「オール・ユース・ニード・イズ・キル」 track.5
ALL YOUTH NEED IS KILL !
0.
「謎の宇宙船から、それこそラピュタのように、女の子が降ってきたんだ」とは思わない。世界の約束を知ってしまった彼は今更、子供じみた感慨に耽ったりはできなかった。とはいえ、彼はまだ27を迎えたばかりだった。
「あら、シムラくん。ただでさえ重たそうな前髪が、今日はヘルメットみたいじゃない」
シムラは近所に住んでいる老婆とすれ違う。
彼女の娘は海女で、今はサザエなどをとっているところだ。シルバーカーの蓋からネギが飛び出ている。太陽の光を受け、白く輝いている。
「ゔぁい」
「気のない返事ね。しゃんと胸張って歩きなさい」
真夏のピークは去ったと天気予報士が伝えていたが、残暑は厳しく、蜃気楼を見かけるたび、坂を上る彼の足は止まる。そんな彼を引く小さな手がある。
「おばあちゃん、こんにちは!」
「あら、宇宙人さん。こんにちは」
さらに腰を曲げた老婆の目尻の皺が幾重にも重なり、宇宙人さんと呼称された女の子は溌剌と笑う。
彼女は〈ムギワラ〉からの最後の来訪者であった。
0号と名付けられた彼女は、街の人々からはソラちゃんと呼ばれ、親しまれている。
未確認飛行物体〈ムギワラ〉からの使者の表向きの目的は観光あるいは調査であったが、彼らの本当の目的は別にあった。
彼らの星は難民を抱えており、疎開先を求めていた。
彼らの星は小さく、銀河全体でみれば星人数も、武力も弱い。そのため彼らは言語を介さないコミュニケーションを獲得し、瞬時にイメージを共有し合う能力で屈強な星々と友好条約を結んできた。
だが、逆に彼らは今、取得したその能力のせいで、友好惑星以外から狙われていた。
侵略者達が狙うのは、13号のように幻覚を見せられる特異種で、彼らは思想兵器としての軍事転用を考えていた。
その予兆に統率機関は気づいており、すぐさま特異種が生まれやすい地域で暮らす者たちを一時退避、または現地調査として地球に送った。
地球に降り立つと、特異種以外の者たちは表向きの目的を知らせて開放し、特異種は13号を筆頭とし、すぐさま実験に参加させられた。
だが彼らは保険をつくっておきたかっただけで、地球人に対し強引な介入を行う気はなかった。それは彼らが武力制圧ではなく、思想の共有と会議によって友好関係を築いてきた歴史があるからだ。
だが、能力者狩りは依然として、続いていた。
現段階、特定地域だけが標的となっているが、その周辺にも拉致被害が及んでおり、統率機関も圧力を受けている。
あの星が滅びるのも、時間の問題だ。
周りの星々から彼らはそう評され、だからこそ〈ムギワラ〉からの使者は焦っていた。
そこへ届いた13号の失敗例。
失敗はたったの一例だ。
だが、もし地球人に反旗を翻されたことを考えるとこの結果を無視することはできなかった。さらに、能力の発現数が原因不明のまま、年々減っており、思想兵器よりも外交手段として特異種は必要であるため、無益な衝突によって数を減らすことは、考えられず、統率機関はすぐさま次の手を打った。
それは地球の大半を占めている、海との融合だった。
その実験のため開発された受容体、73号は最初こそ意思を保ったまま、波を操ることができたが、あまりにも融合する対象が広大なのか、やがて自我を崩壊させ、失敗に終わった。
この結果を受け、統率機関の科学者たちは方針を変える。
科学者たちは、”海と融合”するのではなく、”海と擬態”できる使者の開発に着手した。
こうして0号のプロトタイプが生み出される。
0号は海水と接触した時だけ生命反応を遮断することができ、含有される成分物質と同化できる因子を持っている。そして彼女を犠牲にして、特異種への移植手が成功した。だが、プロトタイプの擬態可能時間は僅か15分だった。
統率機関は0号を何人も生み出し、擬態可能時間の延長実験を続けた。その度、彼女らは海に廃棄された。
倫理観を超えた実験の末、生まれた455体目の0号の擬態時間は28時間。約、一日超という成績は、有事の際、身を隠すことが可能な時間だと判断され、統率機関は一時落下させた実験体を回収する予定だった。
だが、そんな彼女を、偶然居合わせたシムラという地球人の男が、持ち去ってしまったのだ。
真夜中、二時過ぎ、
シムラはその夜も、自殺を図ろうとしていた。
1.
シムラは学生時代にロックバンドを組み、メジャーデビューを果たすと共に上京した。慣れない環境など気にしてる暇もなく、ライブが立て続けに入り、彼の率いるバンドは瞬く間に実力をつけていった。
だが、ライブでシムラは突然、倒れ、病院へ運ばれた。それでも、事務所側は数日の休養の後、彼をすぐに現場復帰させた。
それは事務所が大株主との契約を打ち切られそうで焦っていたからだ。なんとかヒットアーティストを輩出しなければ、経営が立ちいかなくなる。助けてほしいと、シムラは頼まれ、ステージに立った。その理由は事務所のためにも、ファンの声援にも応えたかったからだ。
だが秘匿事項であるため、バンドメンバーには口外できず、この一件を機に、会社とバンドの間に亀裂が走るとアルバムの制作が滞り始めた。
シムラは昔から競争や、争いが大の苦手だった。小学生の時は本当は足が速いにも関わらず、ゴール前でわざと転んだ。それがクラスメイトにバレて、殴られるという理不尽な経験もしたが、シムラは毎年選ばれ、毎年転んだ。中学でも、高校でも、断っても選ばれ、選ばれれば、転んだ。
もはや、そういうパフォーマンスだと勘違いされることもあったが、シムラはその勘違いを良しとした。
だからこそ、会社とバンドメンバーの緊張状態の中へ放り込まれると、息が詰まり、体調を崩すこともあった。それを勘違いしたメンバーがより会社に対して、反感を強め、シムラはやがてバンドの存続を考え始める。
そして、メンバーだけの会議でストライキを起こそうと決めた夜、彼は東京から逃げた。
行く当てなどなく、船に乗ると離島へついた。
シムラはギターだけを持って、上陸したため、最初は餓死寸前の生活を送っていた。だが、島の人々に助けられ、彼は今、民泊に居候させてもらいながら、館内の清掃や、海産物の仕分けなどをして日銭を稼いでいる。
島の人々は温かく、シムラはバンドを組んでいた時より、はるかに健康な生活を送っていた。だが、彼の絶望はどんな時であれ、関係なく、不意に訪れる。
希死念慮。
これが幼い頃からシムラが抱えている闇であり、また創作の源泉でもあった。
謎の飛行物体が襲来し、島民にも外出禁止令が出ていたが、シムラは当て所なく海岸を彷徨っていた。そんな夜に謎の飛行物体から青白い光がゆっくりと落下していくのを見た。
シムラは元々、入水自殺を図るために海へ来ていたので、躊躇なく、行けるところまで行ってみようと泳ぎ始めた。
海の中は涼しく、頭上には銀河が広がっていた。そこでシムラは青白く発光する女の子を抱き抱えてしまった。その感触が生まれたばかりの姪っ子と同じように柔く、熱く、それがどうしようもなく彼を岸へと辿り着かせた。
「お前の名前は、」
「ない」
「じゃあ、ソラにしよう。宇宙のソラだ」
そこから、一年。
シムラを今日まで生き存えさせているのは、ソラのおかげだった。
2.
「きょうはどうやってしぬんだ? シムラ」
「こらこらソラちゃん、物騒なことを、おばあちゃんの前で言うものではありませんよ?」
純朴な瞳はシムラを見上げ、流木のような長い指が彼女の頬を掴む。タコの顔になったソラを見ながら、シムラは引き攣った笑いを老婆に返した。老婆は怪訝な顔つきで「子供に変な言葉を教えるんじゃない」と叱った。
「おソラちゃんは、これからどこへいくんだい?」
「とこや」
「髪切るのかい?」
ソラは頷くが老婆は怪訝な顔のまま、シムラに視線を移す。
「あんたん家の親戚の子か、なんなのか知らないけど、女の子なんだから美容院に行かせな」
「わかっていますが、なにせ金がなくて。僕のカット料金で、ソラの分も切ってくれると、坂の上の店主さんがおっしゃってまして、」
そういうと、老婆はシルバーカーの中に手を突っ込んで、どこにあったのかわからないが、くしゃくしゃの五千円札をシムラに押し付けた。
「早く言わないと、そういうことは!」
「は、はぁ」
「あと数十分後に船が出る。それで街へ行って切ってもらいなさい」
申し訳なさそうにするシムラに老婆はさらに5千円札を押し付け、坂を降りていった。すると、シムラは音を立てないようにまた坂を登り始め、ソラも彼の歩き方を真似た。錆びたカーブミラーの先にも老婆の姿を確認できなくなった時、彼らは走った。
「ソラは、ぼうずでいい!」
「バカ言ってんじゃないよ。みっともない。女の子はおかっぱなの」
結局、二人は坂の上の床屋で切ってもらった。シムラは千円で、ソラはアシスタントとして美容院に就職した床屋の娘がちょうど帰省しており、タダで切ってもらった。
その帰りに二人は売店でアイスを買い、はぶりがいいからという理由でシムラは久々にタバコを一箱だけ買った。
民宿の二階にある一番ボロい部屋へ帰るとシムラは湿気った畳の上に薄い座布団を敷き、ラジオをつけ、窓を開ける。一日二本も吸えば満足するが、シムラは夜になると無性に吸いたくなるタチで、今日はよく星が見えていた。
小さい丸卓の上には、昨日貰った鯵のなめろうと寄り合いの飲み会で残った日本酒があり、晩酌が始まる。ソラは窓枠に腰掛けて小さな足をパタパタと交互に振っている。
「そんなことしてると、落ちるぞ」
「おちたら、しぬ?」
「多分な」
じゃあ、やめようと言いながらソラが飛び降りると、部屋の床が軋み、シムラが灰を落とす。
「なにたべてるんだ」
「なめろう」
「それは、しぬほどうまいのか?」
「そう言われると、どうだろうな。新鮮さがないしな。あーでも、一日おいた方が味が染みるからな、美味いとも思えるし、」
「まようってことは、まだしねなさそうだな」
「違いないな」
シムラとソラの会話には、常に「死」という単語が付きまとう。それは二人とも、その概念に対して、怖れや嫌悪、あるいは救いを求めるわけでもなく、かといって軽んじるわけでもなく、常時、親しみを持って接していたからだった。
生きたいという欲求と死にたいという欲求の量は、二人の中で常に半々のまま揺れており、どちらに傾いてもおかしくはなく、彼らはどちらの結果も良しとしている。それは自らの根源であるため、もう仕方のないことだった。
だからこそ、二人の会話には「死」という単語が軽やかに交わされているのだ。
「シムラ、きょうこそ、うたうか?」
「もう少し酔って、もう一本タバコ吸って、風呂に入ったらな」
「やらないつもりだ」
ちゃんと歌えるのかと、ソラが確認を取ると、シムラは「これでもロックスターだぜ」と口の右端を釣り上げる。
彼に歌う気は、毛頭なかった。
なかったが、電気を消してもソラがなかなか寝付かず、いきなり噛み付いてきたりと不自然に思えるほど駄々をこねるので、
「仕方ないな」
彼は気だるそうにストラップを肩にかけ、脱走寸前に書いていた曲を歌い始めた。
真っ暗な部屋の中、窓から差し込む月光を受けながらシムラは窓枠に座って歌った。ソラは薄っぺらい布団に大の字になりながら真っ黒な天井を見つめ、二人の胸の中に夕方五時を知らせるチャイムが鳴り響く。
「シムラ、やくそくしろ。わたしよりさきにしぬな。それで、わたしがいなくなったら、おまえはもとのばしょにもどれ」
「なんで、わかるんだ?」
「だってシムラはソラと、おなじかおしてるからな。よそものの、かおだ」
暗闇で人影すら見えない。が、シムラは今、真っ直ぐソラに見つめられている気がしてならなかった。
「バレたか。まいったなー」
「はっはっは。まいっただろ」
ケースにギターを収めてジッパーを指で摘んだ時、すでにソラは寝息を立てていた。
「お前は、エスパーかよ」
シムラは小さな額を指先で突いた。やはり彼は彼女に生かされていた。
3.
海岸は朝靄に包まれ、その近くの公園では子どもたちがラジオ体操が行われている。大人たちも一緒に行い、あっちが痛い、こっちが痛いという声が上がる。シムラも例外ではなかった。
ソラが寝た後、彼はなぜか気持ちが収まらず、書きかけだった曲を明け方、完成させてしまったのだ。ずっと窓の枠に座り、弦を弾いていたため、凝り固まった背中が悲鳴を上げるのは無理もない。
「スタンプだいぶ集まったな」
「これは、たくさんあると、どうなるんだ?」
「いいことが起きる」
「シムラがもういっかい、うたうとかか?」
「それはないな」
「ウソつけ。けさ、うたっていただろ」
シムラはソラの頬を手で掴んだ。タコのような顔をしたソラが「いい、うただったぞ」と褒めると、彼はどうもと言いながら手を離し、彼女から目を逸らした。
「ないてんのか?」
「バカか。ちげえよ」
今朝出来上がったばかりだが、この曲は間違いなく売れると確信してしまった。そうなれば、誰かに聞かせたくなるのが歌い手の性だ。
だが、シムラはバンドメンバーも会社も置き去りにして島にいる。そのため、身勝手に作り上げた絶望を理由に、今日を命日にすることもまた、実に容易かった。
容易かったが、それを阻むものがいた。
それは、ソラではなく、公園の入り口で肩で息をしたまま俯いているボディーガードのような男だった。バッファローのような男はバンドの専属マネージャーだった。
「げ」
シムラは男が顔を上げる前に、一目散で公園を抜け出し、ソラを引きずる勢いで民泊へと戻っていった。
部屋の鍵を久々に閉めたシムラは布団へ飛び込み、昼は昨日残りのなめろうで白飯を食べ、ペースも気にせずに飲み始めた。あっという間にひとビン空くと、再び床で眠った。
このまま起き上がらずゆっくり死んでいけたらとすら思っていたが、夕方、ソラが何度も彼の体を揺らし、気持ち悪くなり、シムラは外の空気を吸わざるを得なくなった。
二人は手を繋いで海を眺めにいった。
「そろそろ、フネにもどらないとだな」
潮騒に紛れるように呟いたのは、ソラが〈ムギワラ〉に戻ることを渋っているからだった。シムラは聞こえていないふりをする。
「ソラ、このまま東京へ来ないか?」
「とーきょー?」
「島のずっと向こうにある、いっぱい人間がいるところだよ」
「ソラは、いっぱいのにんげんきらいだ」
互いに放ったボトルメールは、どちらも相手に届かず、平行線のままで海原を流れていく。
「そうか」
「そこなら、シムラはやっていけそうなのか?」
「2年保ったら、いい方じゃないか?」
ダメだなと、ソラは笑い、シムラもダメだなと笑う。
だが、彼はもう東京へ戻ると決めていた。
それは面倒ごとの全てに立ち向かわなけれがいけないとしても、今できた曲をできるだけたくさんの人間に聞かせてみたかったからだ。
「いけよ。シムラはこのさきも、ずっとさきも、そうやっていきていくんだろ」
「お見通しなんだな」
「うちゅうじんをなめるなよ」
二人が喋っていると、大男が砂を踏み締め、走ってくる。
大男に向かってシムラは一言、「もう帰るよ」とだけ告げた。
「え?」
モアイ像のような顔が汗だくになっている。
「だから、帰るって」
「そんな・・・拗ねた子供みたいに言われても」
「曲ができたんだ」
拍子抜けする大男のスーツの裾を、ソラがいつの間にか引いていた。
「おまえは、なかまか?」
「あ、はい」
状況を全く把握できていない大男に対して、いきなりソラは深々と頭を下げた。
「どうか、シムラをみすてないでくれ。こいつはこれしかのうがない。それに、シムラはずっと、たたかっていた。それはぜんぶ、わたしがみてる。だから、たのむ」
大男はそもそも無理矢理、連れ帰る気も、かといってバンドの解散を迫る気もなかった。バンドは現在、活動休止状態で、大男はただ、シムラの安否を密かに確認したいだけだった。
「この曲で、世界へ行ける。そんな気がするんだ」
失踪から一年半。こうして、シムラの脱走劇は本人の自首という形で、あっけなく幕を閉じた。
4.
突然にも関わらず、島の役所の屋上には多くの人々が集まった。そこには出立を明日に控えたシムラ、大男のマネージャー、ソラ、仕事を終えた公務員達がいた。さらに賑やかしや、バーベキューの具材は集まった多くの島民達によって賄われている。
小さな島での大宴会。
兜焼きをつまみながら、日本酒を飲んでいると、酔った青年達がシムラにギターを弾けと脅す。その圧に耐えれなかったシムラはギターを弾いた。
これといったリクエストはなく、ただ圧だけが強く、シムラはとりあえず民謡っぽく弾いてみせた。すると島の青年団はおもいおもいの振り付けでばらばら踊り始める。
そんな様相が、シムラの創作意欲を再び刺激し、改めて彼は東京へ戻る決意を固めた。
「シムラはいろんなの、ひけるのか」
「プロだからな」
「じゃあ、わたしのほしのうたも、いつかひいてくれ」
「お安い御用だ」
たのむぞ、と、しゃがみ込んだシムラの肩の上に小さな掌が乗り、ソラは微笑んだ。寂しげな笑みには、何か違う意味が含まれているのかと彼は勘ぐったが、他人の考えていることなどわからず、彼はまた夜宴に戻っていっく。大男のマネージャーは商工会のお歴々に飲まされ、だらしない顔を晒しながら伸びていた。
「僕だてねぇー、大変わったんれすよぉ」という彼の呂律は当たり前のように回っていない。
「心配かけました。ごめんなさい」
「僕は、いいんれすけど。でも、メンバーにはきちんと謝ってください。どんなに会社から圧力を受けても留まり続け、ファンから説明を求められても沈黙を守っていたのは、彼らなんです。だから、だからねぇ!」
マネージャーが立ちあがろうとした時、花火が上がった。
誰もが空を見上げ、爆ぜた大輪に目を奪われる。
その花火は、あと数日に迫った島の祭りのための花火で、毎年、必ず試射が行われる。
それは観光客ではなく、島民だけの特権であり、その話を聞いた時、シムラはその一度だけ上がった花火を、最後の日に見れて良かったと、心底思った。
彼は、そんな感動を分かち合う相手を求めた。
彼と彼女は年齢も、性格も、背丈も、見てくれも違う。だが、二人とも、死を分かち合っていた。だからこそ、シムラはソラを求めた。
5.
夜明けのビートがシムラの頭の中で鳴り響いている。
ソラは誰が一番酒に強いかの競争をする夜宴の狂騒の中のどこにもおらず、シムラはただ走った。やがてシムラの不在に気づいた島民達が、ソラの不在にも気づき、島中が彼らを探し回った。
その後、マネージャーがシムラを見つけ、島民達が合流する。それでもソラは見つからなかった。街や、山の中を探し回り、シムラの頭にようやく浮かんだのは海だった。
向かった海原の直上には、未確認飛行物体〈ムギワラ〉が浮かんでいた。
シムラは呆然と立ち尽くすなか、違和感を思い返していた。
例えば、ソラは突然いなくなり、翌日何もなかったかのように帰ってくることがあった。だが、シムラはそういった日に限って希死念慮に侵されており、布団から一歩も動けなかったりする。
だからこそ、そんな自分の無責任さを「ソラは野良猫のようだ」と頭を撫でながら寛容さを装い、迎え入れることでチャラにしようとしていた。
「そろそろ、フネにもどらないとだな」
と、夕凪の海を前にソラが呟いた言葉が、シムラの頭をよぎる。彼は爪を立て、群れた後頭部を掻く。
約一年、暮らしてきたが結局、シムラはソラのことを半分も知らなかった。
「みんな、死んだらごめんな!」
シムラはソラのために死に物狂いで海原を掻く。ほとんど溺れているように無様で、海水を何度も飲みながらそれでも彼の腕はもののけが絡みついたように、貪欲に、海原を打つ。
だが、〈ムギワラ〉はまだ先だ。
段々と、シムラの体力は削れ、気力だけで回転し続ける両腕も遅くなっていく。そうして彼は呆気なく、海の底へと引き摺り込まれていく。
落ちていく。
落ちていく中で、彼は思い出す。
それは、幼い頃経験した水害だった。
台風が襲来し、シムラは母に手を引かれていた。
そんな刹那、
彼は橋の下の濁流の中に飲み込まれた見知らぬ少女を見た。そして、河原で言い争っている男二人を見た。男二人はどちらが川へ飛び込むかを決めかね、押し付けあっていた。その間に、見知らぬ少女は濁流に飲まれてしまった。
そうか。
俺が、争いが嫌いな理由ってこれか。
そんなことを今更考えているのは、彼が本当に死に直面していたからで、まだ意識を保っていたからだった。
突然、沸き起こった浮力がシムラを押し上げる。そして、急速浮上した彼はイルカのように宙へ放り出された。
声を上げる暇もなく、間抜けな大の字のまま、再び彼は海面へと落ちていく。
だがまるで受け皿のように海面が彼を出迎え、その真ん中になぜかあったサーフボードにシムラは乗っており、波は意思でも持っているかのように〈ムギワラ〉に向かって彼を運んでいく。謎の波の正体は、廃棄され続けてきた0号の残留思念の集合体だった。
そしてシムラはサーファーキングとなった。
6.
〈ムギワラ〉の下には青白く光るナニカがあった。
発光体の正体はソラであり、彼女は回収され、解体され、擬態因子を持つ機関の摘出手術後、廃棄される。そもそも彼女はその予定で生み出された存在であり、向こう側にとってシムラは窃盗犯であり、意向次第で、彼は思想兵器によって廃人にされる危険性すらあった。
だが、彼女は統率機関のリーダーに対して、彼の安全の保証と、少しの猶予をもらいたいとねだった。それは子供の駄々であったため、科学者達や、統率機関の幹部たちは反対した。
だが、1号が彼女の申し出を受理してしまったのだ。
そして、彼女は定期的に生態データの採取を行うことを条件とし、島で暮らす猶予を与えられた。
青白い光を点滅させながら彼女は「よく、ここまでわがままに付き合ってくれたな」と思っていた。感謝すらしていた。
それでも一つ、心残りがあった。
それは、島民達との日々と、シムラだった。
彼は情緒が常に不安定で、調子の悪い日は起きてから一言も口を聞かず、寝ることもあった。それでもそういった日々の中に喜びや感動は多く散りばめられており、手放し難い尊い日々だった。
だからこそ近づいてくる波音に目を瞑らざるを得なかった。
「ソラ、お前なんだろ。返事をしろ!」
ボードの上でよろけながらシムラは叫ぶ。
だが、発光体はもうこれ以上、生きることを望んではならないのだ。
それは発光体が、実験の中で一番優れた因子を持つ個体だとデータ調査の中で裏付けされたからであり、彼女は星の存亡を背負うべき存在だからだ。
「出会った夜、ソラは言ったよな。『もしも奴らがシムラの何かを盗んだとして、それはくだらないものだよ』って。だから俺は会社の意向とか、そういったものに囚われず、今日まで生きてこれた。歌も歌えるようになった。お前は囚われたままなのか?」
発光体は、頷くしかなかった。
彼女はどこまでいっても、星の意向によって作られた実験体でしかない。
発光体はそのことを十二分理解していた。だからこそ、死を身近に置いて仲良くなろうとしていた。
はずだった。だが彼女は、今、この体に自我を植え付けた科学者達を呪った。
東京に行きたかった。
シムラの故郷にも行きたかった。
もっと、もっといろんなところに行ってみたかった。
見たかった。聞きたかった。感じたかった。
おかっぱ以外の髪型も、知りたかった。
もっと、
もっと、生きてみたかった。
シムラは頭上の発光体を見上げる。
発光体は一瞬だけ、自分を引き上げる力に抗った。皮膚を引っ張って剥がされていくような激痛が彼女を襲う。
「シムラ、きけ!」
彼女の顔はいつも通り、笑っていた。病める時も、健やかなる時も、傍にあった笑顔が吸い込まれていく。そんな彼女の笑顔は透けている。
「お前に必要なのは、誰かを殺す気で生きる覚悟だ。それができたと思ったら、あとは自由に死ね!」
身勝手な物言いの後、ニカっと笑い、発光体は回収されてしまった。
そこから数週もしないうちに、〈ムギワラ〉自体が母星へ戻っていき、地球人類は結局、彼らの正体も、目的も知らず、この出来事はその翌年改訂された歴史の教科書に一行だけ記された。
シムラは東京へ帰り、歌を歌った。
歌は瞬く間に伝播していき、彼の没後、音楽の教科書に載った。
track
reqest person
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ジブリを愛し、リリー・フランキーさんに助言をもらったりしているうらやま女性です。日記、小説どちらの筆致もすごく、僕は特に日記の方が好きです。羽田で新しい飛行機のおもちゃを買ったり、謎の野菜の調理法を模索したりと、なかなかな少年冒険家的な一面もあります。正直、今でもこうしてつながっているの、めちゃ光栄です。あざす。お仕事忙しいでしょうが、たまには羽を安めに、あそびきてね。
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