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学生運動について追記 と、日本人が忘れようとしている歴史


学生運動というのは、最初のきっかけは
困っている人を助けたい、世の中を良くしたいという学生達が立ち上がり
それが激化していったという事はわかっている。

その中でも




そして、今YouTubeでドキュメンタリーを見つけたので貼って置きます。













沖縄の避難民は、米軍上陸とともに悲惨な事になる
自決しなければならない
という気持ちで充満されて洞窟に逃げた人々は◯しあいをした。


一方、ハワイに居た事があった沖縄人がいる洞穴では
ひとりの男が
「アメリカ人は話せばわかる」
という確信を持つ者がいて、
平三という人が米軍の前に出た。


本人の映った写真


抵抗をしなければ何もしないという事を米軍のひとりが説明をする。平三さんが英語を喋れた事も幸いした。


この洞窟に逃れた千人程の避難民は自決をしないで全て助かった。

戦時中の中で、どの話しを信じるか
どういう態度を取れば良いのか?
状況によっても違うし運もある。

噂を信じた避難民の生き残りの方は、実は母親が
「外でお日様を浴びよう」と、8歳の娘の手をとり
外に出て、そこで米軍に出会ったが戦車に轢き◯される事無く助かった。

この母親はどうしても自分の子供を自分で◯せなく、
悲惨極まりない洞窟から一刻も早く出たかったのだろう。
正直言って運によるものと私は思う。

この時に日本軍が出るなと銃を構えていたら
もうこの親子の生命も無かった筈だ。
日本軍としては日本軍の情報が米軍に漏れる事を恐れて沖縄人達に自決を迫っていたらしい。
米軍の人も、その時は全く◯そうという意思が無かったので良かった。


そしてみんなとはずれてふたり、外に出た親子は助かった。

やがて沖縄は米軍基地があるだけでは無く、リゾート地にもなった。
それについても、琉球人としては複雑な気持ちがあっただろうが私はヤマトンチューなので分からない。

話し戻って学生運動が激化してタヒ人が何人も出た事は、
合掌致します🙏
樺美智子さんは特に運動の最初のタヒ者になったので
運動家の女神のようになったようですが…
機動隊は、タヒ者を出すべきじゃなかったですね。
周りは後戻りが出来なくなるので…

日本の労働者階級運動については、省きます🙇
気になる方は各々お調べください。

日本の反戦運動は海外からの輸入?

あと、最近学生運動の番組をやっていて
私は全部を見てないんですが

あまり触れないので書きます。

60年代のアメリカでベトナム戦争があり…

その時にアメリカの若者達が猛反対して、兵役も拒否
そしてフラワームーブメントがおこり、ファッションや音楽が日本人の若者に好かれてフォークもアメリカンフォークを真似した人が現れた。

海外の流行に日本人が飛びついたというのもあります。フランスでも、そのような運動は同時に有り
そうした外国の若者のマネから入った人もたくさん日本にいたのです。
 当時はヒッピー文化のファッションを真似した学生運動の人達がいたり
 結局機動隊とやり合う学生とは違う方向に行った人達もいます。


*所でこの文化は何度も繰り返されている気がします。


世界中でも日本でも、当時の映画や文学、歌などには反戦運動、学生運動を取り入れていました。
そして、こういう人達の文化を私は後に知って
色々勉強をさせてもらいました。

✳加筆修正致しました。



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