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星街すいせい「ビビデバ」MVを観る(2-2):なぜ最後にリアルな服を着るのか?

 前置きが長くなったが、以上のような星街の姿勢を前提として、二次元と三次元の関係に注目しながら「ビビデバ」MVを観ていこう。「前提として」とは言いつつも、基本的にはMVに内在的な考察に努めて、MVしか観ていない人も納得のいく見方になるようにしたい。


超人間的な魔法の否定とヴァーチャルな人間の例外化=平等化(0:00-0:30)

 冒頭30秒がかなり重要である。まずは全画面にわたってアニメーションで、カボチャの馬車を背景に、星街の着ていたみすぼらしい服が魔法によってドレスに変わるさまが描かれる。「シンデレラになった星街すいせい」という印象をきわめて効率的に与える描写である。

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 しかし、魔法のエフェクトが完了しないうちから、実はモニターに写された映像であったことが明らかにされる。

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同時にそのモニターがあるのはスタジオの中であり、星街もそのスタジオにいること、そしてまさにモニターに映っていた映像を撮影しているところだったことが判明する。

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曲名「ビビデバ」が表示されるのはこの瞬間であり、このMVが「MV制作の様子についてのMV」というメタ的な映像であることを宣言するかのようである。
 一瞬遅れて、アニメーションのように見えていた、星街のいた空間にリアルのスタッフたちが入っていき、実はリアルな空間だったことが示される。星街はスタッフに会釈したり監督を無言で睨みつけたりしており、単に描かれたイラストではなく、感情や考えをもち、自分の意思で動く人間、つまり私たちが知っている星街すいせいその人であることが示唆される。

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 次に導入されるのがこのMVにおけるアニメーションの作られ方である。監督にどやされながら入ってきた3人のスタッフは、ペイントソフトの消しゴムツールのような技術を使って背景イラストを描き変えていく。

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次いでカメラが回転し、セットの反対側が映し出されるとともに、王子役の男性が歩いてきてスタッフにあいさつをし、腕をT字に広げて先ほどと同じ技術で王子の衣装に着替えさせてもらう様子が描かれる。

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 このシーンはきわめて重要である。なぜなら、王子役の男性がどのように着替えているのかが示されることで、シンデレラ役の星街が本当はどのようにドレスに着替えたのかが示唆されるからである。モニターの中では魔法によって着替えていたが、実は星街も男性と同じようにあのツールでドレスに着替えたのだろうと考えるのが自然である。ここで示されているのは、童話「シンデレラ」の中には存在する魔法という超人間的なものは「ビビデバ」MVの世界には存在せず、あるのはスタッフによる作画という人為であるということだ。まさにここで「トリック無しのマジック」という歌詞が表示される。星街や王子役の男性が存在するのは私たちと同じこの現実世界であり、そこに人為を超えた不可思議なものはない。ただヴァーチャルとリアルが混合しているだけである、ということが明確になる。
 もちろんスタッフが腕を動かすことで消しゴムツールのようなものが作動するというのは現実に起きることではないが、それでも魔法とは異なる。アニメーションは人の力で作られているからだ。VTuberはヴァーチャルだからリアルな人間には不可能なことができると言われることがあり、配信中やライブ中に瞬間的に着替えるといったことはまさにそうである。

しかし「ビビデバ」MVは、それは超人間的な魔法ではなく、あくまでも技術による人為なのだということを伝えてくる。VTuberの周りにあるのはまさに「トリック無しのマジック」なのである。

 このシーンでは同時にもう一つ重要なことが起きている。ヴァーチャルなものの中で、「ヴァーチャルな人間」にだけ例外的な地位を与えるという操作である。「ビビデバ」MVにおいて、ヴァーチャルなもの(背景や衣装)はリアルな人がツールで作っているが、ヴァーチャルな人間だけはリアルな人がいちいち描かないと存在できないものではなく、リアルな人と同じように自分で動くことができる。前回の記事の言葉を使えば、ヴァーチャルなものの中でフィクショナルなものとノンフィクショナルなものが区別され、異なる地位を与えられているということだ。
 この例外的な位置づけは、アバターのデザインとLive2Dまたは3Dの制作が完了した後は一人で配信なり動画作成ができるようになるというVTuberの一般的なあり方を反映していると考えることもできる。しかしそれ以上に「ビビデバ」MVを観るときに効いているのは、デビュー当初の星街が自分自身をデザインし、Live2Dも自分で制作したという文脈である(これは星街すいせいに関する最も基本的な知識の一つである)。他のVTuberにもまして、星街は他の誰かに作られた存在ではない
 もちろんメタ的に言えば「ビビデバ」MVの中の星街も王子役の男性もアニメーターによって描かれているのだが、そこにいるのが星街すいせいであることと、王子役の男性が最初からアニメ背景の中にいるのではなくスタジオの入口の方から歩いてくることによって、ヴァーチャルな人々が「描かれなければならない存在」であることが忘却され、自分で動く人間であるように見えるのである。

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 これはヴァーチャルなものの中での例外化であると同時に、リアルな人間とヴァーチャルな人間が対等な存在であるという平等化の操作でもある。ヴァーチャルな人間はスタッフが描いたものではなく、MV制作のために雇われた演者であり、監督がMVを作ろうとする前から存在していた人々である。そして、演者とスタッフという立場の違いはあれど、MV制作に関与しているという点では同じである。王子役の男性がスタッフの女性と軽く会話しながら着替えを行っている様子や、監督の指示を困惑しながら聞いている星街の姿は、彼女らがノンフィクショナルな存在であることだけでなく、リアルな人間とヴァーチャルな人間の対等性を示している。

乱闘の物質性(0:30-2:10)

 次の場面に移ろう。星街は、監督に両手を肩の高さまで上げながらチャールストン的なステップを踏む振付をするように指示され、ガラスの靴を履いているので無理だというように手を振るが、監督に撥ねつけられる。監督がいいからやれと言わんばかりに自分から目を逸らしてセットに目を向けたのを見て、星街はそれまでとは異なる目つきで監督を睨みつけながらセットの中に入っていく。

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 星街と王子、その他男女4人でのダンスの撮影が始まる。カチンコには「TAKE9」と記されており、このシーンで難航していることが示唆される。王子が監督のしていた振付をする一方で、星街は手を上げずに裾をつかんで別の振付で踊る。その途中で星街は一度自分の足元に目を向けている。

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 この後星街が転んでしまったことをきっかけに監督がマネージャーを叩き、それに星街が抗議するという展開になるのだが、このダンスの時点ですでに星街が監督の指示に従っていないことは注目に値する。最初の記事でも書いたが、監督は星街が自分の指示に従うはずだと思っている一方で、星街は妥当な指示である限りは従うものの、不当であったり無理であるような指示に従う必要はないと思っており、ドレスとガラスの靴でもできる振付に自分の判断で変更したのである。ダンスの前の監督への静かな怒りの表情は、単なる不満の表出ではなくもはや指示には従わないという決意の表れでもあったことになる。
 星街が監督に抗議するところまでは最初の記事に書いたので、監督が台本らしきものを投げつけるところから見ていこう。監督の椅子に座った時点で(これは星街が真の監督であることを暗示しているが、それはそれとして)、ヴァーチャルな人間である星街がリアルな事物と接触できることは示唆されているが、星街に台本が当たり、星街が投げ返したガラスの靴が監督に当たることで、リアルとヴァーチャルがお互いを見たり話し合ったりできるだけでなく、お互いに触ることのできる物質としても対等であることが明らかになる。

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 続くあわや乱闘かのシーンは、星街の身体の物質性をさらに強調している。

監督に殴りかからんばかりの星街の腕を複数の女性スタッフが押さえて後ろに引き下げる。リアルの人間が星街の腕をつかみ、力を込めて引っ張ることで、星街がヴァーチャルでありながら触ることのできる存在であり、もし殴られたら監督に痛みが発生するだろうことが示される。
 この物質性は、先に述べたリアルな人間とヴァーチャルな人間の対等性をさらに鮮明にしている。冒頭ではヴァーチャルな背景がリアルな人間の手で簡単に消せるものとして表象されていたが、星街と監督の間にはそのような非対称性というか原理的な力のアンバランスはまったく存在しない。もちろん星街は若い女性であり、握力などが特別に強いわけでもないので、実際に闘ったらおそらく監督が勝つだろうが、闘い自体は成立しうることがここで判明するのである。

リアルな衣装を着たヴァーチャルな人間(2:10-2:20)

 カメラは星街に殴りかかろうとした監督にぶつかって床にひっくり返っていたのだが、星街はそれを拾い上げて自撮りを始めるとともに、もみくちゃになっている監督やスタッフの横を平然と、しかし静かに決然とした表情で通り過ぎてスタジオの外に出ていく。途中で星街はハンガーラックに掛けられていたリアルな衣装をつかみ取り、カメラが回転する間にドレスから着替えてしまう。

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 着替えた後の星街の姿はまるでリアルな人間にヴァーチャルな星街の顔が貼り付いているように見え、視聴者をぎょっとさせる。しかし、重要なのはリアルな服に着替えた後も手はアニメーションで描かれており、顔と首と手以外は服で覆われていることである。

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 ここで視聴者が疑うべきなのは、「これ」がリアルな星街なのかどうかといったことではなく(ちなみにこの点は振付師の方が明確に否定している)、リアルな服を着ているのは当然リアルな人間だと信じてしまう自分の視覚習慣の方である。先立つ場面で星街はリアルな人間に腕をつかまれることができ、リアルな衣装を手でつかむこともできる物質的な存在であることが示されているのに、なぜリアルな服を着ることはできないと思ってしまうのか?
 ヴァーチャルな人間がリアルな服を着ることができることを認めたとしても、なぜ星街はリアルな服を着ることを選んだのかという問いは残る。この問いに答える手がかりは、このMVにおいてヴァーチャルな衣装がどのように作られるかにある。ヴァーチャルな衣装を着るためには、リアルな人間の手を借りなければならない。しかし今や星街は監督と喧嘩してしまっており、スタッフの手を借りることもできない状態にある。それだけではない。最初の記事で詳しく述べたように、自撮りを始めた時点で星街自身が監督となっているのであり、元の監督率いるスタッフたちは実質的に解雇されている。星街が撮るMVのスタッフとして選ばれたのは星街だけである。星街は人に衣装を描いてもらうのをやめて、自分の手で衣装をつかみ取る。スタジオにあった衣装ではあるが、監督が星街に着せようとは決して思っていなかったであろう衣装を。勝手に衣装を拝借した星街は不敵に舌を出して笑い、スタジオから脱走する。
 バーチャルな存在である「のに」自分で衣装を選ぶというのは、実のところVTuberの特徴でもある。ホロライブ以外でどうなのかはよく知らないが、ホロライブのタレントたちはたいてい新衣装のコンセプトを自分で考え、途中の過程でも多少なりともデザイナーに注文を出していることをよく話している。これはヴァーチャルでフィクショナルな存在、アニメや漫画のキャラクターには原理的になしえないことである。星街がリアルな衣装を選び取ることを通じて、「ビビデバ」MVはVTuberの特異な点を浮き彫りにしているとも考えられる。
 なお、乱闘と着替えのシーンから、なぜ「ビビデバ」MVは3Dではなく2Dのアニメーションだったのかという問いに一つの答えを与えることができるかもしれない。リアルな人間と取っ組み合うとか、リアルな物をつかむといったことを3Dでやるのはアニメーションで描くよりもおそらく難しい。星街は時折ヴァーチャルであることの不便さを語っている。声優の田所あずさとのラジオ番組で(どの回だったか思い出せないのだが)、3Dを念頭に置きながら物を持つことさえ難しいのだとこぼしたことがある。今回星街が衣装をつかむことができたのは、星街がLive2Dでも3Dでもなく、アニメーションの身体をもっていたからである。現状ではアニメーションになることがVTuberにとってさまざまな動きをする上で最も便利な手段なのである。

振付と衣装のマッチング(2:20-2:43)

 2-2において、星街は監督の指示に逆らって袖をつかんだ振付をしたのではないかと述べた。しかし、最後に星街がスタジオの外に自分でカメラを置いて撮影するダンスでは、まさに監督が指示していた、両手を肩の高さまで上げながらステップを踏む振付が採用されている。そして、まさにその部分で星街は意味ありげに挑発的な表情を浮かべている。なぜだろうか?

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 コメント欄で見られた答えの一つは、「ガラスの靴を履いていなければ上手に踊れることを示している」というものである。そうかもしれない。しかし、ただダンスの能力を誇示しているだけなのだろうか? もしそうなら、最初のダンスシーンで振付を変更したことも、踊れる振付に変えただけだったことになる。また、「ビビデバ」MVは星街のダンサーという側面にフォーカスして終わることになる。
 そうではないだろう。星街が最後に言わんとしているのはおそらく、この振付が合うのはこういう衣装で、こういうロケーションだ、ということである。最初から振付自体に異存があったのではないのだ。あの背景で、あの衣装でこの振付で踊ることに納得がいっていなかった。だからこそ、最初のダンスシーンではドレスに合うような振付に変更したのではないか。
 誤解されやすいところだが、星街はすぐに依頼した相手をクビにするような暴君タイプではない。基本的にはさまざまな事情を考慮しながら、現実的な可能性の範囲内で、人間関係をぶち壊さないようにしながら最もよい選択肢を選ぼうとする人だというのが、配信などをずっと視聴しているファンがもつ印象ではないだろうか(「現実的な可能性の範囲」自体を広げようとすることはしばしばあるにせよ)。そのような人だから、最初は黙って振付を変えるという控えめな方法を取ったように見える。
 最後のダンスシーンは、監督となった星街が舞台も衣装もぴったりのものを選び直した上で、改めて当初の振付を選び直す場面なのである。そこで「ビビデバ」MVが強調しているのは、単なる有能なダンサーとしてではなく、すべてをセルフプロデュースするVTuberとしての星街すいせいに他ならない。

 衣装に関する補遺として、MVを離れて一つ書いておきたい。星街はMV公開後、宣伝として多数の動画をtiktokとYouTube Shortsに公開している。その中に一つだけ、MVの最初のダンスシーンで星街が選んでいた振付、彼女が「ドレスの裾掴んだバージョン」と呼ぶ振付で踊っているものがある。

星街がこの動画でファーストソロライブの衣装を選択していることについて深読みしてみたい。星街は、セカンドライブ「Shout in Crisis」をこの衣装で「Stellar Stellar」を歌うことから始めた。しかし曲の終わりで星街の声と姿にノイズが走り、いわゆる私服衣装を着た姿に変わるとともに、2曲目「TEMPLATE」が演奏され始める。

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美しいアイドルという自分自身の像を破壊して、ロックな歌手として歌うという、セカンドアルバムとセカンドライブのコンセプトを端的に伝える演出だった。
 「ドレスの裾掴んだバージョン」をセカンドライブでいわば否定された衣装で踊り、最後に自分で選び直したビビデバダンスをまず私服衣装で踊ることによって、セカンドライブの演出が変奏されているように見えた。

シンデレラ的な振付よりも、黒人文化に由来するストリート的な振付を星街自身が選び取っていることが、MVの外部で、そしてもちろん星街の監督下で制作された動画によっても確認できるように思う。

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