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自分と他人とを比較して落ち込む妄想をし始めたら、足の裏に意識を集中させればよいと言う話

自分と他人を比較し、他人に嫉妬してしまう。
この行為は自分で自分を不幸にする「妄想」に他ならない。
この妄想から解放されるためには、「地に足をつける」ことから始める。

自分と他人を比較する行為について

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facebookやインスタ、TiktokなどSNSの中の身近な他人を見て、
「楽しそうにしてるな…」「何か少し妬ましいな…」なんて感じてしまうことは常日頃あると思います。

この行為は誰しも経験があるものだと思いますが、傾向として、あんまり自分と共通点の少ない他人に対しては行わないと思います。

これは、リアルな想像ができないからだと思っています。例えばお金対して執着があるひとでも、アラブの石油王の生活がテレビで流れても「すげー」と感じるだけで、ここに嫉妬は覚えないと思います。

逆に自分と身近で関係が近い他人に対しては、近い故に想像ができてしまうし、その差に意味を感じてしまう傾向があります。

ただし、この想像はあくまで想像であり、相手の状態を完全には理解できないまま比較するという意味でこれは「妄想」です。

妄想をすることによる影響

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妄想ですが、良いこともあります。
例えば、身近な目標として設定することで妄想を目標として変える事で、あるべき方向に向かわせることができる場合もあるでしょう。

一方で、悪いことの方が私は多いと思っています。

①自己肯定感を下げる
比較をすることは、自分と相手の間にある差を感じるということです。
自分に欠けたものが存在することを意識し続けることは、自己肯定感を著しく下げる行為であるといえます。

②時間を費やす
私が何より勿体無いと思うのが、この妄想に時間を費やしてしまっているという事実です。本来自分が楽しめていた時間、本来的な自己の実現のために使えていた時間を、この妄想故に無為にしてしまっているわけですから。

③自分を見失う
この妄想に取り憑かれると、本来自分が目指していたはずの方向すら見失わせてしまうことがあります。差や欠けるものを見せられると、人の性分としてはそれを埋めたくなるものです。
しかし、差を埋めること=自分の向かいたかった方向ではないはずです。
良いこととしてあげた目標設定も、結局は本来的な自分の目指す方向と合致していなければ、ただ自分を見失った行為に他なりません。

何故このような妄想をしてしまうのか

一言で言うと地に足がついていなからだと思います。

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あくまでこの比較という行為は、勝手に自分の中で作り出した相手の妄想と戦う行為です。
自分が自分の目指す方向が明確であれば、気にならないはずです。
何故なら、相手と自分は本来目指している場所が違うはずなのですから。

ではどうすればいいのか

他人との比較を自分が生み出した「妄想」だと理解することです。
妄想を断つためには、「今自分がどこにいるのか」を思い出しましょう。

買い物中だったのでは?食事中だったのでは?勉強中だったのでは?

思い出すためのルーティンとして、最適だと私が思うのは、
「足の裏に意識を集中させること」です。

「地に足がついていない」という言葉の通り、
妄想中は自分が何となくどこか心が浮いた状態になっています。

強制的に地に足をつかせた心持ちにするためには、地面と接している足の裏に意識を集中させることが有効だと思います。
これは一種の瞑想状態だと思っています。頭の中で足の裏に意識を集中させることと「地に足を着いたイメージ」とが脳内でリンクされ、平静を取り戻せます。

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私の場合は、こうすることで今自分がいる場所を思い出し、本来自分がすべきだったことに意識を戻すことができるようになりました。

この記事が、妄想を断ち、本来性をもった生き方ができるTipsになれば幸いです。

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