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フーディー

「それ、捨てるの? 気に入ってたやつじゃん」

「うん。衣替えだし、思い切って断捨離」

 夏日が続いたかと思えば、連日の雨。雨が上がると今度は気温が一気に低下した。日本は四季のある国であるが、秋と春は年々短くなっている気がする。
 今日も外は雨が降っていて、そんなときに限って衣替えを始める彼のタイミングの悪さに呆れている。彼女は箱ティッシュを抱えながら、Tシャツや、パーカーをせっせと袋詰めする彼を見下ろしている。強く鼻をかんでみるが、彼は断捨離に夢中で振り向きやしない。なんだか、楽しそうな彼が、彼女にとっては腹立たしい。
 自室に戻り、ノートパソコンの横に立てかけてあった本がなくなっていることに彼女は気付いた。鼻の奥がむず痒く、彼女はまた鼻をかむ。そして不意に思い出して、自分の失態に気づく。

 靴下の脱ぎっぱなしが気になり、彼女が何気なく勧めた掃除本が今、彼の机の上に置いてある。仕事の資料が雑に積み上げられた天辺に鎮座する本の帯には、部屋の乱れは心の乱れというありきたりなキャッチコピーが書かれている。
 もともと、彼は本を読まない人間で、最初はいい睡眠導入剤になるだろうと思い、頁を捲った。内容はありきたりなキャッチコピーを帯にしてしまうセンスから察してほしい。実際、彼女も買ったはいいが、序章でリタイアしている。
 
 彼はそんな本を読みながら、あることを思っていた。
 衣替えって装いを切り替えて、気分も一新させようってことだけど、結局は着慣れたものの方が手に取りやすい。毎年毎年ヘビーローテーションしているパーカーやジャケットを今年も来て、それは果たして気分一新と言えるのだろうか?
 素朴な疑問は本の内容そっちのけで膨らみ、いつの間にか頭蓋内を圧迫するまでに至っていた。そして、ありきたりな掃除本の一言が彼の決断に拍車をかける。

 慣れ親しんだものにこそ、思い切りを持って別れを。

 彼は手にとっては袋に突っ込んでいく。
 元カノとお揃いで買ったパーカー、バイト仲間からプレゼントされて着続けてきたが、もう革が乾燥していて、今年いっぱいだろうと思っていたジャケット、着過ぎて首元が寄れてきた部屋着、一度スイッチが入ると機械になったみたいに作業の手は止まらない。

 断捨離をするときに音楽をかけてはならない。

 彼女から始めて貰ったブルゾンに手を掛けた時、掃除本の一言が過り、思いとどまることができた彼は初めてあの本を読んでよかったと思った。

 彼は、車のトランクにまとめた袋を入れて、友人夫婦が営む古着屋に向かう。そこで買い取りを行い、その代金で新しいパーカーを買う。
 去年まで着続けてきた服を糧にして、パーカーを手に入れたことが、なんだかうれしくなって彼はそのまま着ていくことにした。 

 リビングのドアを開けると彼女が掃除機をかけていた。実家から持ってきた掃除機はもう、10年選手で吸引力が落ちてきている。何度かけてもかけても絨毯に挟まったほこりが取れなく、粘着カーペットクリーナーを取りに行こうとした時、彼が彼女の前に立ちはだかった。
 感想を求めているのは表情と立ち姿を見て、瞬時に分かった。だから、彼女は思ったことを思ったまま言った。

「それ、もう持ってるやつじゃん」

「いや、全然違うって! 俺が売ったのはハーフジップのやつ。これはプルオーバーだから!」

 プルオーバーだろうが、フルジップだろうが、アノラックだろうが、フードのついているものは、彼女には等しくパーカーに見える。
 そして彼もまた、言い訳をしている自覚があった。
 彼女のクローゼットの奥には、彼が捨てたはず着潰した部屋着のスウェットが入っていて、彼はいとこのようなデザインのパーカーを着て、翌日、仕事へ向かった。

 人の執着というのは、なかなか厄介で、日常にはそうそう変革は訪れない。だからこそ、日常は退屈で、平穏なのだろう。

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