見出し画像

午後三時、無料のチキンとコーラ【オリジナルSS】

「あ、当たってしまった」

 私はSNS画面に表示された某コンビニからの「当りです! おめでとうございます!」というリプライを見つめながら手を震わせた。

 よくある商品の無料交換券やら割引クーポンやらが当たるキャンペーン。SNSで友人達がこぞってキャンペーンに参加していたのを見て、私も少し前から近所にあるコンビニのキャンペーンに参加するようになった。
 当たれば良いなと思いつつ、同時に当たるわけがないと毎日「ハズレです!」の文章を眺める。それが日課になっていた私も遂に当ててしまったのだ。チキンの無料交換券を。

 心から叫びたい喜びと共に感じたのは、明るい太陽を覆う雲のような暗い感情であった。

 この手のキャンペーンは当たると、商品を交換するために店舗へ向かいレジでコンビニのSNSアカウントから送られてきたバーコードを提示する必要がある――つまり、コンビニへ行く必要があり、その為には外へ出る必要があるのだ。
 前外に出たのは――溜息を吐いて外を見る。レースカーテン越しにもわかるほどに青い空の上に眩しい太陽が輝く。種類がわからない蝉たちが大合唱する音を聞いて、冷房が効いた室内で私は膝を抱えた。

 私が「ダメ」になったのは三ヶ月前。

 当時、私が事務員をしていた会社には私の事をやたら構ってくる社員がいた。私より三十上のオジサン社員。彼は日々私に言葉を掛けてきた。

「まだその仕事できてないの? 最近の若い子はメモをとらないからいけないんだよ」
「飲み会来ないの? そんなんじゃ社会でやっていけないよ」
「高橋さんって、脚綺麗だねぇ。もう一寸スカートの丈短くて良いんじゃない?」

 その他諸々罵倒と揶揄。日に日に彼の顔を見るのが怖くなり、ある日手を握られ「連絡先教えてよ」と言われ、強引に連絡先を奪われた私は家に帰って直ぐに吐いた。
 その日から、朝起きるのがだるくなり、ある日突然パソコンの前で手が動かなくなった。腕が重くなり、指がピクリとも動かない。
 遂に来たか。私は、前々から用意していた退職願を上司に提出し、一ヶ月後私は新卒から勤めて一年と少ししか経っていない職場を退職した。

 今考えれば人事の人に相談して、彼を私がいる部署から異動させる事も出来ただろう。けれど、当時の私は「ダメ」になっていたため、私がいなくなる方が色々と簡単で楽だと考えた。それに、彼が言っていたような「最近の若い子」がセクハラやパワハラを訴えればきっと上司に嫌な顔をされると思った。最も、散々考えて出した答えに、彼が言った言葉は「最近の若い子は、直ぐに仕事を辞めたがるね」であったのだが。

 退職して直ぐの数週間は有頂天の中にいた。彼の連絡先を着信拒否にもした。何もかも救われた気がした。けれど、絶頂感は直ぐに消え、ある日布団から起き上がれなくなった。生きる気力が湧かず、人の視線が怖くなり、世界が灰色に見えた。

 うつ病だと、医師に告げられた。

 「まさか自分が」なんて言葉が頭を過ぎったが、本当に自分は病気らしく、医師に言われたとおり薬を飲んで休養という堕落を貪り引きこもりながらなんとか生きている。

 そんな私に当たってしまったのだ。チキンの無料交換券が。

 小一時間当選画面を見て、医師に「少しでも良いから外に出て運動を」と言われたことを思い出して私はやっと立ち上がり、身支度を調えた。

 外に出ると太陽の光が目に刺さる。眼球がズキズキ痛むのを堪えながら空を見ると青さが去年見た空よりも霞んで見えて、何だか笑えた。徒歩五分のはずである道を十分かけて歩く。灼熱の暑さに包まれた体がじっとりと湿る。早く帰ってシャワーを浴びたくなった。

「いらっしゃいませ」

 やっとついたコンビニ。冷房で冷やされた汗のせいで震えながら私はチキンを手に入れるためレジへと向かった。立っていたのは大学生くらいの女性アルバイト。私がレジの前に立つと彼女は元気な声を上げた。

「いらっしゃいませ!」
「あ、あの、これ、当たったんですけど……」

 震える手でバーコードを提示したスマートフォンを差出す。情けない。ジッと俯いていると、両耳に声が響いた。

「おめでとうございます!」

 ワッと目の前に花が咲いたのかと思った。バーコードをリーダーに読ませて、プレゼントを渡すようにチキンを差出した彼女を見て、私は何だか泣きたくなった。

「このチキン美味しいんですよ! おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます……あの、飲み物、買います」
「はい、お待ちしてますね!」

 私は飲料コーナーにあったミニサイズのコーラをレジに持っていき百八円払ってチキンとコーラを受け取る。

「ありがとうございました!」

 元気にお辞儀する彼女に、私はほとんど掠れた声で「ありがとございます」と返し外に出た。
 徒歩五分の道をゆっくり歩きながらチキンを口に含みコーラを喉へ流し込む。

 午後三時、無料のチキンとコーラを味わいながら見上げた空は、さっきより少しだけ澄んで見えた。

==========

前回の小説


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?