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愛は、込めるだけでは伝わらない

創作や仕事、その他、何事でも大体そうなんですけども。

愛って別に、持ってるだけでは伝わらないですし。
込めたところで伝わるものでもないんですよな。

だけどこう、人間ってつい「自分が愛を持っているからって、必死さや懸命さ、頑張りや気持ちを込めたからって、わかってもらうのが当然だと思いすぎる」んですよ_(:3」∠)_

もちろん、なんか大事なことを頑張ってやったり、すごく大切な想いを形にしようとしたりすること自体は、すごく良いことなんですけども。

でも、愛って基本的に、込めたい側がひたすら勝手に込める「自己中心的な感情」っていう性質があるのですな。
別に、そこで他の誰かが同調しないといけない理由はどこにもありません。

その辺を把握しないまま行動すると、愛ってすぐ苦しくなるよー。

って話です。

で、まあ「愛って何か」って定義から始まるんですが。
本来はもっと色々あるとは思うんですけども。

このコラムの上では、ぶっちゃけ「思い入れ」として扱います。
熱中度とか切実度とか言い換えてもしれません。
とにかく、憧れとか夢とか承認欲求とか、情熱めいたあれこれです。

別に、そこ自体は、なにかの欲求でも羨望でもいいですし。
憧れでもチヤホヤされたくても実績欲しさでもまったく構わなくて、何でもいいのですけども。

ただ、勝手な思い入れである以上「自分の中だけで済ますもの」という自覚は大事かなーと思います。

それがどんなに「自分にとって大事な宝物であっても」です。

勝手に「自分はこんなに切実で大事で大切に思ってるし、すごい頑張って必死に形にした尊いもの」だって思うぶんには良いのですが。
そこで、他人にもそう思え、って求めるとおかしくなるですよ。

……って話をしていこうかなと思います。


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