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プライマリー・カラー 〈Bの章〉

 大学時代に付き合っていた彼氏に貸した三十万円は未だ、返ってきていない。
 出版社に就職した透香は営業部に配属された。彼女は前に立って何かをすることが苦手だったため、総務課を希望していたが、社会は彼女中心で回っているわけではない。結局、三年経てば異動願いが出せると説得され、透香は働く度にすり減っていった。

 水曜日の午後4時。コンビニを出ると夕立が降っていた。
 コンビニから会社までは徒歩5分圏内だが、彼女は営業資料が詰まった紙袋を両手で持っていたため、立ち尽くすしかない。無理矢理片手で持ち、傘を差せば戻れたが、もう、腕も足も限界だった。
 すると透香の肩を叩く男がいた。
 見上げるほど身長が高い彼は、これから出版社に行き、編集と打ち合わせする予定の小説家だった。
 傘に入れてくれたお礼がしたいと言うと、彼は自分の作品を読んで欲しいと言うので、透香はその週の日曜日を彼の作品にあてた。
 日曜の窓の外は雨で、物語の中にも丁度雨が降っていた。ローソファに腰掛けながら頁を繰る。捲る度に雨脚が増していき、ふと肩が寒くなり、ブランケットを探すために立ち上がると、床が冷たかった。
 薄氷の上で透香は立ち尽くしていた。
 脛骨にまで沁みてくる冷たさを感じながらも立ち尽くすのは、窓の外の藍色から目が離せなくなったからだ。透香はポケットを探り、窓枠で囲われた藍色の街並みをスマホで撮った。
 それから三週間後、透香は彼に再会した。
 同じコンビニの前だったが今度は雨が降っていなかった。だからこそ彼の顔が少しやつれているのが分かった。
 透香は彼に写真を見せた。改めてみるとなんでもない写真だ。見せた後に恥ずかしくなって、素人が何しているのだろうと後悔した。
 だが彼は透香の撮った写真を褒めた。目の下の隈は取れない。唇も乾いている。だが彼は微笑んでいた。

「ありがとう」

 透香は彼を見つめ、泣いた。彼は狼狽えている。
 晴れ渡った空に一粒の雨。
 その理由は、こんな自分でも誰かのためになれたと、実感したからかもしれない。

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