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花束みたいな恋をした

24時間起きていることはザラにある日常だけど、

note書くには時間がないような気力がないようなそんな日々。

読み返してみると、自分の気張った、特定の誰でもない人に向けられた文章は少し気持ちが悪いなぁ。

最近とても自分に辟易しているけれど、少し自分を好きになるためにnoteを久しぶりに更新しようと思う。

この映画は解禁されてからずーっと楽しみにしてた。

去年、解禁されてからこれを観るまで出来れば死にたくないなと本当にそう思ってた。

そして、無事に公開日2021年1月29日(金)の9時の回をまず観た。

正直な感想としては、「面白かったけど。」それに尽きる。

一番嫌だったのがあの背を向けながら手を振るシーンだ。

いきなりのリアリティのなさ。

あんなダサいことあの2人がするのだろうか。

わからないけど、坂元裕二が好きなのでグッと飲み込みたいし、

ここに書くのも謀反を起こしているようで気が引ける。

でも書く。本心だから。

でも、するかもしれないなと思う部分もある。

カメラがあるからおかしいだけで、誰も見ないならしたくなるかもしれない。と信者は思い始めていることも記しておく。

これはダメ出しな訳ではもちろんなく、受け手の素直な感想の一つとして読んでほしい。

この映画の出会い方や恋の落ち方はすごかった。

2人とも面倒臭いのだ。凄まじいスピードで面倒臭い。でも若いから微笑ましいという感情がナチュラルに湧く。29だもんなぁ。21歳には何も言えないよ。

人間とは面倒な生き物だと本当に思うけど、

それを隠しながらみんなが生きている。

稀に隠さない人もいるけど、その人たちは若干煙たがられたりしている。ような気もする。正直、自分がハチャメチャに面倒臭いタイプなので、あまり自覚がないし、面倒な人にも種類があって、煙たがられてる人には他の要素が多分にあるなと思う。服装含め、外見とかね。

恋愛においては殊更にその人間の面倒臭さの扱いが本当に難しいと思う。

自分を曝け出せば出すほど、面倒臭い部分と人間らしくて愛くるしい部分が共有され、消費され、淘汰され、一般化され、受け入れられる。

いい方向だけに受け入れられるがゴールなら優しい世界なのだけど、

人間対人間なら相手の調子や環境の変化で受け入れ方が変わっていくこともある。

坂元裕二節というのは面倒臭い人間がいかにも言いそうで最高という感覚があるのだけど、

今回は冒頭のシーンが一番パンチが強い。私はそういう部分はあまり好きではない。

理由としては、片面しか描いていないからと感じるからだ。

面倒な部分もあるけれど、人間としてというか私がこのキャラクターを好きだと思える部分が垣間見えないと魅力を感じないのだけど、その愛くるしさが微塵も感じられなかったりするからだ。

または、いくらユーモアを交えて解説してくれようとも、異論は認めないという圧を感じてしまうからかもしれない。

本作はその序盤の2020年以前の描写はマイルドな印象を受ける。

そのマイルドさが令和(一発で変換に出てこなかったの驚いた)的だなと今思う。

シナリオブックを買っていないので正確か不安だが

「またかとは思うよ。またかだから」というセリフ。

これは、非常にそう思う。

またかと思いながら許す。そういう気持ちは本来あって然るべきだ。

それでも、許すときは、どうせ許すなら気持ちよく許そうみたいな

クソみたいな風潮がこの世には蔓延している。

またか、と思いながら「大丈夫(またか)」ではなく「わかった!お仕事頑張ってね!(またか)」と言えという話だ。

すごく不自然に感じる。

どうせやるなら愛想よく、にこやかに、気持ちよく。というのは一種の呪いのように感じる。

私は、結果同じなのだからいいのではないのかと思うタイプだから。

よりわかりやすく言えば、許してるのだから自分が気持ちよく許されようとだなんて思うなよということだ。許されただけでも喜べよ。求めすぎだクソがということでもある。

例えば、コンビニでお箸のいらない商品にお箸をくださいと言われたとき、

笑顔で渡さなきゃいけないのは何でだろう。

仕事だからと言われても、私はいちバイトである。

渡しても、渡さなくても、給料は変わらない。本当にわからないのだ。

100円均一にはきっと割り箸は売られていて、それを一度買えば

そのやり取りはしなくて済むのではないかと考えてしまうのだ。

わざわざ人に頼みごとをする意味がわからない。

別に欲しいならそれはそれでいいのだけど、にこやかに渡せというのがまるで理解できない。

先に失礼なことをしているのはどちらだろうか。

見知らぬ人に頼みごとをしているのである。私は完璧にレジをこなした。

それで良いのではないだろうか。

ただ、お箸のいる商品を買えばいいだけではないだろうか。

にこやかに渡さないとブチギレる人もいるけど、頭がおかしい。

現に最近、もう一度丁寧に渡し直せとジジイに言われた。

「嫌です」とはっきり断れたのは大人になってよかったなと思える。

頼みごとをされて、叶えているのに、もっと笑顔でもっと丁寧に対応しろという付加価値まで求められているのだ。

違う子連れのおばさんにはそんな態度ならいらないと突き返されたり、

必要分は渡しているのに勝手にお箸を持っていく障害者の方に、「今日はいいですけど、勝手に取らないでくださいね」と言ったら、お箸を投げつけられたこともある。

私は、レジ打ちをして、会計をして、コンビニ店員としての責務は全うしているのに。

+αでお箸を求められ、どころか+βで愛嬌を求められる。

クソだ。

笑顔でも笑顔じゃなくても、お箸は手に入るし、私の給料は変わらない。

何が違うのだろう。

コンビニにまた来たいなと思う要素なんてあるのだろうか。

そこにあるから行くだけではないだろうか。

あえて、あるとしたら店員の顔がいいぐらいしかないのではないのだろうか。

逆に言えば、あの無愛想な店員がいるから行きたくないは多分にあるよね。

それは願ったりなんですよ。

お箸の必要としない商品にお箸を求める人間、そんな良い人間じゃないでしょ。

たまたま一回だけの人なら、まぁ無愛想だったけどお箸くれたしなと思うと思うんですよね。

箸ごときで愛想がないと怒る奴は、たまたま一回だけじゃないんだよ。

そんなことをこの10年ずっと思う。

そう、これでわかると思うけど、私は坂元裕二が本当に好きなのである。

10年思ってることを言うのは気持ちがいいなあ。

こういう、どうでもいいことだけど、ずっと考えてること。

きっと探せば人間誰しもありそうなものだけど、私はそれを知りたいし、そこの感性を重要視してしまう。

この映画では、じゃんけんの概念の話だった。

パーが表す紙がグーの石に勝つのは謎、普通に考えて破れるではないかというのだ。

非常に面倒臭い。どうでもいい。でも愛しい問だなと思える。

当たり前を良しとしないことは非常に疲れる。

あらゆることに疑問を抱き、考え、そして丸め込まれる。

丸め込まれるなら無駄な過程に思えるが、そうではない。そうではないと思わせてくれる映画なのだ。

その無駄な過程を慈しみ合う恋愛になるはずだった物語だ。

先ほど、結果が同じなのだから無表情でお箸を渡してもいいではないかと書いたすぐ後に、丸め込まれるのに無駄な過程を踏むことは愛おしいと書いている。

矛盾のように感じたが、矛盾でもないかと思えてきた。

私は、この映画の別れ話のファミレスのシーンがたまらなく好きだ。

2人の涙があまりにも美しくて、何度でも観たい。

役者はすごい。本当にすごい。

どうしても号泣してしまう。

一度目は正直、気乗りしなかった。

あんなにも運命的な感性の合致を見せられた後だったから、

観客である私ですら別れを受け入れらなかったのだ。

現に、今も正直受け入れられていない。

麦くんは別れた後も本棚があるんだなとか思ってしまう。

勝利の必勝法みたいな本があるのだろうか。

別にそういう類のビジネス書を読むことを否定したいわけではない。

あまりにも変わっちゃったねと思うのだ。

あの時の本屋での絹ちゃんの気持ちが痛いほどわかる。

私と元彼は伊坂幸太郎をきっかけに仲が深まった。

バイト先の先輩が何でか忘れた(誕生日プレゼントだったかな?受験の息抜きに読みなよだったかな)けれど

伊坂幸太郎の『チルドレン』の文庫本をくれた。

私はそれを当時片想いしてた彼に、「2冊あるから1冊あげる」とあげたのだ。(本当に2冊あった気もするし、本当はなかった気もする。どっちだっけな)

何とも酷いと思うかもしれないが、私の大事なものを彼にあげたかったのだ。

大事にしているからこそ、貸すのではなくあげたかったのだ。

私を好きになることはなくても、この本を好きになってくれて、本を好きな彼がずっと大事にしてくれるならと祈りに近い気持ちと、もので釣ると言う非常に浅はかな感情が綯い交ぜになった気持ちであげた。

そういう始まりの仕方をしたのだった。(今、目が潤んでる)

そうこうして交際4年を過ぎたあたりから、彼は本が好きだったことからとある大学の国文学専攻で、明治期の作家の研究に勤しんでいた。(はず。よく知らない)

ある日、彼は言った。

「伊坂幸太郎より、太宰治読みなよ」と。

その時、私の好きな彼じゃなくなってきてるのだなと思ったのを今でも覚えている。(何年前だよ)

そして、彼もまた私に同じことを感じていたと思う。

大学で映画学を専攻していた私は、読書をせず、映像作品にばかり触れ合っていたからだ。

読書をする時間を取らず、たまに彼のためにと恩着せがましい気持ちで読書をしたりしていた。

もう、あの頃の私たちでは自然となくなっていたのだ。

恋愛とはそういうものなのかもしれないなぁと思う。

大人になると、もうその感性は基本的に出来上がっていて、

多感な時期に比べると時間の制約もあり趣味に使う時間は本当に限られている。

だからこそわかりやすい。

あまり移ろわないからだ。

誰の影響を受けるでもなく、自分の心地のいい時間の使い方を何となくみんなが理解している。

学生のように暇の使い方を模索していないのだ。

コロナ禍ではまたアウトドアな人は違っただろうけど、アウトドアな人に私はもとより興味がない。

これから家でできることを模索する人間に一から教えるのは全くもって好みではないのだ。


この映画を観て、私は有村架純バケモンだなと思った。

普段、彼女のインスタを見てても、彼女はよくわからない。

落ち着いているのかなと思うけど、関西人特有のノリの良さも垣間見えるやり取りを見る。

お姉ちゃんが話題になって、妹として辛い部分もありそうなものだけど、

ドンとしている。本当に偉大だなと思う。

人気だけど、どこか影のある。

主演だけど、慎ましい感じ。

そして、舐められがちな見た目に反して、

確かな演技力がこの映画では痛いほど見て取れた。

菅田将暉はカメレオン俳優というか、色物な感じがするし、

もう話題も十分、実力派といった印象で私も菅田将暉という俳優がとても好きだ。

特に彼の役を生きる感じが危なっかしくてとても好きだ。

キスの仕方一つ変える彼の憑依センスがたまらなく愛しい。

ちなみに麦くんは少しおどおどと唇を合わせるというより挟む感じだった。

何となくわかる。

でも、その菅田将暉を有村架純が完全に食ってるのだ。

すごい。本当にすごい。

菅田将暉の泣きの演技大好きなのだけど、次のカットで有村架純が超えてくることに本当に驚いた。

私は演技の勉強なんてしてないし、何も知らないけど、

有村架純がすごいことは間違いない。

好みだろうけど、本当に本当にすごかった。

戯れる演技も、本当にちょうどいい。

電車で気まずそうに笑うシーンも本当にすごい。

有村架純すごい。(何度も言いたい)

イヤホン外して、お疲れ〜と言う感じもすごいんだよな。

嘘くさくならないのすごい。

坂元裕二寄りの面倒臭い人間なのかな、そうだといいな。

この映画で好きな部分は沢山あるけれど、

『クロノスタシス』を歌いながら戯れる有村架純が可愛い。

イメージがつかないのに、しっくりくる。女優だ。

菅田将暉には『クロノスタシス』を歌っても意外性がないんだよなぁ。

ANNを聞いていて、彼は本当に柔軟で自然体な人なんだろうなとは思う。

多くのものを好きでいられるし、『テニスの王子様』を空き時間に読破すると言うイかれた感性もすごく好き。

でも、そこで何より、『クロノスタシス』をチョイスする坂元裕二。

お強い。

どうあがいても強いよ。

『クロノスタシス』なんて邦ロック好きですとか言ってる

フェス大好きなふざけたダサい人間全員好きじゃん。私も大好き。

みんな知ってるのに、何故か自分だけが知ってる名曲な気がするエモソング第一位です。流石です。

目の付け所シャープよりシャープ。

だからこそ、共感が生まれるし、自分だけの特別になっちゃう。

カーッ!ずりー!!


これは、自分の物語だと錯覚する。

だけど、これは絹と麦の物語だから。一から自分を思い返して。

終電で出会った?押井守を見たことある?声かけないでいられる?と言うかまず押井守の顔わかる?(現に私はインタビュー原稿含め資料も読んだけど、顔を認知していなかったです!サブカルファンはすげぇよ!)イラストレーターになる夢を持ってた?就活あんなに長引いた?付き合う前にセックスせずにガスタンクの映像観るだけの3時間21分を過ごしたことある?雨に打たれてるのにセックスせずに本当にいられる?写真家の先輩がいる?フリーとして働いて、あんなにぞんざいな対応されたことある?圧迫面接で泣いたら駅に走って迎えに来てくれたことは?ていうかね、

こう書いてても、ない記憶があるように感じてきちゃうの

めっちゃわかる。(共感)

でも、ない記憶であることをしっかり自覚して欲しいのよ。

ないけどあると、あるは天と地の差なのよ。

要は、誇大表現をやめろと言いたい。

共感しかない!みたいなの。

共感できる部分が沢山あったはギリセーフで、

共感できるとこ点在してて・・キツすぎ・・最高・・が仲間。って感じ。

言いたいのは、ジョーカーみたいなバズり方しないでねってことなんです。

ジョーカーに共感!ジョーカーは今の情勢が最悪な日本にこそいる!俺!みたいなやつです。

はな恋最高!私もあんな恋愛してたなー!今は結婚して子供いるけど学生時代思い出しちゃった!私の物語だった!とかは黙れってことです。


あ、そうそう公開日に17時からの舞台挨拶中継付きのも観に行った。

同じ日に2回見ることはそうそうないし、多分初めて。

同じ日2回目なのに泣けた。

1回目より泣けた気がする。

そして、舞台挨拶の司会の人下手すぎてマジで感じ悪くてイライラした。

映画業界どうなっとんねん。嫌だわ。

以上、6000文字近い感想文でした。


ずっと好きでいるなんて無理なのかな。

もう一回観たいし、グッズ集めよっと。


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