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そう落ち込むなよ

今日、飼っていた生き物が亡くなった。突然だった。家族の中でも特に妹がそのお世話をしていたのだが、彼女が水槽をのぞき込んでいるなと思ったら気づけば母のもとで泣いていた。
私は妹ほどその生き物に関心があったわけではなかった。しかし失うことはいつでも悲しみをもたらす。そう、悲しかったのである。その生き物を失ったこと、そして誰よりも責任をもって育てていた妹が泣いている様子、その両方によって私はいつの間にか涙を流していた。

生き物はいつかその命を遂げる。そんなの誰にでも分かっている。分かり切っている。その終わりが突然であろうとなかろうといつか終わりが来ることはこの世の定めである。自分はそれを理解したつもりでいた。いつか全てが終わってしまうから、やりたいことは全てやって、自分が好きな「表現」に持っている資源を注ごうと決めていた。それでもやはり突然の別れは辛かった。だから、「本当の意味で終わりを恐れない」状態になったとき初めて、自分の思考が成熟しきったと言えるのだろうなと漠然と思った。

人はどこか永遠を信じてしまう傾向にある。特に充実して楽しい日々を送っているとき。新しい生活がスタートしてから特に友人に恵まれ、みんなと話すために学校に行くという感覚がやっと分かった(もちろんこれまでに出会った友人たちも大切だし大好き!)。
だからこそ、今日も学校に行けば友達に会えると信じてしまう。今日も楽しい1日になるだろうと信じてしまう。今日は何の話をしようかと意気込んでしまう。約束をすれば、その日が来れば会えると当たり前のように思う。こんな楽しい日々が永遠に続くと無意識に信じ込んでしまう。

そんな保証はどこにもないのに。

じゃあ信じなければいいの?初めから期待しなければ傷つかずに済むの?そうじゃないでしょう。そんな人生はつまらない。いつか終わりは来てしまうけど、その終わりがまだ来ない限り何事も続いていく。

だから終わりが来るまでの間を精一杯楽しみ尽くして、そしてそれができるだけ長く続くよう努力する。それが一番いいのでは。それが一番人生を楽しめる方法なのでは。

つまらなくなったら新しいことを探すといい。noteを読み漁ってもいいし、図書館で膨大な書籍の中を歩いて面白そうなところで立ち止まって見てもいいし、何ならいつもと少し違う道を歩くだけでもいい。何かしら新しい発見があるかもしれない。無いかもしれないけど、行動しないよりはいいでしょ。


だって人生は終わりが来るまで続くんだから。







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