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記憶のカケラを集めてみる①

今日は子供のころのことを、掘り起こしてみようか、、  

5歳から18歳まで暮らした、小さな島    

あまり覚えてないし、思い出したらきっと悲しくなるんだろな、、、ずっと思い出さないように自分で蓋をしてきた記憶

でも、今の私のルーツは島にあるんだと思う

開けてみようかな           

 生まれは関東で、5歳の頃に両親の故郷である島に戻ることになった。その頃の自分は、とても活発な子供だったように記憶している。昔、母にどんな子供だったか聞いた時も、男の子とも喧嘩するような気がきつい女の子だったと言っていた。

活発だけど、1人でいるのがよかった。1人で近所の冒険ごっこするのが好きだったっけ。

島に帰ってすぐ母は仕事を始めたので、保育園に入れられた。とても窮屈で、嫌いだった。保育園でも1人だった。言葉(方言)がわからなかったし、みんなが髪を触ろうとするのが嫌だった。島の子供達はみんな髪が短くて、長い髪がめずらしかったのかも。嫌で嫌でたまらなくなって、ついに自分で髪を切ってしまった、、仕事から帰ってきた母が発狂してたっけ笑 母は私の髪が自慢だったらしい。金髪に近い薄茶色のサラサラの髪。

なんかいろいろ思いだしてきたなー笑

だいぶ、エキセントリックな子供。

保育園から幼稚園に変わった時も、友達はおらずいつも1人。なんで1人でいたかったのかは、未だになぞ、、ちなみに今も1人でいるのが好き。

確か、木登り仲間が1人いたかなー。保育園時代から高校卒業までずっと同じ学校。仲良くしてた時も少しだけあった。幼なじみというものか。腐れ縁というものか。

彼女も、保育園時代になかなかの事件を起こしたのを思い出した。同じ組の男の子と、走りまわっていた。追いかけっこ?いや、喧嘩してた?そこは覚えてないけど、ガラスの扉のこっちと向こうにお互いが立っていて、彼女は突然、ガラスをぶち割った。扉が閉まっているのがわからないくらい、怒っていたのかもしれない。グーパンチでガラスを割った。当然、大怪我を負って、大きくなっても傷は残っていた。

幼稚園時代、時系列はわからないけど、遠足の時背の順で並んで、隣りの男の子と手を繋いで歩くのが嫌で、絶対繋がないと言い放って、男の子を泣かしたり、バス通園なのに今日はお母さんが迎えに来ると、嘘をついてバスに乗らず、結局すぐにバレて祖母に迎えに来させるとか、、まあまあ滅茶苦茶な事をやってた。

運動会の頃、大事件が起こった。

父が単身赴任中に事故にあった。職場でクレーン車が倒れてくるという、大事故、、頭蓋骨陥没。

母は父につきそうために、私と兄を祖母に預けた。運動会には、兄と祖母と親戚のおばちゃん達が来ていた。私はずっと機嫌が悪かった。お母さんのサンドイッチが食べたかったのに。約束したのに。おばあちゃんがつくったお弁当は、一口も食べなかった。運動会の内容は、全く記憶にない。終わったあと、母が迎えに来て、船に乗り、さらに特急で何時間かかけて、父の病院へ行った。

この頃の記憶はここまで。その後、小学校に上がるまでの記憶は、ない。思い出せない。

ふぅ、、今日はここまで

#思い出 #書くこと


     


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