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人生から失敗を減らそうという話

成功しないといけない、失敗なんか絶対に嫌だ。
などと、人はよく思うものですけども。

世の中、失敗をしたくないって思いすぎると、自動的に確定で失敗してしまう。

という話です。

何故なら。
なんで失敗をするかといえば、失敗だと自分が決めてしまうからです。

いやいやそんなバカなと思うかもですが、マジでそういう話なので。

なぜかといえばですね。
失敗をしないってことは、成功が必須どころか大前提なわけです。

で、成功ってなんでしょう?_(:3」∠)_
そこで「成功とは自他ともに疑いようもなく認められるすげえこと」って設定しちゃうんですよ。

でも、本来は逆なんです。

世の中の成功失敗のほとんどは、めちゃくちゃ曖昧で。
成功失敗ってのは、自分で探したり決めるモノ。

なんですよ。

つまり、成功失敗ってのは、決まってないんですわ。

だから強メンタルって言われる人は、別に強くもなんともなくて。
単に、物事に対して、あまり失敗だと思わないだけなんで_(:3」∠)_
それどころか、ほとんどのことは成功だと思ってます。

成功してるかどうかじゃなく、そもそも失敗だと捉えないからなんですな。

理由は簡単で。
そもそも、結果が出た時点で「何らかの実験結果」って捉えるからです。
行動の結果を、試行データだって思ってるんですよな。

たとえば「この自炊カレーは激しょっぱいけど、塩をコレくらい入れたらこの程度の味になる」っていう「ただそれだけの出来事」として考えます。

「んじゃ、次から塩加減はちゃんと考えようっていう答えが得られた、やったぜ!」ってだけです。

だから、あああ塩加減間違えた……もうだめだ料理なんかする資格ないんだ……みたいには思いません。
「やらかしたけど、まあデータ得られたから良しwww」くらいです。

実感や実証から、たたき台の参考データが得られるわけでして。
それをもとに、次のことをやるだけです。

だから結果が出たその時点で、すでに成功なんですよな。
なので、そもそも失敗するって感覚がないんですわ、失敗してないので。

場合によっては、やっちゃったwwwって言いつつ、やらかしの様子をSNSに流すまであります。
もしワンチャンでバズったら、それは失敗になりますですかね?

そりゃ、当初の目的は達成できてないかもですが。
でも必要なことは、情報を得ることであって。

行動が目的にそぐわないことなんてよくあります。
で、大抵のことってのは、目的と結果がズレるだけなんですよ。

というか、慣れない物事や苦手なことは、ほとんどそうです。
むしろ、慣れてることでも、確度が上がるだけで全然満足なんてしません。
バスや電車が時間通りに来るのだって、それは大変な努力です。

だから、行動とは、目的とどれくらいのズレが有るか、そしてどう対処すればいいかを確かめるものです。

その足がかりなので。
別に失敗したり目的通りでなくても、問題ないんですわ。

ですが。
こう、自分から失敗を作ってしまう思考法というのがありまして。

自己不信に陥った結果、自分で自分が信用できなくなるとよくやりがちです。

なぜなら、自分に対する信頼度が極端に低いため、自分で体験した結果や成果が信用できなくなります。

そうすると、そのうち自力による確認や判断しなくなるんですよ。
決め打ちで、成功失敗に関係なく、気分や感情で適当に結果を捻じ曲げるようになります。

成功を失敗に、失敗を後悔に、チャレンジを諦めに変えます。

その結果
「成功というものは、自分が信じられないほどの大成功で理解できないくらいの素晴らしいもので、困難で大変な道のりである」
と、えらい難題を定義し始めます。

自分で判断できないから、他人が認める揺るぎない何かを求めるんですわ。

要するに。
「自分の理解を超えたくらいのスーパースペシャルな社会的に認められる偉業で超絶大成功」をしない限りは、とにかく全部失敗だって決めつけます。

なにせ
「自分は、成功に値しない存在としてふさわしい人間であるべき」
というのが、自己不信に陥った人の思考ですんで。

成功してしまったら、自分を信じられるようになってしまいます。
そんなことは、この世に存在していてはいけません、絶対に許せません。
どうにかして、常に失敗していなければいけない必要があります。

自分は、失敗において、世界でも指折りのスペシャリストなのですから。
どんな成功事例からも、どんどん失敗を作り出すことが出来ます。
失敗の専門家として、誰にも負けないくらい失敗の自信があります。

そのため、成果に過剰な期待を寄せてしまい。
成功というのは、ほぼ実現困難で特別な社会的大成功、それ以外は全て失敗
として処理してしまい、思考停止しがちです。

まあ代わりに、当然、生活のほとんどが失敗扱いで自動確定します。
自分で、失敗しなければならないと定義している以上、自分でそうします。
どんな楽しかった思い出にもケチを付けるようになります。

最初から決定しているどころか、失敗しなければならないんですから。
なぜどうしても関係なく、常にどんなことでも失敗にしてしまい、勝手に苦しくなるという生活習慣です。

とにかく失敗にしておかないと、自分の誇りとして許せないので。

たとえば、人と会って楽しかったあとの一人反省会とかだいたいそれです。
楽しかったっていう結果は許せないので、反省会を開いて、なにかやらかして悪く思われたことにする必要があります。

「もしかしたら~かもしれない構文」に落とし込めば、どんなものでも可能性で適当な内容に変えられます。
どんなに相手が喜んでいても、あれは嘘じゃないかってことにできます。

そういうの怖えなあ。
怖くないですか?
ぼくは怖いです。

という話をしていこうかと思います、よろしくお願いします。


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