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20才に入院した結果、経営者を目指すことになったわけ ②

こんにちは、こんばんわ。川原尚人です。

東リベやヒロアカの展開が最近気になって仕方ないです。読みたい漫画が沢山有りすぎて困ります。色んなことが学べますし、友達が出きるきっかけにもなりますし。日本の漫画文化は本当に最高だと思います。


さて、今回は前回の続きです。ネフローゼ症候群に発症した僕が、入院生活をすることになったところからです。


始めての入院生活

病気に掛かったことは、ショックでしたが始めての入院とのことで、少しだけワクワクしていました。

治療方法も手術などはなく、薬での治療だと聞いて安心してましたし。

とりあえず電話したら、すぐに飛んできた母親に心配掛けて申し訳ないと思いつつも、入院の準備を手伝ってもらいました。子供の頃学生の頃の不登校など、ずっと親には心配掛けてばかりだなと反省です。

会社の上司からは、「こっちは心配せずにしっかり治しなさい」と言っていただけて良かったです。もしかしたらクビになるかもと、考えていたので。

そうして始まった入院生活ですが、やることは採血して3食の食後に薬飲むだけだったので結構時間をもて余してました。最初の方は兄貴にゲーム持ってきて貰って、ひたすらゲームしてました。

なんせ、浮腫があるだけで気持ちは健康の人間と同じですから、入院生活も2、3日過ぎると結構ストレスに感じてきました。

薬飲むだけなのも、楽と思いましたが毎食後10錠以上の色んな薬飲むのは結構大変でしたし。なんせ病気になってから、しばらく放置していたので結構な量の薬を飲まないといけないほど病気が進行していたのです。

先生にあと「あと少し入院するのが遅かったら、人工透析が必要でした」と言われてヒヤッとしました。

薬は「プレドニン」という強い薬を飲むのですが様々な副作用がキツかったです。

とくに睡眠障害になり夜寝れないのは辛かったです。副作用の治すために睡眠改善の薬を更に飲むことになるというループ、、

入院して1ヶ月後、更にメンタルに負荷が掛かるとは思いませんでした。


せまりくる入院費

病院に入院させて貰ってる以上、毎月払う必要があるのが入院費です。

入院費だけで、毎月の支払いが10数万にあり日々飲み会や趣味に使っていて、貯金が10数万程度の自分には相当キツかったです。

限度額適用認定証を申請して、毎月9万程度になたといえど厳しかったです。

アクサなどの入院保険と少ない貯金で、最初はなんとかしていましたが、3月目からは給料が6割(貰えるだけありがたいですが)になり貯金もなくなった僕は、情けないことに親やおばあちゃんにお金を借りました。

このことがあったから、将来についてちゃんと考え始めました。

なにせ親も還暦に近くなり、いつなにがあってもおかしくないし、自分もまた病気になるかも知れないし、将来結婚して子供が出来た時のお金なども考えるといくら備えてても足りないなと思います。

大切な人を守るには、お金は絶対必要だと身にしみました。

繋がりの有り難さ

薬の副作用による寝不足や、降り掛かる金銭面の負荷、日々なにもしないまま過ぎていく焦燥感などもあり、メンタルは日に日に落ちて行きました。

別に死ぬような病気ではないですし、大げさなんですけどね笑

なので親や会社の同僚、友達の面会は本当に、嬉しかったです。元気がでました。病気になったからこそ、色んな人に支えて貰ってるって、ことを認識することができました。

すぐに薬が効いて、段々薬の量も減らすことができたので、9ヶ月程で退院して自宅療養することになりました。

その間はなにか行動起こそうと、MOS資格を取ろうと勉強したり、自己啓発本を読みあさってました。この時はまだ全く経営者になろうとは考えもしてませんでした。

職場復帰とおもいきや病院に出戻り

自宅療養から2ヶ月ほど、症状が安定していたので、常昼勤務で仕事に復帰しました。さすがに夜勤などは認めてもらえませんでしたので。

そして常昼復帰から、2ヶ月程したときに足に違和感がありました。脛を触ってみるとまた浮腫があったのです。

すぐ病院に行き検査をすると、また病気が再発していました。ネフローゼ症候群というのは再発生が高い病気だったのです。

塩分の高い食べ物は避けてましたし、規則正しい生活してたにも関わらず、結局再入院しました。

2回目ともあって、慣れたものでしたが、薬が減るまで結局、4ヶ月程入院しました。そこから1ヶ月程、自宅療養して職場に復帰じした。

出逢いや別れ

有り難いことに会社は、自分が現場職に戻れりやすいよう、比較的負担の少ない職場に替えたり、時間帯を夜勤を無しにして貰ったりと色々便宜を図っていただきました。

結局1年後、自分の理想を叶えるためこの会社を辞めることになりますが、本当に6年半お世話になりましたし、社会人として成長させていただきました。

退院してから1年程経って、ほぼ薬も飲まなくて良くなって病気は寛解してました。ほぼほぼいつも通りの日常に戻ってました。

そんなある日、友達に誘われた飲み会に、仕事終わりに気まぐれで参加しました。

当時は病気のことがあって、お酒飲むのも控えめでしたし、会社の飲み会ぐらいしか参加してかったので。

あわよくば良い女性と出逢えたらいい、ぐらいの軽い気持ちで参加したのですが、まさかそこで出逢った夕貴という女性と、本当に付き合うことになるとは思いませんでした。

そして彼女と出逢ったことで、後のメンターとなる方にも出逢うことになり経営者を目指すことになります。

1つの出逢いで、こんなに人生変わるとは思ってもみませんでした。

最後に

もし僕が病気にもならずに、3交代で仕事を続けていたら、仕事で飲み会には参加出来てなかったです。

今の彼女と出逢うことも無かったし、メンターに出逢って経営者を志こともなかったです。

仕事を辞めることもなかったでしょうから、おそらく今と全く違う人生になってたと思います。

病気になったのは不幸でしたが、入院期間があったことで、お金を稼ぐ必要性や日々色々な人に支えて貰ってることに気付くことが出来ました。

だから僕は病気になったことは、捉え方を変えると良い経験だったなと思います。 

自分のこの経験を通じて、誰かに糧になるようなことがあればなと思います。


ここまで閲覧していただきありがとうございました。良ければスキをお願いします。

川原 尚人




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