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ミステリー

 炉に入った彼女の母親、あるいは彼の妻だった遺体は炎によって、肌を焼かれ、肉を削がれ、全てを奪われたあげく、ただの骨になった。
 近隣住民から、あの人いつまでも年取らないわよねと羨まれていた美貌も、そんな当人がメイクで必死に隠そうとしていたこめかみのシミも、等しく焼き尽くされ、煙となった。

 黒く艶のある石で四角く囲われた台の上には仰向けの状態になった白骨体がある。それを囲む遺族たちは故人を想い、鼻をすすりながら目元を拭っている。

 火葬場のスタッフのアナウンスで骨上げが始まる。
 まずは喪主である彼と彼女が銀色のトレイの上にある箸を手に取り、箸渡しで真ん中の骨壺に骨を収めた。そこからは足から頭に向かって順に、火葬場スタッフによってトレイに置かれた骨を二人一組で壺に収めていく作業が繰り返される。
 順に収めていくとはいえ、トレイに置かれた白骨の形は歪で、今摘んだものが彼女のどこにあたる骨なのかは判別がつかない。
 箸を持つ遺族それぞれが、各々のペースで骨を収め、故人に別れを告げていく。壺の中に母だった骨が重ねられていく。やがて、ほとんどが収まり、台の上には細かくなった骨の欠片と頭蓋骨だけになった。
 喪主の彼と娘の彼女は再び、トレイの前に立たされる。
 叔母夫婦の息子はまだ幼く、しきりに今何してるのと尋ねていて、叔母は涙を拭いながら、後で教えてあげるからねと言い聞かせている。
 彼女は淡々と母親の頭蓋骨の片割れを箸で摘んだ。壺の中が隙間なく埋まり始め、次どこに置いたら隙間なく収まるだろうと考え、そんな自分は不謹慎だろうかと思いながら、彼女は母親の頭を収めていく。
 今、パパはどんな顔してるんだろう。
 喪主である彼は親族の挨拶や葬儀の取り仕切りに追われ、悲しみにくれる暇もないように見えた。
 そのことが気になり、彼女は父親の顔を覗き、目を疑った。

 彼の両肩は静かに震えていた。顔は俯き、不自然な力が指に入っていて、箸の先にも両肩の震えは伝播している。箸を持っていない左手は口元を覆っていた。
 隠すべきなのは目元じゃない?
 些細な疑問が湧いた時、彼女は父親が笑いをこらえていることに気がついた。彼女同様、彼が震えながら立ちつくしていることに気がついた叔母が背中に手を当て、なにか言葉をかけている。すると両肩の震度はより強まった。
 この変人の血が私にも流れてるのか。
 そう思い、彼女は奇っ怪な父親の態度が気になったせいで、母親が骨壷に納まりきった瞬間を両目で見届け、実感することなく、骨上げを終えた。

 家に着くともう夜の情報番組が天気コーナーに差し掛かっていた。
 2人はまず、どこに置くか迷いながら、骨壷をとりあえずリビングのテーブルに置いた。先に洗面所に向かった父親についていきながら彼女は振り返り、母親が収まった骨壺が、駅ビルの地下で予約購入するお重みたいに見え、父親の血が流れているのを確かに実感し、笑いそうになった。
 その後2人は手洗いを済ませ、彼女が台所の換気扇を回す。タバコに火を点け、喪服を脱いだ彼女がやっと一息つく。向かいでは父親が煙草に火をつける。風もないのになぜかなかなか点かない。
 彼女は、母親を抱えたままでは訊けなかった質問を彼になげかけた。すると彼はいたずらがバレた子供が情状酌量を狙っているかのように話し始めた。

「だってさ、スタッフの人が持ってくる母さんの骨なんかすっごく摘まみずらくて。でも、ああゆう場所って、淡々とやらないとじゃん? 『取りずらいんだよなぁ』っとか言っちゃダメな場所じゃん。そんなの緊張するじゃん。ぼく、緊張すると笑っちゃうんだよ。でさ、笑っちゃいけないと思えば思う程、可笑しくなってきて、ほんと参ったよ。手は震えるしさ、まぁバレてなかったからよかったけど。それで、なんでか火葬場から帰ってくるときふと母さんのことを思い出したんだよ」

 ポケットの中で絡まったイヤホンのように、父親の話の意図が彼女の頭の中でなかなかほどけない。ライターは昨日失くして今日コンビニで買ったばかりだ。オイルは満タン。それでも父親のタバコにはまだ火が点かない。彼女は緊張とかじゃなく、ただあなたが不器用なだけなんじゃと思ったが、言わないでおいた。

「母さんてさ、死ぬまで掴みどころのない人だったなって」

 25年間、彼女は母親を毎日見つめてきた。
 確かにがんを宣告された日の夕食時も、今日が特売日だったと知らせるテンションで、彼女の母親は余命が短いことを告げた。
 両脇に座る二人の箸が止まり、言葉を失っていると、母親は悠々と最後のから揚げを口に放り込んで、いつもより長く味わった。それからも彼女の生活リズムは特に変わることなく、家で突然倒れ、入院が決まると、その日のうちにスーパーのパートを辞めた。
 まるで自分に興味がないかのように生きる母親の生きざまを見て、彼女は最初腹を立てていたが、そのうちどうでもよくなり、コンビニで最近ハマっているスイーツの話で盛り上がった日の明け方、病院から息を引き取ったと知らされた。

 別れは悲しかったが、あの人らしいなと彼女は思った。

 翌朝、二人は充血している目を互いに見合って、笑った。
 昨日の晩に考えた父親に対する返答を彼女が言う。

「掴みどころがない人のままで死んでくれてよかったかも」
 娘の言葉を否定することも、肯定することもなく、彼はただ次の言葉を待った。

「だって、そのおかげで私たちはいつまでもママについて考えていられるじゃん」

 あの時のアレはなんだったのか。
 もう二度と解けない問いはふとした時に出題され、そのたびに二人は東大王でも、グーグルでも分からない謎に挑み、苦悶することになった。
 彼女が結婚し、その息子が高校生になるとき、父親が先に逝った。
 彼は、欄いっぱいに書き込んだ答案を持って、彼女のもとへ答え合わせに向かった。

 別れは悲しかったが、羨ましいなと彼女は思った。

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