好きがわからない話

好きってなんだろう。
私は「他人」に迷惑をかけないように」としつけられてずっと他人を優先してきて疲れて全部どうでも良くなってしまった。
H×Hでもあったように大抵の場合その言葉に含まれる「他人」は第三者ではなく親の事を指す。
結局一番偉いのはしっかり自分の頭で考えた意見を他人にも分かるように説明できる子供の皮をかぶった大人だ。
それに気づいたのは最近だが、もう他人と関わるのに気を使いすぎて他人と一緒にいるより1人でいる方が気楽で心地良いと思う大人に育ってしまった。

そんな中、恋人ができたり別れたりして人間として成長していく友人の姿を見て、学生の内に恋愛をしておかなければ本当の意味での大人になれない、と思いマッチングアプリで恋人を探す活動を始めた。

長期間2、3回ぐらいやったりやめたりしながら人間を探していたところ、なんとなく直感で可愛いな、と思った人と会うことになった。

それが今の恋人なのだがその人は結構グイグイ系なのである。
交際に至る前から事あるごとに愛を伝えてくれるのだが私にはそれがわからない。同じものを持っていない。
私は私のことが好きな人のことが好きだ。おうむ返ししかできないのだ。
無から有は生み出せない。親愛、友愛はあれど恋愛感情というものが自分にないことを知った。
でもその人は価値観が近くて私のことがとても好きで私に優しい。
だからそれに報いたいと思って頑張ってその人の為に時間を割いてきて今まで続いている。
私は自分の事ばかりしか考えていないと思う。それを恋人に謝ると、そんな事ないと言ってくれるし、きっと本心だが疑ってしまう。そんな訳ないと思ってしまう。その猜疑心さえ無くす事ができれば私は彼と同じ明るい人間になれるのに。
でも一緒にいる時間が長くなるほど恋人との別れの道を選べなくなってしまっている。私なんかと一緒に過ごした若い時間が無駄になってしまうのがかわいそうで。
基本的に私が彼に抱く感情は「かわいそうに」だ
それはとても失礼な事だというのは分かっているけど心のどこかで彼が私を愛してくれてるのが嬉しくてニコニコしながら、でも「私なんかと居てかわいそうに」と思うのだ。一緒にいても居なくてもかわいそう。

自己肯定感が低いと自分の内に入れた近いものの事まで一緒に卑下してしまう事がある。「自分なんかの恋人なんてろくな奴じゃないよ」「自分の家族はみんな陰湿で無口で前時代的価値観に支配されている」など
自分が大切に、近くに思っているから内に入れるのに、内に入れたものは外に対して大切なものだと自慢する事ができない。雑な扱いをしてしまう。

恋人と触れているときはとても愛おしいと思うけど離れていると自分のタスクに追われて毎夜毎夜通話するのがすごく邪魔に思える事がある。
私はやりたい事があるのに!!あなたは何かやる事ないの?暇なの?
でもきっとそんな事なくてやりたい事が私と電話して話す事なのだろうなと思う。けど私にとって恋愛、プライベートの優先順位は最下位なのである。
最下位のタスクのくせに一番重くて相手しなきゃこの関係が続かないっていう事が一番ストレス。

いっそのこと捨てたらどれだけ楽になるだろうと何度も思った。
この時間がなければあれが進められた、もう少し寝られた…etc
後悔は山のようにあるが、それと比べても恋人がいるという事実は精神の安定につながり交際しているデメリットを今のところ上回っているのである。

私、君のこと好きじゃないかもしれない、今まで返してきた私の「好き」は嘘じゃないけど君のとは違うかもしれない。そう伝えた事があった。
けど恋人は「愛になったんじゃない?」って言った。
そうかもしれない、元々愛だったんだと思う。

私の愛は穏やかなものだ。激しく燃えるでもなく。。
高齢者が飼ってる猫ちゃんへ向けるような穏やかなでもしっかりと深い愛だ。
好きってなんだ。そんなしょっちゅう伝えるものではないような気がしている。言わなくても君が好きだよって行動で示せると一番良いんだけどそれができないから君が不安になって好きって言ってくれるんだね。
ワーオワイワイ。ごめんね


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