自分の人生を外注するの、やめません?
現代ではこう、コスパタイパを求めがちなところがありますけども。
その結果、昨今は「自力では検索も学習もできず、他人が成功したコピーを狙って、ひたすら口を開けて待っている」という傾向が増えてしまっているのではないかなーと。
それはコスパなどではなくてですね。
探究心も好奇心もなく、常に不安で恐怖心だけが残り、言われたことしか出来ない袋小路だと思うんですよ。
自分の行動や選択をすべてなにかに責任転嫁して、自分の人生のどころか、好みや気分でさえも外注してしまうんで。
さすがに勿体ないなあと思う次第でして。
っていうか、もはや不安しか残らないまであります。
そういう人生にしてしまうのはどうかと思うんですよ、という話です。
よろしくよろしく。
■わからなくても、すべてを頼ってはいけない
わからないというものはこう、教えてもらうと楽なんですけども。
だからといって、全く探究心がなくなるとですね。
今度は、誰かに介護してもらうことが目的になります。
自力で検分や調べることもしないと、関連検索や関係性からの関連付け能力、つまり「想像力」がうまく育たない場合が結構あるんですな。
想像力が育たなくなるとどうなるかというと。
ぶっちゃけ、言われたことや真似しかできなくなります。
そして、その真似や言われたことすらもうまくできなくなります。
「飛び道具を欲しがるけども、狙いの付け方わからん」みたいになりやすいんですな。
なにせ、概要も関連付けもへったくれもないため、物事がどういう仕組みになってるかよくわかりません_(:3」∠)_
「なんかよくわからんけども、なぜか動いてる」みたいなことになります。
料理で言うなら、レトルト以外は自力で料理できない、みたいな感じですな。
出来合いのものをひたすら与えられてそれに従うだけの人生ってやつです。
そうなるともちろん、自力で成功できることは何一つないです。
誰かがレトルトを作ってくれるのを、ひたすら待っているだけの人生になります。
や、別にね。
必ずしもレトルトが悪いってわけじゃないんですけども。
そりゃ、時には便利ですし、それなりに楽をしてもいいと思うんです。
人間楽したいときだってあるし、ムリに全部やらないといけないわけでもないこともあります。
ただ、全部が全部ってなると話は変わってきます。
特に人生で重要なものほど、他人任せになります。
誰かがレトルトなり作り置きしてくれないと何も出来ないので。
そして、それ以外のやり方を知らないと、怖くて何もできなくなります。
何も出来ないところから、どうにもならなくなるんですな。
何よりもそれが一番まずいです。
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