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銀河フェニックス物語【少年編】 第十五話 量産型ひまわりの七日間(まとめ読み版)

前線フチチでの観艦式を終えた戦艦アレクサンドリア号は、領空侵犯した捕虜を連れて中継地点へと向かっていた。
 銀河フェニックス物語 総目次
<少年編>第十四話「暗黒星雲の観艦式」① 
<少年編>マガジン

 絶対は絶対にない。 それでも将軍家は言い続けなくてはならない。
「絶対に勝利せよ!」と。
 生命は不可逆だ。死んだ者は絶対に生き返らない。絶対に。

「ごめんな」
 レイターはこっそりと格納庫を訪れた。
 目の前のアリオロン機に心が痛む。噴射口ぶっつぶしちまってすまねぇ。無傷で手に入れられりゃよかったが、鮫ノ口に逃げられるよりマシだって思ったんだ。

 小さな高重力ビスとワイヤで機体は丁寧に留めてある。
 デジタル図鑑でよく見たアリオロンの戦闘機V五型。通称ひまわり。正面のバリアがイエローで花が咲いたように見えることから呼ばれてる。量産型だが実機を見るのは初めてだ。連邦の戦闘機と基本的なつくりはそっくり。お互いを研究して新たな技術を取り入れてるから、似てくるんだろうな。そのせいで戦争が終わんねぇんじゃねぇの。
 やっぱ、本物は図鑑と違う。っていうか、マイナーチェンジしてるのかも知れねぇ。

 タラップを登って機体に触れる。手のひらに金属のひんやりした感覚が伝わる。遠くからよく来たな。キャノピー越しにコクピットをのぞき込んだ。あのスイッチは重力圏離脱用で、こっちは姿勢制御のコントローラーか。アリオロン語はわかんねぇけど計器の想定はつく。
 速度、位置、傾度、飛行状態をイメージしながら見つめる。連邦の量産型より旋回性能が高いんだよな。急旋回はどんな感じだろう。操縦桿を頭の中で傾ける。次々と想像の世界が立ち上がり、宇宙空間を縦横無尽に飛ばしていく。
 こいつを起動させてぇ。3D空間モニターが立ち上がって、コクピットが祭りの夜みたいにカラフルに彩られる様子を思い浮かべると身体中がゾクゾクしてきた。

「レイター! 何している。誰の許可を得た?」
 一気に現実に引き戻される。俺としたことが、夢中になって人の気配に気づかなかった。振り向くとメカニックのカナリアが俺を睨んでいた。

「ごめん、俺、戦闘機が好きでさ」
 頭を下げてタラップから飛び降りる。
「動機は聞いていない。許可を得たかどうかを聞いている」
「得てません」
「出ていけ」
「はい」
「分別が付かない子どもは嫌いだ」
 吐き捨てるようにカナリアは言った。失敗した。

 出口近くで振り向くとカナリアは動かないアリオロン機のチェックを始めた。その様子を見ていたいが、きょうのところは出直しだ。

 子ども嫌いか。手強いな。
 カナリアは現役の戦闘機パイロットでもある。うまく取り入りたいが、なかなかうまくいかねぇ。子ども嫌いって、どうすりゃいいんだ。十二歳の俺は見た目より幼く見える。隊員たちの警戒心を解くためにそれを利用してるが、カナリアに限っては裏目にでてるな。

 部屋へ戻る間も興奮は冷めなかった。
 アリオロンのパイロットってどんな訓練してるんだろう。アリオロン人は純正地球人と変わんねぇんだろ。旋回時の重力耐性をどうやって高めてんだろ。
 敵機っていう情報の少ない存在が俺の脳みそを刺激する。あれも知りてぇ、これも知りてぇ。
 ああ、ひまわりが咲いたところを見てみてぇ。

**

「なあ、アーサー、ひまわりっていつ動かすんだ?」
 レイターがすり寄るようにして僕に聞いてきた。

「動かす?」
「捕まえたヤツ、生体認証でロックがかかってるんだろ? 敵のパイロットを近くまで連れてくりゃ動くじゃん。ひまわりが咲くところが見てぇんだよ」
 有名なバリア機能の実物を見たい気持ちはわからなくはないが、
「そんな簡単な話ではない」

 鮫ノ口暗黒星雲を抜けて領空侵犯した敵機を捕獲した。そのひまわりと呼ばれるV五型機からアリオロン軍のグリロット中尉の身体を連れ出した瞬間、機体は動かなくなった。現在は金属の塊と化している。 
 レイターが言う通りパイロットの微弱な脳波を感知する生体認証登録によってエネルギーロックが作動したのだ。捕虜であるグリロット中尉をひまわりに近づかせればロックは解除できる。問題は解除と同時にパイロットが機体に対して簡単な命令を出すことができる点だ。

「ひまわりの自爆指示を恐れてんのか?」
「それもある」
 調査にあたっているカナリア少尉からは、燃料が残っているとの報告が上がっている。捨て身の自爆というケースはこれまでにもあった。
「あんた、アリオロン人と話ししたんだろ。何言ってた?」 
「仕事だ。お前に話すことは何もない」
「いいなぁ。俺も話がしてぇ」
 好奇心にあふれた瞳で僕を見る。尋問で聞き出すプレッシャーも何もなくて羨ましいほどだ。
「何が聞きたいんだ?」
「聞きたい、っつうかしゃべってみてぇじゃん。ひまわりのコントロールパネル見たけど、三次元姿勢制御が連邦と逆向きに付いてんだよ。図鑑とも違うんだけど、やりにくくねぇのかなぁ? 利き手が違うのか? 旋回性が高い分、重力耐性の訓練どうやってんだろ。重力制御技術はそんなに変わんねぇんだから工夫が必要だろ。あと、飯の好み。俺、料理作ってるから、好きな食いもんとか。それからアリオロンの女子ってさ、どういう娘がモテるのかなぁ。知りてぇじゃん」
 次から次へと、敵兵への質問をあげる。雑談が得意なわけだ。
「よく思いつくな」
「S1レーサーと握手するぐらい貴重な機会じゃんかよ」
「趣味で仕事をしているわけじゃない」
 と答えたが、ざらりとした感情に襲われる。もしかすると、こいつは僕より優秀な尋問官かもしれない。相手が興味を持って反応すればそこに雑談が生まれる。
 僕には知りたいことを人に聞くという習慣がない。ほとんどの物事に関して文献を見れば理解できてしまうからだ。
 僕の好奇心は宇宙の成り立ちや、文明の行く末にある。こうした問題についてアリオロン人と意見交換をしてみたい気持ちはあるが、雑談で話す内容とは違う。
 レイターとの会話が自分の中のコミュニケーションの難点を映し出す。
 士官学校で尋問のロールプレイングは行った。分厚い軍の尋問マニュアルも人権委員会の捕虜扱い規程も全て覚えている。過去の尋問議事録も読み込み分析した。自分の持てる武器で戦うしかないのだ。

 将軍家の礼服ではなく普通の制服のまま拘束室をノックした。
 ベッドに寝転んでいたグリロット中尉が起き上がるのをモニターで確認する。健康状態に問題はなさそうだ。ヌイ軍曹と一緒に部屋に入る。
「おはようございます」
 アリオロン語であいさつする僕に中尉は軽く会釈をして応じた。
「おはようございます」

 無視されなかったことに安堵する。
「グリロット中尉、お食事はお口にあいましたか?」
 純正地球人と同じホモ・サピエンスなのだから味覚に大差はないはずだ。僕が今朝食べたメニューと同じものを提供した。パンとサラダとハムエッグにスープ。食事は食べ切ったと報告を受けている。
「ご厚意に感謝します」
 あからさまな敵意は感じられない。レイターなら、ここで食事の好みを聞くのだろうか。
 机を挟み向かい合って座る。背筋を伸ばすとグリロット中尉と目が合った。そのまま本題に入る。
「改めて伺います。連邦領内になぜ入りましたか?」
「すでにお伝えした通りです。観艦式の偵察です」
「それにしては、侵入ポイントが不自然ですね。離れすぎていませんか?」
 僕は矛盾点を指摘した。
「観艦式を邪魔する意図はありませんでしたので」
 淡々と答えるグリロット中尉に動揺した様子は見られない。僕の指摘にも答えは用意していたのだろう。彼は元々アリオロン軍の研究所に所属していた研究員だ。知的な人物とお見受けする。
「観艦式の映像はタロガロ基地でも確認できたはずです。それでは情報不足でしたか?」

「黙秘します」
「わざわざ領空侵犯した理由を教えて下さい。偵察の目的は何ですか?」
「黙秘します」
「あなたは連邦サイドの到着時間を計測していたのではないですか?」
「黙秘します」
 何を聞いても同じ答え。壁打ち状態だ。「黙秘」という万能な盾に囲まれた砦は羨ましい。自分も使ってみたいものだ。
 砦を攻略するする作戦として、手慣れた尋問官ならここで雑談を挟むのだろう。相手から「黙秘」以外の言葉を引き出し、信頼関係を築く。そして隙を狙う。レイターの顔が浮かんだ。あいつなら何を聞く。アリオロン人の女性の好みだったか。

 心の中で首を横に振る。僕はあいつではない。無駄な弾は撃たない。言葉のラリーではなく速球で打ち取る。
 グリロット中尉を正面から見つめ、声を張って伝える。
「貴殿が搭乗していたV五型機は同盟に返還いたしません。連邦軍にて引き取らせていただきます」

 引っかかった。彼の瞳に動きが出た。無表情を装っているが瞬きの回数が増えている。
「機体は無事なのでしょうか?」
 グリロット中尉が黙秘の砦から外へ出てきた。一瞬「黙秘します」とふざけて答えたい気持ちに襲われる。が、節度を持って対応する。
「お答えできません」
 ようやく僕がアドバンテージを取った。次は彼がカードを切る番だ。
「機体の返還を要求いたします」
「お受けできません」
「では人権委員会に訴えます」
 互いに一枚ずつ繰り出し相手の腹を探る。
「どうぞご主張ください。領空侵犯の証拠品ですから、軍の捜査が済むまでは返還されないという判断が妥当と考えますが」
「……」
 沈黙が続く。
 彼は動揺している。落ち着きを取り戻す前にもう一枚叩き込むか、待つか。ここは待つターンだ。沈黙は圧力になる。
 グリロット中尉がゆっくりと口を開いた。
「私が人権委員会に引き渡される中継地点には、いつ到着しますか?」
 回答すべきか一瞬躊躇する。「お答えできません」と拒否することもできる。だが、僕はあえてカードを差し出し、反応を見た。
「一週間後です」
「わかりました」 
 彼の瞳が動く。あきらめではない。対応を思案している。

 グリロット中尉は、自分が捕虜になったことよりひまわりが返還されないことに動揺していた。そして、機体の状況を知りたがっている。ひまわりを連邦に渡したくないという意思が見てとれた。
 中尉の反応は自分の仮説を裏付けるものだった。ひまわりには情報が隠されている。鮫ノ口暗黒星雲に関わる何か。おそらくは銀河を崩壊させる亜空間破壊兵器の開発に携わる何かだ。これは、アリオロン軍がどこまで研究を進めているのかを知る大きな手掛かりになる。

 グリロット中尉にひまわりのエネルギーロックを解除させたら彼はどうするだろうか? 爆破命令を出すだろうか? いや、そんな自殺行為より可能性が高いのはデータ消去のコマンドだ。一度消去されたら簡単には復元できなくなる。彼を機体に近づけるわけにはいかない。

 身柄引き渡しまでの一週間で、ひまわりにどんなデータが積まれているのかグリロット中尉から聞き出さなくては。
 手のひらにじわりと汗がにじむ。コミュニケーションが苦手だなどと言っている暇はない。

**

 この部屋には窓がない。捕虜なのだから贅沢は言えないが、星が見えないとどこを飛行中なのかまるでわからない。

「グリロット中尉、お食事はお口にあいましたか?」
 目の前の大人びた少年を見つめると、不憫に思った。敵であるソラ系銀河連邦は世襲制を取っている。将軍家の彼はその制度の被害者と言える。
 娘と同じ年だというのに戦地へ来させられている。もっとも、話した感じは十二歳には見えなかった。帝王学というものを学んでいるのか、大人の自分をも圧倒させるオーラがある。天才という噂通りに頭が切れる。翻訳機も使わない。ネイティブとはいかないが発音もきれいだ。

「わざわざ領空侵犯した理由を教えて下さい。偵察の目的は何ですか?」
「黙秘します」
「あなたは連邦サイドの到着時間を観測していたのではないですか?」
 少年が指摘する通りだ。侵犯後にスクランブル発進をしてくる敵機の時間測定が任務の一つだった。
「黙秘します」
 とにかく黙秘で逃げ切るしかない。その時だった。彼の目が光ったような気がした。
「貴殿が搭乗していたV五型機については返還いたしません。連邦軍にて引き取らせていただきます」
 痛いところを的確に切り込んできた。まずいことになった。

 鮫ノ口暗黒星雲を抜けて敵地である連邦の領内に入るのは久しぶりだった。
 観艦式というイレギュラー時の敵の態勢を確認するという任務。侵入して真っ先に飛んできたのはフチチ軍の戦闘機だった。想定より速い。到着タイムを秘匿通信でタロガロ基地へ送る。
 任務終了だ。そのまま、アリオロン領へ戻る予定だった。だが、少し様子を見ることにした。そのフチチ機は見るからに操縦が下手だったのだ。主力部隊が観艦式に参加しているためだろう。
 驚いたことに、警告もないまま捕獲ケーブルを伸ばしてきた

 鮫ノ口は目の前だ。逃げることもできた。
 その時、欲をかいて判断を誤った。相手機を連れ帰ることを思いついたのだ。捕獲ケーブルにわざと巻かれる。自分の方が技術は上だ。引っ張られるふりをして機体を上下させ、敵機を振り回す。パイロットが気を失い、抵抗がなくなった。このまま、アリオロン領域まで連れ込めばいい。
 暗黒星雲に入るというタイミングで連邦軍の応援機が近づいてきた。このタイムも基地へ送信した。フチチ軍と連邦軍、それぞれの態勢情報が取れるとは上出来だ。司令官も喜ばれることだろう。
 連邦機はケーブルの切断を試み始めた。これまた実戦に慣れていないことが見て取れる。自分は落ち着いていた。敵が直接この機体を攻撃してくることはない。一つ間違えば友軍のフチチ機が巻き添えになる状況だ。ケーブルが切断されれば単身戻るだけだ。
 読みは間違っていないはずだった。だが、突如、想定外の衝撃に襲われた。
 意識を取り戻した時、自分は担架に乗せられ、連邦軍の捕虜になっていた。

 今頃、アリオロン軍では大騒ぎになっているはずだ。
 自分は軽い打撲だけだ。おそらくV五型機は大破しておらずエネルギーロックがかかっているに違いない。
「機体は無事なのでしょうか?」
 目の前の少年が一瞬笑ったように見えた。
「お答えできません」 

 自分の本来の任務を知られるわけにはいかない。機体に積んでいるデータが連邦に渡ることは避けなければ。そのためには情報が必要だ。
「私が人権委員会に引き渡される中継地点には、いつ到着しますか?」
 少年は少し考えた後、回答した。
「一週間後です」

 それまでにV五型機に近づくことができればデータを消去できる。だが、どうすればいい。あの少年だってわかっているのだ。「返還いたしません」と告げられた瞬間、自分は焦った。彼はそれを見抜いていた。

 とにかく、この部屋から出なくては。
 雑談に応じて隙を探るか。
 だが、次期将軍は取り付く島がない。マニュアル通りの尋問。残りは一週間。敵は天才軍師だ。どう攻略する。

**

 モリノ副長が夕飯の弁当を持ってこいって言う。珍しいな。俺は容器によそって副長の個室へ向かった。
「レイターだよ。弁当持ってきたぜ」

「ありがとう。そこに置いてくれ」

 俺は指示されたテーブルの上に弁当を置いた。モリノ副長の部屋はショールームのようにきっちりしている。
「肉野菜炒めはあったかいうちがうまいぜ」
 と言う俺のアドバイスを副長は無視して俺を正面から見つめた。どうやら、用があるのは弁当じゃなくて俺らしい。嫌な予感がする。
「確認したいことがある。お前、フチチの観艦式の日、コルバの機体に搭乗していたな?」
 ちっ、面倒な話だ。
「あれぇ、ばれちゃった? コルバと戦闘機のモニターで観艦式観てたんだよ。すごい迫力だったんだ。そしたらスクランブルかかって、びっくりしちゃったぜ」
 明るく無邪気に答える。これは嘘じゃない。
「どうして、そのことが記録されていなかったんだ?」
「さあ、俺にはよくわかんないな。怒られるの嫌で隠れてたんだ。ごめんなさい」
 俺は素直に頭を下げた。アレック艦長ならこれで逃げ切れる。だが、相手が悪い。

「お前がコルバに代わってアリオロン機にレーザー弾を撃ったんだな?」

 なっ、いきなり核心をついてきた。隠したはずなのになぜバレた? アーサーがチクったのか? ヤべぇぞ。
「え? どういうこと?」
 質問には質問で返す。モリノ副長がゆっくりと答えた。
「コルバの機体には教育用の学習記録プログラムが積んである。レーザー弾は後部座席の指示により発射されていた」
 背中に冷や汗が走る。
「この機能はトライムス少尉も知らなかったようだな」
 ちっ、天才のくせにあいつ使えねぇ。

「トライムス少尉かお前のどちらかがデータを改竄したのだろう。少尉が前に言っていた。お前は航行ログの書き換えができると」
「プログラムは一生懸命勉強してるよ。俺、銀河一の操縦士になりたいんだから」
 副長が俺を追い詰める。だが、怒っている声じゃない。さて、どこまで逃げ切れるか。と考えた直後だった。

「レイター、お前はもうこのふねを降りろ」
 副長の言葉に、身体中の毛が逆立った。
「ごめんなさい。勝手に船を操作したこと謝ります。お願いします。ここに置いてください。俺、きっと役に立ちますから」
 目に涙を浮かべた。ここからは泣き落としだ。
「わかっている。だからだ。お前はここにいてはいけない」
 モリノ副長の顔を見つめて真意を探る。役立つから船から下ろす、ってどう言う意味だ?
「お前の操縦技術は驚くほどずば抜けている。今回の対応を見ても、あの状況で落ち着いて的確に動いた。コルバ一人では殿下の救出をなし得なかっただろう。お前は十分戦力になる」
「じゃあ、何で?」
「アレック艦長は使えるものは何でも使う主義だ。この先お前が戦闘に利用される可能性がある。今回のことは艦長に報告していない。お前は普通の生活に戻るべきなんだ。子どもが危険な戦地へ行くべきじゃない。命の保障はないんだぞ。それだけじゃない、下手をしたらお前はゲーム感覚で人を殺してしまうかもしれない。それから後悔しても遅いんだ」
 思わず身体が固まった。ゲーム感覚とは言わねぇが、俺はこれまでにもう何人も殺してる。
 副長が俺の肩に手を置いた。
「学校へ行って、将来のことをゆっくり考えろ。施設が嫌ならソラ系の私の実家に頼んでみることもできる。お前ならS1レーサーになって銀河一の操縦士の夢を叶えることだってできる。まだ十二歳なんだ」
「アーサーだって十二歳じゃん」
「彼は将軍家だ」
 副長は知らない。俺がソラ系へ戻ったらどうなるか。命の保障どころじゃねぇ。マフィアが襲ってくるぞ。『緋の回状』の期限は切れてるが、ダグは甘くねぇ。

  俺が生きてると知ったら、モリノ副長の実家にミサイルを撃ち込むかもしれねぇ。

「ありがとうございます。嬉しいです。そんな風に俺のことを考えてくれる人がいるなんて、びっくりしました。すみません。時間をください」
「ちょうど一週間後に中継地点へ着く。あそこからならソラ系への便も出ている。施設か私の実家か、行先を考えておきなさい」
「はい」
 俺はしおらしく部屋を出た。
 こいつはまずいぞ。一週間の間に策を打たねぇと。

**

 僕はアレック艦長が一人の時間を狙って艦長室を訪れた。
「ふむ、敵のひまわりが鮫ノ口の機密を持っている可能性は分かった。アーサー、わかっていると思うが、この件の取扱いには注意しろ」
「はい」
 もし、亜空間破壊兵器につながる情報が洩れたら大変なことになる。艦長に直接報告したのもそのためだ。
 アレック艦長は不機嫌そうな顔で尋問調書を指ではじいた。
「生のアリオロン人と話す機会なんてそんなにないんだぞ。雑談でもして、もうちょっと読んで楽しい調書にしろ」

「はい」
 と返事はしたが、これは僕には随分難しい命令だ。
「お前じゃ無理か。ヌイに話をさせろ」
 最初からそう命じればいいのに、艦長は面倒な人だ。

「グリロット中尉は、タロガロ基地ではどんな任務につかれているんですか?」
 ヌイ軍曹は僕より発音がいい。話し方も明るく何より声がいい。
「黙秘します」
 相手は黙秘の砦に潜り込んで、こちらの様子をうかがっている。
「もともとは研究所の所属ですね?」
「黙秘します」
「軍に入隊された時は、ちょうど休戦期だったんですね。僕はその頃、歌手でした」

「歌手?」
 グリロット中尉は怪訝な顔でヌイを見た。聞き間違いと思ったようだ。
「ええ。自分で作詞作曲もするシンガーソングライターです。結構売れてメジャーデビューもしたんですよ
「すごいですね」
 ヌイの笑顔と雑談が、砦の窓を開かせる」
「実は次の休戦期がきたらまたアルバムを出したいって考えているんです。軍の仕事も減るじゃないですか。次の休戦期はいつでしょうかね?」
「すべては抽選です。誰にもわかりません」
 アリオロンでは五年に一度、盟主抽選が行われる。選ばれた盟主が好戦派か厭戦派かで対応が変わる。
「抽選に不満はないのですか?」
「抽選は公平で公正です。一部の権力者による決定より受け入れやすいと考えますが」
 グリロット中尉はちらりと僕を見た。連邦の世襲制に対する嫌味だ。ヌイ軍曹が明るい声で話題を変えた。政治的な話は得策でないと考えたのだろう。
「僕はアリオロンの音楽にも興味がありましてね。それで、アリオロン語も覚えたんですが、貴殿は音楽は好きですか?」
「ええ」
 僕の尋問とは雰囲気が随分違う。僕が持っていない雑談という武器。
 ヌイはゆったりとアリオロン語で口ずさみ始めた。僕の知らない歌だ。美しい旋律に愛を伝える言葉が溶け込んでいる。囁くような声なのに情景の輪郭がくっきりと伝わり胸に響く。
「僕が好きなのはこの歌です。少し前にそちらで大ヒットしましたよね」
 アリオロンではメジャーなバラード曲なのだろう。グリロット中尉の表情が和らいだ。
「お上手ですね。さすが、プロです」

「いい曲ですよね。歌詞もいいですがこのメロディラインには心をつかまれました。不思議ですよ。遠い世界で誕生した生命体が同じ周波数を好むなんて。やっぱりムーサの思し召しとしか思えません」
「ムーサ?」
「音楽の女神です。ムーサに愛されると音に命が宿るんですよ。僕はムーサになら命を捧げてもいいと思いながら曲を作っています。アリオロンでは音楽を司る神はいますか?」
「芸術の神には三人の娘がいて、その姉妹が音楽を生み出したという神話はあります」
「面白い。もしや、その三人はメロディ、リズム、ハーモニーでは?」
「その通りです」
 他愛ない二人のやりとりは興味深かった。言葉の持つ背景を知るのは面白い。僕はアリオロン語の辞書を丸暗記しているが、言語としての使われ方は話し言葉でしか身につかない。敵の文化に触れる経験は文字情報以上に自分を刺激する。
 尋問の議事録は連邦共通語に訳したものを音声処理装置が自動作成している。今日の調書は軍にとっては価値のないやりとりだが、アレック艦長を満足させるだろう。
 尋問時間の最後に、すっかり打ち解けたグリロット中尉がヌイ軍曹に話しかけた。
「お願いがあります。身体を動かすために十分間で結構です。トレーニングルームの利用を許可いただけないでしょうか?」
「少尉、どうしますか?」
 ヌイが僕を見た。
「利用の許可はできません」
 即座に答えた。彼はひまわりに残されたデータの消去を狙っているのだ。運動はこの部屋を出るための口実にすぎない。ここから彼の身柄を出すことはできない。
「そうですか、残念です」
 グリロット中尉はゆっくりと目を伏せた。

**

 この艦から追い出されねぇためには、どうすればいい? 裏社会から追われてることをモリノ副長に正直に伝えるか? いや、真面目でお節介な副長だ、話がおかしな方向にいきかねねぇ。

 俺は副長と顔をあわせないように避けていた。
 けど、狭い艦内だ、限界はある。
「ほい、ステーキランチだよ」

 軽く焼いた肉をプレートにのせて配膳していると、モリノ副長が目の前に立っていた。
「気持ちは決まったか?」
「俺、どうしてもソラ系には帰りたくないんです」
 目を見て本気だと訴えかけてみる。
「そうか。では、私の実家ではなく、ソラ系とは違う施設をあたってみるか」
 ダメだ。ダグの力はソラ系だけじゃねぇ、銀河中に及んでいる。逃げられねぇ。
 いい色になってきた手元の肉をひっくり返す。俺はダグに行かされた屋外のパーティを思い出した。

 ダグから手に収まる小さな瓶を渡された。透明な液体が入っていた。「これを一滴肉にふりかけろ。調味料だ。サプライズだからバレるなよ」と。

 著名人が開いた豪勢なバーベキューパーティだった。俺は、どこぞの実業家の親戚の子どもって役割で、ダグが用意した制服みたいなブレザーを着て一人で出席した。
 青空のもと家族同伴のそのパーティはいいところの坊ちゃんたちが参加してにぎわっていた。バーベキューコンロで焼かれた極上の肉がいい匂いを漂わせている。
 腹の突き出た評議会議員が姿を見せた。情報通りの肉好きだ。話に夢中になっているそいつがステーキののった皿をテーブルの上に置いた。
 俺は調味料を手にそっと近づいた。

「レイター、気配が残ってるぞ」
 手品師だったカレットじいさんは中々俺を褒めてくれなかった。じいさんが腕に着けてる通信機を気づかれないように盗み取る。ポケットから盗むより段違いに難しい。
 じいさんにはバレバレだが一般人に気づかれたことはねぇ。繁華街でスッた高級通信機をダグんちの盗品市場担当に渡すと、いくらか稼げた。その金でパンを買う。

 そんな俺にとって、人があふれたバーベキューパーティーでバレねぇように調味料を振りかけるなんて朝飯前だった。
 評議会議員が、嬉しそうに遠縁のガキの頭を撫でている。
 少し離れたテーブルから俺は観察していた。肉をちゃんと食べたか確認しろ、とダグに言われていた。何の香りもしなかったあの調味料を議員は喜ぶんだろうか。
 あいつがその肉を口にした。驚くでも喜ぶでもなく、談笑しながら肉を頬張ってている。調味料に気づいた様子はない。俺は首を傾げたままパーティ会場を離れた。
 二日後、その議員の訃報が大きくニュースで流れた。心臓発作だった。元から持病があったらしい。俺のやったこととあいつの死に因果関係があるかどうか知らねぇ。ただ、ダグは上機嫌だった。

 あれは遅効性の毒だったのだろう。俺はこれまでそのことに気づかないでいた。いや気づかないフリをしていた。無味無臭の調味料という矛盾を俺は心の奥にしまい込んでいた。
 苦みがジワリと滲み出る。と同時に思いついた。毒殺は楽だ。ナイフを突き刺すより、よっぽど簡単だ。

 目の前に立つモリノ副長にパチパチと油が跳ねるプレートを渡す。肉はあの日のようにこんがりといい色をしていた。あの調味料をここで振りかけたら、俺は楽になれる。
「焼きたてです」
 副長さえいなくなれば、俺はこの艦に乗っていられる。

 調理場の仕事が終わった後、機関室の倉庫へ向かった。この艦の防犯システムについては調べてある。パスコードで解除して微量の洗浄用薬品を持ち出した。カプセルに詰めたこの一滴を副長の飯に垂らせばいい。
 俺は配膳係だ。機会はいくらでもある。

**

 拘束されて三日目。
 打撲の痛みもほとんど引いた。運動不足を解消するためベッドの上で腕立て伏せをする。この部屋から出る口実としてトレーニングルームの利用を願い出たが即座に却下された。次の策を考えなければ。
 部屋を見回す。トイレとシャワーが完備され、出される食事も上手い。随分と快適な牢獄だ。

 我々アリオロン同盟とは違い、連邦は世襲の王政を採用している。民衆は搾取され虐げられていると聞かされていた。捕虜になったらひどい目にあうという噂があったが、実態は違っていた。将軍の息子は敵兵に対しても紳士的だ。

 連邦に対してよく似た違和感を過去にも感じた。あれはいつだったろうか。

 歌手だったというヌイ軍曹は、話をしていて気持ちのいい人物だ。歌が本当にうまい。学生の頃、妻と自分は同じメジャーなアーティストが好きでその縁で結ばれた。ヌイ軍曹の歌声は、そんな自分の琴線に触れるものだった。
 高度な心理戦なのかもしれない。それでも、またあの歌声が聞きたいと思ってしまった。

「あなたには妻と十二歳のお嬢さんがいらっしゃるんですね」

 ヌイ軍曹の尋問は、雑談のように始まった。
「さすが、よくご存じですね」
 嫌味を込めて応じる。軍人台帳の個人情報が漏れているのだろう。

 十二年前。彼女の妊娠がわかり、妻とは学生結婚した。三人で暮らすための生活費が必要だった。研究は好きだが大学でなくても続けられる、と上級院への進学を断念した。
「エネルギー工学部を卒業後、アリオロン同盟軍の研究所に入られたんですね。何を研究されていたのですか?」
 これは機密だ、答えるわけにはいかない。
「子育てです」
 とユーモアで切り返す。ヌイ軍曹が目を見開いた。自分が「黙秘します」と答えると思っていたのだろう。
「お嬢さんの子育てですか?」
「ええ、毎日が戦争でした」
「休戦期なのに?」
「ええ」
 ヌイ軍曹が噴き出した。互いに目を見合わせて微笑む。

 自分が入隊した年に盟主抽選で厭戦派が選ばれた。休戦期に入り戦闘は激減、研究所ものんびりとしていた。
 星間物質の研究班に配属された自分の仕事は、何に役立つのかわからないデータ整理だ。雑用に近いが苦ではない。要領よく終わらせて、自宅へ戻り子育てをした。慣れない育児は戦争のようだった。営業職の妻より自分の方が時間の都合がついた。
 学士でしかない自分に研究の機密は明かされず、仕事ではみたされていなかった。一方で、娘の成長は観察のしがいがあった。
「お嬢さん、さぞや可愛いんでしょうね。目に入れても痛くないとか」
「ええ、宇宙一可愛いです。最近は生意気ですが」
 目元が自分と似ている娘。親バカと言われても可愛いものは可愛い。
「僕の姪もかわいいですよ。しばらく会ってないですけど。休戦期になったら会いに行けるかな。僕は休戦期の経験はないんです。歌手をやめて入隊したのが、休戦が破棄されて兵隊の緊急募集がかかった年でしたから」
「六年前ですね」
「そうです」
 娘が初等科に上がる年に、暮らしは一変した。好戦派のアヤリーマ盟主が選ばれると、即座に連邦との戦争へと突入した。名ばかりの研究員だった自分はすぐに前線へと駆り出された。
「グリロット中尉は先のフチチ侵攻からタロガロ基地に配属されていますね」
「……ええ」
 隠しても仕方ない。彼はわかった上で自分に聞いている。もうそこに笑顔はない。

「七年前の侵攻時はどのような任務でしたか?」
「お答えできません」
「爆撃隊に所属されていましたね」
「黙秘します」
「あなたは爆撃に加わりましたか?」
「黙秘します」
「フチチ歴五月二十日の首都大空襲の無差別攻撃に爆撃機のパイロットとして出撃された記録が僕の手元にあります。多くの無辜の市民が犠牲となりました。痛ましいことです」
 ヌイ軍曹の柔らかな声が自分を縛り付ける。
「フチチを解放するためです」

 反論せずにはいられなかった。フチチは王室がすべての権力を掌握し、一般市民を農業労働力として利用し搾取している。連邦の不平等を解消して、我ら同盟のタロガロの移民とともに生活させれば、フチチ市民の幸せにつながる。
 自分はそう聞かされていた。

 宣戦布告も何もないまま、我が同盟は農業星系のフチチへ攻め込んだ。奇襲は司令部から命じられた作戦だった。フチチ王室が抱えている独自軍を叩くという名目だった。戦ってみると、敵は軍と呼べるほどのものを備えていなかった。
 首都大空襲にも参加した。反粒子爆弾が着弾し建物が破壊される様子を爆撃機内のモニターで確認する。「よし、命中っ」興奮して声が出た。

 緑の星は真っ赤に燃え上がっていた。空から見る光の渦は、故郷で見るどんなイルミネーションより美しく輝いていた。我々のこの成果がタロガロとフチチに自由と幸せをもたらすのだ。達成感と爽快感が胸に広がった。

 フチチ十三世は戦闘中に死亡し、フチチは陥落した。

 解放されたはずのフチチ市民は我々に敵意を向け続けた。
 破壊尽くされた首都に降り立った自分が目にしたのは、焼死体の横に立つすすにまみれた女の子だった。娘と同じくらいの幼子だ。保護しなくては。近づく自分に足元にあった石を投げつけてきた。涙で赤く腫れた目が自分をにらみつける。石は届かずポトリと地面に落ちた。それが脳に直撃したように感じた。あの子の怒りと痛みが自分に穴をあけ、充満する焦げ臭ささが身体に侵食してくる。
 爆撃機内ではしゃいでいた自分が恥ずかしい。その場から逃げるようにして部隊へと戻った。
 あの時だ、聞かされていたイメージとの間に初めて違和感を感じたのは。

「あなたが参加した首都大空襲は、虐殺の罪で人権委員会で問題となりましたね」
「連邦がフチチを奪還した時点でその話は終わっています」
 これ以上この話題に触れてほしくない。赤い瞳と石のつぶてが脳裏に浮かぶ。
「アリオロン同盟軍はタロガロ駐留部隊を縮小しましたが、その後、五年以上、あなたの配属が変わらないのはなぜですか?」

「知りません。異動は上部が決めることです」
「あなたは何か重要な任務を負っているのではないですか?」
「何もお答えすることはありません!」
 つい、声を荒げてしまった。これでは白状したも同然だ。
「きょうはここまでにしましょう」
 ヌイ軍曹の言葉に深く息を吐いた。

 一言も口を利かなかった次期将軍の少年が自分の前に立ち、冷たい視線で見下ろした。これ以上、どんな攻撃を仕掛けてくる気だ。
「グリロット中尉、あすから一日に十分間トレーニングルームの利用を許可します」
「え?」
 思わず見上げる。どういうことだ。罠か? 「飴と鞭」という言葉が浮かぶ。 
 無表情を装っているが、彼自身は納得していない不機嫌な様子が見て取れた。

 初めて年相応の雰囲気を感じた。彼が娘と同じ十二歳であることを思い出した。

 三カ月に一度、タロガロの前線から自宅へ帰る。
「お父さん、お帰りなさい」
 思春期の入口に入った娘が笑顔で迎えてくれる。子どもだと思っていたのに会うたびに大人びていて驚く。女の子は成長が早い。二週間の休みは仕事を忘れ、家族と存分に過ごす。
「わたしが学校に入るまでは、お父さんのんびりしてたよね」
「いや、あの頃だってちゃんと仕事はしていたし、お前の世話でのんびりなんてしてなかったぞ」
「家にお父さんがいてくれると助かるんだよね」
「やっぱり父さんと一緒がいいか?」
「違うわよ。男手があって便利ってこと。単身赴任はやめられないの?」
 ぶっきらぼうな口調だったが、うれしかった。同僚から娘は父親から離れていくという話を聞かされたばかりだった。
「父さんにしかできない仕事をしているんだ」
「戦争なんて、やめちゃえばいいのに」
 軍人の自分ですら、娘の育児に追われた休戦期を懐かしく思う。だが、連邦の拡大を止めるためには、好戦派が主張するように武力も必要なのだ。この娘の未来を守るためにも。
「盟主抽選は公平公正だ。結果を受け入れなさい。連邦に支配されたら自由で平等な世界ではなくなってしまうんだよ」

 人権委員会で捕虜は取引のカードに使われる。不調に終われば何年も戻れない。自分はフチチの大空襲にも出撃している。交渉は簡単には進まないだろう。家族には軍から連絡がいっているはずだ。心配をかけて申し訳ない。
 次はいつ会えるだろうか。娘が年頃の女性へと成長していく様子を自分はおそらく見守ることができない。自らの招いたこととはいえ、何よりそれが辛い。


**

「へぃ、いらっしゃい」
 俺はいつもの通り食堂で働いていた。
 モリノ副長が入ってきて列に並んだ。心臓がドクンと音を立てる。

『何があっても普段と変わらずにいろ。そうすれば生き残れる』ダグの声が耳の奥で響く。明るく副長の顔を見る。
「今日のおすすめはトマト煮だよ」
「それをもらおう」
「あいよ」
 少し勢いをつけてよそう。想定通りに皿の縁に真っ赤なトマトソースがはねた。拭うためのナプキンを右手に取る。

 同時にポケットからカプセルを取り出し握り込んだ。大丈夫だ。ここは防犯カメラの死角になっている。誰にもばれない。一滴たらせばそれで終わりだ。
 赤いトマト煮が血の記憶を呼び覚ます。

 あの日、俺は雑踏にいた。
 背後から近づいて正確に刺せ。とダグが俺にレーザーナイフを渡した。
「教えた通りに仕事をすれば、相手は刺されたことにしばらく気づかない。銀河一の操縦士を目指すお前ならわかるだろ。仕事を成す上で正確さがどれほど大切なことか」

 ダグのボディガードのブレイドから手順を教わった。三次元仮想空間の中でシミュレーションを繰り返す。刃渡十五センチのレーザー刃をどこからどの角度で刺せばいいか。
「現実は訓練とは違う。だが、何があっても普段と変わらずにいろ。そうすれば生き残れる」
 とダグに送り出されて、俺は休日の繁華街へと向かった。

 ターゲットの男は派手な服を着た女のショッピングに付き合っていた。人が溢れかえる夕方の交差点。男の背後に立つ。歩行者シグナルが変わり人の波が動き出した。流れに合わせて歩き出す。
 息ってどうやって吸うんだっけ。喉の奥に黒い大きな氷が詰まっているようだ。
 目の前のビルの広告モニターが六時を告げる3D映像を流しはじめた。巨大な一輪の花の蕾が立体的に街の上空へ飛び出してきた。時報に合わせて美しく開いていく。人々の目が吸い寄せられるように上を向く。

 今だ。俺はレーザーナイフを突き刺した。グニュっとした感覚。訓練とは違う。内臓が壊れていくことが手から伝わる。

『現実は訓練とは違う。だが、何があっても普段と変わらずにいろ』
 細いレーザー刃を解除する。出血はない。男は刺されたことにも気づかず歩いている。
 吐きそうだ。こらえようと顔を上げる。群衆が見ている広告モニターが目に入った。真っ赤な薔薇が夕空に浮かぶように咲き誇っていた。

 どうやってダグん家に戻ったのか覚えていない。けれど、ダグに言われた通りに普段と変わらずにいたのだろう。俺は生き延びた。ダグが笑顔で俺を迎え入れた。
「よくやった。さすが俺の息子だ」
 そう言いながら俺をハグした。ニュースが聞こえる。
『宝石店で倒れ死亡したのは不動産業の男性です。一緒にいた女性は被害者がどこで刺されたのか、全くわからないと警察に話しているということです』
 吐きそうな気配がぶり返す。疲れ切った俺はダグの腕に身体を任せた。
「お前に褒美をやる。S1機に乗せてやる」
「え?」
「お前ならできると思ったから、ナセノミラのコースを借り切っておいたんだ」
 ダグがうれしそうに笑った。念願のS1機に乗れる。しかもレース場で。脳みそが興奮してはち切れそうだ。ダグの手から伝わる体温が俺の中の黒い塊を浄化していく。

『現実は訓練とは違う。だが、何があっても普段と変わらずにいろ』
 そうだ、そうすれば生き残れる。これまでだってそうだった。

 俺は手にしたカプセルの感触を再度確かめた。

**

 ベッドの上の段から聞こえるうめき声で目が覚めた。
 レイターがうなされている。
「ダグ、やめろ」
 微かに言葉が聞き取れる。また悪夢を見ているのか。レイターによれば、ダグと自分に殺される『赤い夢』。

 ストレス障害の症状だ。このところ落ち着いていたのに、あいつに何かあったのか?
 目を覚まさせてやったほうがいいが、身体を起こすのが面倒くさい。
 このところ捕虜への対応が忙しく疲れている。部屋には寝るために戻るぐらいだ。せめて睡眠で体調を整えておきたいのに、と思ったところで唸り声が途切れた。眠ったのか。

 レイターのせいで眼が冴えてしまった。二段ベッドの天井を見つめていると、昨日の会議が思い出された。
 モリノ副長は真面目で規律を重んじる。僕とヌイ軍曹が行ったグリロット中尉の尋問議事録を読んで「意義あり」と声を上げた。
「グリロット中尉にトレーニングルームの利用を認めるべきだ。捕虜に関する規程では基本的に要望を叶えることになっている」
 僕は反論した。
「一週間の拘束であればトレーニングルームを使わせなかったとしても、人権委員会で問題になることはありません。拘束室内でも運動を認めています」

「いや、人道的な見地から、利用させることが無理難題かどうかという視点で考えるべきだ」
「彼が逃走した場合には、V五型機を爆破もしくはデータを消去する恐れがありリスクが高すぎます」
 僕の発言を受けて、メカニックのカナリア少尉が発言した。
「爆破を避けるために、ひまわりのエネルギーは抜いておいた方がいいですね。物理的にエネルギータンクに穴をあける必要がありますが、構いませんか?」

「そうだな、作業を進めてくれ」
 それだけでは不十分だ。
「データの消去については防ぎようがありません」
「トライムス少尉、ロックを解除されないように彼を機体に近づけなければいいだけだ。拘束室とトレーニングルームの距離は近く、見張りの負担も少ない。断る理由にはならない。捕虜に関する規程を守ることは、今、敵の捕虜になっている連邦軍人たちの待遇改善にもつながる。長期的な視点からも必要だ」
 モリノ副長に根回しをしておくべきだった。正論を崩すことができない。
 ひまわりに機密データが隠されている。しかも、最高機密である亜空間破壊兵器に関する情報の可能性がある。そのことはアレック艦長にしか報告していない。会議に艦長が出席していれば流れは変わったかもしれないが、仕方ない。

 とにかく、グリロット中尉の移動時には細心の注意を注ごう。
 万一、データが消去された時のためにもひまわりがどんな種類の情報を持っているのか手がかりだけでも知っておきたい。
 ヌイ軍曹は黙秘の砦に穴を開けた。そして、カナリア少尉がヒントをくれた。中継地点まで残り四日。何とか手繰り出さなくては。

 考えている間にいつしか眠っていたようだ。朝起きるとレイターの姿はなかった。

**

「トレーニングルームにご案内いたします」
 丁寧な言葉とは裏腹に将軍家の少年は不機嫌そうな顔で手錠を付けた自分に銃を突き付けていた。ヌイ軍曹が腰縄を握っている。厳重すぎるほどの警戒だ。

 廊下へ一歩踏み出す。初めて部屋の外へ出られた。これは成果だ。
 艦内通路の武骨な雰囲気は我が軍の戦艦と似ている。少し連邦の照明の方が明るいか。エンジン音の聞こえる方向を確認する。ここは艦内後部だな。
 角を回るとトレーニングルームは、すぐだった。これでは逃走ルートは確保しづらい。だから利用を認められたのか。天才少年に抜かりはない。
 トレーニング機器を前に手錠と腰縄がはずされた。
 トライムス少尉はドアの前で銃を構えている。隙がなく、動きもしなやかだ。鍛えていることが一目でわかる。十二歳というのにどこから見ても優秀な軍人だ。

「ランニングマシンをお借りします」
 タロガロ基地で使っているものと使い方は変わらなかった。久しぶりに全身を動かしながら室内を見回す。使えるようなものは見当たらないか。

 六年前、フチチが陥落し鮫ノ口暗黒星雲はアリオロンの領空となった。
 フチチに駐留していた自分に本部の研究所所長から任務が与えられた。鮫ノ口暗黒星雲内にある星間物質の濃度分布を調査せよというものだ。目ぼしい座標を見繕って測定器を設置した。
「このデータはどのように利活用されるのでしょうか?」
 自分の疑問に明確な答えは返ってこなかった。
「前線の暗黒星雲を押さえることは我が軍に有用なのだ。君の任務については基地の上司にもあまり話さないでもらいたい。いずれ研究所へ戻ればわかる。それまで正確なデータ収集を頼みたい」

 フチチが連邦に奪還された後も、その任務は続いた。
 基地から自動無線を使えば測定器から簡単にデータ収集できるが、ここは前線だ。敵に気づかれるわけにはいかない。低被探知性のV五型機で鮫ノ口内の三十地点へ定期的に出向く。測定器とコネクトしてデータを回収する。単純でアナログな作業。研究員の自分にとっては慣れたものだ。
 最初からその観測要員として自分が派遣されていたことを知ったのは、随分と後になってからのことだった。
 研究所にとって、フチチの民の解放は建前でしかなかった。

 六年の間にタロガロ基地の司令官は次々と変わっていったが、自分には異動命令がでなかった。昇進だけはした。
「自分はもう研究所へ戻ることはないのでしょうか?」
 基地の司令官に聞いたことがある。
「研究所の考えていることは、よくわからんのだ。異動の希望があるのか?」
「いえ」
「待遇が不満か?」
「そういう訳ではありません」
 鮫ノ口は前線とはいえ今や危険は少ない。それにもかかわらず、危険手当と研究手当は高額だった。休暇も希望通りに取ることができた。
「では、このまま続けてくれ」
 そのやりとりから感じた。自分には基地司令官も知らない特殊な任務を課せられていると。

 自分は学者を目指していた。事象を分析して仮説を導きだすことは得意だ。
 研究所がやろうとしていることが、高密度の星間物質を利用した兵器の開発であることは間違いない。しかも、極秘案件だ。通常兵器ではない。
 タロガロ基地での時間はたっぷりあった。宇宙エネルギー学会の論文資料を読み込む。随分古い文献の中に、気になる記述を発見した。

 アリオロンの帝都ログイオンで開催された学会記事だった。
『亜空間破壊兵器について』と題されている。
 高密度の星間物質を亜空間に送り込んで、意図的に時空震を発生させ、その巨大エネルギーを兵器利用する理論だ。実現すれば宇宙を崩壊させるほどの力を持つ、と指摘している。
 当時、学会では夢物語でしかない空想科学兵器、として扱われ一顧だにされなかったようだ。

 だが、亜空間飛行技術が進化した今、亜空間を利用して時空震を発生させることは不可能ではない。問題は制御ができないことだ。自然発生する時空震は時間とともに自然収束するが、そのシステムは未解明のままだ。仮に、人工的に時空震を発生させた場合、収束させる手立てはない。時空の裂け目が広がり続けた場合、まさに宇宙が飲み込まれ崩壊していく。

 研究所はこの恐ろしい兵器の開発を行っているのではないだろうか。

 先週のことだ。打ち合わせの席で、新しく着任した指令官が自分を指名した。
「グリロット中尉。来週、連邦軍がフチチ星系で観艦式を開催する。鮫ノ口におけるデータ回収の後、フチチ領域に入り、領空侵犯後に敵機が何分でスクランブル飛行してくるか、確認してきてくれたまえ」
「申し訳ございませんが、データ回収の後はできません」

 データを持ったまま連邦の領域に入ることはリスクが大きい。
「データ回収の時期をずらせばいいだろう」
「回収の周期が決まっております。それにあのV五型機は観測用に改造されておりまして」
 司令官がにらんだ。自分の説明は言い訳にしか聞こえていない。
「では、連邦に観艦式の日取りを変えてもらうかね。これは決定事項だ。君は随分優遇されているが、研究所から何を指示されている?」
「暗黒星雲の観測です」
「それが、我が軍の何に役立つのだ?」
「自分にはわかりません」
 正直に答えた。だが、司令官の眉は怒りではねた。
 フチチ侵攻から六年。あの首都空襲に一緒に向かった同僚はほとんど残っていない。特別任務の自分は孤立していた。
「グリロット中尉、はっきり言っておく。ここでの上官は私だ。君は誰よりも鮫ノ口の飛行に慣れている。その技術でこのタロガロ基地に役立つ働きをしてもらいたい」
 司令官が研究所の秘密体質を快く思っていないことは感じていた。
「承知いたしました」
 V五型機でいつものように鮫ノ口の観測機へ向かう。データをコネクトして取り出し、その後、フチチ領へ侵入した。
 スクランブルで飛んできた敵機を見た時に思いついた。このフチチ機を連れて帰れば、司令官の手柄になる。
 研究所ではなく、基地のための成果。その言葉が自分の判断を鈍らせた。

 「時間です。部屋に戻っていただきます」
 久しぶりのランニングで息が切れた。体力を戻さなくては。
 自分を見張っているこの少年は危険だ。権力の象徴である将軍家の跡取りで、銀河連邦一の天才なのだ。

 彼はV五型機に搭載されているデータが何を意味するか読み取る力を持っている。亜空間破壊兵器のことにも気づいてしまうに違いない。彼の手に渡る前に、何としてもデータを消去しなくては。
 
 いちかばちか、銃を奪って逃走を試みるか。いや、訓練された兵士二人を相手にするのは無理だ。無謀なチャレンジは最後の最後まで取っておくべきだ。
 とにかく部屋から出るきっかけは作った。ここから突破していくしかない。

**

 きょうは、ヌイではなく僕が尋問を行う。
 軽い緊張を持って尋問室へ入ると、グリロット中尉はいつもと変わらず静かに座っていた。

「あなたは、領空侵犯する前に鮫ノ口暗黒星雲で何をしていたのですか?」
「……」

 微動だにしないが、僕の質問の意味を考えている様子だ。補足の質問をぶつける。
「タロガロ基地から直接フチチへ来たわけではないですね?」
「黙秘します」
 これまでのやりとりから推察するに、彼が黙秘を使う時は「当たり」だ。
「何かの任務とあわせて、侵犯したのではないですか?」
「黙秘します」
「機体に残っていた燃料を調べました。かなりの距離を移動していますね」
 彼の瞳が動く。V五型機から強制的に燃料を抜いたカナリア少尉からエネルギー残料が少ないことの報告を受けている。
「黙秘します」
「鮫ノ口で何をしていましたか?」
「通り抜けてきました」
「噴射口の煤も調べました。長時間、暗黒星雲を飛行していたことが伺えます。通り抜けただけだとしたら随分と無駄な飛行ルートですね」
「黙秘します」
「あなたはアリオロン同盟軍の研究員でもある。暗黒星雲の観測を担当していたのではないですか?」
「黙秘します」
「研究員でしたら観測データを持ったまま敵領には入ることの危険性はご存知のはず。何かあったのですね?」
「黙秘します」
 ほんの一瞬呼吸が乱れた。ひまわりは間違いなく暗黒星雲の観測データを積んでいる。
 一拍置いて、別の角度から矢を放つ。
「グリロット中尉、観測データとともに連邦へ亡命しませんか?」

「お断りする!」
 強い口調での反論。想定通りだ。黙秘の砦を中から揺らす。
「あなたのお嬢さんは、貴殿がフチチの大空襲に参加し何をしたかご存じですか?」
「……」
 彼はぐっと口をつぐんだ。苦しげな表情。
 ヌイ軍曹による尋問中にも感じた。首都大空襲に痛みと罪悪感を抱えていることがうかがえる。
「フチチを解放するという大義は嘘だったこと、今ではわかっておられますね」
「……」
「あの強硬な侵攻は、鮫ノ口暗黒星雲を観測するためなら、多くのフチチの民が犠牲となっても構わないという考えのもと実行された」
 額に汗を浮かべるグリロット中尉を観察する。僕の描いた推論は間違っていない。あとはその具体的な観測データの内容が知りたい。
 砦から顔を出した彼が苦し気に僕に言葉をぶつけた。
「……あなたは不幸な星の元に生まれている」
「僕が? どういう意味ですか」
 思わず一人称が僕になってしまった。
「我が同盟に生まれていれば、その年齢で戦地に来ることはない。子どもたちの幸せは最大限に尊重される。連邦の世襲制という自由を奪う制度があなたを不幸にしている」
 グリロット中尉に僕の姿は同情すべき対象として見えているのか。子を持つ親として、真っ当な感性の持ち主ともいえる。
「確かに窮屈な制度ではありますね。でも、私自身は不幸と感じていません。選択肢が少ないがゆえの充実感があるのも事実です。一つ伺いますが、子どもの幸せを尊重するあなたの世界は、フチチの子どもたちに何をしましたか?」
「……」
 この沈黙は黙秘ではない。

 ハヤタマ殿下の怒りに満ちた顔が頭に浮かんだ。当時十二歳だった王子は星を焼き尽くしたアリオロンに復讐をしたかったという。
「父殿や兄姉の仇を討ちたかった。だから我は、連邦の士官学校を目指したのだ」

「今も復讐を考えておいでですか?」
「怒りは今もある。だが、母殿は現実的だ。復讐をしたとて父殿も兄殿も姉殿も戻っては来ぬ。フチチも痛みを生じるだけだと止められた。母殿が申すようにフチチの再建こそが最大の供養だということは我もわかっている。こちらから攻めはせぬ。だが、攻めてくるものがあればいつでも殲滅する」
 あの溢れだす敵意が、侵犯機の捕獲につながったのだ。

 黙り込んだグリロット中尉に僕はゆっくりと話しかける。
「では、連邦への亡命ではなく、人権委員会でお話しいただくのはいかがですか。あなたが鮫ノ口で行ってきた任務について。それは、あなたが奪った命の供養となりますし、あなたのためでもあります。発言が人権委員会で評価されれば、早くご自宅へ戻ることができるでしょう」
「……」
 答えはなかった。だが、砦の中に矢が届いた手ごたえはあった。

**

「お願いします!」
 俺は礼儀正しく気合を入れて格納庫に入った。きょうの模擬戦はアレックの許可を得てる。

「よろしく」
 無愛想なカナリアが返礼する。
 アーサーの複座機に近づくと機体に小さなライトが灯った。登録された俺の生体認証でロックが解除される。タラップを昇って操縦席に乗り込んだ。久々の模擬戦だ。

 ゆっくりと息を吐く。ここは落ち着く。計器に囲まれたコクピットは鉄壁だ。俺のすべてを守ってくれる。
 ここでなら『赤い夢』を見ずに眠れるだろうか。
 
 真正面に眠ったままのひまわりが置かれていた。
 機内のスコープを通して見つめる。この前見た時にはなかった穴が機体後部に空いていた。メカニックのカナリアが爆破を避けるために液体エネルギーを強引に抜いたんだろう。かわいそうに。
 カメラをズームすると機体の金属の張り合わせまでくっきり見えた。ゆっくり観察する。その時、俺は気が付いた。ああ、これが違和感の原因か。こいつ、ひまわりを咲かせられねぇんだ。

 機体がピッと小さな電子音を立てた。アーサーが近づいてきたことを知らせる。
「相変わらず、機体に乗る日は早いな」
 と言いながら後部のナビ席に座った。
「ここに座ってると落ち着くんだよ」
 口にしてから、余計なことをしゃべったと後悔した。

 きょうは五機対五機のチームに分かれて戦う。格納庫に入ってきた人影を見た瞬間、心臓がドキンと音を立てた。

「なんで副長がパイロットスーツ着てんだ?」
「ハミルトン少尉が体調不良だから代わりに搭乗するそうだ」
「おいおい、体調不良って『逃げのハミルトン』のサボりに決まってるだろが」
「モリノ副長もたまには操縦したいのだろう」
「マジかよ」
 副長が近くにいるだけで周りの空気が薄くなる気がする。意識して呼吸しねぇと窒息しそうだ。

 モリノ副長を殺すのはいつでもできる。
 けど、真っ赤なトマト煮に洗浄液を垂らそうとした瞬間、計画が甘すぎることに気づいた。副長がこれを食って死んだら、犯人は俺か料理長のザブに絞られる。俺は密航者でここは軍艦という閉鎖された空間だ。逃げ場もない。即効性の毒じゃだめだ。
 俺は行き詰まっていた。

 模擬戦場となる無人星系の小惑星帯へ戦闘機を飛ばす。
 アーサーが俺のチームの大将で、敵の大将はモリノ副長だ。
 操縦桿を握る俺にアーサーが聞いてきた。

「レイター、どうした?」
「あん?」
「制御軸がずれてるぞ」
「マジか」
 慌てて修正する。『銀河一の操縦士』としてはありえねぇミスだ。俺としたことが飛行に集中してねぇな。
 
 小惑星帯をスクリーニングする。

 敵と接触したらバトル開始。先に敵の五機に模擬弾を当てたチームの勝ちだ。速く敵を見つけることが勝負の明暗を分ける。
「45WDの裏に注意せよ。G隊形で接近する」
 天才軍師のアーサーの指示が味方機に飛ぶ。小惑星に隠れながら45WDへ近づいていく。目の端で機影を捉える。正式採用されたばかりのコルバだ。
「コルバ機見っけ」
 模擬弾を発射する。精鋭軍団の中じゃコルバの動きは見劣りする。隠れる技術もまだまだ甘い。コルバ機の翼に命中した。
「すみません、コルバ機離脱します」

 泣きそうな連絡が全機に伝わる。それが鬼ごっこ開始の合図となった。

 小惑星の陰に隠れて次の機体を狙う。
「まだ、出るな」
 悔しいがアーサーのナビは的確だ。操縦に集中できる。

 目の前に現れたのはモリノ副長機だった。撃ってきた模擬弾をスレスレでかわす。誘導無効波で追跡を防ぐ。

 副長はアレクサンドリア号に乗るまで現役の戦闘機パイロットだった。いい読みをしてる。勘は衰えてねぇ。だが、技術は俺のが上だ。小惑星の裏に逃げ込む。
 性格通りの真面目で面白みのねぇ飛ばし。こちらが飛び出すのを待っている。教本通りの手には乗らねぇ。脳みそと身体と機体が一体化していく。
 作戦を変えて副長が撃ってきた。よけながら模擬弾のスイッチを握る。どこで反撃するか。

 小惑星の影に副長の機体を捉えた。チャンスだ。コクピットのモリノ副長にロックオンした。その時、俺の中にイメージがひらめいた。

 モリノ機が大破し、粉々に散る。戦闘機は人を殺すためにある。

 レーザー弾への切り替えボタンに手をかけた。これで『赤い夢』から解放される。

『お前ならS1レーサーにだってなれる』
 副長の声が聞こえた気がした。

 その時だった。
「右六十五度回避」
 全く意識していないところから模擬弾が飛んできた。アーサーのナビに従って俺の身体が勝手に動く。重いGが身体を押さえつける。間一髪のところでかわす。
 呼吸が乱れる。筋トレをサボったツケだな。

 カナリア機か。敵の陽動だ。
 他機の動きも把握していたはずなのに。どこから来た? 

 フェイントか。
 カナリアは技巧派だ。だが一対一の対戦で負けたことはねぇ。何とかなる。
 背後からモリノ機が迫る。反転する。ちッ、カナリアを見失った。劣勢だ。逃げ切れるか。
「三十七度方向へ転進」
 アーサーの指示は的確だ。だが、違う。俺の直感が別の何かを感じる。まずい。挟まれた。
 軽い人工的な衝撃が機体を揺らす。
「トライムス機、着弾により離脱する」
 アーサーの冷静な声がした。模擬弾が機体側面に当たっていた。カナリアが撃ったものだった。一体どこに隠れていたんだ。

 俺のチームは負けた。

 自室に戻るとアーサーが怖い顔をして立っていた。基本的に怖い顔だが、今は子どもが見たら泣くレベルだ。
「お前、模擬戦中に何を考えていた?」
「負けたからって、そんなに怒るなよ。俺だってショックだよ。カナリアはどこにいたんだ? 検証しようぜ」
 航空ログを確認しようとする俺をあいつは止めた。
「さっき、何をしようとした?」
「あん?」
「とぼけるな」
 アーサーの奴、思いっきり襟ぐりを引っ張った。息が苦しい。だが俺には抵抗する気力がなかった。

「模擬弾からレーザー弾に切り替えようとしただろう」
 こいつ気付いてたのか。
「何のことでい」
「僕は見落とさない。切り替えスイッチに手を掛けたお前の動きは明らかに不自然だ」
「ミスだよミス」
「銀河一の操縦士が操縦ミスを認めるのか?」
「……」
 言葉に詰まった。俺の中のプライドがミスを認めることを許さない。
「あのままレーザー弾が発射されたら、モリノ副長が死んでいたかもしれなかったんだぞ」
「撃ってねぇんだから問題ねぇだろ」
「お前、副長を殺そうとしたんじゃないのか?」
 思わず息をのんだ。

「……何でそんなこと思うんだ?」
 絞り出すようにたずねると、アーサーは眉間に皺を寄せて黙った。天才でも言葉にするのが難しいことがあるんだ。とぼんやり考える。

 あいつはポツリと呟くように言葉を放った。
「殺気だ。あの瞬間に感じた」 
 そいつは、ダグとカレット爺さんに叱られる。俺は反射的に肩をすくめた。
「アサシン失格だな」
「本気で副長を殺す気だったのか?」
「……」
 いつもなら嘘がスラスラ出てくるのに、釘で打ち付けられたみたいに脳みそが働かない。
「お前、昨晩『赤い夢』を見ただろう。精神的に追い詰められることが何かあったんじゃないのか?」
 まっすぐに立っていられなかった。壁に背中を付けるとそのまま力が抜けて座り込んだ。
「そうさ、あんたの言う通り副長を狙ったんだ」
「どういうことだ?」
「副長が俺にふねを降りろっつったんだよ」
「副長が?」
「ああ、ガキが戦地にいるのが気に入らねぇらしい。施設が嫌なら副長の実家で俺の面倒見てくれるんだとさ。ありがてぇ話だってわかってるぜ、でも、無理だ。施設だろうが副長の家族だろうが、みんな一緒に殺される。ダグからは逃げられねぇ」
「だからと言って、副長を殺す必要はない」
「しょうがねぇよ。ダグから逃れるためにはこうするしかねぇんだ」
「お前にしては珍しいな」
「あん?」
 アーサーの顔を見上げる。
「思考が近視眼的だ。副長が事故死したら、アレック艦長もお前の存在を隠して置けなくなる。ダグ・グレゴリーの耳にお前が生きていることが入るだろう。少し考えればわかる話だ」

 寒い。身体の芯からから黒い氷が俺を凍らせていく。歯の根があわない。全身が震え始めた。
「ゆっくり息を吐き切れ」
 いわれるままに息を吐く。頭の上から毛布が飛んできた。

 光のない真っ暗な部屋に赤いパトライトが点滅する。『緋の回状』が出てからずっと、甘い判断は一切許されなかった。
「潰すならすべて潰す。排除するなら息の根を止める。そうしねぇと、みんなやられる……」

 毛布をぐっと握りしめる。

「お前はダグに殺されることが怖いのではなく、他人を巻き添えにするのが怖いんじゃないのか」
 アーサーの言葉が俺の記憶を呼び覚ます。
 破壊尽くされた故郷のがれきと焼け焦げた臭い。死んだクラスメイトの遺体。学校へ来るな、という教師。お前さえいなければ、と責める大人たち。俺さえ死ねばみんなが幸せになる。
「俺のせいで街はめちゃくちゃになった。俺のせいでダチは死んだ。ダグは俺だけじゃない。俺の周りのすべてを破壊する」
「副長から下船を勧められたことを、どうして僕に相談しようと思わなかったんだ」
「は? あんたに? 忙しそうで話す暇もなかったじゃねぇかよ。それに、あんただって俺がここにいねぇ方がいいと思ってるじゃん」
「否定はしない。だが、社会秩序を維持するためにも、裏社会に狙われているお前をそのまま放置するようなことはしない。僕は将軍家で軍師だ。排除以外にも策はいくらでもある」

 毛布を強く握りしめる。
 温かい言葉でも何でもない、事務的なあいつの発言。俺のための言葉でもねぇ。けれど、震えが治まってきた。凍り付いた真っ黒な氷が少しずつ体から溶けていく。

 今、俺を刺したら黒い血が流れるに違いねぇ。

**

 毛布にくるまったまま、レイターが僕を上目遣いに見つめた。眼から怯えの色は消失していない。だが身体の震えは止まったようだ。
「ほんとに策はあるのかよ?」
「人の命を奪わずに済むよう作戦を練るのも軍師の仕事だ」
「あんたの仕事は、敵を皆殺しにすることだろが」
 その発言は僕を苛立たせた。
「人権委員会でジェノサイドは認められていない。お前、軍隊を何だと思っているんだ?」
「人殺しが許されてる集団じゃん。たくさん殺したほうが勝ちだろ。ハミルトンはそれで軍に表彰されてるし、英雄ってそういう奴のことだろが」

「連邦軍は人を殺すためにあるわけではない。守るためだ」
「あんたお得意の冗談かよ」
「冗談ではない」
 レイターは肩をすくめた。
「ダグは敵とみなせば、とことん潰してたぜ。ガキだって容赦はしねぇ。徹底的に復讐の芽は詰んどけって。寝首かかれたら終わりだからな。ダグは情けをかけた実の兄貴に裏切られて、嫁と息子を殺されたんだ」

「その経験が敵を殲滅させる信条を生んだということか」
「信条っつうか、人の命を左右できる力を持つ奴がダグみたいに頂点に立つ。あんたも同じじゃん」
 僕はダグ・グレゴリーとは違う。だが、強い生殺与奪の権を持っていることは事実だ。
 僕は直接人を殺したことはない。だが、僕の力が人を殺したことはある。

 次期将軍の僕は子どもの頃から、父とともに軍の参謀会議に出席することが許されていた。
 九歳の頃、各宙域で海戦が勃発した。その頃には僕は天才軍師と呼ばれていた。
「父上、この作戦の成功率を上げるためには、前線部隊の軍艦の位置をもう少し敵と接近させる必要があります」

「検討はしたが、人的被害のリスクが高い」
 父上の見通しは甘い。ここは作戦の成功率は高めておく必要がある。
「作戦が成功しなかった場合の被害の方が甚大です。この補給基地をここで落とさなければ戦闘は長引き、戦死者数は二割以上増大します」
 再検討の結果、僕の意見が採用された。作戦は成功し、敵は補給基地から撤退。大きな成果だった。
 前線に移動させた軍艦が沈み、逃げ遅れた三人の兵士が死亡した。被害は想定より少なく父への進言は間違っていなかったと安堵した。

 しばらくして、戦没者遺族が父に謁見する機会が設けられた。
「アーサー、お前は何も話さなくていい。正装で私の後ろに立っていなさい」

「はい」
 軍の司令本部にご遺族が訪れた。経験したことのない緊張で背中がこわばる。
 父は一人一人の手を取り、目を見てねぎらいの言葉をかけて歩いた。息子を亡くした母。婚約者を失くした男性。そして、夫を亡くした妻と息子。少年は僕と同じ年ぐらいだった。
「お父さんは立派だった」
 と父上が声をかけると、少年は下を向いた。
「立派じゃなくてもいいです、お父さんに会いたいです」
 小さなかすれた声がはっきりと僕の耳に聞こえた。涙が床にぽとぽとと落ちた。
「申し訳ございません」
 息子を抱えるようにして、母親が頭を下げた。
「貴方が謝ることは何もない。謝るのは私の方だ。辛い思いをさせて本当にすまない」
 父は膝をついて謝罪した。

 あの作戦を立てたのは僕だ。父上は人的被害のリスクが高いと躊躇したが、僕は作戦の成功率を上げるためには仕方がないと割り切った。僕は間違ってはいない。あの作戦が成功しなければもっと大きな被害が出た。
 間違ってはいない。だが、それは正解だったのだろうか。
 目の前で泣いている少年には、失敗した作戦にしか見えないだろう。

 もう少年は、二度と父親と会うことはできないのだ。絶対に。それは僕が母と二度と会えないことと同じだ。
 
 犠牲者が三人と聞いて僕は喜んだ。もっと多くの兵が亡くなることを想定していたからだ。机上の作戦で僕が見ていたのは数字だけだった。
 少年の父親を殺したのは僕だ。気が付くと父の後ろでひざまずいていた。
「アーサー、彼の手を取りなさい」
 父の声が聞こえ、少年の手を僕の手で包んだ。僕より小さな冷たく震える手。悲しみと、寂しさと、理不尽さに対する怒りを懸命にこらえている。

 母の美しい死に顔が目の前に広がり、記憶がループ暴走しそうになる。
「申し訳ありませんでした」
 僕の頬を熱いものが伝った。それが涙だと気づいたのは彼らが立ち去った後だった。

 フチチ大空襲は客観的に見れば虐殺だが、アリオロンからすれば成功した作戦だ。参加したグリロット中尉は何を考えて爆撃したのだろう。

 彼は、フチチ大空襲の話を持ち出すと、決まって機嫌が悪くなった。どの作戦に参加したにせよ、フチチ市民の殺害に関わっている。僕と似たような後悔と懺悔を突き付けられる機会があったのかも知れない。
「人権委員会で話してほしい」という僕の提案に乗ってくれるだろうか。
 彼は聡明だ。『亜空間破壊兵器』について把握し、その威力の大きさに憂慮の念を抱いていれば、提案に賛同する可能性があると踏んだ。
 不毛な戦争に嫌気を感じていることは伝わっていた。

 人を殺すことは簡単ではない。物理的にも心理的ハードルは高い。だが、戦争はそのハードルを乗り越えることを求める。
 今回レイターはモリノ副長を殺すことを試みた。おそらくダグはレイターが持つ殺人に抵抗する良心のハードルを壊したのだ。そして、それがストレスとなって『赤い夢』を見ている。

「お前はダグのアサシンだったのか?」
 僕の質問をあいつは鼻で笑った。
「殺気がバレるようなアサシンをダグは雇わねぇよ。仕事を手伝ったことはあるけどな」

 軽い口調で感情の重さを隠そうとしている。ダグ・グレゴリーに『緋の回状』の死刑執行役をさせられていたことは聞いたが、それだけではないな。宇宙海賊に襲われた時、こいつは迷うことなく海賊の急所を撃ち抜いた
 ダグはレイターに殺害の手伝いをさせることで、思考力を奪い、人を殺すことに慣れさせていったのだろう。心の内側に溜まっているダグの悪意を外に吐き出させた方がよさそうだ。
「例えばどんな仕事を手伝ったんだ? 具体的に言えるか?」
 レイターの顔が曇る。思い出したくないなのだろうが、誰かに話したい気持ちもあるはずだ。ゆっくりと口を開く。
「……色々」
「自分の意思ではなかったのだろう?」
「好きでやってたわけじゃねぇけど、殺らなきゃ殺られる、って時は、俺の意思で殺したぜ」
「その状況は、正当防衛が認められる」
「難しいな。ダグに認められてぇ、ってのは俺の意思だよな」
 ダグに承認されたいという歪み。質問を変えよう。

「僕が気づかなければ、副長を殺すことができたと思うか?」
「あん? 殺すだけなら簡単さ。機会はいくらでもあったし」
 背筋に汗が伝った。おそらく僕を殺すのは副長を殺すより簡単だ。
「それをしなかったのはなぜだ?」
「俺がやった、ってバレねぇ方法が見つからなかったんだ」
「模擬戦は誰が撃ったか明らかだぞ」
「訓練中のミスなら何とかなるんじゃねぇかって、とっさに思ったんだ」
「お前が実弾にスイッチを切り替えた時は驚いた。だが、僕が模擬弾に戻そうとする前に、殺気が一瞬にして消えた。あれはカナリアが攻めてくる前だ」
「……副長の声が聞こえた気がしたんだよ。お前ならS1レーサーになれる、ってな。迷ったら終わりだ。失敗する。ダグの言う通りだった」
「それは、違うんじゃないか。失敗ではない。そもそもお前は副長を殺したくなかったんだ。自分でそれを選択したんだ」
 レイターは大きく息を吐いた。
「そうさ、俺は、副長を殺したくなんてなかった」
「副長だけじゃない。お前は、誰も殺したくなかったんだ」
「……」
「だから、『赤い夢』を見るんだ」

 僕はこれまで、直接人を手にかけたことはない。もし、僕が戦地で敵兵を目の前にしたらどうするだろうか。殺さなければならない状況になった時に訓練通りに動けるだろうか。
 答えの出ない問いが浮かぶ。そんな自分に、思わぬ言葉が投げかけられた。
「アーサー、あんた、あのひまわり、咲けねぇって知ってたか?」

**

 さて、どうしたものか。捕虜の身ながらトレーニングルームへの出入りを許可され、部屋から出るチャンスは得た。

「あなたが六年間鮫ノ口で行ってきた任務を、人権委員会でお話しいただけないでしょうか」

 彼の提案後、尋問の時間はなくなった。自分に回答権を委ねているということだ。
 あの少年は忙しいのだろう。トレーニングルームの見張りはヌイ軍曹と屈強な兵士に変わった。
 背の高い兵士は戦地を潜り抜けてきた目をしていた。敵を殺すという軍人の仕事を自分と同じように経験しているのだろう。彼は躊躇なく自分を殺せるに違いない。

 ランニングマシンの上を走りながら少年の提案について考える。
 もちろん、我が同盟軍を裏切るような真似はできない。だが、V五型機のデータが消せなかった場合、みすみす連邦に渡すよりは第三者機関である人権委員会を利用する手はある。

 かつて、フチチの首都大空襲について、「虐殺」という犯罪行為と認定するか、第三者機関の人権委員会で審理が行われた。結論はあいまいなまま政治決着した。
 自分が行った行為が「虐殺」と歴史に残らなかったことに安堵した。だが、胸につかえた闇は消えなかった。あの爆撃の炎の下で何万人というフチチの一般市民が死んだ。その命を奪ったのは自分だ。
 自分に石を投げつけた女の子に睨みつけられる夢を今も見る。

 フチチ侵攻で目にしたことは家族にも話していない。自分は子煩悩で音楽好きなどこにでもいる父親だ。虐殺に加担する非人道的な人間とは思われたくない。
 娘はどれだけ知っているのだろうか? 父親がフチチ大空襲に参加したことはわかっている。学校ではフチチ侵攻は市民を王政から解放するために必要だったと教えているはずだ。
 それは嘘だ。我が軍の目的は、市民の解放ではない。鮫ノ口のデータ取得だ。
 真実を知らないこと、それは正しいことなのだろうか。

 『亜空間破壊兵器』を我が軍が手にしたら、この戦争はどうなるのだろう。宇宙の破壊につながる兵器だ。持っているだけで優位となる。戦争を終わらせることができるかもしれない。
 だが、もし使用した場合、フチチ大空襲どころの被害ではおさまらない。背筋に冷たいものが走った。
 人類は手にしていけないものを掴もうとしているのではないだろうか。人権委員会ならその使用を止めることができるのだろうか。自分が告発すれば事態は変わるだろうか。

 足が重い。息が上がってきた。体力が落ちているな。
 体調不良を訴えたらどうなるだろう。医務室へ運ばれる途中でV五型機に近づくことができるだろうか。いや、仮病が通じるほど甘いとは思えない。だが、もし、自分がここで死ねば……
「部屋へ戻る時間です」
 ヌイ軍曹の美しいアリオロン語で、トレーニングの十分間は終わった。

 拘束室へと戻る帰りの廊下で、自分は驚くべきことを目撃した。
 この戦艦に幼い子どもが乗っていたのだ。男の子は走って近づいてくると、高い声で自分に話しかけてきた。語尾が上がる疑問形。何かをたずねているようだ。
 くりくりとした目で自分を見つめる。敵意は感じない。

 ヌイ軍曹が少年をたしなめる。
「すみません、騒がしい子で。ひまわりが図鑑と違っていたようで気になったようです」
「ひまわり?」
「ああ、我々はV五型機のことをひまわりという黄色い花の名称で呼んでいるんです。明るくたくましい花ですよ。アリオロンにはない花かも知れませんね」
 戦闘機に花の愛称をつけるという感覚はよく理解できない。
「この子はいくつですか?」
「十二歳です」
 娘と同じ年だ。将軍家の跡継ぎとも同じか。もっと幼く見えた。
「どうして戦艦に乗っているんですか?」
「親がいなくて、厨房で働いているんです」
 信じられない。この戦艦アレクサンドリア号は前線を回っている。百歩譲って将軍家の跡継ぎの乗艦は理解できても、孤児を戦地で働かせるとは言語道断だ。我が同盟であれば、きちんと福祉政策で保護される存在だ。
 フチチで自分に石を投げつけたあの女の子は、連邦できちんと保護されたのだろうか。

 子どもがヌイ軍曹の服を引っ張る。
「グリロット中尉、嫌いな食べ物はありますか?」

「特にありません」
「食事にリクエストがあれば受けると言ってますが」
「いつも美味しくいただいている、と伝えてください」
 子どもは、にかっと歯を見せて笑った。人懐っこい子だ。

 将軍家の少年も、連邦の兵士もおのおのが悪い人間ではない。だが、彼らのシステムは間違っている。世襲制を取る連邦の支配に置かれたら、一部の権力者のもとで弱者が虐げられる。
 自分が戦死したら、娘は十分な教育も受けられず、戦地へ送られるということだ。故郷をそんな世界にはしたくない。
 もし、連邦が先に亜空間破壊兵器を手にすることになったら、我々は敗北する。

 その時、思いついた。連邦にV五型機のデータを渡さない最終手段を。
「トウモロコシは連邦にもありますよね?」
「もちろん、ありますよ」
「自分は焼いたトウモロコシが好きです」
 ヌイ軍曹が伝えると、子どもが「やったぁ!」と飛び上がった。言葉はわからないが喜んでいる。おそらくトウモロコシが備蓄されているのだろう。
 この少年が虐待を受けているようには見えない。だが、子どもとしての権利は奪われている。
 好奇心旺盛なのか、早口で熱量高く話しかけてくる。屈強な兵士が押し止めると、口を尖らせてその場を離れていった。
 決意が固まる。自分の命に代えても連邦にデータを渡すことは断じてさせない。

**

「坊ちゃん大丈夫ですか?」
 馬乗りになったバルダン軍曹が僕を見ている。

「僕は殺されましたね」
「そうですな。俺は逃しませんから」
 白兵戦の訓練中だった。僕が集中を欠いた一瞬だった。軍曹に背後を取られ転がされた。
「珍しいですな。坊ちゃんに隙があった」
 僕が身体を起こすと軍曹は隣に座った。
「考え事をしていました」
「訓練中に?」
「これは、実際の戦地でも考えることかも知れません」
「ほう、何を考えていたんですか?」
 僕は正直に答えた。
「人を殺すということです。そのための訓練をしていますが、実戦で自分は迷わずにできるのだろうかと」

 レイターとの会話が頭から離れない。あいつは、直接、他人の命を奪ったことがある。そして、苦しんでいる。
「難しいようですよ」
 軍曹はまるで他人事のように話した。バルダン軍曹は地上戦で功績を上げてアレクサンドリア号に呼ばれた。かなりの人数を殺害しているはずだ。
 
「軍曹は戦地でどうだったのですか?」
「その質問は命令ですか?」
「話したくなければ結構です」
「別に隠しているわけでもないんで、いいですけどね。躊躇なく殺しましたよ」
「それは訓練の成果ですか?」
「もちろんそれもあります。ただ、それだけでもありません。俺が生まれつき持ってる攻撃的な気質ですな。初めに言っておきますが自分は人を殺すのは好きではないです。敵が死んだ時の感触を思い出すのも嫌いです。でも、仕事ですから殺せます。戦地からの帰還時にカウンセリングを受けさせられたんです。戦闘は激しくて肉弾戦で物理的に人と人とがぶつかっていました。部隊のみんなは人を殺した罪悪感とかで結構メンタルやられていましたが、俺は平気でした。罪悪感はありますが、仕方ありません。話し合いじゃ解決できなかったんですから。迷いがないから先陣を切って突っ込める。昔からこういう人間は少数ながら一定程度いるそうです。軍隊には必要な人材だと言われましたよ。だから、アレック艦長は俺を呼んだんです。似たような話を、裏社会からスカウトされた時も言われましたけどね」
「裏社会からスカウト?」
「ええ、マフィアを半殺しにしたら、見込まれたんですよ。俺はそこから逃げるために入隊したんです」
 バルダンが口をゆがめて笑った。
「坊ちゃんは、苦しむかも知れませんね。敵を殺す状況になったら」
「どうしてそう思いますか?」
「だって、今からそのことを考えてるんですから」
「そうですね」
「でも、立場が坊ちゃんを支えるんじゃないですか。俺なんかより、背負っている物の重さが違います。坊ちゃんは人を殺したくない。けれど、人を殺す指示を出さなくてはならない。逃げられない状況は、強さになります」
 死線を潜り抜けた人間の言葉は重い。

 司令本部で遺族と対面した時が頭に浮かんだ。少年の冷たく震える手の感覚がよみがえる。僕は逃げられない。
 そしてダグに追い詰められたレイターも、また逃げ場を失っていた。

**

 料理長のザブの許可をもらって、トウモロコシを食糧庫から持ってきた。皮のままグリルで焼く。香ばしい匂いが漂ってきた。

 久しぶりに身体が軽い。きのうはぐっすり眠れた。『赤い夢』も見なかった。
 アーサーのことは好きじゃねえが信頼できる。あいつがごちゃごちゃと聞いてきた時にはどうなるかと思ったが、俺のためだったってことだ。
 それにしても、アーサーの奴は基本的に嘘が下手だ。あんなんで将軍家が務まるんだろうか。軍師としては優秀だが、軍の組織をまとめる力があるとは思えねぇ。黙々と研究してるのがお似合いだ。
 あいつよりダグなら最強の軍隊を作り上げるだろうな。
 って考えたところで身体がブルって震えた。何でダグのこと思い出しちまうんだろ。まあ、いいや「無理に忘れる必要はない」ってアーサーも言ってたしな。

 トウモロコシを転がすと、いい感じに焼けてきた。
 アリオロン人って何味で食うんだろ。とりあえず、俺の好みのバターは欠かせねぇ。あのアリオロンのおっさんと話がしてみてぇな。アーサーにアリオロン語を教えてもらうか。っつっても、もうあしたには中継地点だ。
 軽く塩を振る。あとは自分で味付けしてもらおう。調味料を少量ずつトレイに載せた。

 食べる時に手が汚れねぇように持ち手の部分をホイルで巻いてやる。
 きょうの尋問は終わってる。あったかいうちに持って行こう。夕飯の前だけど喜んでくれるといいな。

 拘束室は自動管理だ。見張りはいない。許可はちゃんととってある。ドアの横の搬入口にトウモロコシをいれた食品コンテナをセットすると、吸い込まれるように消えた。
 室内モニターを見つめる。食品コンテナがオートで机の上に置かれた。捕虜のおっさんが立ち上がって近づく。調理人としては喜んでもらう瞬間が何よりうれしい。

 ん? 何やら様子が変だ。眉間のしわが深い。好きな食い物を前にしたって顔じゃねぇぞ。警戒してるのか?

 おっさんは持ち手の部分を手にすると、親の仇、って表情でかぶりついた。調味料には目もくれずコーンを歯でもぎ取るようにして、猛スピードで食っていく。まったく味わってねぇ。これが、アリオロンの食い方なのか? どう見ても嫌いなものを食ってるようにしか見えねぇ。
 おかしいだろ。俺は見つめ続けた。

 食い終わった瞬間、アリオロン人はのどをかきむしるような仕草をして白目をむいて倒れた。
 おいおい、毒は入れてねぇぞ。考えられるのはアレルギーだ。アナフィラキシーショックか。あいつ死んじまう。
「おい、処置ペンを出して開けろ!」
 ドアに向かって叫ぶ。
 コンピューターが命の危機を判断してキーを開錠した。処置ペンが搬入口にでてくる。俺は走って駆け寄り、アリオロン人の太ももに処置ペンを刺した。
「おい、大丈夫か?」
 ヒューヒュー言っていた呼吸が治まってきた。よかった。

 次の瞬間、何が起きたかわからなかった。頭に強い衝撃を受けて目の前が真っ暗になった。

**

 緊急の艦内放送に耳を疑った。
「グリロット中尉、逃走中。レイターを人質に取っている」
 何が起きた? 考えるよりも早く僕は走りだした。中尉の目的はわかっている。ひまわりだ。

「アーサー、あんた、あのひまわり、咲けねぇって知ってたか?」
 宇宙船お宅のレイターはV五型機を鋭い観察眼で見ていた。
「咲けない? どういう意味だ」
「機体の先端に、黄色いひまわり型のバリアがでる送出口があるだろ。あそこが改造されてんだよ。カバーの感じからして、多分、コネクトケーブルが格納されてるぜ」
 カナリア少尉に連絡をいれる。非破壊検査ではわからなかった極細ケーブルが発見された。ひまわりが観測用機体であることが裏付けられた。レイターのお手柄だ。
 この目で確認しておこう。
 バルダン軍曹との実戦訓練を終えた僕は、格納庫へ向かった。その時だった。予想だにしない緊急放送が流れたのは。

「グリロット中尉、E区画に侵入」
 彼は僕より格納庫に近い。走りにくい狭い艦内通路にいらだつ。イヤホンからアレック艦長の指示が全員に飛ぶ。
「人質は死んでも構わん。捕虜を確保しろ」

 艦長の指示は絶対だ。レイターは密航者で、守る必要がない。とはいえ、レイターはこのふねで働き、生活し、乗組員との間に良好な関係を築いている。人質として有効に働いていた。
 格納庫の手前でグリロット中尉の後ろ姿が見えた。だらりと力の抜けたレイターの身体を肩に軽々と抱えて走っている。レイターの頸動脈に処置ペンの針を突き付けていた。一つ間違えばレイターは死ぬ。格納庫へ入っていくグリロット中尉を追う。

 ひまわりの前で戦闘機部隊の隊員たちが人質のレイターを見て対応に迷っていた。銃を構え発砲しているが威嚇だと見抜かれている。まずい。これ以上グリロット中尉がひまわりに近接したら、生体認証が稼働してデータが消去されてしまう。レイターが死んでも構わないという艦長命令は的確だ。 

 とにかく足止めしなくては。
 レーザー銃を構え、後姿をスコープでとらえる。何度も人型ロボットを相手に反復練習してきた。

 グリロット中尉の足を狙って、引き金を引く。
 白い光線がふくらはぎに命中した。レイターを抱えていた中尉がバランスを崩す。そのまま身体がひっくり返るようにしてひまわりの真横に倒れた。

 床に転がった衝撃でレイターが気が付いた。甲高い声がする。
「ひまわりが動く!」
 ピピッ。電子音とともに機体のライトが点いた。まずい、グリロット中尉の生体認証をキャッチしてロックが解除された。
 レイターが機体脇のタラップを素早く駆けのぼりコクピットに滑り込む。

「捕虜の身体を機体から遠ざけろ!」
 僕の指示で隊員たちがグリロット中尉の身体を引きづるようにして連れていく。
「すげぇ」

 レイターが感嘆の声を上げた。3D空間モニターが起動したな。コクピット周りに虹色の光が反射している。
 データが削除される前にコピーを取らなくては。手首につけた通信機の非接触型データ回収機能をオンにする。
 血だまりを飛び越え、ひまわりのタラップに足をかけながら、コクピットに通信機を投げ入れた。
「レイター、これでデータを取れ!」
 その瞬間。コクピットの灯りがダウンし真っ暗になった。すべての機能が停止している。何が起きた? データ消去されたのか?
「ひまわりが、ピクリともしなくなっちまった。悪りぃ、データ取れなかった」
 通信機を手にしたレイターが僕の顔を見おろした。 暗い機体をのぞき込む。
 グリロット中尉の命令によってひまわりのデータは完全に消去されたのか。それとも、彼の影響下からはずれて一時的にエネルギーダウンしているだけなのか。わかるのは彼だけだ。
 捕虜引き渡しの前に、グリロット中尉に尋問する必要がある。

 隊員たちが続々と格納庫に集まってきた。
 タラップの上から見下ろすと、倒れたグリロット中尉の周りに人だかりができていた。医官のジェームズ少尉が駆け寄っていく。

 グリロット中尉の治療が終わったら、彼を撃った僕ではなくヌイ軍曹に再尋問させなくては。

 その時だった。
「捕虜の死亡を確認」
 ジェームズの声が聞こえた。

 え? 驚いて振り向いた僕はバランスを崩しかけた。ジェームズがグリロット中尉の脈を取っている。レイターが僕の腕を引いて耳元でささやいた。
「アーサー、ゆっくり降りろ」
 確かに今「死亡」と聞こえた。タラップを降りているのが自分ではないようにふわふわする。僕は中尉の足を撃った。だが、致命傷にはならなかったはずだ。
 力なく倒れているグリロット中尉に近づく。
 出血の量が想定外に多い。そして、足だけでなく頭からも出血していた。
「転んだ時の打ち所が悪かったんだ」
 ジェームズの視線の先を見ると。機体を止める高重力ビスが血にまみれていた。倒れた時に先端が後頭部に突き刺さったのだ。即死だ。
 無機物となったグリロット中尉が僕をにらんでいる。足が止まる。ジェームズがゆっくりと遺体の目を閉じさせた。

「搭乗者死亡によるエネルギーロックが、ひまわりにかかったということか? データも完全消去されてしまったと……」
 問いかけたわけではないが、ジェームズがうなずいた。
 最悪の事態だ。捕虜の命を奪ってしまった。しかも、機体内のデータはもう復元不能だ。僕は、何と言うことをしてしまったのだろう。

「アーサー、ありがとよ。あんたのお陰で助かった」
 背後にいたレイターの声が耳の奥に届く。

 近くにいた隊員たちが道を開けた。アレック艦長が入ってきた。
「レイター、怪我がなければ部屋に戻れ。これは事故だ。アーサー、お前のせいではない。作戦室で報告書の作成に当たれ」

「は、はい」
 イヤホンを付けているせいだろうか。二人の声がくぐもって聞こえてくる。世界と自分をつなく音声の回線が細くなったような感覚。この嫌な感じに覚えがある。

 ひまわりは連邦軍研究所へ送られることになった。搭乗者死亡によるデータの完全消去は研究所でも復元できないだろう。

 グリロット中尉は、トウモロコシに対してアレルギーを持っていた。普通の食事量では問題にならないが大量に摂取すると重篤な症状を引き起こす特異体質で、アレルギー検査を素通りしていた。

 当然、本人は知っていたのだろう。死ぬことでデータを消去するつもりだったのかも知れないし、処置ペンで手当てされることを想定していたとも考えられる。いずれにせよ、捕虜が死に直面する想定外の状況となれば、こちらも慌てたその場しのぎの対応となる。

 グリロット中尉は、食事を運んできたアルバイトを人質に取って、ひまわりに近づきデータ消去を試みた。僕はそれを止めようとした。すべきことをしただけだ。
 殺すつもりはなかった。不慮の事故だ。
 戦争中に敵兵の命を奪った。ただ、ただ、それだけのこと。

 棺に入れられたグリロット中尉は眠っているようだった。格納庫脇の断熱されていない空間に天然の冷凍保管庫がある。その一角が霊安所となっていた。このふねには全員分の棺が用意されている。出航以来、最初の利用者が敵兵というのは、我が軍にとって悪いことではないはずだ。 
 グリロット中尉の冷凍された遺体はこのまま人権委員会に引き渡され、家族のもとへと帰る。

 彼は娘のことを「宇宙一可愛いです」と目を細めていた。僕と同じ年の彼女はどうなるのだろう。アリオロンでは子どもの幸せは最大限に尊重されると熱弁していたから、国家から何らかの支援はあるのだろう。
 会ったことのないグリロット中尉の娘と遺族の少年の姿がかぶった。その上に、ハヤタマ殿下のイメージが加わる。反粒子爆弾による攻撃で、家族を奪われた殿下の怒りと痛みと悲しみが真っ直ぐに自分に襲い掛かってくる。

 戦争は子どもたちの幸せを奪う。事故であろうとなかろうと、僕が彼女の父親を手にかけた事実は変わらない。グリロット中尉の娘は僕を憎むのだろう。

「連邦の世襲制という自由を奪う制度があなたを不幸にしている」
 時折、彼は父親目線で僕に話しかけた。僕は「不幸と感じていない」と答えたが、それは本心だろうか。連邦軍という巨大な重圧をかなぐり捨てて、静かに宇宙生成の歴史を研究出来たらどれだけ幸せだろう。他人の命を奪うこともなく、こんな思いもしなくて済むのだ。

 音楽が好きだと話したグリロット中尉。彼が音楽を聴くことはもう絶対にない。僕が殺したのだ。
 生命は不可逆だ。死んだ者は絶対に生き返らない。絶対に。

 僕は目にしたもの全てを記憶する。 
 格納庫に全力で走っていくと、レイターを担いだグリロット中尉がひまわりに近づくのが見えた。
 止めなくては。銃を抜き、スコープでとらえる。

 引き金を引く。グリロット中尉の生体認証がかかるギリギリのラインだ。
 僕が撃った白いレーザー弾が中尉の右ふくらはぎに命中した。
 レイターの重みでバランスを崩す。その際、中尉は受け身を取ればよかったのだ。
 だが、彼はレイターが頭から落下するのをかばい、身体を捻った。
 グリロット中尉の身体が不自然に傾いていく。床に高重力ビスが光っていた。そこに倒れた彼の後頭部が突っ込む。血しぶきの一粒ずつまで鮮明に再現される。
 レイターはグリロット中尉の身体をクッションにして転がった。
「ひまわりが動く!」 
 甲高い声で僕の視点はレイターに映るが、その背後のグリロット中尉の様子も記憶している。床に血が流れ出て、中尉の身体から力が一気に抜けていく。
 リアルの時には素通りしていた景色も、僕の脳には消せないように刻み込まれている。
 グリロット中尉が目を見開いてひまわりを見つめる。その瞳が僕をにらみつける。彼が死亡すると同時に、ひまわりはすべての機能を停止した。

 記憶をもとに報告書を作成する。データの入力画面と脳内の過去映像が重なって自分の時間軸が不安定になる。わかっている。こういう時は、現実の音を頼りに意識を保てばいい。なのに、その音が聞こえてこない。

 格納庫に全力で走っていくと、レイターを担いだグリロット中尉がひまわりに近づくのが見えた。止めなくては。

「報告書が完成しました」
 作戦会議室で説明する自分の声が聞こえる。アレック艦長はじめ幹部が勢ぞろいする中で提出の了承を得た。
「トライムス少尉、部屋でゆっくり休め」
「はい」
 僕はアレック艦長と会話をしているようだ。

「中継地点宙域の管制下に入ります。あと二時間で本艦は着陸します」
 廊下に艦内アナウンスが微かに響いている。
 中継地点で待っていたのは、こんな世界ではなかったはずだ。グリロット中尉が家族と早く再会できるシナリオを僕は描いていたのだ。どこで間違った?

 格納庫に全力で走っていくと、レイターを担いだグリロット中尉がひまわりに近づくのが見えた。止めなくては。

**

「中継地点宙域の管制下に入ります。あと二時間で本艦は着陸します」
 艦内放送を聞きながら、俺は左手に着けた通信機の動画再生ボタンを押した。カラフルな短い映像が手首の上の空間に立ち上がる。中継地点に着く前に、こいつをアーサーに見せたほうがいいな。
 
 それにしてもやべぇ。
 アリオロンのおっさんが死んで、艦内は大変なことになってる。敵とはいえ捕虜が死んだんだからな。しかも俺のせいだ。俺がおっさんに興味を持ってトウモロコシを持ってい行ったせいだ。しかも、頭殴られて気ぃ失ったなんて失態、ダグに知られたら殺されるぞ。
 アーサーは俺をかばっておっさんを撃った。あいつは将軍家だし、事故で処理するってことだからお咎めはねぇだろう。けど、俺はどうなるんだ。このふねから追い出されるのか?

 幹部会議から戻ってきたアーサーに聞く。
「なあ、俺の扱いってどうなるんだ?」

「艦長が検討している」
 随分そっけない答えだ。こいつが忙しくて大変なのはわかるが、俺も命がかかってる。
「あんた、何とかしてくれる、っつったじゃねぇかよ」
「僕にできることはした」
 アーサーの奴、様子が変だ。聞かれたことには答えてるが、まるで人工知能みてぇな受け答えだ。椅子に腰かけたまま微動だにしない。

「おい、将軍家の坊ちゃん、あんた、変だぞ」
「変ではない」
 普段から表情が乏しい奴だが、どう見てもおかしい。挑発にも乗ってこないで宙を見てる。こいつ、何を見てんだ?
 こんなにおかしいのに幹部会議じゃ誰も気づかなかったのかよ。

 俺は内線で医務室を呼び出した。
「ジェームズ、俺の部屋に来てくれ」
 医療兵のジェームズが救急パックを持って駆けてきた。

「どうした? レイター、具合悪いのか?」
「俺じゃねぇ、アーサーが変だ」
「アーサーが? 大丈夫か?」
「大丈夫です」
 アーサーが淡々と答えた。
「レイター、びっくりさせるなよ」

 俺はアーサーを観察して気がついた。圧倒的な違和感の正体。目だ。
「ジェームズ、あんた医者だろ。アーサーをよく見ろよ。まばたきの回数が極端に少ねぇし、目の焦点がぼけてる」
 ジェームズがアーサーの顔をのぞきこみ、様子がおかしいことにようやく気づいた。
「本当だ、おいアーサー、大丈夫か?」
「問題ありません」

 俺はアーサーに話しかけた。
「あんた、今、何が見えてる?」
「ひまわりが見えている」
「ひまわり?」
 不可解な答えに意味があるはずだ。じっと見つめる。アーサーの右手がかすかに揺れた。人差し指のこの動き。

「あんた、銃を撃っているんだな」
「そうだ、銃を撃っている」
「格納庫で俺を助けているんだな」
「そうだ」
「俺は助かった。もう銃を撃たなくていい」
「お前は助かったから、もう撃たなくてもいいんだな」
 アーサーの右手が止まった。
 目に光が灯ってきた。

「アーサー、俺がわかるか?」
「ああ、参ったな」
 あいつは大きく息を吐くと頭を抱えた。ちゃんと俺の言葉に反応している。こっちの世界に帰ってきた。

「一体、どうしたんだ?」
「記憶機能のバグだ。暴走ループを起こした」
「あん?」

 天才も大変だということを俺は初めて知った。あいつはすべての物事を記憶する。それは便利なだけじゃないらしい。
「感情の振れ幅が閾値を超えると、その記憶が何度も目の前に再現されることがあるんだ」
 銃でおっさんを撃ったシーンが、壊れた再生機のように何度も目の前で繰り返されてたっていう。恐ろしくリアルで、血の一粒一粒の飛び散る先まで見えるデータ量の詰まった映像が。
 その間も日常生活を送るための脳は別に活動していて、一見何の問題もないるように他人には見える。
「前にもあったのか?」

「ここまで制御ができなくなったのは、母上が亡くなった時以来だ」
「いくつん時だよ?」
「二歳だ」
「覚えてんのか?」
「ああ、母が息を引き取る場面が何度となく目の前にあらわれた」
「そりゃ、辛れぇな」
 医者のジェームズが見立てを口にした。
「急性ストレス反応の一種だろう」
 アーサーがうなずいた。
「そう認識している。普段は聴力でリアルの時間を確認できるが、今回は耳が詰まったようになって制御ができなかった」
「一般人の突発性難聴のようなものだろうね」
「今回はレイターに助けられたな」
 別に俺はアーサーを助けたわけじゃねぇ。が、そう思ってくれるなら否定はしねぇ。利用するだけだ。

**

 耳が遠くなる感覚。あれが僕の記憶のバグの兆候だった。
 グリロット中尉の命を奪ったこと。そのせいで、ひまわり内のデータが消去されたこと。事故とはいえ大失態だ。
 中継地点では人権委員会による事情聴取が行われる。僕は証人だ。逃げる場所もないのに逃げ出したい。それが本音なのだ。
 心理的負荷によるストレス反応か。
 天才軍師だなんだと持ち上げられているが、ついさっきまで、人を殺すことができるか悩んでいたような人間なのだ。何でもわかっているような顔をして、人の命がこんなに簡単に消えることも知らなかった。
 将軍家の人間だというのに情けない。

 ジェームズが医務室に戻った後、レイターが僕に近づいてきた。
「あんたに見せたいものがあるんだよ」
「後にしてくれないか」
 疲れがピークだった。着陸までの二時間だけでも横になって休息を取りたい。
「短いから、今見たほうがいいぜ」
 押し付けるようにレイターが腕の通信機を操作した。誰のせいでこんなことになっているかわかっているのか。無視しようとした僕の目にあざやかな色彩が飛び込んできた。
 わずか五秒。その映像に僕は飛びついた。
 ひまわりに乗り込むところから始まっていた。格納庫のあの混乱の中でこいつ撮影していたのか。お宅の執念、極まれりだ。
 コクピットの3Dモニターがカラフルに輝く。「すげぇ」というレイターの感嘆の声。そして、「レイター、これでデータを取れ!」と僕が通信機を投げ入れたところでひまわりは機能を停止した。
 グリロット中尉の生体認証が解除されてから死亡するまでの五秒間。僕が見ることのなかったコクピットの動きが記録されていた。
 レイターが動画を止めて指をさした。
「前に姿勢制御装置の位置が変だ、っつったろ。ここに小さなモニターが組み込まれてんだ。何でこんなのが付いてんのかわかんねぇけど、これ、鮫ノ口の中の座標点だぜ。三十か所ある」
 僕は息をのみながらその画面をのぞき込んだ。つぶれかかった小さな数字が読める。
「一緒に来い」

 僕はレイターの腕を引っ張りながら艦長室へと走った。

**

 アレック艦長の前にレイターを突き出し、動画を再生する。腕から通信機を外す時間ももったいない。
 ここに記された鮫ノ口暗黒星雲の座標点こそ、星間物質の観測機設置場所だ。艦長は頭の回転が速い。すぐに状況を理解した。
「秘匿の緊急通信を使え」
「はい」
 艦長室からフチチ駐留連邦軍のクナ中将とハヤタマ殿下にホットラインで直接連絡を入れる。
「今、送信した三十の座標点へすぐ向かってください。観測機を発見次第、回収を願います」
 フチチ軍と連邦軍の方面本部が共同で鮫ノ口暗黒星雲の大捜索に入った。

 グリロット中尉は鮫ノ口に浮遊している観測機のデータを一つずつひまわりを使って手作業で回収する任務に就いていた。その痕跡を一つでも発見したい。観測機が見つかれば、亜空間破壊兵器についてどこまで研究が進んでいるか把握できる。
 
 だが、グリロット中尉を拘束してから一週間。すでに同盟軍によって観測機は回収されたあとだった。
「鮫ノ口の全三十地点の確認終了。発見物なし」
 連絡がクナ中将から入った。

 敵も馬鹿ではない。それでも肩を落とさずにいられない。
「仕方あるまい。ま、三十地点の座標情報を我々が入手している、という事だけでも利用価値は十分にある」
 アレック艦長の声は明るかった。不可抗力とは言え、捕虜を死なせたという事実は交渉を複雑にする。艦長はこの座標情報を裏交渉で使うつもりなのだろう。

 その時、ハヤタマ殿下から秘匿通信が入った。
「トライムス、そちが伝えてきた座標点とは別の地点で、我は観測機を発見したぞ」
「え? 別の地点ですか」

 殿下の言っている意味がよくわからない。
「そうだ、暗黒星雲内は地点の特定が難しくてな。少々探査地域を広げておったところ網にかかったのだ」
 どうやら殿下は慣れない暗黒星雲内の飛行でルートに迷ったようだ。
「しかも、手作り品ぞ」
「手作り品とは、どういう意味ですか?」
 芸術家である殿下の話す内容は時々意味不明だ。浮揚する宇宙ゴミを拾ってきたのではないだろうか。
「文字通りだ。工業製品ではない。自由研究で作るようなものだ」
 手袋をはめた殿下はバスケットボールほどの大きさの球体を重そうに抱えてカメラの前に置いた。観測機だ。だが、軍が使う観測機ではない。確かに学生が作る手作りの実験用機器と似ている。

 軍人ながら研究者でもあるグリロット中尉の顔が浮かんだ。
 殿下の手元にある観測機は中尉が自作したものに違いない。自分の観測データが何に使われるのか。おそらく多くは知らされていなかったのだろう。彼は科学者として、その目的を調べずにはいられなかったのだ。
 ひまわりの極細コネクトケーブルを使えばデータは取り出せる。この情報を使えば、亜空間破壊兵器の開発競争を鈍化させることができるかもしれない。
「殿下、それをすぐにこちらへ送って下さい」

「言われんでも送るわい。ブラックボックスになっておってこちらでは何もできんのだ。ところで、そちには礼を言う」
 高慢な殿下が頭を下げた。何のことだろうか。
「捕虜の兵士を殺してくれたそうだな。そちも知っておろうが、あやつ、フチチ大空襲の爆撃に加わっておったのだ。これも運命よ」
 一瞬、息が止まる。大丈夫だ、聴力に異常はない。
 
 広い暗黒星雲の中で、ハヤタマ殿下が偶然グリロット中尉の観測機を発見した。殿下が言う通り運命というものを感じずにはいられない。

「中継地点に着陸します」
 ヌイ軍曹の明瞭な声が艦内に響いた。

**

  俺はアレックの部屋でじっと気配を消してた。

 アーサーは俺が撮影した座標の画像を秘匿通信で送って、鮫ノ口の捜索をさせた。ひまわりが持ってたデータはこのふねの通常回線では伝えられねぇほど秘密で重要なものだってことだ。
 モニターに映るフチチの殿下は生意気で頭が悪そうだった。あいつ、操縦も下手くそだったもんな。

「中継地点に着陸します」
 艦内放送でヌイの声が流れた。やばい。着いちまった。こっそりとアレックの顔をうかがう。俺の身柄はどうなるんだ?

「お、レイター、お前、まだいたのか」
 椅子から立ち上がったアレックが俺を見つめた。

「俺、どうなりますか?」
 のどの奥から声を絞りだす。
「ふむ、お前にも話しておく。捕虜の事故について責任を検討した」
 アレックが珍しく真面目な表情をしていた。俺のせいだ。俺がトウモロコシを持って行ったからだ。俺がへまをして人質になったからだ。そのせいでアリオロンのおっさんは死んだ。事故の原因が俺にあるのは間違いねぇ。

「捕虜にトウモロコシを持っていきたい、というお前の提案を許したのは料理長のザブリートだ。その報告は、俺にもモリノ副長にもあがっていた。捕虜への優遇措置だ。問題はないと判断した。アレルギーのことも、こちらで検査をしていた。グリロット中尉本人だけが知っている特異体質で、トウモロコシが好きだと嘘をつかれては防ぎようがなかった」
 とりあえず第一関門は突破ってところか。
 
「アナフィラキーショックへの対応も録画で確認した。お前の対応は適切だった。問題があるとすれば、お前を一人で行かせた点だ。だが、そもそも搬入口から食事を入れるだけの予定で、ドアを開けることは想定していなかった。グリロット中尉が我々より一枚上手だったということだ。アーサーの発砲も人質救出の任務遂行上問題ない。偶然の事故で意図せず彼は死んだ。出るところへ出ても、俺たちには戦えるだけの証拠がある」
 俺たちには俺も含まれているということだろうか。

「お前が人質に取られて気を失っている間、俺は、捕虜を確保するためにお前を殺してもいい、と艦内に命令を出した。お前は首に針を突き付けられて、いつ死んでもおかしくない状況だった」
 アレックが俺を道具としか見てないことはわかってる。

「俺と違ってモリノはお前を心配している。以前からお前をこのふねから降ろしたいと進言していた。ここは子どものいる場所じゃないからな。ちゃんと学校に行かせるべきだ、というモリノの言うことは正しい」
 話の流れがまずい。黒い塊が胸の中に広がる。

「お前、S1レーサーになりたいのか?」
 突然の質問にあわてた。とりあえずいつも口にしている言葉を繰り返す。
「俺は、銀河一の操縦士になりたい」

「そうだよな。モリノはそういうお前の操縦の腕を見込んでいる。宇宙船レースのジュニアクラスにいれてやりたいそうだ」
「え?」
「モリノから聞いてないのか? あいつの実家は篤志家でな。お前の援助に前向きだ。いい話だよな」
 俺は夢見心地で頷く。戦闘機乗りだったモリノ副長が「お前ならS1レーサーにだってなれる」って言ったのは本気だったのか。お人好しの副長。俺はずっとあんたを殺す方法を考えてたってのに。

 ジュニアクラスではエース・ギリアムが連戦連勝中だ。

 師匠のカーペンターに俺は聞いた。
「俺、エースに勝てるかな?」
「エースの持ち味は強さだ。お前は速いがまだ無理だな」
 あれからどれだけ経っただろう。俺はこのふねで戦闘機に乗った。地球にいたころより実機の操縦感覚が鋭くなった。エースを打ち破るイメージが浮かぶ。

 だが、ワクワクした気分は一瞬でしぼんだ。表街道を歩くことは、俺が生きてることをダグに知らせるってことだ。楽しい夢は虫けらのように潰される。

 ダグと決別した時からわかっていたことだ。
「俺は『銀河一の操縦士』になる。だからこの家から出ていく」
「ほう、『緋の回状』の力は、お前が一番よく知っているよな。この宇宙のどこにも逃げ場はないぞ。戻るか死ぬか、好きにしろ」
 戻りたくも死にたくもねぇ。そして、どうにか俺は今、生きてる。今回、俺は死にそうだったらしいが、もっとヤバい危険なところを潜り抜けてここまできた。
 アレクサンドリア号にいる間は生きていられる。時間稼ぎにしかならなくても、いや、時間稼ぎこそ俺には必要だ。ガキってのは一人じゃ生きられねぇ。
 S1なんて明るい道には近づかず、ダグに気付かれねぇように真っ暗な道をこっそりと歩いていけば、あいつが先に死ぬかもしれねぇ。
 アレックはアーサーを見た。
「モリノの提案とは逆に、アーサーからはお前をふねに残してほしい、と頼まれた。こいつが他人に興味を持って、俺に頼んでくるのは珍しいことだ」
 あいつは無表情のまま直立不動で立っている。

「アーサー、お前はどう考える」
「レイターは今回、鮫ノ口の機密情報を見つけました。この情報を外で話されては困ります。このふねで監視するのが得策と考えます」
「フン、お前、レイターを残すためににここで話を聞かせたな。策士め」
 アーサーの奴。俺を助けようとしてくれている。記憶のバグに気づいた俺に借りを返そうとしてるのか。いや違うな。あいつが考えてるのは社会秩序の維持だ。俺を狙ってダグが動くことを避けたいだけだ。
「だがな、アーサー、このガキはバカじゃない。喋るなと約束させれば守ることのできる奴だ。なんせ、未来のS1レーサー様だ。その芽を摘むのが正しい選択とは思えんな」
「……」
 アーサーは無言だ。何か言ってくれ。ダグのことをアレックに正直に説明した方がいいのか。どうするよ、天才軍師。
 
 アレックは無表情のアーサーから俺に視線を戻すと、グイッと俺に顔を近づけた。ギョロリとした大きな目。ダグとは違う凄みに気圧される。
ふねから出るか出ないか、お前が決めろ。レイター・フェニックス。S1のレーサーを目指すもよし、ここで飯炊きのバイトをするもよし、お前の判断が正解だ、と俺の直感が言っている」

 真っ暗な道に明かりがともる。ひまわりのコクピットで見たカラフルな3Dモニターのきらめきのようだ。道の両脇で咲けないひまわりが太陽に向けて黄色い花を咲かせていく。俺が生き延びるための道。

 アーサーはアレックがどう判断するかわかっていたのか。俺の答えは一択だ。
「これからもこのふねでお世話になりたいです。よろしくお願いします」
 思いっきり頭を下げる。
「ほぉ、そうか。S1レーサーよりここがいいのか。変わった奴だ。お前が死んでも俺は責任とらんからな」
 アレックの大きな手が俺の頭をくしゃくしゃとなでた。
おしまい

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