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A.G.(musician)


〜 僕が音楽を作る時、たまに少しクォンタイズ(音のタイミングの自動補正)をする。まあ30%くらいかな。絶対100%はしない。人間っぽい感触が必要だからね。で、ここにゆっくりベースを加える。これは一番良いベースじゃないけど、ここにあるから。スケール(音階)はいつもクロマティック(半音階)を使う。色々加えても、コントロールができるからね。〜

僕のアーティスト名はA.G.です。フランスで生まれ育って、アメリカには、18歳の時、2009年に来ました。3000ユーロを持って。12年ニューヨークにいて、音楽をやっています。以前はジプシージャズをやっていたけど、今は発展して、色んなことに関わっています。ジプシージャズは、ギターを弾くのが楽しいけど、人々をダンスさせる必要はないんです。たとえ、ファンクやディスコなど、複雑でないものでも、人々が立って踊り出したら、僕は幸せなのです。役目は果たした、ってね。

影響を受けたミュージシャンはいますか。

沢山いますね。トランペットはルー・ドナルドソン。
ハウスミュージックは、YUKSEC, ヤクセック?ユクセック?、なんて発音するかわからないけど、彼がエレクトロミュージックに、関わるきっかけを作ってくれた。エレクトロミュージックは、そんなに音楽的スキルもいらないし、サンプリングだけ、と思っていたけど、ユクセックは、本当のミュージシャンだな、と。だからエレクトロミュージックに興味を持った。
他には、レーベルのハルシオン、ジャズミュージシャンのデジャンゴ、ジプシージャズギタリストで一番好きなアンジェロ・デバレー、ジャズピアニストのデイブ・ブルーベックなど。

<YUKSEC>

なぜニューヨークに住もうと思ったのですか。

色んなことを求めていました。まずカルチャーショック。それと、公共の交通機関、移民の問題がない事、だからニューヨークに来ました。ロンドンはそんなにカルチャーショックがないよね、ヨーロッパだから。オーストラリアに住むにはパスポートがないし、LAは、地下鉄がないし。僕は人生で、運転した事がない。ずっと地下鉄を使ってるから。16歳の時に初めて2週間ニューヨークにきました。そして、試してみようかな、と。パリは国際的な所が好きなんだけど、ニューヨークはより国際的ですね。

どのように音楽を始めたのですか?

小さい頃、僕は難しい子でした。フランスで育ったけど、フランス人は僕をフランス人とみないし、アメリカ人は、僕をアメリカ人と見ないし、イタリア人は、僕をイタリア人と見なかった。僕は、どれでもなかった。そして、ドイツに引っ越したら、誰も僕を理解しなかった。どこにもフィットせず、他の子供らと衝突するようになった。家族や他の問題もあったし。だから僕は毎年、どのクラスでも、いつもヘッドホンをして絵を描いていた。それで言葉を聞き取ってるうちに、耳が良くなったんです。音楽は、僕にとって国際的な言葉だね。気分が良くなるし、助けられるし、ジャッジもしないし、いつもあなたの為に、そこにある。僕が音楽を作る時は、とても自己中心になります。そこに入ってしまうと、戦いもない、問題もない。僕はリチャージされ気分は良くなるし、良いエネルギを発散できる、、、。これが、僕が音楽を作る全てのポイントです。人々を、良い気分にさせて、ダンスさせたい。

ライブセットでは、いつも僕がやってるのは、、、まあ複雑です(笑)。ここにドラムマシーンがあるでしょう、そしてこのミキサーはレコーディングでも使うんだけど、ミックスしたかったら、ドラムだったら、キック、スネア、ハイハットなど、全部違うトラックにしないといけない。だから、僕はグループに分けてから、このミキサーをコントロールしてる。なぜならドラムだけだったら既に8チャンネル、他の楽器が入ると16チャンネルにもなる。そんなのコントロールできない。だから1チャンネルをドラムにして、MIDI マップを使って分ける。これで、キック、スネア、ハイハットなどコントロールできる。MIDIは、このボタンを選択すると、このボタンは、エフェクトをかけるとコンピューターに伝える。こんな風に、僕はこれをレコーディングでも使う。

ほかには、このAPC40(MIDI コントローラー)。FKJとか色々なアーティストも使ってるね。そしてこのドラムマシーン(Native Instruments MASCHINE MK3)。以前僕は、純粋にアコースティックだけ演っていたけれど、このドラムマシーンは、エレクトロミュージックの機材をどのように使うのかを学んだ大きな突破口になったよ。2年前まで僕は機材を使って音楽をプロデュースするやり方も知らなかったし、シンセのことなども知らなかったけど、出来るだけ色んな音が欲しかったんだ。

このパンデミックはどのように影響しましたか。

音楽をやっていて気付いた事があるんだ、とにかく沢山やるべきだ、と。だけど、ニューヨークはそうは行かない。レントを払わないとダメだからね。だから、僕は、ウォーキングツアーガイドをやっていた。ニューヨークのツアーガイドの免許を持っているんだ、歴史が好きだからね。でも少しのお金の為に沢山働くと、音楽を作る時間も限られてくる。自分ですべて学ばなくてはならないし、機材も高い。じゃあ、自分のビジネスを始めよう、と。それが、時間的にも経済的にも自立出来る、唯一の方法だから。娘もいるし、家族をサポートするお金も必要だったから。

パンデミックの少し前に、バーで演奏を始め、ツアーでは、バーツアーも初めて、自分のカスタマーをバーに連れて行ったりした。その時はこのMIDI コントローラーだけで、コンピューターもシンセもなく、違うインターフェイスを使ってたんだけど。とにかく、パンデミックの間、音楽をやる時間が沢山できて、プロダクションを学んだり、色々なものを膨らませた。僕に影響したのは、音楽をやる時間が増えたって事かな。

ニューヨークでお気に入りの場所はどこですか?

パンデミックの前に好きだった場所の一つは、パブリックレコード。凄く良い音響システムがあって、自分が磨かれたように感じる。カフェ、レコード屋としてスタートしたんだけど、今はクラブも下にあって、食べ物もある。広い場所で、エレガントで、ハイプな場所になりえるのに、そこには腰が低くて、彼らこそが音楽という感じ。80年代ハウスをよくかけていて、僕は、エレクトロミュージックとジャズを融合させたいから、とても影響を受けた。ジャズは、内容は美しい音楽だけどプロダクションはとても古い。だけど今僕らは、新しいタイプの音楽をコントロール出来るものがある。技術的に音楽をシンセで融合し始めたのは、多分80年代ぐらいからかな。だから、僕はこれを、リフレッシュさせ、新しく誕生させたい。ハウスのムーブ感と、ジャズの心からの美しいメロディを融合させたいのです。

5/11のハニーズ・チューズデーでのパフォーマンスを楽しみにしています。

ありがとう、ハニーズ。5/11!

ここから幾つかの機材を持って行くんだけど、メインのドラムマシーンと、これは全てのセッションをコントロールするコントローラー、キーボード、シンセサイザー。僕の音楽は、ファンクハウスとでもカテゴライズできるのかな。色々プロデュースするミュージシャンは、一つのカテゴライズだけをプレイするわけじゃないからね。例えば、リッキーティネズなんかは、2つのアーティスト名を持っていて、一つはサウンドモジュレーション、一つはサンプリングミュージック。僕も、一方でファンク、ハウスをやって、もう一方ではディープハウスをやっている。今は技術が発達して、たくさんのジャンルがどんどん出てくるようになった。

今日はありがとうございました!

どういたしまして!ハニーズでお会いしましょう!

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