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息子と母の関係

「どうして僕を信じてくれないの?」

息子が小学校4ぐらいの頃言われた、母にとって衝撃の言葉。
母は仕事柄、出張が多い。出張先から電話をし、行ってらっしゃい!と朝から声をかけるのだけど、それでも小学校時代の忘れ物は親の責任という感じが抜けず、ずーっと忘れ物の心配が付きまとっていた。

家にいる時は、明日の用意はできた?プリントはない?忘れ物は?
と確認の意味で尋ねていたつもりだったのだけど、彼は

何で僕を信じてくれないの?

と怒ったように言った。母の私はただ彼を見つめるだけ。その後一晩中、考えていた。信じてないわけじゃない。それに、信じられないから尋ねていたわけでもない。ただただ心配だっただけ。翌朝、さっそく息子に、

信じてないんじゃなくて、心配してるだけ。

と伝えた。そんなやりとりを最近、ちょくちょく思い出すのは、この春高校生になった息子が私の問いにめんどくさそうに答えるから。

弊社の講座の中には男女ストレスマネジメント講座がある。
そこでは男女の違いを受講生に伝えているのだけど、母と息子も男女で考えると行き違いや誤解が少なくなる。

例えば、長女に「今日どうだった?」と尋ねると「今日ね〜」と始まり、「そう!それは大変だったね‼︎」といったコミュニケーションが取れる。女性は話すことで思考をまとめたり、相手が相談してくる前に「どう?」「大丈夫?」と気遣うことが愛情表現だから。

一方、高1の息子に「今日どうだった?」と尋ねても「別に」の一言。「部活は?授業は?」と尋ねても「うん。」だけ。これは、母と男児に限らず、夫婦でも同様。女性側は気遣い、つまり愛情表現として会話をしようとするのだけど、男性は女性の愛情こもった会話が理解できない。だから、女性同士の会話を聞いた男性は「意味がない会話を長々とよくできるな」と言ったりする。ましてや、尋ねてもないのにアドバイスされるとまるで自分に力がないように受け取る。これが「何で僕を信じてくれないの?」と言った小学生の時の息子の気持ち。小4だけど、思考は男だったんだよね。
 だから母は尋ねないことにした。お節介は焼かない。ただ、心配なのは変わらないから、思わず尋ねてしまったり、大丈夫?と声をかけてしまう時がある。そんな自分に気づいた時はその場からすーっと姿を消している。
加えて、息子の世話を焼かなくていいように普段から自分のことをせっせとやることにもしている。趣味に仕事に自分のペースを大切に。それぐらいがちょうどいい。この時、母自身の己が育ってないと子どもにまとわりつく。子どもの世話をする母の役割だけが存在価値だと子どもの自立を無意識に阻んでしまう。
 私が男だったら母親に対して、めんどくさい!うるさい!と口にしていたかもしれない。それを言わないのは、彼なりに母を大切にしてくれてるんだろう。ありがとう。あっ!感謝や労いは伝えるようにも心がけている。母と会話すると元気になる!と思わせたい。パブロフの犬作戦😏

女は男の世話は焼かず、男から世話してもらう。男女はこれがいい。
それは親子にも通じる。