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嫌な感情が現れた時に、これは「味わうべき感情」なのか、 「整理するべき感情なのか」を考える。


今日はインスタのフォロワー様から、
このnoteの記事に対しての
テーマリクエストを頂戴したので、
私のお得意の長文をこねくり回すことで、
なんとなくそれっぽいお話をどうにかこうにかしますぜ。


 「嬉しいこと(気持ち)って
 そこまで細分化することがないように思うけれど、
 嫌だなってこと(気持ち)に関しては、
 どんな風にクリアな状態にしていけばいいのだろうか?
 違和感や嫌な感覚を言語化するのが難しくて、
 でもそれなのに落ち込んで動けなくなったり、
 動く邪魔になったりすることがあるんです。」


みたいな内容でした!
(そのままの文章ではなく、多少縮めてます)


とっても難しいテーマをいただいて、
私は今にやにやしておりますが(・∀・) ニヤニヤ


私なりの答えとしては、


「意識的にこの感情をクリアにするんだ!」
としない方がいいとも思いますが、
結果としてクリアにしていくことが必要です。



は??


と思いましたよね。


嫌な感情を感じた時に、
その感情を味わい切ることで
消し去ってしまうことも出来るんです。

たとえば、
「思いっきり泣く」
とかはそういうパターンで、
そこに没頭し切るってのも一つの手なんですが、
どちらかと言うとそれは、
「悲しい」とか「失った感覚」とかの方が
個人的には有効だなと思います。

※タロットカードで言うなら、
カップの5みたいな感覚です。


でも怒りの感情や嫉妬心・執着みたいな強い感情は、
必ずしもそれが得策とは限らない気もします。


燃えている炎にガソリンを
どんどん注いでいくようなもので
強さが増してしまったりします。

怒りの感情というのは、
簡単に言うなら

「自分が尊重されていない」

って自分ありきで、
生まれている感情だったりします。


だから、何が言いたいかと言うと、
これは「味わうべき感情」なのか、
「整理するべき感情なのか」は
仮に同じ「嫌な感情」であっても
異なると思うんです。


なので、まずは自分がどっちの方向性なのかを
冷静に考えてみる必要がありますよね。


それすらわからないって場合は、
自分の感情を見る前に、
今の流れを辿る必要があるかなと思います。


つまり、言語化するという意味において、
自分の気持ちをうまく言葉で表現できないのならば、
何がここまでの間に流れとしてあったのかを
とりあえず私は書き出してみます。


気持ちを書くのではなく、
事実をただ書いていく感覚です。


もやっとしている原因がわからない場合って多分
何か自分の中でもやっとする出来事があっても、
通り過ぎるスピードが速過ぎるだけだと思います。


普段の気持ちの速さなら見つけられる答えでも、
いろんな出来事が詰まっていると、
気持ち(結果)だけ今にあって、
その中間(歩み・プロセス)が見えてこない感覚です。


たとえば歩いている速度だと色んなことに気づけるし、
「あ、新しいタイ料理屋さんができてる!」
ってことを、詳しく、そして簡単にわかるのに
車とか電車に乗ってると知ってる街なのに
見えて来ない変化が多いのと同じ感覚で、
車で走ってしまったところの出発地点に戻って
再度歩き直してみることがきっと大事かなって思っていて、
で、「こんなお店がここにある」
って事実だけを確認しながらメモを取っていく感覚です。


その時に自分の気持ちを頭の中で
「どうしてこんな気持ちになってるんだろう」
って考えてみるよりも
ここ最近どうやって今に至るまで
生きてきたのかを列挙してみるんです。
それはただの事実として、出来事を列挙する感覚。


その書き出した結果を改めてみた時に、
客観的な視点に立ってみたら、
「普通に考えたら、この場面でこう思うよね」
とか一般論のように捉えてみた時に、
この違和感は「怒りだな」とか「悲しみだな」とか
分類していけるのかなと思います。


自分がその気持ちを味わっていることを
そもそも認めたくないって場合もあったりするので、
客観的に考えたらどうだろう?
って友達の出来事かのように
置き換えて見てみるのもいいかもしれません。


で、話を元に戻すんですが、、


悲しみを感じている時は、
「どのように悲しいか」を無理に言語化しなくても、
悲しいを「感覚」として受け止めれば良いと思うんです。
私は今悲しいんだな、って認められたら(←ここ大事)
そこからは頭ではなく、心で感じるだけです。
ただ感じるだけで浸っていけば、底はいつか必ず訪れます。
※タロットカードで言うなら、
 「ソードの10」の感覚です。


そして、怒りの方向だった場合は、

「自分を認めてもらえてない・尊重されていない」

なので、その怒りの対象は
そもそも自分が尊重されなきゃいけない相手なのかを
考えていくことがきっと大事かもしれません。


つまり、

「自分の正解・正義・価値などを認めてもらえなかった!」

って思ってもやもやしても、
認めさせたいほどの対象なのかを明確にしないと
ただ怒りだけ膨らんでしまいます。


つまり、そこにエネルギーを注ぐことが
無駄なのかどうかを考える感じです。

執着や嫉妬心も似たような部分があって、
自分を認めてもらいたかったり、
自分が愛されたかったり、
自分を必要としてもらいたかったり、
でもそうしてもらえなかったら怖いから
いつも不安になってしがみつく重い感覚です。


つまり、整理しなければいけないのは、
自分自身の感情そのものというよりも、

「そこ(その人)に対して、エネルギーや労力を
 注ぎ続ける価値があるのか?」

を考えないといけないだけです。


「私はなんで怒ってるんだろう?」

「なんでそこに縛れているんだろう?」


とそれ自体を永遠と考える意味はもはやなくて、
(ただの堂々巡り)


それ自体に価値があるのかを
考えることが大事かなと思います。


「価値がある!」と2秒で思うなら、
怒ってる場合ではなくて、
自分が謙虚に努力をして、
その対象に釣り合うように、
歩み寄ってみるしかないだろうし、


「価値はない!」って気づけたなら、
怒りの感情は薄れるはずです。


強烈な例えを出すのならば、
食べ終えたバナナの皮を
ずっと握り続けて、
「どうしてこれ思ってたより
 美味しくなかったんだ!!!!!」
と怒ってたら滑稽なように
ゴミ箱に捨てて、皮のことは忘れるはずです。

つまりその時間が
無駄だと気づかないといけません。


でも注意点としては、
散々このnoteでも時間の話をしているように
このお話の根本にある考え方は、

「私の人生の時間を大切にしたい。無駄にしたくない。」

なので、

「価値はある!」ってもし即答できないことなら、
そこに気持ち・労力・エネルギー・時間を
費やすこと自体に意味があまりないかもしれません。


即答できないことなら大体は「ない」に
分類した方がきっと賢明です。

怒りを感じてるくせに
そこに迷いがある時点で答えは大体NOなのに、
それを認めたくないだけだからです。


というわけで、
長文でこねくり回したら、
着地点を失ってしまっているので、
ここら辺でぬるっと
終わりにしたいと思います。(急に)


簡単にまとめると、

「自分を大事にして、他の対象に振り回されずに」

ということにしたいと思います。
(論点変わってるぞ?)

では、日の出の時刻なので、もう寝たいと思います!
すやぁ(+.+)(-.-)(_ _)…ZZzz。。..

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