ほんとうの自分はちっぽけで、ひとりでは何もできなかった
もしかしたらあなたは既に、『Re:ゼロから始める異世界生活』が面白いことを知っているかもしれません(以下よりリゼロと省略します)。
しかし、コーチング的な観点からもう一度観てみると、リゼロの面白さは倍増するかもしれませんよ。
リゼロとは、ライトノベルが原作のアニメです。
あらすじについて簡単に解説すると、コミュ症かつ引きこもりの主人公、ナツキ・スバルがある日、異世界に迷い込みます。
その異世界で、スバルは様々なアクシデントに襲われるのですが、学校にも行かず引きこもり、ろくに人と会話もしないまま自堕落に生きてきたので、当然解決できません。あっけなく殺されます。
しかし、スバルには唯一、なぜか持っていた特殊な能力がありました。
それが『死に戻り』です。
スバルは死ぬと、セーブポイントまで巻き戻り、何度でもやり直すことができたのです。
だから、スバルは何度も死に戻っては、泥臭く重要な情報を手に入れて、その情報で周りを動かして、助けたい人を助けます。
まさしく泥縄式です。
泥縄式と言うと、イメージが悪いのは重々承知ですが、まといのばの主催はむしろそれを推奨しています。
(引用開始)
もっと面白いのはもっとも原始的な生命である粘菌が持つ知性の研究でしょう。粘菌が迷路を解くという研究でイグノーベル賞を受賞しました。イグノーベル賞と言うとトンデモ理論のようですが、ちゃんとした学術誌に発表されています。粘菌ですら迷路は解けるということです。
これは相当に面白いです。生命や知性に対して新しい知見が開けると思います(シンプルに言えば、知性や論理はもっとヒューリスティックなものということです。我々は知性や論理を完全情報の側から考えすぎています。もっと泥縄式なのが最も合理的であり、最適解ではなく近似解を求めるのが生命であり、宇宙なのだと思います)。
(引用終了)
わたしが思うのは、わたしたちはみんな、ナツキ・スバルにしかなれない、ということです。
べつにこれは悲観ではなく、ただの事実確認だと思っています。
わたしたちは、つねに、わたしたちが夢想するヒーローのようになりたいと願っています。
絶望的な状況を、たったひとつの言葉、たったひとつの行動でひっくり返すようなヒーロー。
憧れたことがない人の方が少ないでしょう。
でも、そのヒーローたちの裏の顔を、わたしたちは軽視し過ぎているのかもしれません。
わたしたちの目には、余裕な顔のヒーローがたった一手で状況をひっくり返したように見えます。
しかし、その裏では、汗水を垂らして、膨大な量の仮説を立てては検証していく、という作業を繰り返しているのではないでしょうか。
つまり、一手で正解しているように見せかけているだけで、実は周囲にバレないように、何度もトライアンドエラーを繰り返しているのではないか、ということです。
以下、まといのばの主催より引用させていただきます。
(引用開始)
それはさておき「謎解き」です。
謎を解くことが大切です。
たとえば「頭痛にはどんな気功が効きますか?」という質問はざっくりすぎるのです。
頭痛は原因ではなく、結果です。
症状は原因ではなく、すべて結果です。
その結果に至る原因をひとつひとつ検証していくことが大切です。
このときの感触は正解を探すというよりは、不正解を潰すという感じです。
この発想は非常に大事です。
繰り返しますが、正解を探すのではなく、不正解をつぶしていきます。
不正解をつぶして、蓋然性の高い範囲に絞っていくイメージです。
(僕は真綿で首を絞めると言いますw正しい表現ではないのですが)
(中略)
「それは生き物ですか」という質問は、世界を生き物と無生物に分けます。
分けることで、回答が所属する部分集合を探すのです(最終的には、部分集合自体が回答となります。リンゴとは概念の部分集合です)
このときの感触のポイントは正解があるのではなく、外側から真綿で首を絞めるように狭めていくということです。蓋然性を高めていくのです。でも、それは明晰判明で確実なものとはなりません。
這いずり回って探しながら、可能性を潰していく作業なのです。
(引用終了)
スバルもまた、そうです。
彼は、まるで未来を予言するかのように周囲を動かし、的確な選択で問題を解決していきます。
スバルが死に戻っていることを知らない周りの人たちからすれば、スバルがとても有能な人間に見えるでしょう。
しかし、スバルはただ何度も何度も、仮説を立てて検証していただけです。
「この選択を取れば死ぬな」というのが分かっているから、それを回避し、より良い選択肢を取ることができます。
魔法のような結果の背景には、魔法使いによる血の滲むような可能性を潰していく地道な作業があります。
そういう意味で、わたしたちは、スバルのようなヒーローにしかなれないのです。
わたしたちもまた、スバルのように泥縄式で仮説の検証を繰り返すことで、ようやく圧倒的な結果を出すことができるのでしょう。
そこで面倒くさい、と思う気持ちは分かります。
こんな難しい作業できるわけがない、と思う方もいると思います。
わたしもそういった思考を捨て切れません。
けれど、コーチングにおいて能力は二の次です。
大切なのは、ゴールとエフィカシーです。
リゼロで面白いのは、主人公がいくら死に戻ったとしても、問題を解決するには鍵が足りない、という事実です。
その鍵とはまさに、エフィカシーです。
(引用開始)
「エフィカシー」がネックになることというのは多くあります。
練習ではできるんだけど、本番でできないとか、緊張して大事なところでトチるというときの原因はエフィカシーです。エフィカシーの低さが足を引っ張ります。
もちろん特別な場合だけではなく、普段の生活でも、エフィカシーの高さは大きな問題です。
エフィカシーの高さに応じて、見えるものは変わってきます。
チャンスが目の前に転がっていても、それが見えるかどうかはエフィカシー次第です。
エフィカシーというのはコーチングの用語で、自分のゴールの達成に関する自己評価です。現状の外のゴール、すなわち叶いそうにない夢だけど、どうしても叶えたい夢を持っていて、その夢を自分は叶えることができるのだ、という自己評価がエフィカシーです。
ゴールの達成に関する自己評価です。
(引用終了)
スバルは何度も死に戻ります。その度に、自らの無能さを痛感させられます。
大切な人が目の前で殺されます。
助けを求めた人に嘲笑させられます。
自らも地獄のような苦痛で殺されます。
そうすると、どうしてもエフィカシーが下がってしまいます。
すべての人たちが助かる、そんなウルトラCなんて解決法が本当にあるのか。
そもそも、今まで何もしてこなかったただの引きこもりに解決できる問題なのか。
自分ならできるって勘違いしていただけじゃないのか。
スバルが作中で吐いた弱音が、なんだか本当に強く私の胸を打ちます。
(引用開始)
「諦めるのだって、簡単なんかじゃなかった……! 戦おうって、どうにかしてやろうって、そう思う方がずっと楽だったよ……! だけど、どうにもならないんだよ……道がどこにもないんだ! 諦める道にしか、続いてないんだ……!」
(引用終了)
ゴールに生きていると、「No way」と呟きたくなることもあると思います。
どうすりゃいいんだ! と叫び出したくなった日もあったことでしょう。
だって、本当に何も分からないんですから。
自分の能力や、技術、知識が頼りないおもちゃのピストルのように思えてきませんか?
今まで何をやって来たんだ、と過去の自分を本気で呪いたくなった日もあったかもしれません。
スバルもそんな過去の怠惰な自分を呪いました。
(引用開始)
「空っぽだ。俺の中身はすかすかだ。決まってるさ……ああ、当たり前だ。当たり前に決まってる! 俺がここにくるまで、こうしてお前たちに会うような事態になるまで、なにをしてきたかわかるか!?」
「――なにも、してこなかった」
「なにもしてこなかった……なにひとつ、俺はやってこなかった! あれだけ時間があって! あれだけ自由があって! なんだってできたはずなのに、なんにもやってこなかった! その結果がこれだ! その結果が今の俺だ!」
「俺の無力も、無能も、全部が全部! 俺の……腐り切った性根が理由だ……ッ! なにもしてこなかったくせに、なにか成し遂げたいだなんて思い上がるにも限度があんだろうよ……怠けてきたツケが、俺の盛大な人生の浪費癖が、俺やお前を殺すんだ」
(引用終了)
リゼロを読んでわたしが思うのは、ある種の危機感と恐怖です。
きっと多くの人は、リゼロを自分とは関係ない物語として処理するのだろうと思います。
俺だったら絶対にナツキ・スバルのような人生は送りたくないな、と笑うだけだと思います。
しかし、わたしは自分の未来がスバルと重なってしまい、ものすごい恐怖を覚えました。
なにが怖いのでしょうか?
自分の能力を超える仕事です。
時間も能力も足りず、毎日目隠しして綱渡りをするような、神経のすり減る毎日です。
スバルもまた、自分にできる範囲を圧倒的に超える現実を目の前にして、心が折れます。
自信が喪失して、逃避行を目論みます。
わたしもまた、近いうちにスバルと同じような目に遭うのだろう、と戦々恐々としています。
なぜそこまで恐怖するのかと言うと、まといのばの主催がヒーラーの日常について、かなり具体的に語ってくれているからです。
その言葉と、リゼロのナツキ・スバルが、なぜかわたしには重なって見えてしょうがないのです。
(引用開始)
最初の頃は十分に「時間も能力」もあるのです。しかし、すぐにクライアントのレベルが跳ね上がり、自分のいまのレベルを追い抜いていきます。
そして、そのときは自信たっぷりのヒーラーであったはずの自分が、新しい要求水準の高いクライアントにとっては完全に無能な存在となるのです。
この「壁」のことを「まといのば」ではいつも「絶望」と呼んできました。「絶望」は良いことなのです。自分が何者でもなく、能力も無ければ、可能性もほぼ閉ざされているということをきちんと知るのはいいことです。それは社会が教えてくれるのです(「まといのば」の言い方で言えばロゴスの声が教えてくれるのです)。
この「絶望」をきちんと骨の髄まで味わったうえで、それでもなお自分はこれをやりたいと思うことが真の意味でのwant toであり、全く根拠はないし現状はむしろ絶望的なのにも関わらずなぜか自分はできると確信するのがエフィカシーです。
ですから、ひとり孤独に絶望の底で血反吐を吐き、涙を流していないところでの、want toやエフィカシーなど存在しないのです。
苦しみの中にあってのかけがえのない信仰のようなものがwant toやエフィカシーです(ここをもし勘違いしたとしたなら、結果に結びつかないのは当然です)。
(引用終了)
スバルもまた、絶望しました。
自分が何者でもなく、能力なんてなく、壁はどこまでも閉ざされている、と痛感しました。
その上で、スバルは立ち上がります。
スバルを信頼してくれる仲間の言葉によって、エフィカシーを上げて、今までろくに見えなかった“道”を見出します。
とはいえ、それで、スイスイと全部が都合よくいくのかと言えば、全然そんなことはなく、更なるアクシデントに遭遇し、あわてて対応してなんとか乗り切ります。
そうして綱渡りのような道を渡り切り、ようやくスバルは助けたかった人たちすべてを助け出すことができたのです。
まさしくゴールの達成です。
(ゴールの更新については、この記事ではちょっと遠くに置かせていただきます)。
ここで重要なのは、解決策を見出したから、エフィカシーが上がったのではなく、エフィカシーが上がってから、解決策を見出した、ということです。
一般的な認識で言うと、順序が逆なのです。
でも、それこそが真実です。
もうどうすることもできない。
道なんてどこにもない。
そんな絶望的な状況のなかで、エフィカシーを上げたから、「俺ならできる」と言い続けたから、スバルは解決策を見出すことができました。
ということは、つまり、エフィカシーこそすべて、と言ってもいいのかもしれません。
もちろん、ゴールはありきですけど。
そして、もうひとつ。
リゼロにおいて、ナツキ・スバルはエフィカシーについて、さらに重要なことを教えてくれます。
つまり、エフィカシーとは自分では上げることがほとんど不可能だ、という事実です。
自力でエフィカシーは上げられないのです。
それは、リゼロを観れば分かります。
死に戻りで得た記憶は、スバル一人しか持つことができません。
そして、スバルは、誰にも死に戻りをしたことを伝えてはならない、という制約に縛られています。
そのせいなのか、スバルはついつい、自分一人でなんとかしてしまおうとしてしまいます。
視聴者からすれば、「ちょっと待て!」と言いたくなりますよね。
「なんの能力も知識もないお前が、一人で誰かを助けられるわけがないだろ! いい加減にしろ!」
と言いたくなりませんか?
もしかしたら、指導者も生徒にそう言いたくなったことが、実はたくさんあるのかもしれません。
わたしたち個人は、とても無力です。
先人の遺した知恵や技術、両親や家族の存在、友人や恋人、そして自分の先陣を走ってくれる指導者。
彼らの助けがなければ、今、わたしもあなたも生きていないはずです。
しかし、そういった事実を誰もが忘れてしまいがちです。
遠慮なのか、恥なのか、見栄なのか。
ついわたしたちは、問題が起こっても、自力でなんとかしようとしてしまいます。
そうして、勝手にエフィカシーを下げます。
でも、そういうとき、わたしたちは素直に誰かに頼るべきなのです。
「頼ったらいい」ではなく、「頼るべき」なのです。
もともと、現状の外側を自分ひとりの力で行けるはずがないのです。
どう足掻いても、現状の自分では絶対に達成できないのがゴールなんですから。
そして、そのゴールに行くためにコーチがいます。
専門的なコーチの存在こそが、道がないと絶望しかない状況で、エフィカシーを上げてくれます。
逆に言うと、コーチじゃないと無理です。
自分ひとりでは、エフィカシーを上げられません。
スバルもまた、仲間の存在によって、それを思い知らされます。
仲間の力を借りなければ、何ひとつできないのがナツキ・スバルという男です。
わたしたちも、そうありましょう。
個人の力でなんでもできるスーパーマンではなく、誰かの力がなければ、ろくに生きていけないナツキ・スバルのように生きましょう。
きっと、その先にしか、ゴールを達成できる道はないはずです。
長い文章をお付き合いくださり、ありがとうございます。
それでは、また、
またね、ばいばい。
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