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花見の思い出(うちの子、視野欠損したってばよ)

お花見の季節になると、思い出すことがある。
あれはもう十年以上前の出来事。
毎年恒例となっていた、K市での花見オフ会に参加するために私は家を空けていた。
当時の私はストレスの塊みたいなもので、温かく迎えてくれるK市の友人たちに会うのが楽しみで楽しみで。
花見前日に前ノリして、友人2人とともに滝と渓流で有名な観光地へピクニックに出かけ、山を登り始めた時――。

携帯電話が鳴った。
目の調子が悪いと近所の眼科医院に行っていた息子(当時十代後半)が、大きな病院で検査をすることになったと。
「大丈夫なん?」
「うん、ぜんぜん何ともない。戻ってこんでええで。かえって気ぃ遣うわ。」
この時、息子の元気そうな声と少ない情報で事態を甘く見ていた私は、携帯のアンテナが立っていることを確かめながら、さらに山を登った。
景色もお天気も最高。多少心配ではあるが、それはそれ、これはこれ。
道程の半分ほどまで来たところで、また携帯に着信。
大学病院で検査を受けた息子が、そのまま入院することになったという。
左目の視野欠損。右目を閉じると下半分が真っ黒だと。

あ、ダメだわ――
視野が一生回復しないことは、すぐ理解できた。
網膜の細胞が死んだら、もう再生しない。
問題は、それがなぜ起きて、そして広がる可能性があるのかどうか。
検査入院は、そこを調べるためだろう。
医療系漫画の知識が役立って、かなり冷静な私。
でも、脳内もしくは脳から目のどこかの血管に異常があるかもしれない。
そう思うと、少し足が震えた。

ただ、息子本人の声はいたって元気だった。
「身体めっちゃ元気やねんけどなー。たぶん俺、写輪眼つかいすぎたんやわ。」
さすが我が息子、大変な時こそ小ネタをはさむのを忘れない。
そんなこんなで、木の葉隠れの忍ほどではないがそれなりにダッシュして下山し、私は急きょ地元に戻った。

自宅には寄らず途中の大型スーパーで入院に必要なものを揃え、その足で直接病院へ行くと、既に検査を終えた息子に思いっきり嫌な顔をされた。
「は? 何で来たん。来んなって言うたやん。」
「いや、一応、母親やん? 火影的な立場やん?」
などと、どうでもいい会話をしながらロッカーにタオルや着替えを詰め込む。
先生に呼ばれて、一通りの検査結果と説明を聞いた。
ドラマなら、こんな時「先生っ、うちの子は…うちの子はどうなるんですか!」と詰め寄ったりするんだろう。
しかし、事実は小説より地味なり。
特に、私は激するということを滅多にしないキャラだ。
淡々と聞き、事実を受け止めた。

私の予想どおり、視野回復の可能性は低く、一縷の再生の望みをかけて点滴をするために入院するという。
特にどこかが悪いということはなく、本当にごくたまたま、極小の血栓が網膜の血管に詰まったようだ、ということだった。
しいて言えば、悪かったのは「運」としか言いようがない。
もう一度くりかえすが、ドラマならこんな時「大病じゃなくてよかった…よかったね…」と息子を抱きしめて泣いたりするんだろう。
だが。
「ほんじゃ、帰るわ。明日、なんか持ってきて欲しいもんある?」
現実はこんなもんである。
事実は小説より無愛想なのだ。
「え。明日も来る気? 花見行くって言うて出かけたやん。」
「桜は来年また咲くがな。」
「俺の心配はいらんて。ただのアマテラスの使いすぎだってばよ。」
電話の時に写輪眼ネタがウケたのに気をよくしているのかもしれんが、「てばよ」の語尾は「うちは一族」じゃない。
と、ツッコむ気力もなかったので、帰り支度をしながら息子に言った。
「一言だけ言うとく。かーさん、親として判断をミスった。すまん。」
涙声にならないよう、精いっぱいの虚勢を張る。
そんな私に、息子が言った。
「明日、ほんまに、絶対、来んでええからな。来てもすることないねんから。」

私が、もっと早く変調に気づいていれば。
もっと早い段階で大きな病院に連れてきていたら。
こんな時に、春の陽気に浮かれてヒャッホウと山登りしてた母親って、どーなのよ。
自責の念なら、入院セットを取りだして空になった大きな紙袋にも詰め切れないほど、たっぷりあった。

けどさ。
それを私が口に出してどうなんの?
「タラとレバーは、食べるだけにしとけ。」
亡き母の遺した家訓のひとつである。
私がいくら後悔しても、息子の欠損した視野は戻らない。自分のために自らを責める母親を見て、息子の方こそ自責の念にかられるだろう。
いちばんつらいのは、不安なのは、私じゃない。このタイミングで私が泣きごとを言っても、何もいいことなどない。
今、泣きごとを言う権利があるとしたら、息子本人だけじゃないか。

帰りのバスの中、それでもちょっとだけ、涙がこぼれた。
息子の前で泣かなかっただけ偉いじゃん私、と思いながら。
ピロリン、とメールが鳴る。
息子だった。
「明日、ジャンプとサンデー持ってきて」とか書いてあるのかと開いてみると。
「花見、行っといでよ。てゆーか、行け。」
大学病院前のバス停から半泣きで乗りこんできて、メールを見た途端号泣する女。運転手や乗客には、身内に不幸があったとでも思われたんじゃなかろうか。

駅についた私は、切符を買った。
自宅の最寄り駅に行くのとは違う金額の切符を。
入院は2週間の予定だという。急変はない。
その間、ずっと悲壮な顔で息子にべったり付いていても仕方がない。
今のベストな選択は、私が元気でいること。
この状況が、大したことじゃないと体現すること。
息子に負い目を感じさせないこと。
いつも、子どもに何かあるたびに「親は何もできないのだなぁ」と思う。
どんなに祈ったところで、肩代わりしてやることはできない。
私のできる最大限は、きっと「笑っていること」なのかもしれない。
私は予定通り花見に参加するために、電車に乗り込んだ。

と、まぁね。
キレイな話みたいに書きましたけどね。
要するに、大変なことになってる息子を放って、飲み会にUターンしたひどい母親の話ですよ。
世間様に、なんと後ろ指さされようと言い返す言葉はありません。
でも、あれから桜の季節になるたび思うんです。
「あの時、花見に行ってよかった」って。
たぶん、うちの家族にとっては正解だったって。

さて、後日談。
息子の視野は、やはり戻りませんでした。
しかし幸いなことに、片目の下半分なので運転免許も取れるし、日常生活にも全く支障なし。
裸眼での視力は家族の中で一番よく、メガネの必要すらありません。
不自由といえば、顔をふせてラーメンを食べている時に左手前の具がわからないこと。(本人談)

あれから毎年、花見酒を飲むたび、大変だった一日と我が家の強運ぶりを思い出すのです。

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