怒りこそが、わたしたちを現状の外側へと連れ出します
つい最近、『マネーボール』という映画を観たのですが、非常に興味深いです。
主人公が色々な意味でも未来に生きていて、わたしは彼の姿勢から、色んなことを参考にさせていただきました。
以下より、あらすじをWikipediaより引用させていただきます。
(引用開始)
メジャーリーグベースボール(MLB)の球団オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)に就任したビリー・ビーンが、セイバーメトリクスと呼ばれる統計学的手法を用いて、MLB随一の貧乏球団であるアスレチックスをプレーオフ常連の強豪チームに作り上げていく様を描く。2003年に米国で発売され、ベストセラーになった。2011年にベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演で映画化された。
(引用終了)
ビリーには、超大型新人としてスカウトされ、多額の年収に目が眩み、有名大学への入学を蹴ったという過去がありました。
しかし、結果を残すことはできず、その頃から、野球界への不信感を抱くことになります。
なぜ高評価であった自分が活躍できなかったのか?
もっと正しく選手を評価できるシステムはないのか?
そう思ったビリーはら自分がアスレチックスを優勝させ、今の野球界をぶち壊す、という夢を抱くことになります。
しかし、アスレチックスはマネーパワーが他のチームよりも弱く、有望な選手は他球団に先にスカウトされたり、主力選手を引き抜かれたり、と散々な目に遭います。
しかも、そんな絶望的な状況の中でも、スカウトたちは盲目です。
やれこの選手はルックスが良いだとか、
この選手は彼女がブサイクだとか、
この選手は当たればデカいスイングをするだとか、
そんなどうでもいい話ばかりしています。
そんな低迷した状況の中で、ビリーが唯一光明を見出したのが、セイバーメトリクス(マネーボール)でした。
セイバーメトリクスについても、Wikipediaより引用させていただきます。
(引用開始)
ビーンは野球をビッグボール的観点から「27個のアウトを取られるまでは終わらない競技」と定義付けた上で、それに基づいて勝率を上げるための要素をセイバーメトリクスを用いて分析。過去の膨大なデータの回帰分析から「得点期待値(三死までに獲得が見込まれる得点数の平均)」を設定し、それを向上させることのできる要素を持った選手を「良い選手」とした。
「状況(運)」によって変動する数値は判断基準から排除され、本人の能力のみが反映される数値だけに絞り込んで評価することが最大の特徴である。
(引用終了)
簡単に説明しますと、今までは四球で塁に出た選手よりも、豪快なスイングでアウトになった選手を、球界は良い選手としてきました。
しかし、豪快なスイングでアウトになるよりも、四球で塁に出れた方が、点を獲るチャンスが大きいのは明らかです。
ビリーは、そういった能力はあるのに、感情や球界の都合により評価されていない選手を、安い金銭でスカウトすることで、強いチームをつくることを可能にしたのです。
しかし、そういったビリーの思考を理解する人は、ほとんどいませんでした。
マネーボールの導入は、大きな反響と反発を呼んだのです。
歴史のある(とされていた)野球界からすれば、あまりにも発言が突飛で、かつ旧来の野球観を揶揄・否定するような記述が多かったため、その旧来の野球観に馴染んでいた人たちほど、マネーボールを否定したがりました。
映画では、ビリーは、そんな論理的な理由もなく、感情的な理由だけで否定したがる人たちにつねに邪魔され、苦しまされることになります。
まさに、ドリームキラーです。
ドリームキラーについては、苫米地博士が書籍で説明してくれていますので、引用させていただきます。
(引用開始)
学生が、医者になりたいとか、東大に入りたいとか、成績以上の進路を望めば、学校の先生は「君には無理だ」と率直に伝え、現状の評価に合った道を教えるのです。
多くの先生は、その学生の現状を徹底的に冷静に分析し、今の能力で達成できるゴールをあてがうことを目的にしているからです。
学校の先生だけでなく、両親、あるいは妻、良識のある友人や先輩、そうした人々はほとんどの場合、あなたの現在までの能力をきわめて客観的に評価し、妥当と思える意見を言うことでしょう。実は、そういう人々はすべてドリームキラーです。
どんなにあなたの話に一生懸命耳を傾け、あなたのためを真剣に考えて受け答えしたとしても、彼らは必ずドリームキラーになっているのです。
なぜなら、今日までの現状をベースに、その延長線上の未来をあなたに進言します。 現状の延長線上のステータスクオを評価されてると、あなたのポテンシャルを低下させるだけでなく、コンフォートゾーンも低下させることになってしまうからです。
(引用終了)
ドリームキラーを映画マネーボールを例に挙げて、説明してみましょう。
たとえば、同じチームに所属していたスカウトは、仕事を辞めてまで受けたインタビューで、ひたすらビリーのことをこき下ろしたりしました。
ビリーは現実を観ていない、とか。
マネーボールは机上の空論だ、とか。
昔、友人であったはずなのに、なぜここまでビリーを攻撃できるのだろう? と思いましたが、それがドリームキラーなのでしょう。
他にも、監督が強情で、ビリーがマネーボールの観点からスカウトした選手をまったく使おうとせず、自分が信用できる選手だけを選んで、ビリーへの当てつけに使ってきます。
しかも、その監督の選択が原因でいつも試合に負けるのに、なぜかビリーのせいになり、監督は周囲から同情されるのです。
なんというか、身銭を切らない人たちは、こんなにも醜くなるのか、と痛感させられます。
野球に関わる誰もが、野球界の革命・発展には興味がなく、ただビリーを否定したくて否定するのです。
映画の終盤で、レッドソックスのオーナーが、ビリーに言った言葉を思い出します。
(引用開始)
随分叩かれていたな。
どの分野であれ、先駆者は血を流すものだ。常にな。
君の行動は彼らには脅威なんだ。脅かされるのはビジネスや野球だけじゃない。何より彼らの仕事や暮らしだ。
つまり既得権への脅威だ。
同じことは、政治でも商売でもどんな分野でも起こる。既に、何かを支配している者。権益を持っている者は、漏れなく怒り狂う。
しかし、ここに来ても古いチームを解体せず、君のやり方を否定し続けている連中は、いずれ滅びる。
(引用終了)
マネーボールを観ていると、ドリームキラーの厄介さを思い知らされます。
ドリームキラーは、現状しか見えていません。
たとえ非効率だとしても、今までのやり方でも上手くいったから、そのやり方だけを続けていたいのです。
先駆者はつねに自らが望む未来だけを観て、結果的に現状をぶち壊します。
しかし、ドリームキラーは、未来なんて見ようともせず、現状だけを大切にしているから、先駆者を攻撃して、自らのコンフォートゾーンに引きずり落とそうとするのでしょう。
そんなドリームキラーに対して、ビリーはどんな対応を取ったでしょうか。
基本は無視です。
しかし、監督が自分がスカウトした選手を使わなければ、そもそもの問題点を見つけることすらできません。
そのどうにもならない現状を打ち壊すビリーの行動は、あまりにもぶっ飛んでいます。
なんと、ビリーは、監督が好んで使う選手をすべて、他チームに放出したのです。
その中には、ビリーですら惜しんでしまうほどの有望選手が何人もいました。
が、ビリーは躊躇はしませんでした。
そして、監督は結果的に、ビリーが選んだ選手を使う以外に道はなくなったのです。
わたしは、このビリーの取った選択は、とてもスマートだと思います。
監督が選手を使ってくれない。
なら、それを使わざるを得ない状況にしてやれ!
という行動は、とてもスマートです。
確かに、ビリーの行動は荒唐無稽です。
たまたまその状況に合っていただけで、本来であれば下策も良いとこでしょう。
でも、ビリーにはゴールに生きる者の凄みがあった、という感想にはあなたも同意して貰えると思います。
わたしは、ビリーにはきっと「今の状況が許せない」という怒りがあったのだと思うのです。
マネーボールを導入したアスレチックスで優勝して、今の野球界をぶち壊す予定なのに、なんだ今のこの体たらくは!
そんな怒りが、彼を現状の外側へ導いたのではないでしょうか。
つまるところ、凄みとは、現状に対する怒りによって生まれるもの、なのかもしれません。
そうして思い出すのは、まといのばのブログで紹介された鉄腕アトムです。
そのブログ記事では、怒りがいかに現状の外に飛び出すために重要なのか解説してくれていますので、引用させていただきます。
(引用開始)
その中で人工知能において計算量が爆発するというフレーム問題が大きな課題になります。
人工知能の中に大量の人格(というアルゴリズム)を入れて走らせると、統合された人格にならず計算が終わらないという話しです。計算量が爆発し、計算が終わらないために起動しないのです。
R2ーD1たちが陥った立ち往生と同じです。思考はチューリングによれば計算であり、演算です。計算が終わらなければ、決断はできません。決断ができなければ、一歩も動くことはできません。
そのときにアトムの開発者である天馬博士は何をしたのか?
ネタバレになるので、是非、本編を読んで欲しいのですが、すでに作品を読了されている方は以下をm(__)m
アトムの開発者である天才科学者の天馬博士はその計算量の爆発のために動かない人工知能に「偏った感情」を導入します。
いわば「偏り」や「歪み」をアトムの頭の中にいれます。
殺したくなるほどの怒り、人間に対する殺意、それを覚えるだけの哀しみを導入します。すると人工知能はブートするのです。
アトムは怒りによって、人類を滅ぼすことができる反陽子爆弾を作成するための方程式を解き終えます。
怒りを具体的な思考エネルギーに相転移したということです。そして抽象度の階段を登ることに使ったということです。
そして、そのことで怒りを克服します(この点の解釈は多様だと思いますが、僕はそう理解しています)。克服というよりは、コントロールというべきかと思います。怒りを支配しているのです。
どうやってコントロールしたのか、そして直接の契機は他の生命を見たことでしょうし、他の生命に対するサマリア人のような惻隠の情でしょう。
ここでのポイントは偏りすなわち感情、それも強い感情が抽象度の階段を無理矢理上がらせるということです。
固く複雑に結ばれた結び目を断ち切るという神話(ゴルディアスの結び目)がありますが、無限ループなり「計算量の爆発」を断ち切るのは怒りという剣です。
(引用終了)
ビリーは誰よりも怒っていました。
勝ちたいのに、金がない、選手のやる気がない、監督のやる気がない、という三拍子揃った状況。
誰かを引き摺り下ろすのに余念がない野球界。
批判を恐れて、挑戦しようとしない監督。
成功、失敗以前に、そもそもマネーボールに挑戦すらできていない現状。
そいつらに怒り散らして、暴言を吐くのは、たしかに楽ですし、スカッとします。
しかし、それでは現実は変わりません。ビリーは短気な人間でしたが、それを分かっていました。
だから、ビリーはその怒りを自分の内側にグッと堪えて、現状の外側に飛び出すための思考に使ったのです。
そして、解決策を思いつきました。
延々と継続していた現状を断ち切ったのです。
まさに、ゴルディアスの結び目です。
そうして、ビリーがマネージしたアスレチックスは、前代未聞の20連勝という快挙を果たしました。
わたしは、このビリーの姿勢に見習わないといけない部分がたくさんある、と感じました。
ゴールに生きていれば、わたしたちもきっと、怒りや苛立ちに襲われることでしょう。
いえ、きっと今も、わたしたちは色々なことに怒っていると思いますが、ゴールを目指せば、その比じゃない怒りに襲われるのだと、わたしは思います。
そのときに、ただ怒りを露わにしても、きっと現状は何も変わりません。
「上司が理不尽なことで叱りつけてくる」
「同僚が仕事しない」
「部下が自分の言うことに従わない」
そういった怒りたくなるような出来事があったとき、わたしたちはその出来事のみに注目します。
しかし、ビリーのようにゴールに生きる人たちは「なぜ」に注目するのでしょう。
なぜ上司は叱りつけてくるのか。
なぜ同僚は仕事しないのか。
なぜ部下は自分に従わないのか。
その「なぜ」に注目しない限り、わたしたちはいつまで経っても、その現状から抜け出すことはできません。
そして、そのときに、最も重要になるのが、怒りなのだとわたしは思います。
なぜなら、怒りとは「この状況が許せない」という感情だからです。
わたしたちは現状に怒りを覚えることで、現状の外に飛躍することができます。
そのときの怒り方とは、ただIQを下げて相手に当たり散らすのではなく、いかにこの現状から抜け出すか、それを思考するために、怒りを使うべきなのでしょう。
それでも、どうしても怒りを収められない、と言う方はいると思います。
まず相手を叱りつけなければ、その次のことを思考できない。
そんな方には、苫米地博士のこの書籍を紹介したいと思います。
(引用開始)
ただし、部下や上司、同僚の失態によっては予想以上の尻拭いをさせられることもあり、怒りの感情がわくというのもわかります。
そんな時は、感情と行動を切り離すことが効果的です。
感情と行動を切り離す術は、難しいことではありません。それどころか、誰もが日常茶飯事に行っていることです。例を挙げれば、テレビドラマを観ること、小説を読むこと、映画を観ること、舞台を観ることもそうでしょう。私たちはドラマを観ては怒ったり、笑ったり、涙を流したりします。大きく感情を揺さぶられています。
ところが、観終わった瞬間、すぐに忘れてしまって、夕飯はなにを食べようかとか、明日早いからもう寝ないと、などと、スパっと切り替えてしまいます。多少の余韻に浸ることはあったとしても、実生活に響くことはありません。
だったら、その実生活で起こった出来事も映画やドラマを観た時のように感情だけを切り替えることは誰にとっても可能なのです。
よく物事を客観的に見るなどといいますが、そんな大層な事ではありません。あなたは本当に観客なのです。目の前で次々にとんでもない失態を犯す人間が観られるわけですから、これほど興味を惹かれるリアルなドラマはないでしょう。
つまり、怒りの感情を娯楽として楽しむようにすればいいのです。あくまで観客として。そしてリアルドラマをたっぷり楽しんだら、通常のビジネスの関係性に戻るのです。
(引用終了)
わたしも、ビリーのように怒りをスマートに抽象度の高い思考に転換したいと思います。
それでは、また。
またね、ばいばい。
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