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ハガキ職人になりたくて

実は、久しぶりの投稿である。

しばらく記事を書いていなかった理由は、「ここ最近忙しくて」だとか、「書きたいこともないし気分が乗らなくて」とか、そういう理由ではなく、なんと、ただの怠惰によるものなのである。

一般的に、怠惰には摩擦が少ないので、慣性の法則が強く働き、「怠惰でいよう」などと思わずとも、ただ身を任せているだけで、おのずと怠惰な時間を過ごすように、システムづけられている。
そうやって、なんとなしに、月が徐々に地球から遠ざかるように無意識的に、記事を書くことから遠ざかってしまっていたのだ。



ところで先日、退職して独立した元上司から、突然、連絡があった。
共通の顧客を通して、私の近況を知ったようだった。上司は現在、私と同じで関東に住んでいた。
「飲みにいこう」
と言われ、二つ返事で答えた日の夜、"例の記憶"が蘇ってきた。


私がまだ、会社に入社して数ヶ月の頃、引き継ぎの同行での、客先での何気ない会話だった。

「井上陽水って、どんな感じやっけ?」

上司からの思わぬモノマネの無茶振りだった。大阪出身のおじさんが成す、雑なフリを、私はそこで、生まれて初めて浴びたのだ。

しかしその時、上司は私のことを、完全に見誤っていた。
見かけによらず、私は瞬発的な思考能力が低いのだ。加えて焦りや緊張に弱い。
日常に起こりうる、会議などで急に意見を求められるような場面ですら、脳内の全ての言語が人見知りを発揮し、陰の方へ逃げ込んでしまって、私といえば、ただ口からあわあわとカニのように泡を吹き出して倒れるばかりなのである。


そうして結局、何も答えることができず、その場が流れてしまった。


後悔した。

井上陽水だぞ、いけただろ。と思った。あんなに特徴がある人はそういない。仮にまったく似ていなかったとしても、身を挺してモノマネをすべきだった。

「いおうえおうすいです...」
「いのうえおうすいえす...」
それから家に帰って、1人きりになった部屋で、井上陽水のモノマネを幾度となく繰り返した。
おそらく隣の部屋の住民は、完全にここに井上陽水が住んでいると思っていたに違いない。

しかし、井上陽水は絶えずして、しかももとの水にあらず。と、方丈記に記されている通り、チャンスはその一度きりだったのである。

仕事中に、「すみません、あの時のモノマネなんですけど〜」などと言って、わざわざ掘り返すのは、あまりにも不自然だし、そもそも大阪のおじちゃんが、そんな些細な会話を覚えているはずがないのだ。
なぜなら、大阪のおじちゃんにとってモノマネとは、単なる挨拶にしかすぎないからである。そもそも、大阪のおじちゃんは大体の会話を覚えていないのが一般的である。
結局私は、どうすることもできず、心にモヤモヤと井上陽水を抱えたまま過ごすこととなった。



しかし

「久しぶりやなあ。入社してもう5年?」
「いやまだ3年半ですよ」
久しぶりに上司に会って、酒を飲んでいるとき、不意に、私はあのモヤモヤと陽水を、あまり感じていないことに気付いた。

あれから数年が経ち、だんたんと私のモヤ&陽水は、月が遠ざかっていくように無意識的に薄らいでいっていたのだ。それは、初恋の痛みが和らいでいくような、穏やかな時の流れだった。

この痛みも、井上陽水も、一人で抱えていこうと決めた。伝わらなくたっていい。そのとき、心の井上陽水が、少年時代を懐かしむように歌っていた。


けれどこの、些細な物語を、誰かにこっそりと伝えたい気持ちになった。私はすぐにスマートフォンを手に取り、文字を打ち込んだ。

文字を打ち込んだ先は、noteではなかった。
ある芸人のラジオだ。誰かに伝えたいことを音声メッセージに録音して文章と共に送る、伝言板というコーナーがあった。
普段聴いているラジオで、もしこれが読まれたら、嬉しいな、という軽い気持ちだった。

私は、渾身のモノマネを音声に込めた。



しかし、そのメールは読まれなかった。

誰にも聞かれる事なく、私の井上陽水のモノマネ音源が、サーバー上を漂い、数多のラジオメールの中に紛れていった。その姿はまさに、ゆく川のようである。



読まれなかったラジオを聴き終えた夜、夢のなかで、サングラスをかけた笑顔の井上陽水が、光のなかへゆっくりと消えていく光景を見た。

翌朝、やはり誰かにこのことを伝えたい、という感情が芽生えていた。あんなにも伝わらなくてもいいと思っていたのに、誰にも伝わらないとなると、かえって、どうしても主張したい気持ちになるものなのである。日の目を浴びず、ただ笑顔で去っていく井上陽水のモノマネ音源が、ひどく哀れに思えたのだ。



そこで私はついに、慣性を振りほどき、記事を書くに至った。

やっぱりnoteだ。noteは絶対に私を受け入れてくれるし、どんな文章も公開させてくれる。
あったことを、あったまま、存在させておくことができるし、もしかしたら、それを読んでくれる人もいる。



さて、たっぷりと書いたぞ。

この世にたしかに存在する井上陽水のモノマネ音源に、1人でも心を馳せてくれることを祈って、今日は寝るとしよう。



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