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【脱アート:②シティーリペアーと日本の地域アートにおける課題】

前回のnoteではアート以前のアートをアーキタイプと呼んで縄文のアーキタイプに触れました。

今回は現代の社会現象としてのアーキタイプを紹介しましょう。

シティー・リペアー
アメリカで一番住みたい街、ポートランドの「シティーリペアー」についてご紹介します。2018年逗子アートフェスティバルの関連イベントとして逗子アートネットワークのメンバー佐藤 有美さん主催で「シティーリペアー」を推進するNPOのコアメンバーとして10年以上に渡り活躍してきたマット・ビボウさんのセミナーを開催しました。

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「シティーリペアー」は地域住民が主導で行政を動かして自主的に町づくりをする市民活動で、自立した市民による街のデザインともいうべきムーブメントです。行政のコントロール下ではなく市民が自立して有機的なコミュニティーを形成し持続可能な町をつくるといったコンセプトです。

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この写真は、最初は違法行為だった交差点に絵を描くプロジェクトで、後に合法となり行政が公認で交差点をペインティングすることになったプロジェクトです。この様に街の各所に手作りのコミュニティーが生まれているそうです。これは「プレイスメイキング」といって人と人とが交流する場を”物理的に”つくってしまう方法論です。96年から毎年違う絵に描き変えられるこの交差点ペインティングは、2019年で23回目を迎えたそうです。

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一人ひとりの行動が実際に何かを変え、コミュニティへの効力感が増すことでよりまちへの愛着が高まっていく。その愛着こそが、まちを魅力的にする最も重要なパワーとなっていくのです。
佐藤 有美さんのポートランドレポートより引用

彼の1時間に及ぶシティリペアの話の中でアートという言葉が一言も出てきませんでした。

どう見ても交差点の巨大なアート作品と言いたいところですが、セミナーの後、彼に話を聞くと「アートは生活の中の一部だ、そして、それが目的ではなくて手段だから敢えて作品であるとかアートであるとかいう必要がないんだよ」と言っていたのが印象的でした。

そこでわかるのはアートは生活の一部に溶け込み、アートか?アートでないか?という議論が無駄であるということです。自分たちが自発的に豊かな社会を作りたいと言う本質な欲求が社会現象を生んでいると言えます。縄文が心的アーキタイプとしたら、これは社会的なアーキタイプと言えるのではないでしょうか。

「パシフィック・ノースウエスト・カレッジ・オブ・アート(PNCA)」
ポートランドに設立されたアートカレッジPNCAは「アーティストではなく、クリエイティブシンカー(創造的思考者)を育てる」ことを目的とした大学です。

PNCAでは、創造的な解決を生み出す者がグローバルコミュニティで環境面に与える影響、そして我々の卒業生がいかに卒業後も「創造的な実践生活」を続けていけるか、という両方の視点からサステイナビリティ(持続性)をとらえています。

PNCAの「クリエイティブアプリケーション」とは、創造的な解決策の見つけ方、新たなビジネスのつくり方や新しい思考への実験を、クリエイティブで社会に影響を与えるようなアーティスト、アントレプレナー(起業家)、エンターテイナー、都市計画者、そして世界市民を対象に教育しようというコンセプトです。(PNCA入学課カヴィン・バック)
http://www.a-m-u.jp/article/interview_15.html/ より引用

「創造的な実践生活」がアートを内服したまちづくりを生んでいるのでしょう。

日本の地域アートの課題
日本で成功事例とされる大規模な地域アートフェスは現代アートという村の外にある異物を田舎の村に置いてみるという表現や、アーティストレジテンツという手法で、経済効果も認められ、シビックブックプライドも生まれています。これは外発的アートの内在化(外部刺激による活性化)であって、シティーリペアの様にアートが内在化し、消失した状況とは異なります。これが企業の資本や地方創生予算という外的資本に支えられているのは言うまでもありません。もし、この資本が絶えた時、地方のまちの持続可能性は保証されるでしょうか?本来的に持続可能なアートは、もしかするとアートではなくなったところにあるのではないか、、、アートが内在化してしまっている場合、それがアートである必要性は既になくなっているということでもあります。

逗子の地域活性化事業は8年に渡りお手伝いさせてもらいました。きっかけは書道家の武田双雲氏の書と産業能率大学のプロジェクションマッピングのコラボによる作品を2013年の逗子メディアアートフェスティバルに展示しに行った時、この街には(隣の鎌倉、葉山に比べ)何もない!何もないから何か作れる!と思ったからです。

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その後、数年、逗子メディアアートフェスティバルのサポートをして2017年には逗子アートフェスティバルのプロデューサーに就任しました。基本コンセプトは自立した創造的な町づくりです。行政と協働して町を市民が自立的にデザインする。アートは若い世代と高齢者(功労者)をつなぐハブになります。アートを通して地域のコミュニティーの活性化を推進する事を目的に開催しました。すでに逗子では逗子海岸に巨大なスクリーンを立ち上げ映画を上映する逗子海岸映画祭が自立した市民のコミュニティーによって開催されていました。ポートランドのシティーリペアと逗子のアートフェスティバルが目指す方向と親和性が高く、人口減少で税収が減り(逗子市はここ10年でやく10億近く税収が減少しています)、町を存続させることが困難になる地域がこれから沢山現れてくることが予想される中で、社会実験としてアートフェスティバルをサポートしました。それから3年経ち、小さいながら徐々に自立したコミュニティーが生まれ始めています。これから先、ポートランドの様にアートフェス開催が目的ではなく生活の一部にアートがある町になれたらと思っています。

私はいつか『アート』が無くなってしまうのが理想ではないかと考えています。人が生きる営みの中にアートがある、生そのものがアートになった時、本質的な人のためのアートになって『アート』という言葉は消滅するのではないかと思うのです。これはヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という概念にも通じるものかもしれません。

あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない。

芸術の観念——彫刻、建築、絵画、音楽、舞踊、詩など——ではなく、それを超えた「拡張された芸術概念」であり、「目に見えない本質を、具体的な姿へと育て」、「ものの見方、知覚の形式をさらに新しく発展・展開させていく」ことである。
(ヨーゼフ・ボイス)

私のいうアーキタイプは「拡張された芸術概念」という既存の芸術概念の拡張というよりは、むしろ太古から人間が本質的に持っている創造行為、表現行為の事を指しますが、概念的にはボイスの「社会彫刻」近いコンセプトであると思います。

次回はバリの人類学の視点からアーキタイプについて考えたいと思います。

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