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自分を生きるという選択

こんにちは!四月一日庭の車田です。
今日は、昨日、富美菊さんにて行われた算命学鑑定のイベントを終えての感想と、考えたことを書きたいと思います。

昨日はありがたいことに、ほぼ休憩なしでご予約いただき、さらに当日飛び込みでご予約いただいたお客様もいらっしゃいました。

私は本来、直接お会いしてお話を聞きながら言葉を選び、お伝えしたいと思っています。それは、気質というものをどのように活かしているかは人によって全然違ってくるからです。もちろん、それを見越した上で鑑定書を作るのですが、その場合、同じことを伝えるにしても、その方の背景を知っているか知らないかでは大きく違ってくるように思うのです。

なので、その人にとって本当に必要な言葉を選べているのか、正直不安でした。

今回は、ほぼ全てのお客様が初対面という中、あらかじめ用意していった鑑定書に書かれた内容に納得してくださる方々というのは、懸命に生きて、自分の気質を輝かせてきた方々なのだなと、改めて思い知らされました。

もちろん、葛藤の最中にあるからこそ鑑定のご依頼を下さったわけですが、算命学を知らなくても、これまで選択してきたご自身の人生を信じていただきたいなぁと心から思います。

私が当てに行っているのではなく、ご自身がご自身を信じて生きてきた結果、当たっているように感じるだけなのです。


私には、霊視であるとか透視であるとか、何か特別な能力があるわけではありません。ただ算命学の理に則って、命式に並んでいる星の性質を見ているだけです。

そして、まだまだ未熟者ゆえ、こんなに強いエネルギーを持っていたら、こんなふうには生きられないだろうと、私としては思ってしまった方が、そのエネルギーを内に抱えたまま、いろんな自分と家族や社会と折り合いをつけて、「一般的な枠」の範囲に寄せにいくような形でもきちんと人生を全うされている方がいらっしゃいました。

たった数十分の中で、果たしてどこまでのお話を聞けているのか分かりませんが、今現在こうしてご自身やご家族が元気に生きているということが何よりの証ですし、バランスを崩すにはあまりに危険なレベルの強さでしたので、ちょっとした感動すら覚えました。

世の中には、本当に様々な人々が生きています。

肩書きや年収などとは関係のないところで、密かに壮絶な人生を歩んでいらっしゃる方々がどれほどいることでしょうか。

平凡であることが、実は一番難しいかもしれないのです。
これは算命学を学んでいると本当に実感として感じられます。
実際、統計的に見ても、クセのない命式を持つことの方が難しいです。

特に、命式上大きく一般的なところから外れているにもかかわらず、一般に寄せにいく生き方というのは、本人にも周りにも大きな歪みを生み出します。こういう方は、相当魂を磨かなければなりません。


自分を押し殺すという形とは違う方法で、そのエネルギーをどう昇華させるのか。

出家したほうがよっぽど楽かもしれません。

どんな人でも、常に選択して生きています。
それは、自分を生きるための選択です。

選択そのものに、良し悪しがあるかと言われれば、答えは未来にしかありません。未来は今ここから作っていけるものです。
ということは、どんな選択も「良かった」と未来で思えることができれば良いですよね。

今回の鑑定で、私は改めて自分を生きることに真剣になろうと思いましたし、未来の自分が納得できる選択をしていこうと思いました。

鑑定のご予約をしてくださった皆様、イベントを企画してくださった富美菊の麻衣子ちゃん、本当にありがとうございました!


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