マガジンのカバー画像

4_koto_bungaku

38
四コマ漫画みたいなノリで書けないかなと思い、始めたショートストーリー集です。
運営しているクリエイター

#スキしてみて

プライマリー・カラー 〈Gの章〉

 透香はエスカレーター式に大学へ上がる。  住んでいるアパートの一階にはエントランスがある。緑の半キャップを首に欠けたまま、彼が慣れた様子で番号を打ち込む。  チャイムが鳴り、透香が部屋のドアを開けると彼は玄関で靴を脱ぎ捨てた。靴箱横のスタンドに半キャップをかけ、彼はリビングへ進む。短い廊下に汗で出来た彼の足形がついていた。  ローテーブルの上にはあさりとほうれん草のパスタがあって、微かにまだ湯気が上がっている。皿の両脇にはスプーンとフォークが整列していて、彼は洗っていない手

プライマリー・カラー 〈Rの章〉

 たった二両しかない赤色の私鉄に乗り込む。  透香は母親にゆるめに巻いてもらった黒髪の先を摘まみながら、隣にいる彼に気付いてもらえないだろうかと思っている。  ロングシートには誰も座っていないが、二人は一席分空けて座っている。照れ臭いのは幼馴染みだからだろう。  透香は俯き、自分の両膝を見ている。海沿いを歩いていたときに転んで出来た傷は、まだ若く赤い。一方、彼は股を広げて座っている。車窓から見える森ばかり彼は眺め、アセロラ味のキャンディを口の中で転がしている。  団地に住んで

ストロー

 4月を待たずして、桜は散ってしまいそうだ。  公園の花見スペースにはいくつもブルーシートが敷いてあり、肩を寄せ合って春風の匂いを楽しむ男女もいれば、頭上の景色そっちのけで酒盛りに興じる中年男性グループもいる。  皆、仄かに頬が赤く、目尻が蕩けていて幸せそうだ。  ブルーシートの端に桜の花弁が舞い落ちる。頭上にある真っ青な空に旅客機が一機飛んでいるように花弁は目立ち、三人家族の娘が拾おうと手を伸ばした。すると風が吹き、隣のブルーシートへ転がっていってしまうので、娘は青年の背中

ワルツ・フォー・デビィ

「お前にとっての音楽ってなんだ?」 「そういうことはあんまり考えたことがない。考えないようにしてるってのが近いかもね」  この曲を作った時、そう答えたのを今思い出したよ。  あれは、3月頃だったかな。  兄夫婦に一人娘が生まれた。それはもう嬉しくてさ、赤ちゃんてすごい温かいんだね。僕びっくりしちゃってさ、気づいたら泣いてて、それを見た兄さんたちが笑っててさ、それで3人でひとしきり祝福しあったんだよ。  それからさ、なんとなくだけど、ここからは夫婦の時間だろうと思って、病室

メロン・ビーチ・クラブ

 レンズの分厚いメガネが似合うふみちゃんはプールの授業をさぼって屋上にいた。太腿の上にはお弁当用のバッグがあり、チャックを閉めたまま誰かを待っている。  建付けの悪いドアが音を立てて開く。  長い前髪で顔が隠れたうみちゃんが手を挙げた。彼女が持っている袋の中には夕張メロン味のミルクとレタスとハムのサンドウィッチが入っている。  消毒と着替えを終え、プールサイドには生徒たちが集まっている。今日はクロールの25メートルのタイムを計る日で、生徒たちはやりたくないと思いながら、日差

ドライアイス

 マイナス79度の二酸化炭素は空気に触れると昇華され、大気中の水分を逆に凍らせながら、白い煙となる。 「なんで、まだあの男と付き合ってんの?」  喫茶店の窓際の席、外気と室内の温度差でガラスは結露している。  彼女には付き合って6年の彼氏がいて、向かいに座る彼女の親友は結婚して三年目だ。親友の夫は馬車馬で、ファミリーカーであり、もはやレジャーシートだ。そんな親友のことを彼女は心から尊敬し、常に正しいと思っていた。  それでも前髪を真ん中で分け、耳のあたりから鎖骨まで緩く巻

トークボックス

 AM5:50。  僕は彼らの住所、誕生日、電話番号、本名を知らない。分かっているのはSNSのアカウント名と、LINEのID。夜明けになるといつも同じファストフード店に集まっていることぐらいだ。そして、僕同様、彼や彼女達も互いに互いを知らない。 kyoko ねえ、聞いて。 今日さ、相席屋からのクラブだったんだけど あたしと友達、男二人で4人出来上がってんのに、めっちゃ絡んでくる奴いて でもイケメンだったからホテル行ったの。 そしたらソイツ暴力団でしたww で、怖くなって今、

グッド・ナイト

商業ビルに設置された屋外用LEDビジョンには猫の部屋が映し出されている。そのビルの脇ではタクシーが止まっていて、テールランプが赤く灯り続ける。今夜は何処かで事故が起きたのだろうか。車内は静まり返っている。フロントミラー越しに肩幅の広い商社マンが腕組みをして座っている姿を、運転主は見てしまった。カーラジオが時事ニュースを提供してくれたおかげで会話のきっかけが生まれ、なんとなく漂っていた気まずさが少しだけ薄まった。タクシーの前を走る都バスの電光掲示板は誰かの最寄りのバス停が近づい

アイム・オーケー

 冬の朝をバスが走る。  最後列の真ん中に彼女は座っていて、聞き流すだけで身につくと話題になった韓国語の教材アプリを聴きながら眠っていた。彼女は春の終わりに地元の女友達二人と一緒にドラマの聖地巡礼をする予定だ。  声が小さく聞き取りずらい運転手のアナウンスが、偶然耳に入ってきた彼女は慌てて降車ボタンを押す。古びた赤紫色のランプが灯って、バスは高校の前に止まった。  校門へと続く登り坂を女子バドミントン部が走っている。それを眺めながらストップウォッチを押し、機械のように淡々と記

ミステリー

 炉に入った彼女の母親、あるいは彼の妻だった遺体は炎によって、肌を焼かれ、肉を削がれ、全てを奪われたあげく、ただの骨になった。  近隣住民から、あの人いつまでも年取らないわよねと羨まれていた美貌も、そんな当人がメイクで必死に隠そうとしていたこめかみのシミも、等しく焼き尽くされ、煙となった。  黒く艶のある石で四角く囲われた台の上には仰向けの状態になった白骨体がある。それを囲む遺族たちは故人を想い、鼻をすすりながら目元を拭っている。  火葬場のスタッフのアナウンスで骨上げが

ソーセージマフィン

 深夜一時過ぎの休憩室で私は食後にプリンを食べていた。  卵の味が濃厚なやつで、いつも買っているものより、色味が濃く、値段も高い。  二四歳の時に上京してきた私は、当時、賃貸管理の会社に勤めていた親戚の叔父さんを頼ってアパートを紹介して貰った。すると叔父さんは、知り合いが店長をやっているからと、雑居ビルの2階に入っている居酒屋のバイトも教えてくれて、私の東京生活はエスカレーターのように自然と始まった。  きっとその時の無知さと、怠惰によって生まれた負債を、私は今も支払わされ続

ニルヴァーナ

「わたしより井上さんの方がこの分野の経験ありますし、これぐらいできますって。よろしくお願いしますね」  彼女はこの日、定時でどうしても帰りたかった。  その理由はマッチングアプリで知り合った男との居酒屋デートだった。  中途採用で入ってきた3歳上の新人との何気ない会話のつもりだった。  3歳上の新人はその1週間後に過重労働を理由に会社をやめた。  部署で開いた送別会で、三歳上の新人はたらふく酒を飲み、串カツを頬張り、よく笑っていた。周りは巻き込まれるように騒ぎだし、縦に長

タイム・ウィル・テル

 マスクをして出掛けることが、すっかり当たり前になった。  政府は屋外であればマスクをとってもいいと言っていたが、街行く人々は今日もマスクをして職場や学校へ向かっている。  テレビコマーシャルでも、ドラマでも、マスクをしている描写が増え続けている。そんな生活様式は今、ニュースタンダードと呼称され、日常として受け入れられ始めている。 「だからトイレは座ってしてって、何回も言ってるよね」  年明け一発目にした妻との口喧嘩を、彼は職場の最寄り駅の改札を抜けながら思い出す。  定

プレイヤー

 街灯の明かりが少しずつ減っていき、交代を告げられた朝焼けが頭上の空に橙と青のグラデーションをつくった。  両手で囲う小さな窓から人々を覗く。  駅の改札から溜息のように吐き出されたた人々はスクランブル交差点で歩行者信号が変わるのを待っていた。 「いい加減プロになりなよ。生徒はあくまで生徒。割り切らないと」  実習の時も、就職面接の時も着続けてきたスーツを纏い、彼女はパンツのポケットに手を突っこんでいる。ジャケットの上にはアイボリーのライトダウンを羽織り、首に巻いたマフラ