誰かの説明書:感覚過敏とあがり症の関係性について

 

「君の話を聞くのなら、夜の方がいい。
 今は、うるさすぎるから。」


 私の通っていた幼稚園では、その日の当番が朝礼で、自分の名前(+年齢)と親の名前(+年齢)他を、皆の前で言うという謎の風習があった。
 私は、そこでいつも泣いていた。朝礼の前から、自分の心臓の音しか聞こえなくなって、皆の前に立つと、たくさんの顔が悪魔のように見えて、怖くて、泣いてしまう。当時は、何故こんなことになるのか分からなかった。他の事をやっている時は、全然そんな素振りないし、寧ろ、大体の事が出来て、体も大きくて、活発な人間だったから猶更、不思議に思えた。だから「自分は人前に立つと、必ず泣く人間なのだろう」と案外冷静に、自分の事を受け入れていた。周りの人も、その特性の事に触れる事もなかったから。
 
 小学生になってからも、変化はなかった。新学期の最初の自己紹介で、泣いてしまう。注目が集まると、簡単な発表でも、するのが難しい。自分はいつも通りだなと思っていたけれど、段々と周りの人間からの目線が変わってきた。そう、人とは違う目立った特徴だったから、笑われだしたのだ。
結局、最後の最後、卒業するまで直る事はなかった。
(卒業式の時は泣いてた方が感じいいから結果オーライ、と今振り返れば、ポジティブに捉えられる。当時は、そんな余裕なんてなかったが。)
 
 中学生になってから、この特性に転機が訪れた。最初の自己紹介で、泣かなかったのだ。また、発表しても緊張はあるが、泣くまでにはいかなかった。当時は、それがなぜかわからなかった。ただ、泣かないようになったのなら良かったと、それだけが嬉しかった。
 今、それを分析してみると、なんとなく理由が分かる。
 おそらく。「視力が落ち始めていた」からだと思われる。中学生になった事から、家にあるPCを使い始めていた。ゲーム実況というジャンルにハマって、ほとんどPCの前に座っていた。生放送の為に深夜まで起きていた事もあり、あきらかな夜型として生活していた。そんな生活を続けていたからか、視力がガクッと落ちた。そのおかげ、人の顔が詳細には見えなくなっていた。そのおかげで、泣かなくなったというわけだ。
 
 この分析から、逆に言えば、自分は「人の表情の変化を読み取るのが異様に得意だった」のだろう。昔から、電車が近くにいると耳を塞いだり・花火の音・降り注いでくる感じが怖くて泣いてしまったり、匂いに対して敏感で気分が悪くなりやすい他、あきらかに一般的な人より、五感の感度が高かった。それは、人に対しても発揮されていて、「なんとなく、この人いつもと違うな」「こーいう事が言いたいんだろうな」と、感覚的に察する能力が強く、また、それがかなりの正解率だった。
 
 ここで参考に、自分の感覚を言語化してみる。例えば、人と話す場合。
 最初の何分かで、その人のベースラインが形成される。ベースラインというのは、声の高さ・抑揚・仕草他、五感で受け取る(なんとなくの雰囲気というのもここで捉える)ことが出来る情報で、その人の基準値みたいなものが形成される。それが出来ると、そこから先で言っている事が、「本当のことか」「嘘のことか」すぐ分かってしまう。嘘の場合は、特異点として、なにか違和感を感じる。また、話している内容が本当の目的では無くて….とかも、なんとなく感じ取ってしまうので、これは悪用しちゃいけないよと、お天道様と契約をしている。繰り返し会えば会うほど、その人の情報が正確になっていくので、正直、どんどん楽しくなくなっていくのだ。
(たまに、全然一貫性の無い人間も現れるので、そんな人と一緒にいるのが、唯一の楽しみ)

 社会人になると、嫌でも人前で話す事が多くなってくる。会議で話す事がある時は、ずっと独り言をしながらイメージトレーニングをしていた。ややこしい話になるのだが、おそらく自分は、ワーキングメモリーが弱い。同時処理するのが難しいので、あらかじめの準備を徹底して行う。かなりの頻度で、会議を行っていたので、少しずつ慣れていった。また、社会人になって分かった事だが、人の気持ちを感じ取るのが得意なので、司会進行に向いている事が分かった。「この人言いたい事がありそうだな」「ここで一回まとめた方が良さそうだな」他、自分の特性を生かすことが出来た。
 ただ一つ欠点があるのは、終わった後の疲労感だ。会議が終わると、もう何もできなくなってしまう。消耗が激しいのだ。だから、会議があると分かると、それまでに大体の事は終わらせるか、その日は捨て日にするようにして対策を取っていた。
 
 こーいった悩みは、目に見ない。明らかな見た目の症状として出ないから、言っても伝わりずらい。面接では、「どのように乗り越えましたか?」というような質問をされるけれど、私からすれば乗り越えるものでは無いのだと思う。また、良くなることもない。いつも隠すのが上手くなるだけだ。だから、そもそもそのような場所で戦わないというのが正解なのだと思う。対人では有効活用できるが、体力的にしんどくなる。本当にそれがやりたい事なのであれば、その場所にいつづけてもよいと思う。ただ、いつでも他に居場所はあるのだと思っていた方が、気楽に過ごせるだろう。

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