Imagine! All the people (who have no imagination)

佐々木俊尚の過去ツイ掘り起こしきっかけ?に、ツイッター上で冷静中立を気取った現状追認冷笑家連中の間でJohn Lennon「Imagine」への揶揄がちょっとしたブームになっているようだ。俺は映画評論家の町山智浩の言及を最初に見つけ、数時間後に何やら佐々木以外にも向けられた”イマジン批判”批判のツイートを多く見るようになりそれがちょっとした潮流になっている事を知った。この記事でそんな事があったなんてと知った人は、特に熱心なビートルズ/ジョンのファンであれば尚の事今更検索等しない方が精神衛生上良いと思う。俺だってその辺を仔細に調べて一つ一つに対応した反論を書くなんて金をもらってもやりたくない。クッソ不快なので。

以前も三浦大知に関する部分でここにも書いたけれども、俺ははっきり左派を自認している。一人の人間が絶対的に中立公正であるなど不可能(何故過去の偉人達が数千年かけて辿り着いた三権分立のシステムを自分一人で担保できるかのような思い上がりに到れるのか)と思っているので、左派の主たる潮流の幾つかには反する思いはありつつも、大まかに自分の属性を同定するのは重要だろうから。なので当然反戦の思いも強く持っているが、そういう立場からして単純に、理想を掲げる姿をさしたるクリティカルな視点も無しに安易に揶揄する行為は非常に醜く映る。
そのように社会に対するスタンスとして今回のあれやこれやを語る事は非常に重要だと思うし、ましてそこを差し置いて音楽的な面だけを語るのが芸術に対する崇高な態度だなどとは全く思わないが、The Beatlesを、とりわけジョン・レノンという男を愛する身として、ともすれば熱心な音楽ファン(だからこそ、でもあるかもしれない)にも見過ごされがちな「Imagine」という楽曲の素晴らしさを突きつける事で冷笑家共への返答としたい。

歌詞

今回の件を受けてとなるとやはりまず歌詞から入るべきか。既に多くの指摘がなされている部分ではあるが、1stコーラスは"You may say I'm a dreamer"と歌われる。そして"But I'm not the only one / I hope someday you will join us / And the world will be as one"と続く。自らが夢想家と揶揄される事もジョンは既に織り込み済みで(つまり"You"は佐々木やあいつやあいつだ)この曲を作った事が明らかな部分であるし、ネトウヨから自称中立冷笑家までがよく用いる”正義の暴走/押し付け”といった言葉に対してそれをも包括して未来へ進むスタンスだ。ここに”暴走”や”押し付け”を見出してしまうならばそれはそいつが自分に反する意見を全て”押し付け”だとする狭量な見方で、権力を持ってしまえば弾圧を実行するのにより近いのはそうやって騒いでる連中としか思えない。

そして有名な"Imagine..."という言葉を冒頭に冠して理想を述べていくヴァースのスタイルは、3コーラス目に"Imagine no possessions (想像してごらん、占有物の無い世界を)"と歌った後に”I wonder if you can"と歌う。これはジョンのキャリアを通しての作風、また同一アルバムにもかつての盟友Paul McCartneyを強烈に皮肉る「How Do You Sleep?」がある事を思えば、”君にもできるかな?”というような優しい呼びかけというよりも”やってみろよ、できるならね”という”dare (挑発)"に近いものであろう。
また、ここでもう一つ注目したいのは、前段の"Imagine no possessions"だ。他のImagine…から始まるラインが概ね素直な表現で(たとえそれに反対としても)イメージ共有のしやすい題材/表現を用いているのに対し、ここはやや解釈のブレの余地がある部分だ。先にはあえて共産主義的とも資本主義下のリベラリズム的とも取れる”占有物”というワードを用いたが、”全ての私有財産”というようなより共産主義的な解釈も出来るし、”何も持たずに暮らそう”というような素朴でやや不健康なスピリチュアリズムとも言える原始時代崇拝のようにも取れる。
ここで思い出したいのはビートルズ時代の「Revolution」。まだ文化大革命の本当の実態が世界的に明らかになっておらず、ジャン=リュック・ゴダール等も共産主義に無邪気な夢を見ていた時代に、ジョンは毛沢東を揶揄する歌詞を書いていた。また、アメリカ移住後のジョンは、70年代のアメリカには過激な思想を掲げる小規模政党や団体が幾つもあり、オノ・ヨーコ人脈のラディカルなアート方面からそういった政党と繋がれる可能性はあったにも関わらず、当時の東側諸国に強いシンパシーを表明しているでも無かった民主党支持を公言していた。この辺りも考えると最も適切な訳は"possession"を”全ての私有財産”と訳し、その上で続くラインを”やれるんならやってみろ”と訳す、つまり冷戦下における共産主義とそのシンパに対する皮肉を素朴な理想論と並立させているという解釈がベストではなかろうか。
素朴な表現が子どもじみたもので皮肉や諧謔を込めれば高尚なものだという考えはむしろそれ自体が子供じみていると思うが、単純・素朴な”だけ”では無い事を理解してもらうのは重要だ。

あ、バカウヨの大半はここまでの文字数読めないだろうけど、バカだけど文字を読めるネトウヨは「共産党を皮肉ってるって事はむしろパヨクの敵じゃんw」と思うかもしれない。これは誰がいくら言ってもなかなか広まらないが、日本共産党と中共はかなり以前から敵対関係にあるし、日本共産党もマニフェスト(公約)を読めば冷戦下の共産主義を標榜していないのは明らか。さらに言えばバカウヨは盲目安倍信者ばかりだからサヨクもどこかの盲目信者のはずだと信じてるのだろうけど、今は左派とニアリーイコール…とはまだ言い過ぎとしてもそのくらい近い所にあるリベラリズムは日本語に訳せば自由主義なので、例えば反政権デモに集まる人達でも共産党より立民、いやいや社民、と支持政党はバラバラだし、安倍に退陣してもらって石破か誰かに自民党を建て直して欲しいという層だっていくらでも参加している。自由を求める人達が集まってるんだから当たり前なんだけど。ファシズムに親和性高い人らにはわからんのよね。よって先の推測が正しかったとしても今の日本のリベラル〜左派や反安倍政権派の多くはジョンによる皮肉の対象にはならない。
ついでに言っとくとバカウヨや冷笑家が時に自らによる差別の免罪符にすらしようとする「なんで日本のサヨクは中国のチベット弾圧を批判しないんだ!」ってヤツ、その手の人らがひょっとしたら”サヨク”の象徴であり親玉とすら思ってるかもしれない坂本龍一はライブでFREE TIBETの旗振ってますからね。日本の左派もそんな狭量なのばっかりじゃありません。

サウンド

最初に触れたような連中ほどではなくとも嘆かわしいのは「ジョンは好きだけどイマジンはね…」と安易に言う奴ら。いや、当然の前提なのだが改めて言っておくと、特定の曲が好きになれない事が罪のように言うつもりは毛頭無い。誰しもが好きになれる曲なんてあった方がおかしいし、この曲を好きになるべきだと人に押し付けるなど愚の骨頂でしょう。しかし、とりあえず「イマジンは…」と言っておけばなんとなく”信者”じゃない”冷静なファン”と思ってもらえるだろう、というような風潮はあるんじゃなかろうか。そしてその風潮はやはり歌詞が理想主義的過ぎるとの批判がそうさせている面が強く思える。だがーーもちろんそれに反論のある英語圏ロックファンも少なからずいるにせよーー日本の英語圏ロックファンにおいてはある程度共通理解と言えるほど”J-POP/歌謡曲は歌詞偏重過ぎる、日本の音楽ファンはもっとサウンドを聴け”という意見の存在感は強いと思う。それなのにダメ出しや冷静ぶりたい時にだけ安易な表層的歌詞批判に逃げるのか。そんなスタンスで「Imagine」という楽曲の魅力を見逃すなんて行為はあまりにもったいない。

バッキングのピアノが提示するコード進行はダイアトニックからほとんど外に出ない。そうすると”シンプルな”というワードを用いたくなるが、maj7や9thの多用によって倍音が濁り、どこかモーダルというかドビュッシー的な曖昧さも生まれている。
このコードワークの曖昧な響きをより増強させるのが、膜がかかったような濃密なリヴァーブだ。共同プロデューサーであるPhil Spectorは、この「Imagine」にも通ずるリヴァーブもさることながら、派手なオーケストレーションや大胆なオーバーダブを伴った”Wall Of Sound"と呼ばれるサウンドでThe CrystalsやThe Ronnettesといった面々をヒットさせ60年代前半に一世を風靡した。
ビートルズのラストアルバム『Let It Be』からの縁となるジョンとフィルはしかし、フィル全盛期のアプローチとはあらゆる面で対極と言える、ミニマムな編成で剥き出しの感情をさらけ出すような『Plastic Ono Band (ジョンの魂)』においても関係を継続する。その『ジョンの魂』でも、ドラムのエコー(ディレイ)は必要不可欠と言えるほどで一応代名詞的な空間系エフェクトは少なからず主張していたものの、ジョンの意向のみならずフィルにもあの頃と全く同じサウンドでは移り変わるポップミュージックの世界で生き残れないとの思いもあったのだろう、クリスタルズやロネッツのサウンドとは全く違うサウンドスケープが描かれていた。
しかしある種のセラピーと言えた『ジョンの魂』制作後のジョンは感情的にもサウンド的にももう少しオープンな形を求めていく。

そのような背景で作られたアルバムのタイトルが『Imagine』になり、アルバムの冒頭を飾っているのは何も歌詞のキャッチーさ故のアピールを狙っただけでは無いだろう。くぐもった深いリヴァーブの奥から鳴り響くピアノ、主張しすぎず華を添える程度のストリングス、それに対して非常にタイトに詰まった音のドラムス。この3点でジョンのヴォーカルを支える形が当時のジョン、フィル、そして時代性への対応という面で完璧なバランスだと判断されたからではないか。
「イマジンはね…」と言う時に「曲としては」と保留を付ける向きも少なくないと思うが、それはつまりアルバムとしては他に良い曲もあるから、という事でしょう。ならばおそらくそういう向きに人気の高そうな「Jealous Guy」や「How Do You Sleep?」などを聴いた後もう一度「Imagine」を聴いて欲しい。「Jealous Guy」のアレンジメントは概ね同じ構造と言っていいし、曲調の遠い「How Do You Sleep?」もジョンの歌を支える構造は「Imagine」のピアノをギターに置き換えただけだ。複数のドラマーを起用していてもプレイヤーによる違いよりも録音やミックスの質感の方が主張が強い。
改めて歌詞の理想を掲げたスタンスも軽視されるべきでは無いと繰り返したいがしかし、上述の事を念頭に聴き返せば「Imagine」という曲は歌詞のメッセージ性のみならず、作曲・アレンジ・サウンドすべての面においてこの時期のジョンを象徴する曲だと言うのがわかってもらえるのではないだろうか。

文字通りクリティカルに批評的視座が豊かな批判から巻き起こる議論はともかく、今回のような的外れのバカが集まっての批判がきっかけで再注目される事を「まあこれはこれでよかったね」なんてスタンスではいたくない、アーティストに過剰に苦難の物語を求める事と同じく、それ自体は人格を持たない作品であっても軽率な扱いや抑圧から逆に注目を集める事を良しとは言えないが、まあこのタイミングで盛り上がるのも何か不思議なものを感じると言えば感じる。
昨年に↑の新規ミックスに別テイクやオルタネイトミックス等を追加収録したUltimate Editionが出て、それのCDにしか入っていなかったリヴァーブ等を取っ払ったRaw Editionがちょうどつい先日のRecord Store Dayで初アナログ化された(多分探せば在庫まだそこそこ残ってる)。Raw Editionではその独特なコードワークがコピーもしやすい形で聴けるだろうし、オリジナルや同テイク新規ミックスと聴き比べる事で上述したサウンドの重要さもわかってもらえるんじゃないかなと思う。

まあとにかく、わかったような顔してイマジンの表層だけ語って「理想論に流されないボクはワタシは冷静中立ゥ!」ってやってる連中は全員爆音Yer Bluesで鼓膜ぶち破られればいい。

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