ヘミングウェイと村上春樹好きな店主が開いていたBarコマンチクラブは本当に実在したのか。
都会を離れて12年の49歳です。
江戸川橋というところに住んでいました。
江戸川区とよく間違えられるけれど、江戸川橋は新宿区。
ただ新宿駅に出るのは実にめんどくさい新宿区。
それが江戸川橋。
神楽坂まで歩いて10分。
飯田橋まで歩いて20分弱。
地下鉄は有楽町線と東西線が使えて、飯田橋まで行けば割となんでも使える。
とても便利な場所なのに当時築浅の物件が少なかったからかふわっと家賃が安い。
近くには地蔵通りという商店街もあって、公園でジャグリングの練習をする若者、朝から競馬新聞を読みながらビールを飲むおじさん、マクロビのお惣菜を扱うような意識の高い人までいろんな人が混在していた。
夕方には商店街から夕焼け小焼けの音楽。
節分には豆の弾む音が、冬の夜には火の用心の声が窓から聞こえるそんな街。
ついこの間2010年頃の話。
神楽坂が近いせいかワインのお店なんかも結構あったし、本当に住みやすい街だった。
難を言えばクリスマスには既に正月ムード。
そんな街江戸川橋。
そこにそのバーはあった。
東大卒でヘミングウェイと村上春樹好きの若い店主が開いていたバー。
コマンチクラブ。
確かサリンジャーか何かの小説に出てくる野球チームの名前…だった気がする。
いいバーだった。
店主のかけるボブ•ディランのレコードも、店主がスコッチウィスキーを求めて旅した話も魅力的だったし、ボウモアをはじめて飲んだのもこのバーだった。
バーで顔見知りになった活版印刷で有名な先生がするイギリス滞在時代の話に耳を傾けたり、イケてるコンサル会社社長の愛人話を微笑ましく聴いたり、店主の元同級生でプロレタリア文学を愛するその人の家の床が本の重さで湾曲しているという話をハラハラしながら聴いたり。
古本のカビが体に悪いこと、そして紙魚の存在を知ったのもプロレタリア文学好きのその人からだ。
本当に小説の中に出てくるような面白いメンツが夜な夜な集まるバー、コマンチクラブ。
なのにワールドカップで日本サッカーチームが負けた夜を境にして店は休みがちになり、ある時突然閉店した。
サッカーが負けた日店主は(家がどの辺りだか聞くことはなかったが)かなりの距離を深夜とぼとぼと歩いて帰ったらしい。こと、までは聴いた気がするがそれが直接の原因なのかどうかはわからない。
バーで見せる顔は店主も客もみんな自分の中のほんの一面でしかない。
そしてその一面はたぶん自分が一番好きな自分の面なんじゃないかと思う。
バーのカウンターってそんなところだよね。
カランカランとグラスにあたる氷の音を楽しみながら名前も知らない顔見知りと話す夢のあと先。
しあわせな記憶。
集合的無意識はバーの中にあるんじゃないかな。
だから大好きなんだよな。
バーってやつが。
今は行きつけのバーがない。
本当に残念でならない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?