出して確認する。
見ると、白い麺に大量のネギが押されて端っこで窮屈そうにしていた。

「いや、これはまだいいよ」
「まあ確かに」
「でもあっためんの忘れんのはさあ、」
「忘れたの自分だけどね」

仮にあっためていたとして、ここに来るまででけっこう冷めると思うけど。

「どうすんのさ」
「しゃーない。このまま食べよ」
「まあマズくはないと思うよ」
「まあね」

いいんじゃない?
望んでた形じゃないかもしれないけど、それはそれで。


焼きそばって言うからてっきりソース焼きそばかと思ってた





「海って言うからさ」
「ん?」
「てっきり砂浜かと思ってた」
「あー」

呑気な顔の呑気な口から呑気な声が出てる。

「でもさ」
「うん」
「砂浜より楽しかったかも」

やっぱり隣の男の顔は見れずに、私はまっすぐ光る海を眺めていた。

「そうか」

釣り人はほとんどいなくなっている。いいかげん寒い。そろそろ車に戻りたい。
でも、今からそこで何か始まるかのように、言葉もなく二人留まっている。


てっきりそろそろ核心に迫るのかと思ってた。

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