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まほうの休日

土曜日の夜である。

あーあ、明日も土曜だったらなー。と、10年前、週休2日が始まった瞬間に思ったことと同じことを、いまだに考えている。もはや一貫性がすごい。大抵のことは三日坊主なのに、この、バカみたいな思考だけが続いている。


先日、旅行先のうどん屋で、机にお茶のポットが置いてあった。あの、おばあちゃん家にあった、花の柄があしらわれている、魔法瓶のポットだ。
ちなみに、私の祖母の家に魔法瓶のポットがあったわけではない。この「おばあちゃん家」は、非常に概念的なものなのである。「家族全員がスリッパを使う家」や「実家の縁側で食べるスイカ」が実際にはほとんど実在しないのと同じである。

そんな理想的なおばあちゃん家みたいなうどん屋で、喉が渇いていた私は、運ばれた1杯目をすぐに飲み干し、魔法瓶のポットから2杯目をコップに注いだ。

「お、つめたい」
外からはわからなかったが、ポットにはキンキンに冷えた麦茶が入っていた。喉が渇いていた私にはありがたい。魔法瓶というだけある。


よく考えたら、冷たいお茶を冷たいままにしておけるポットを、魔法瓶と呼んでいることは、なんと微笑ましいのだろう。最初にこれを使った人が、「え!すごすぎる!マジこんなん魔法じゃん!」と驚き喜ぶ姿が目に浮かんだ。あまりにも可愛らしい。
そして、「ねえ、これ魔法なんだけど!」と周囲に伝え、「マジじゃん!魔法すぎ!」と他の人も共感し、作った人も「まほうびんだよ〜」と得意げに売り出し、辞書を作る人が「たしかにこれは魔法ですね」と書き足したのかと思うと、その無邪気さに非常に癒された。

念のため英語でなんと呼ばれているのか確認したところ、温度や真空を意味する言葉があてがわれていた。日本人だけが、「まほうじゃーん!」ときゃぴきゃぴしていたということである。

私は、なんというかその、魔法瓶から垣間見える、かつての日本人のささやかな暮らしの奥ゆかしさに、同じ日本人としてとても嬉しい気持ちになった。ねえ、こんな気持ちになれるなんて、やっぱり魔法瓶ってまほうじゃん、、!!


とか訳のわからない事を思っている間に、日曜になっていた。

まだ土曜に戻るまほうは生み出されていないので、とりあえず魔法瓶を生み出した先人に敬意を払いながら、今夜は寝るとしよう。

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